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新大陸 南東部 アウグスタン
「ウバ、早くしなさい。」
トーマス・ダンカン・ハミルトンはとても優しい男だと思われていた。
あの人、奴隷の荷物を持っているわよ。それに歩く速度を
奴隷に合わせるなんて、なんて寛大な紳士。
正直、オラバ族のウバ・サウルは内心怒り心頭だった。
これでは、まるで奴隷が旅行に連れまわされているようには見えない。
残念なことに、いや、幸いなことに、主人トーマスはスペイン語を話せない。
ウバはスペイン語、フランス語、英国語、ラテン語、アラビア語は
読み書きはできる。発音はともかく、内容を正確に伝えると言う意味では、
ほぼ完璧に話せるので、トーマスの通訳をしていた。
アウグスタンからイングランド領の中心地ボストンまでは遠い。
現在なら航空機や高速鉄道もあるが、この時代は馬車だ。
もちろん、9000ポンド以上の財産があるので、郵便馬車などではなく
貸切のそれなりの良い馬車だ。
それなりの、と言うのは何年かかるかわからないので、ウバが馬車の質を
ケチったためだ。黒人海賊、偽者アンボニー一味はいざとなれば助けてくれるだろう。
しかし、9000ポンドあるとはいえ、それは生活するのに困らない。と言う意味で
何か大きな事態が起これば足りなくなる可能性がある。ゆえに、ウバは慎重だった。
トーマスは家族を全員殺され、死にかけていたところを、黒人海賊のラッカムに
助けられたらしく、年齢のせいもあるが天涯孤独の身の上だ。
ラッカムもアンボニーもそれも計算に入れているのだろう。
トーマスはまだ10歳のウバをわが子のように思っているようだ。
新大陸は荒野そのもので、時折見かける、原住民のインド人にはらはらしていた。
ウバは生き別れになった父から教わっていたので、弓は得意だが、
こちらの弓は少し練習したが、故郷のものほどなじんでいない。
トーマスも元海賊だけ会って、それなりに強いが、インド人の大群にあえば
何をされるかわかったものではない。
新大陸は、大英帝国本土から重税をかけられ、やせた土地で食料も少なく
飢えていた。ただでさえ食うに困っているのに、大英帝国本国は
監獄船に寿司詰めにして白人奴隷を送り込んでくる。
森林では木を切り、掘り起こし、開墾しなければならない。
荒野でも、土地が肥えるまで時間がかかる。
それが何を起こすかと言うと、原住民を襲い土地と畑を奪い取るのだ。
もちろん黒人奴隷は、人間ではなく道具なので何も望めないが、
白人は成功すれば、奴隷から農場主に大出世だ。
ウバよりもトーマスのほうが心配だ。
原住民のインド人に会えば確実に殺されるだろう。
そもそも、何語を話すかすらわからないので、交渉も無理だろう。
3日ほど馬車に揺られていると、行く手を白人の女性が
さえぎっていた。まだ幼さの残るその白人は奴隷のようだった。
何より着ているものが粗末でみすぼらしい。
特に鎖などで拘束されている様子はなく、現地に溶け込んでいた。
御者は、どうしますかとトーマスに尋ねてきた。
トーマスがウバに聞き、その後トーマスが御者に命令すると
不自然だが、わざと英語の話せないスペイン出身の御者を
雇ったのだ。ウバは意思を伝える。
その女奴隷はトーマスにスペイン語で話しかけてきた。
「私は農場で働いていた、マリヤマト、農場がインド人に襲われ、
逃げてきた、助けてください。」とスペイン語で言っている。
その農場は、もとはインド人から奪ったものらしい。
「あなたは、農場主の家族か?」ウバがスペイン語で聞くと、
即座に否定した。農場主に囲われていた慰み者の奴隷らしい。
このまま放置すれば、殺されるか野垂れ死にだ。
トーマスは意見するつもりはないらしい。
ウバに決定権があるのは明白なのだろう。ウバはそれほど冷酷ではない。
「乗りなさい。」そう短く言うと扉を開けて乗せた。
別に臭くはないし、ノミやしらみもいないようだ。
ウバはトーマスと話した後、御者に説明し短く指示を出した。
すぐにまた馬車は走り出し、女はヤマトのムツと言う国を始祖に持つ
異邦人の末裔だと言う。
彼女はキリスト教徒らしく、命を救ってくれたお礼に
トーマスの奴隷になると言っている。それと指輪を取り出して
トーマスに渡した。六芒星の彫られたものでしっかりしたつくりのものだ。
安物ではないだろう。トーマスはそれをウバに渡してきた。
奴隷がするのも可笑しいが、ウバはその指輪を嵌め、マリヤマトに
礼を言った。与えないものは何ももらえない、常識である。
夜も遅くなってきたので、一向は馬車を止め、
暖かい食事を取るため火をおこした。
トーマスは狭い船の中での調理になれた元海賊らしく、
こんな場所でもうまくナイフを使い、信じられない
精度と速度で料理を作り上げた。
4人で、食事の後のコーヒーをたしなんでいると、いきなり
ウバの目の前に、矢が突き立った。距離的にはかなり離れている。
矢の角度と勢いでわかる。インド人のもののようだ、
はじめは襲われるのかもしれないと思ったが、
どうやら流れ矢のようだ。
しばらくすると、ドドドドドという音と共に、馬の蹄の音が聞こえてきた。
インド人を警戒して、馬車の下に隠れていたが、
トーマスが話しかけると、その一団は非常に友好的だった。
彼らは、フランスから住民の護衛のために派遣されてきている傭兵らしい。
トーマスが彼らのことを同胞だといった。ハイルドギース騎士団と言うらしい。
「おい、こんなところで焚き火をしたら危ないぞ、死にたいのか。」
そういうと騎士はトーマスの肩をトンとたたいた。
トーマスは、暖かい食事をしたくて、自分たちが軽率だと謝罪していた。
トーマスがお礼を渡そうとすると、それをさえぎり断った。
「見返り目的で、仕事をしているわけではない。報酬は雇い主にもらっている。」
そういうと朝まで数人が警護してくれるらしい。
書物にでてくる昔なつかしの騎士団のようだ。
おかげで安心してゆっくりと休むことができた。
翌日日が昇ると馬車は再び、ボストンへ向けて出発するのだった。
昨夜、矢が飛んできた方向へしばらく進むと
一面焼け焦げた畑が広がっていた。
かぎ慣れない臭いをいぶかしむウバを傍目に
トーマスは何の臭いかすぐに気がついた。
人間の焼ける臭いだ。
「これは、何かの畑?」
ウバは小さな粒々の実がついた作物らしきものを
拾い上げると、遠くから拳銃を構えた白人が
近づいてくるのを発見した。
トーマスは何も知らない旅人を装い、
「やぁ、何があったんだい?」
天気でも聞くような軽い口調で
声をかけていた。
こう言った場合、沈黙が金ではない。
沈黙は緊張を呼び、緊張は事件の元だ。
「トウモロコシ畑が焼けてね、
所有者がいないから売りに出されるらしい。」
「どうだい、あんたいい身なりしてるが、
興味はないかい。」
ガンマンは、いかにもと言う感じの
ゴロツキだ。
「トウモロコシ?それはいったいなんですか。」
トーマスが聞いた。
ウバもはじめて聞く作物だ。
「あぁ、自由市民が食べるパンは畑で作るだろ、
だが畑で働く奴隷も食べるものが必要だ。
それがトウモロコシだよ。」
「向こうでオークションが開かれる。
もっとも、焼けてしまったので
売り物は奴隷が大半だがね。」
売り物は畑が焼ける前は、
この畑の所有者だったのだろう。
ひどいものだ。
金塊を黒人奴隷に食べさせて輸出する
ろくでなしと同類だ。
ウバもトーマスも、ボストンへ向かう旅人
買い物をする気などないが、
後学のため、オークションとやらのチケットを
購入した。
チケットは、1シリング 5000円ほどだ。
この畑から逃げてきたであろうマリーヤマトは
一人の少年を見ると騒ぎ出した。
息子らしい。
すると騒ぎに気がついた、
ごろつきのボスらしき輩がやってきてこう言った。
「こいつはこの畑から逃げ出した商品じゃないですか?
購入していただけるならけっこうですが、
それなりに金がかかりますぜ。」
明らかに足元を見ているが、
トーマスもこう言った輩には慣れているらしく、
こう切り返した。
「うちの馬車の前にこの女が飛び出してきてね、
馬車の一部が壊れてしまった、
この女の所有者があなただというなら、
その修理代金を支払っていただけるのでしょうね?」
それなりに高額な馬車を見たボスらしき男は
「いや、この女はうちの所有物じゃない。
支払う義理はないな。」
そう言うと、あきらめてオークション会場に戻っていった。
「荷物運び程度には使えるでしょう。
それに私は歳です。あなたに使える従者を
購入するのも将来のためには良いのでは?」
トーマスは同情や哀れみではなく、
ウバの未来を見据えて、母子を従者とすることを
進言した。
ウバは黙ってうなづくと、
マリーの息子を2ポンド、20万円くらいで購入した。
母子はトーマスに泣きながら感謝していた。
その子はマリーとナバホ族の男の間に生まれた
ハーフらしい。
マリーは白人の農場で飼われていたが、
インド人、いやナバホ族の襲撃で開放された後、
その男、夫の畑で手伝いをしていたらしい。
トーマスもこれからボストンに向けて旅をするために
原住民ナバホ族の言葉が話せ、
なおかつ恩を感じる原住民は役に立つと考えている
ようだ。
特に安全面において非常に役が立つ。
まだまだ、旅は続きそうだ。
「ウバ様はなぜ奴隷の振りをしてまで
大英帝国を目指すのですか?」
買ったばかりのマリーの息子「ホーク」は
自分と似た境遇に在ったのに、
大金を手にしてロンドンを目指す
ウバに興味深々だった。
「黒人に金塊を食べさせて、
死体を大英帝国に運んでいたのよ。」
「伝染病で乗組員がほとんどいなくなったところで
アンボニーに救ってもらったの。
オマケに大金をもらってね。」
「金というのはそれほど貴重なのですか?」
ホークは不思議そうに聞いた。
「当たり前でしょ。」
「本で読んだ限りでは、金は教会が管理して、
純度が一定だから、すべての基準になっている。」
「いえ、この地でも金は取れますよ。
川にごろごろ転がっています。」
ホークの何気ない言葉にトーマスがあんぐりと
口をあけている。
「昔からです。最近はトウモロコシ畑を襲い
家畜を奪う凶暴な人たちが来たので、
誰も口にはしませんが。」
「むかし、ヴァイキングといわれる人たちが来たとき
その価値を教えてもらい、交易していましたから、
どの程度の価値かは、知っています。」
「大英帝国というのは、そのヴァイキングの人たちの子孫が
治めている国家なのでしょう?」
「今は違うわ。」
新大陸に大量の金が存在していることを
アンボニーたちに伝えたかったが方法がない。
もしこのことが広く知られれば、全ヨーロッパから
一攫千金を夢見るものが押し寄せ、
原住民は全滅するだろう。
「金のことは誰にも言わないほうがいいわね。」
ウバはそう忠告した。
伝説、そう伝説。
かつて、白い狂人の軍隊が、聖地エルサレムを蹂躙したとき
救い手となった、我が祖 オラバ・サウル。
遠い言い伝えがある。
「御印を見せよ。もう一人の王に。」
ウバは背中にある言葉の意味を知っていた。
それは、アラビア語を学んだときに調べた、
旧約聖書トーラーの文字だった。
「この近くに宝石商はありませんか?」
ウバはユダヤ人に連絡を取る最速の方法をとった。
幸い、マリーからもらった宝石もある。
怪しまれはしないだろう。
宝石商で鑑定を受けると、宝石商は怪訝な顔をして
こちらを見定めていた。
「呪いの宝石ですね。」
「どちらで手に入れられたのですか?」
マリーが事情を話すと理解はしたようで、
それ以上、問い詰められることは無かった。
ウバは宝石商の耳に口を近づけると
こう言った。
「我が名はウバ・サウル、オラバ族の酋長。
ユダヤの王 ナスィ に連絡したい。」
「本気でおっしゃっているのですか?」
そういうと宝石商は従業員に指示をして
即座に閉店すると奥へ導いた。
「証は?」
「左目がそうだ。」
ウバは隻眼だった。
生まれたときに繰り抜かれたのだ。
「本物のようですね。」
店主は蝋で封じた手紙をすばやく作ると
トーマスに渡した。
現在、大英帝国には 公女 シオンナスィ
が来訪している。そちらにも連絡を取るべきだろう。
半年後にこちらへ来ていただければ、
大英帝国までの道案内をさせていただきます。
そう言うと、店主は深々とこうべをたれた。
続く・・・