終わりと始まり4
ゆっくりと音を立てながら近づいてくる少女に、枢機卿は怯えるばかりで何も出来ない。そもそも実力差がありすぎて最初から抵抗は無意味なので、怯えていなくとも結果は変わらなかっただろうが。
少女は枢機卿の前で立ち止まると、可憐ながらも酷薄な笑みを顔に張り付ける。
「さて、終わりにしようかと思ったけれど、もう少し遊ぼうか」
小石を蹴りながら道を進む様に、少女は枢機卿を蹴りながら謁見の間を見学する様に歩いていく。
「それにしても、虚飾に溢れた部屋だな。あれがこの部屋の主だろう? 分不相応じゃないか?」
謁見の間に枢機卿が転がる音と呻き声を響かせながら歩いていた少女が、ちらりと皇帝の方に目を向ける。ただそれだけで皇帝やその近くに居たシェル・シェールに、アンジュとスクレも肩を大きく跳ねさせた。
少女はそれを気にせず、暫く枢機卿を蹴りながら謁見の間を見学すると、思い出したかの様に再度そちらに目を向けた。
「ああ、そういえば、そこの娘をどうにかしなければいけなかったのだったか」
そう呟くと、少女は枢機卿を大きく蹴飛ばして、ペリドットの近くまで転がす。
ぼろ雑巾の如く床を転がり滑る枢機卿は、それでも生きていた。いや、正確には死ぬ事を許可されていなかった。
枢機卿がペリドットの近くで止まったところで、少女は一瞬でその場に移動する。
「ふむ。とりあえず死んでいるのは確かだな」
ペリドットの顔を覗き込むようにしゃがみ込んだ少女は、まずは現状を再確認する。
「ど、どうにかなるのですか?」
そんな少女へと、恐る恐るスクレが問い掛けた。それに少女がスクレの方へと目を向けると、スクレは僅かに息を呑んだ。
「私じゃ無理だね。死者を蘇らせるなんて、世界でも限られた者にしか許されていない。瀕死程度ならなんとかなるけれど、資格がない私じゃこっからは無理。それに・・・」
そこで区切った少女は、目を細めてペリドットを見詰める。
「既に根幹が向こうに持っていかれているから、これはジュライ様でも不可能だろうね」
「ジュライ様?」
少女の呟きを拾ったスクレが問い掛けるも、それに少女は答えない。
「この状態からこの娘を生き返らせられる人物は、この世に二人しか居ないね」
「それは本当か!?」
何処か困ったような少女の呟きに、今度は皇帝が反応する。
「ん? 本当だとも。二人だけ、存在する。しかし、協力を要請出来るのかねー」
「・・・その二人とは?」
無理だろうなと続きそうな声音で、少女は応える。それに、シェル・シェールが慎重な口振りでそう問い掛けた。
「一人は死を管理する者さ。死後は全てあの女の管理下に置かれるから、この娘の魂とでも呼ぶべき根幹は既にそこで管理されている。その死の管理者は途轍もなく強力な存在だから、そこから魂を強引に奪い取るには生半可な力では通用しない。でも、それを管理している本人であれば、その魂をどうとでも出来る。というか、死と生は表裏一体。死から生が生まれ、生から死が始まる。面倒なものではあるが、死の管理者は全ての命を簡単に奪えると同時に、手元に魂がある限り、それを使っていくらでも蘇らせる事が出来る。その際に身体は不要だろうさ。まぁ、これは推測でしかないが、その程度は容易に成してしまうだろうね」
肩を竦めると、少女は僅かに苦々しい表情を浮かべる。
「その死の管理者とやらに協力の要請か交渉は出来ないのか!?」
皇帝の必死な言葉に、少女は馬鹿を見るような冷めた目を向けて、鼻で笑うように息を吐き出した。
「出来る訳がない。あれは現在この世界に住まう生物の一部を除いて皆殺しにしようとしているのだから」
「なっ・・・」
少女の発言に、誰ともなく声を漏らした。
「人間は平和でいいよね。既に世界では虐殺が起きているし、死の管理者の宣戦布告もなされたというのに、それさえ知らずにのうのうと生きているのだから」
「そ、それはどういう!!?」
「そのまんまの意味さ。既に世界の人口は三割から四割は減ったし、消滅した都市も出た。しかし、それさえただの余興。本番はもうすぐさ。それはここも例外ではない」
「・・・・・・」
少女の話に、その場は沈黙に包まれる。
「そんな相手だ。助けてくれ何て交渉は不可能だろうさ」
呆れたようにそう告げた後、少女は立ち上がり、さてどうしたものかと思案する。現状を少女の仕える相手に告げたところで意味がない。かといって黙っているのも問題になるかもしれない。
そうして少女が思案しているところに、シェル・シェールが慎重に問いを重ねる。
「それで・・・もう一人の存在とは?」
「ん?」
「先程ペリドット、その娘を蘇生できる者は二人居ると言っていたが、その内の一人は今話した死の管理者だとして、もう一人は誰なんだと思ってね」
シェル・シェールの言葉に、少女は逡巡するような間を開けた。
「・・・・・・もう一人はオーガスト様。ああただし、君達の知っているオーガストとは違う」
その名に反応したアンジュ達に、少女は続けてそう告げた。
「まぁ、あの方には協力や交渉ではなく、祈願する事になるのだろうが」
「どういう意味でしょうか?」
アンジュの問いに、少女は何処か呆れたように目を向ける。
「そのまんまの意味さ。あの方こそが現代の神なのだから、協力を要請するとか、交渉するなど烏滸がましいにもほどがあるというものだろうさ」
「現代の神、ですか?」
少女の言葉に、アンジュが半信半疑といった感じで首を傾げる。
それに少女はやや視線を鋭くするも、それ以上に憐れむような目を向けた。
「重要な事だけれど、それは今はいい。とにかく、この娘を生き返らせるにはその二人のどちらかの力が必要になってくる訳だよ」
話は終わりとばかりに少女はペリドットに背を向けると、近くに落ちているぼろ雑巾に近づく。
「そういう訳で、既に居ない神に祈っている愚かな者である事が分かったかい?」
少女の諭すような嘲笑うような声に、足下に転がってぼろ雑巾になっている枢機卿が虚ろな瞳のまま、口を小さく上下する。それに意味があるとも思えない弱弱しい動き。
それを見下ろしていた少女は、気まぐれに枢機卿の足を潰す。
足を潰された枢機卿は小さく呻くが、反応はかなり鈍い。
それに少し考えた少女は、足下の枢機卿を治療していく。ただし、傷を治すだけで動けるようにはしない。
痛みが無くなっただろうところで、枢機卿の虚ろな瞳にも徐々に光が戻っていく。
「あ、あの!」
その様子を眺めていた少女へと、アンジュが怯えるように声を掛ける。
アンジュの声に反応して少女がそちらへと目を向けると、アンジュは怯えた表情のまま意を決して言葉を紡ぐ。
「ペリドット様を蘇らせるのに協力してくださいませんか!?」
その言葉に、少女は数秒ジッとアンジュを見つめてから、枢機卿の方へと目を戻す。
目を戻したところで、枢機卿の意識が回復してきたのを確認した少女は、徐に先程自分で治療したばかりの足を踏みつぶした。
それで痛みに声を上げる枢機卿。
少女はそれをつまらなそうに見下ろしながら、まだ無事な脚の骨を適当に踏みつぶしていく。
それで枢機卿は悲鳴を上げるも、それも徐々に弱弱しくなっていった。
「とりあえず連絡は済ましているよ。直にやってくるんじゃないかな? その後の事までは知らないさ。私でどうこう出来る訳ではないし」
飽きたのか枢機卿の頭に足を乗せた少女は、アンジュに背を向けたまま先程の要請について返答をする。
「連絡、ですか?」
「そう。君達が連絡をしようとしていた相手にね」
そう答えながら、少女は枢機卿の頭へと徐々に力を込めていき、踏み砕いた。
「そう待たずにここに来るんじゃないかな? それとも連絡が来るかも? その時は許可を貰っている事にするよ?」
「え、ええ。それは構いません」
ジュライが転移出来る事を知っているアンジュは、少女の言葉に頷く。
「ならいいさ。っと・・・もう来るみたいだよ」
少女がそう告げた数秒後、ジュライが少女の近くに転移してきた。
「えっと・・・?」
ペリドットが死んでいる状況は聞かされていたものの、それ以外は助けを求められているぐらいしか聞かされていなかったジュライは、死屍累々といった周辺の状況に困惑の声を出す。
「いらっしゃい! 久しぶり~」
そこに明るい声が掛けられる。先程までの冷えた声と違って、愛嬌のある無邪気な感じの少女の声。
声に反応してジュライはそちらに向く。
「シトリー、これはどういう状況? もう少し詳しく教えて欲しかったよ」
「あはは。ごめんね~。説明するとね――」
シトリーはジュライに事のあらましを説明していく。
それを真剣に聞いていたジュライは、改めて周囲に視線を巡らせた後、ペリドットのところで視線を留める。
「うーーん。無理そうだけれど、とりあえず一度やってみるかな」
難しそうな顔をしたジュライは、そう呟いてペリドットの傍に寄る。
「オーガストさん。ペリドット様を、どうか!!」
近づいてきたジュライへと、スクレとアンジュが懇願するように頭を下げた。
それに慌てながらも、ジュライはペリドットの横で膝を折り、ペリドットの様子を丁寧に確認していく。
「死後時間が経過しているけれど、それはまだ許容範囲内。だけれど・・・」
ジュライは苦々しそうにしながらも、ペリドットの生前の情報を読み取る。
死後少し時間が経過しているのでその作業にやや時間は掛かったものの、それでもペリドットの生前の情報を読み取ったヒヅキは、それを現在の死んでいるペリドットの情報の上に重ねていく。
「・・・・・・」
その作業はかなり集中が必要な作業で、それが分かっているのか誰も口を開かない。
祈るような沈黙が暫く謁見の間に流れた後、ヒヅキが息を吐き出した。それは疲れを吐き出すようでいて、ため息にも聞こえるモノ。
スクレやアンジュ、シェル・シェールに皇帝が祈るように見守っていると、ヒヅキは首を横に振った。
「駄目ですね。今は命の管理を新しい者が行っているのですが、その者から取り戻す事が出来ないようです」
ジュライの言葉に、スクレ達四人は落胆の目でペリドットを見詰める。
以前ジュライがリャナンシー達を蘇生した時は、まだ死を管理していたのは死の支配者ではなかった。
当時の管理者はそこら辺が寛容だったのか、はたまた単にジュライの方が力量が上だったのかは知らないが、ジュライでも死者を蘇らせる事に成功していた。
しかし、現在死を管理しているのは死の支配者だ。そこに運ばれた魂をこちらに持ってくるのは、ジュライでは力不足。それに、その辺りを死の支配者はしっかりと管理しているようであった。
そこまでの詳しい説明はしていないものの、シトリーから事前に説明されていた四人は、ジュライの簡単な説明だけで現状が理解出来た。
状況を理解し、悲しげに目を伏せるアンジュとスクレとシェル・シェール。皇帝に至っては、今にも後を追って死にそうなほど深い悲しみを目に浮かべている。
その様子を見たジュライは申し訳なさそうにしながら立ち上がると、居心地悪く少し距離を取る。
ジュライも出来る事ならペリドットを蘇らせたいが、無理なものはどうやっても無理なのだ。
それでやる事がなくなったジュライは、改めて周囲に目を向ける。そこには大量の死体と、にこにこしているシトリーの姿。
死体は壁に並んでいる甲冑と同じ物を身につけている者と、そうでない軽装の者。それに白衣を身につけている者に、聖職者が着ている服と似たような服を着ている者が二人。その内の一人は片手で、脚や頭など様々な部分が潰れていて直視したくないほどの惨状であった。
離れた場所に腕が一本落ちているが、それを含めて周辺で死んでいる者達もペリドット同様に既に手遅れであった。一人も蘇生は行えそうにない。死の支配者が死を管理してからは、蘇生も役に立たなくなっていた。まあそれでも、死んだ直後であればまだなんとかなるのだが。
これはますます蘇生の魔法道具が必要になってくる。もしくは、魂が抜けるのを遅らせる魔法道具。死に抗うというのは困難ではあるが、魂が抜けていくのを遅らせる事なら出来るかもしれない。魂さえ残っていれば、従来通りに死者蘇生は行えるのだから。
「・・・うーん」
しかしやはりそうなると、魔法道具の容量の方が問題になってくる。
蘇生の魔法道具ほどではないにしろ、魂を留める魔法道具もかなりの容量が必要になってくる。それでも完全ではないのだから、死の支配者の死に対する影響力の大きさが窺えるというもの。
ジュライは相変わらずの魔法道具の容量問題に頭を悩ませつつ、どうしたものかと考える。しかし、直ぐに今はそんな事を考えている場合ではないと思い直した。
周辺の死体もだが、ペリドットの事もある。生きている者はアンジュとスクレと皇帝にシェル・シェールの四人だけで、全員が悲しみに暮れている。そんな状況で魔法道具について考えているのも場違いなので、ジュライは直ぐに意識を改めて、何があったのかより詳しく訊く為に、唯一話を訊けそうなシトリーに近づく。
「それで、何があったの?」
ジュライは近づいてシトリーに問い掛ける。四人に配慮してか、やや小声だ。
「それがね~」
しかしシトリーにそんな配慮は無いので、いつも通りの音量で説明を始める。
その説明を聞いたジュライは、近くで潰れている枢機卿だと説明された死体に目を向けた。
ボロボロというかぐちゃぐちゃである。落ちている片腕はまだ原形が在るも、他は完全に潰されていて酷い死に方であったが、視線をシトリーに向けると得意げな顔である。
ペリドットの蘇生の話になり、枢機卿が復活の魔法は禁忌だとして糾弾しようとしていた事がシトリーには赦せなかったという話であった。ジュライとしては、それでもやり過ぎだと思うのだが、褒めてほしそうにしているシトリーを見ていると、褒めた方がいいのだろうかという気になってくる。
もっとも、たとえシトリーが何もしなくとも、枢機卿がジュライを糾弾する事は出来なかっただろう。
先程証明されたように、現在の状況ではジュライは蘇生を行う事が出来ない。なので、何を言われようと禁忌を犯してなどいないのだ。
それに、ジュライはもう人間界に興味が無いので、丁度良い機会だとして人間界を出ていった事だろう。数名を除いて、人間程度ではジュライを止める事は出来ないのだから。
ジュライとて、そんな事で裁こうとしてくる相手の言い分に大人しく従うほどお人よしではない。それでも殺す事はしないが、見限って離れる事ぐらいはするのである。
たとえそうだったとしても。そんなジュライの為に動いたシトリーである。ジュライとしても褒めるなり感謝するなりしたいのだが、周囲に転がる死体の山にそれも戸惑われる。
しかし、褒めろと言わんばかりに得意げな顔のシトリーを見ていると、怒る気も注意する気も失せていく。
悩んだジュライは、とりあえず礼だけは告げて、その後にジュライを害そうとした枢機卿以外まで巻き込んだ事を注意しておいた。
それに「は~い」 と子どもっぽく軽い声音で返事をするシトリー。
本当に分かっているのだろうかと思いながらも、ジュライはその話はそれで終いとする。それから再度周囲を見渡して、ジュライがどうしたものかと首を捻ったところで。
「ッ!!」
突然の事にジュライは息を呑む。身体の内側から引っ張られる様な感覚に襲われたのだ。それは痛いというよりも、崩れそうな不安を抱かせるような感覚。
胸元を押さえてたたらを踏むジュライ。そんなジュライを、後ろからシトリーは何かを期待するような目で見詰める。
(ああ、もうすぐだ)
意識して抑えておかなければつり上がってしまいそうな口の端を気にしながら、シトリーは膝に手を着き今にも倒れてしまいそうなジュライの様子をただ静かに眺めるだけ。
それから少しして、膝に手をつき辛そうにしていたジュライは、何事もなかったかの様にゆっくりと背筋を伸ばした。
◆
森から駐屯地に戻った翌日、シトリーから連絡があった。ペリド姫が殺されたらしく、それでアンジュさんとスクレさんが助けを求めていると。
それに驚きつつも、何が出来るか分からなかったが、何か力になれるのならと承諾する。承諾した後は、準備だ。
服装はジーニアス魔法学園の制服でいいだろうが、問題は転移を起動させる場所と転移先。
前者はクリスタロスさんのところへ行く時に使おうと思い、昨日世界の眼で探しておいた場所でいいとして、後者はどうしよう・・・。
とりあえず連絡を受けた時に居た宿舎から急いで出ていくと、目的の場所へと移動していく。
転移先は、要請があったのだからシトリーの近くでいいだろう。
シトリーの話では現在謁見の間らしいから・・・いいのだろうか? シトリーもそこに居るようなので、そこに世界の眼を飛ばしてみる。
「・・・・・・確かに居るようだが、いまいちはっきりと視えないのは何故だ?」
謁見の間だけあって、覗き見防止の魔法道具でもあるのだろうか? そうすると大分高性能だが、ナン大公国の模様魔法の研究所みたいな前例も在るからな、無いとは言い切れないだろう。
それでもシトリーの位置だけは確認出来たが、確かに謁見の間に居るようだ。場所を確認出来たので、その近くであれば転移出来そうだな。
「・・・・・・ん? なんでシトリーの場所だけ視えたんだ?」
駐屯地の外に出ながら、ふと思い出す。先程世界の眼を謁見の間へ飛ばした際、謁見の間は全体的に靄がかかっている様にろくに視えなかったのだが、何故かシトリーを中心とした半径一二メートル付近だけは、はっきりと視えた。
その際、シトリーが何か踏んでいたようにも視えたが、まあそれはいい。
何故そこだけと考えるも、もしかしたらシトリーが周辺だけ魔法道具か何かの効果に干渉して視えるようにしていたのかもしれない。でなければ、転移先が確認出来ないからな。
多分そうだろうと考え、転移先の確認が終わったので後は転移するだけだ。そろそろ転移を起動させる場所に到着する。
目的の場所に到着すると、転移先の座標を再確認してから、早速転移を発動して目的の場所に転移した。
そうして転移した先は酷いモノであった。正しく死屍累々と表現すべき光景。そこら中に死体が転がり、近くから血生臭い不快な臭気が漂う。
唖然としながらその光景を見渡すと、直ぐにペリド姫と近くに居るアンジュさんとスクレさんの姿を発見する。その三人の近くには何処となくプラタに似た人物と、青白い顔をした何処かで見た事があるような男性が居るが、マリルさんの姿は何処にも無い。
とりあえず今はそれはいいかと思い直すと、近くに居るシトリーに状況の説明を求める。
そうしてペリド姫が殺されるまでの状況を簡単に説明してもらうと、嫌な予感を抱きながらペリド姫の方へと近寄っていく。
到着した時にはそれは確信に変わるが、アンジュさんとスクレさんに頼まれているので、一応ペリド姫の状態を確認する。
状態は死亡。それも完全に死んでいた。
以前までであれば、それでもまだ何とかなっていたのだが、今は状況が変わってしまった。
死の支配者が死を管理するようになってからは、生き物の根幹を成している魂とでも呼ぶべき部分を死の支配者が支配下に置くようになったので、蘇生するにはそこから魂を持ってこなければならない。
それは情報を読み取り上書きする事で死を無くす方法の蘇生でも同じようで、試しに行っても失敗してしまう。
これは多分、同じ魂が同時に二つ在る状態というのが駄目なのだろう。そうなると、世界がどちらか片方を消してしまうようで、その際に重要なのが力の強さ。これは対象の魂に対しての拘束力もしくは支配力の強さとでも言えばいいのだろうか? 何にせよ、それがボクでは死の支配者に劣っているようで、蘇生は失敗に終わった。
その結果を告げると、アンジュさん達四人は深い悲しみを顔に浮かべる。
そんな四人に、居た堪れなくなって距離を取る。そして、シトリーの許まで移動して、ずっと気になっていた周囲の大量の死体について問う。
その説明を受けて頭が痛くなったが、シトリーがボクの為にしてくれた事は解ったので、非常に怒りにくい。
それに、この枢機卿と説明されたもっとも血生臭い死体は、ボクを捕えようとしていたようだし、少しは思うところはある。蘇生の禁忌は宗教的なモノであるし、悪用した訳でもない。何よりエルフ以外には使用した事がないのだから、人間界では使用していない。
まさに冤罪である。それに現在は使用できないのだから、捕まえるにしても証拠はないだろう。
しかし、この枢機卿だけが特別という訳ではないだろうから、今後もこんな事が起きる可能性は在るのだろう。ならば、そんな人間界にいつまでも留まる意味はないのではないか? そうであれば、ジーニアス魔法学園の卒業も無意味な訳だし。
その考えが頭に浮かび、かなり真面目にそれを検討していく。人間界を出る事は以前から考えていた事でも在るからな。
そうして考えていると突然視界がぶれ、内側から何かが引っ張るような、そんな奇妙な感覚に襲われた。
くらくらとする頭を押さえながら、何かに背を押されたかのように数歩前に進む。
そのまま落ち着こうとゆっくりと息を吸うも、力が入らず膝に手をつく。その状態で努めてゆっくりと呼吸を繰り返す。
『時間だね。それで、どうする?』
そうしていると、頭に直接響くような声がする。それは随分と懐かしいような気がする声だ。
『時間って何の?』
ふらふらして働きの鈍い頭でそう返す。急にそんな事を言われても何の事だか分からないし、今はそんな余裕はない。
『君の終わりのさ。君の意識はもう限界だ。よく保ったが、それももう終わる。それで、君はどうしたいのかと思ってね』
『どうしたい?』
上手く頭が回らないからか、兄さんの言葉の意味が理解出来ずにそのまま聞き返す。
『このまま消滅するまでそこに居るのか、一旦引っ込むか。引っ込む場合、直ぐに新しい身体を創って移してあげるよ』
『・・・えっと・・・このまま消滅するのは嫌だから、新しい身体に移してほしい、かな』
動きの鈍い頭だが、それでもなんとか理解する。そういえばそんな話を昔していたか。
このまま消滅、つまり死は嫌だし恐いので、そう頼む。まだやりたい事は色々とあるし、生きる事が出来るというのであればそちらを選ぶ。もう時間がきてしまって選択肢もないようだし。
『そう。いいよ。それじゃあ交代しようか。君の身体は直ぐに創るし、意識も修復してから移そう』
『ありがとう』
『なに、構わないさ。元からそういう約束だったし、君は十分役に立ったよ。これはその報酬だ。まぁ、最初はこの身体との違いに戸惑うだろうが、それも直ぐに慣れるさ』
兄さんの言葉を聞き終わると、意識が闇の中に落ちていく。それと同時に温かな何かに全身を包まれたような安心できる感覚を抱いた。
◆
膝に手をついて下を向いていた体勢からジュライは、いやオーガストはゆっくりと上体を起こすと、身体の感覚を確かめるように手足を動かす。
「ふむ。なるほど。また少しずれがあるな」
何度も手足を動かしながら、肉体と認識のずれを修正していく。
暫くそうして感覚を修正すると、オーガストはひとつ頷いた。
「さて、次は彼の身体を創らねばな。意識の修復の方は終わっているし、さっさと済ませるかな」
そう呟いて、オーガストが誰も居ない空間に顔を向けると、そこに一つの身体が現れる。
現れたのは若い男の身体。出現時は全裸であったが、直ぐにオーガストが着ている服と似たような服が構築された。
「服も着せねば不味いだろうからな」
オーガストは面倒そうにそう言うと、力なく浮いているそれをゆっくりと下ろして自力で立たせる。
自力で立ったそれだが、しかし動く気配がまるでない。まだ生気も感じない。
「欠陥はないよな?」
その身体を確認したオーガストは、問題ない事を確認してその身体にジュライの意識を移す。
「これで動くはずだが・・・」
観察するような瞳でジュライの意識を移した身体を眺めるオーガスト。それから少しして、力なく俯いていた男が顔を上げた。
「やぁ。こうして対面で会うのは初めてだね」
平坦で味気ない声音で声を掛けられたジュライは、戸惑う表情を浮かべながら、自分の身体や周囲を見回す。
「約束通りに君の意識をその身体に移したんだよ。今よりその身体は君の物だから、これからはその身体で自由に生きるといい。必要なら前に言った通り、世界の認識も改変しよう」
戸惑いながら現状を確認しているジュライに、オーガストはそう説明する。
「自由・・・」
「そう。自由だ。もう好きに生きればいい」
「・・・そう言われても」
「今までの生活がしたいと言うのであれば、それも構わない。世界の認識だって変えるし、君がオーガストを名乗ってもいい。ともかく、君はもう好きに生きればいい。その身体はオーガストの肉体ではなくジュライの肉体だ。つまりは君の物だから、もう僕は関係ない」
それだけ言うと、オーガストはもうジュライには興味が無いとばかりに背を向ける。
ジュライはその背に思わず手を伸ばそうとしてやめた。それが無駄だと知っているから。
「世界の認識を変えるなら今だが?」
オーガストは背を向けたままジュライにもう一度だけ問う。
それに悩む素振りをみせるジュライ。
「・・・・・・ま、少しだけ待つよ。その間暇だし・・・そこの少女でも生き返らせておこうかな?」
ヒマつぶしを探して見回した時にたまたま目についた一団に目を留めながら、オーガストはそんなことを口にした。
そのままペリドット達の方に目を向けたまま、僅かに間を置く。
「いや、一人じゃなく全員でも生き返らせてみるか? ・・・現在の力の確認もしたいから丁度いいかもしれないな・・・そうでもないか」
オーガストは直ぐに自分で自分の言葉を否定すると、軽く肩を竦める。そうすると、謁見の間に居た全ての者が息を吹き返す。枢機卿も生き返っただけではなく、ひき肉なっていたのが嘘のように身体が戻っている。
「・・・ああ、やはりこの程度は容易いな。呼吸をしただけで自分の実力が測れる訳ないよな」
その結果に、オーガストは困ったように息を吐くも、まあいいかと思い直す。
結局のところ、オーガストが自分の成長した力を理解しようとしているのは、不用意に世界を壊してしまわない為でしかない。しかし、肝心のオーガスト自身がその世界にさして価値を見出していないので、考えてみればそれはそれほど重要な案件ではなかった。