バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

3ー馬車の中、味方を一人つけてもらいましたの

「トレイザさん……あなたもわざわざ辺境領まで馬車を動かすなんて大変な役目を押し付けられましたね」

 馬車が屋敷を発って数時間。
 なんとなく外の景色にも見飽きた私は、御者席で馬を繰る従者──よく私の送迎を担当してくださっていたメイドのトレイザ──に声をかけました。

「そんなことはありませんよ」

「あらそうですの? よろしければ、私は一人で向かいますから……途中で引き返してもいいですのよ?」

 辺境領は馬車でも1ヶ月ほどかかる距離で、かなり遠い。
 その距離を往復させるなんて酷だと思いました。
 だって、はたから見ればただの親子喧嘩に巻き込まれた形ですし。

「いえ、私は自ら志願しましたから最後までお伴します」

「へ?」

「今回の件。お嬢様と当主様の間には少し時間が必要だと、奥様が間に入ってくださりました」

「まあ、お母様が」

「はい。当主様はかなりお怒りになられているようで、問答無用で家から叩き出すつもりだったそうですが……それを奥様が言い含めて辺境領を渡す……という形になったそうです」

 昨日は一晩中泣き腫らしてしまったので、その後のことについては全く知りませんでした。
 それにしても、世間体とか体裁とかではなく、本気で放逐しようとしていたのですか。
 まったくあのクソ親父様は……。

「その際、辺境領での身の回りのお世話などをという名目で一人だけ従者をつけることを認めていただけましたので、私が立候補いたしました」

「……つまり、お互い片道切符ということですの?」

「はい。お嬢様を一人にはしておけませんから」

「どこぞの王子よりも男前ですのね」

「話には聞いております。お辛い目に遭われて、私も心が痛いです」

「いいえ、もう清々していますのよ。トレイザさん、面倒な役目を背負わせてしまって本当に申し訳ありませんの。これから一緒に辺境領で頑張って行きましょうね」

「はい」

 トレイザは、年が近いこともあって、小さい頃からよく世話になってきました。
 だから、側にいてくれることは大変心強いですわ。

 本当に、お母様には感謝しなくてはいけませんね。
 物理的な距離だけではなく、味方を一人つけてくれた上でさらに辺境領での自由をくださったのですから。

 あの時、クソ親父様は言いましたわね。
 “辺境領をくれてやるから好きにしろ”と。

 それはつまり。
 もうお前の面倒は見てやらないから勝手に生きろということでしょう。

 いいでしょう。
 むしろ、かなりありがたいチャンスとも言えますわね。
 一泡吹かせてあげましょう。

 辺境領、海沿いにある小さな漁師町だと記憶にありますが、そこからどうあのクソ親父様に仕返しを図ることができるでしょうか。
 それに、それに、ライラックと私を嘲笑ったクレア。
 なんとしてでも、一泡吹かせてあげたいです。

 恨み節を言うことは、あまり令嬢の嗜みにそぐわないですが……今はもうただのカトレア。
 ふつふつと心を煮えたぎらせていると、トレイザが呟いた。

「今まで学業や社交や、ライラック様との関係で多忙を極めていたのですから……ゆったりとした時の流れる辺境領で、心を休めましょう。お嬢様」

「…………そうですわね」

 彼女の言葉で、なんだか少し心が軽くなったような気がしました。

 そうです。
 自由です。

 社交界ではお母様やクソ親父様に連れていかれるパーティはそつなくこなし。
 学園では公爵令嬢として、そして元にはなりますが第一王子の婚約者としての体裁を守り続けていました。

 成績は常に一番で、周りとの交友関係もしっかりこなしていましたし、一応のらりくらりとお尻や腰に回される手を躱していましたけど、基本的にはライラックの側で彼を立ててニコニコ振舞っていました。
 まあ、クレアが来てからはライラックが近寄ってくることが少なくなりましたけど。

 今思えば、よくもまあストレスを溜めずにやれていたことですわね。
 それが公爵家として生まれた矜持だと。
 あの時の私は思っていたから、できたことでしょう。
 今は無理ですの。

 トレイザの言う通りです。
 今まであまり存在していなかった自由というものがあるんですから。
 これからはそれを謳歌するのも……良いのかもしれません。
 色々と言われたことは絶対に忘れませんけど、私の中でも少し整理する時間が必要ですの。

「トレイザさん、ありがとうございます。少し心が軽くなりましたの」

「よかったです。私はいつでも、最後まで、お嬢様の味方ですから」

 トレイザさんが男でしたら、私惚れていましたね。
 一瞬同性でもいいかも、と思ってしまいましたが……おそらくライラックにコケにされた心が男を拒否しているのでしょう。
 まったく、とんでもない爪痕を残してくれたものですね、あの変態王子。

「これより魔物が出る森へと入ります。ご注意ください」

「魔物ですか」

 首都で暮らしていた私には、基本的に縁がない物だと思っていました。
 ですが、辺境ともなればかなりの数がいるのでしょうかね。

「安心してください、戦闘の心得は公爵家のメイドとしてありますから」

「この辺に出てくる魔物とやらは、強いんですの?」

「いえ、道沿いの魔物は滅多なことがない限り、私一人で十分です」

「でしたら……」

 と、私は馬車の客車から御者席へと移ります。
 そしてトレイザの隣に座りました。

「私もいくらか心得はありますのよ? 辺境の地はこういった魔物の出現も多々あると聞きますし、今のうちから慣れておかなくてはいけませんものね?」

「しかし……危険です、お嬢様」

「トレイザさん……こう見えて私、王立魔術学園の首席ですのよ?」

 特に魔術に関する適性や知識は群を抜いています。
 火柱の一つや二つは余裕ですし、その気になればこの辺り一帯を氷づけにもできます。

 あまりにも危険すぎて、社交界への影響を考えた結果。
 お母様以外には相談していないですけどもね。

しおり