第90回「リーバウ副王領の伝説」
財宝というものは、決して夢物語ではない。金塊が鋳造され、財貨が蓄えられた末、抗争や陰謀や裏切りなどによって、誰も知ることができない場所に放置され、ついに忘れ去られたケースは有史にいくつでもある。
僕がいた世界の話をすれば、「徳川埋蔵金」や「山下財宝」が有名だ。それ以外にも「ココ島の財宝」や「悲しき夜の秘宝」などといったものは、少なくとも僕が死ぬまで未発見だった。「ビール暗号」なんてのもあったっけな。
一方、見つけられた財宝も数多い。王家の谷の代表的な異物「ツタンカーメンの墓」などはまさしくそれで、副葬品は世界中のあらゆるところでトレジャーハントの対象となった。
もちろん、こちらの世界においても、冒険者が求める財宝は数多い。その多くは今も人間が立ち入らない場所に多く眠っていると言われ、人々を冒険へと駆り立てている。僕が知っている中で、特に発見されたもので最大級のお宝は「ナディールの遺産」だろう。
レラート帝国の最盛期にナディール・ハレードという商人がいた。彼は帝国の兵器を取り扱うとともに、日用雑貨の面でも大いに財を成した。その販路は世界中を駆け巡り、彼なくして生活が成り立たないという者も数多くいたほどだ。そういう意味では、ロジャーが目指しているのは彼のような立場なのかもしれない。
しかし、ナディールには秘密があった。実は、彼は魔族だったのだ。人間のフリをして過ごしていたが、帝国の大魔導師であるヘンドロ・オルヴェラにその正体を暴かれたため、全財産を持って逃亡。「帝国の屋根」と呼ばれる峻険の地、パトラ山脈に逃げた後、その消息は不明となった。
その後、財宝は捜索の甲斐なく発見されずに時は流れ、レラート帝国が衰亡期に入ったころまで見つからなかった。当時、レラート帝国はカランデンテ諸王国の朝貢を受けるアルガ帝国と戦争状態にあった。十年戦争である。この戦争は名前の通りに長く、その割には多くの会戦によって衝撃的なレベルの犠牲を伴った。それはすなわち国家の財政を傾け、両国の繁栄を蝕んでいったのだ。
結果として、アルガ帝国は当時ほぼ実権を握っていたカランデンテ諸王国の独立を認めざるを得なかったので、歴史上大きな転換点になったといえる。レラート帝国もまた瓦解の危機を迎えたが、これを救ったのが「ナディールの遺産」だ。
戦争の末期、エルオー・サランという冒険者がパトラ山脈に入った。彼はレラート帝国を構成する領邦の出身であることがわかっているが、詳細はほとんど不明である。名前すらも正しいかどうかわからず、性別さえ曖昧なほどだ。
サランはパトラ山脈の未踏峰に挑戦し、道なき道を進み、崖を登り、滝を潜り抜け、ついにナディール・ハレードの遺体を発見した。死後相当な時間が過ぎていると思われたが、魔的保護をかけられた空間に安置されており、朽ちずに残っていたのである。そこには財宝のありかを示す粘土板とともに、ナディールが仲間たちと諍いになり、ついに同士討ちの末にこれを打ち破ったこと。しかし、自分も傷を受けた上、もはや生きる価値を見いだせなくなったことが綴られていた。
粘土板の示した場所には最後の罠が仕掛けられていたが、サランはそれを見事に攻略し、とうとう財宝にたどり着いた。その規模はあまりにも巨大であり、偉大なるレラート帝国の歳入の数十年分にも及んだという。考古学的価値を含めても壮絶な価値を含んでいたというから、僕のいた世界の通貨に変換するとすれば、きっと数千兆円の価値があったのだろう。
だが、サランの幸運はこれまでだった。彼は決して愛国者ではなかったが、一人で運び出すにはあまりにも険しい山の中にあり、協力者の助けがなければ持ち帰れそうになかった。おそらくはナディールも魔法の力を借りて、それだけの量の財宝を山脈の奥深くに持ち込んだものと考えられる。
サランはパトラ山脈の麓の街、サティヤナラヤナの農民たちに金を配り、財宝を少しずつ持ち出すことにした。秘密が漏れるのを防ぐために地元での雇用を選択したのだろうが、これが仇となる。口の軽い農民たちは、一往復して帰ってきたその足で、酒場などで財宝の壮大さを高らかに歌い上げた。
酒場には冒険者が集まる。この話は瞬く間に帝国中の話題となり、やがてそれは各領邦の君主のもとにまで届き、ついには帝国の首脳部までもが動いた。
その後の経過をかいつまんで話せば、サランは拷問された上で財宝の在り処を吐いたが、この事実を隠すために謂れなき反逆罪で処刑された。また、この時にサランが雇った農民たちも重い罪を着せられて処刑されている。帝国軍は国家的事業としてナディールの遺産を接収し、「帝国の富である」と宣言した上で、すべて国庫に入れることにした。
死に絶えかけていた「この上なく醜悪で奇怪極まる国家」は、過去の魔族商人が生み出した富によって生きながらえたのである。財宝の使いみちは十年戦争を終わらせるために使われた。レラート帝国は賠償金を支払い、アルガ帝国はレラート帝国がかつて得たアルガ帝国領の請求権のいくつかを放棄した。つまりは両方のメンツを立てた形での痛み分けである。
また、帝国の分裂を防ぐため、首脳部は積極的に金を配った。これにより、レラート帝国は今日までその命脈を保っている。ただし、慢性的な赤字体質は解消されていないのも、また今日まで継承されている。
結果として、レラート帝国は「宝くじに高額当選した貧乏人」のような末路をたどった。彼らは今また火の車の財政にあえぎ、また魔王アルビオンによって内部からの切り崩しを図られている。
さらには多量の金銀を流通させることになったため、インフレーションが劇的に進行した。これにより、帝国の各領邦はいずれも現在まで苦しむことになっており、ルテニア王国などからの貸付を受けている状態の国も少なくない。
最後に、サランの話をしよう。彼の記録はほとんどが闇に葬られ、そのために「エルオー・サラン」というわずかに残された本名だか通称だか、それとも全く別の名前かすらわからない識別名だけが伝わっている。殺された農民たちに至っては名前も、どんな一族に属していたかさえわからない。サティヤナラヤナの一部の農村が、「歴史上のある段階で完全に消滅している」ことから、帝国軍が皆殺しにしたのではないかと考えられている。
これらの情報は、伝記作家ファワズ・ヘリックの最後の作品「ナディールの遺産は何をもたらしたのか」に書かれ、全世界に知られることになった。彼はレラート帝国の構成国であるヴァレンタイン公国の一作家に過ぎなかったが、当時対立していたルテニア王国にこの原稿を持ち込むことで、劇的な流通を成功させた。
ヘリックは帝国から「重大な虚偽情報の流布者」という扱いで追われてルテニアへと逃げ込み、さらに関係改善の方針からルテニアからも追放されてキルゴール王国まで身を移したが、この地でついに帝国の暗殺者ゲネロ・ノルディンに命を奪われた。
結果として、彼は命と引き換えに著作の真実性を証明する形となったのだ。暗殺者ノルディンはキルゴールの兵に捕らえられ、すぐに自分の名前や立場、暗殺の目的や背景などを白状した。だが、彼はその数日後に独房で服毒自殺をしているのを発見された。この死にも多くの謎があり、彼もまた帝国の別の暗殺者に消されたのだという説が根強い。
「このように」
ようやく話の区切りができた、と僕は思った。
僕の部屋にはプラムの他に、混浴したサマー、サリヴァ、スワーナが集まっていて、財宝がいかに有効であるかを問いていたのだが、とりわけ反応が良かったのがサマーで、目を輝かせて聞いていた。彼女はこうした歴史や冒険ものが好きなのかもしれない。
「財宝には巨大な帝国さえも賄う力のあるものがある。ならば、僕たちにとって有用なものを発見するのも不可能ではないだろう」
「だが、神。いささか不確定要素が多すぎる気がするが」
「プラム、君の指摘はもっともだ。だが、今は雌伏して世界の情勢を見守りながら力を蓄えるという方針がある以上、他の手段を模索するよりは、こちらの手立てを取った方が有効なように感じる。僕たち以外にもいくつかの冒険者隊を編成し、安全な地域で財宝探しをしてもらうことで、自活への道はより一層広がるだろう。一方で、ロンドロッグとの関係を深めつつ、この城の補修を進めるのも忘れてはならない」
僕は上を見た。そこには天井がある。すなわちチャンドリカの本体がある。
「君の出番だ、チャンドリカ。財宝の話を聞かせてもらおう」
「了解っす」
部屋の扉を開けて、人型の方のチャンドリカが入ってきた。相変わらず少年だか少女だかわからない中性的な面持ちである。彼は新鮮なフルーツの入ったカゴを二つ持っていて、僕らにそれを勧めてくれた。皆でありがたく頂戴しながら、彼の言葉を待つ。
「さすがに『ナディールの遺産』ほどの規模じゃないと思うっすけど、このあたりにも見つかっていない宝の情報があるっす。中でも信憑度が高く、また額も大きいと思われるのが、『ストリンガー兵器廠』っす」
「兵器廠って名前の響きだけ聞くと、ものすごい額って感じじゃなさそうだけど」
「それが違うんすよ。ここから南には、昔、『リーバウ副王領』の中心地が存在したっす。まだこのあたりが開拓される前の話っすね。そこにはもともと原住民の王国があって、彼らは黄金の文明を持っていたと言われているっす。彼らの装備は宝石で彩られ、中には実用性を度外視した純金や純銀の武器や兵器、魔道具が揃っていたらしいっす」
リーバウ副王領は、レラート帝国の全盛期よりもさらに昔、草創期にかの帝国が作り上げた統治主体だ。僕もこの世界の歴史にすべて通暁しているわけではないけれど、彼らはこの付近にあったイェレム王国を征服し、多くの金銀財宝を略奪したという。ちょうどスペイン王国によるアステカ征服やインカ征服に照らし合わせればわかりやすいだろう。
「僕もイェレムの滅亡については知っているけど、そんな兵器廠があるなんて話は初めて聞いた」
「これはこの地域の与太話みたいなもんっすからね。でも、知る人ぞ知る情報ってやつっす」
「しかし、今の話を聞く限りでは、イェレムの財宝はすべてリーバウ副王領の征服者たちに略奪されたのではないか」
プラムの指摘に、なんのなんのとチャンドリカが答えた。
「もちろん、ある程度は本国に回収されたっす。しかし、派遣されてたやつにも頭のいいのがいたみたいで、多くの隠された財宝をそのまま隠匿して、後からこっそり持ち去ったんすよね。それがクリフトン・ストリンガーって帝国軍の隊長で、彼は見目麗しい金銀の兵器をわざと地味な色にしたりして、上手いこと持ち出したらしいっす」
「それがまだ帝国が全盛期を迎える前の話ね……。だとしたら、すでに知られていてもおかしくないと思うけど」
「サリヴァさんの言う通りっす。でも、すでに一部が見つかっているから、あまり関心が向かないというのが大きいっすね」
「おかしいな。一部が見つかったなんなら、もっと歴史に残ってるんじゃないか」
いや、待て。
僕は尋ねながら、違和感を禁じ得なかった。
「違う、もっとおかしいことがある。この付近はリーバウ副王領だったが、現代のリーバウは廃墟でしか残っていない」
例えば、僕のいた世界の歴史で有名な副王領といえば、スペインのものがある。ヌエバ・エスパーニャ副王領やペルー副王領が有名だ。特に、ペルー副王領などはそのまま独立後も国名になっている。
一方で、こちらのリーバウ副王領は元々栄えていた地域が廃墟になっているのだ。もちろん二つの世界で地理的な条件や歴史的な経緯がまるで違うとはいえ、非常に奇異な現象として感じられる。歴史の断絶があるのだ。僕が把握している限りでは、リーバウ副王領は壮絶な伝染病によって壊滅し、その惨禍が過ぎ去った後に、現在のロンドロッグなどの建設が行われたはずである。
チャンドリカはにっこりと笑った。
「歴史の影には必ず何かがあるもの。リーバウ副王領が滅びたのは、実は魔族さえも含めた壮絶な財宝の争奪の結果、という伝説があるんすよ。伝染病はその戦いの中で人為的に起こされた。何としても近づけたくなかったんすね」
化学兵器や細菌兵器のような魔法は確かに存在する。毒魔法と風魔法を組み合わせて発動することのできるもので、広範囲に死の霧を撒き散らすものだ。だが、僕でもそれは扱えない。制御が不可能だし、さすがに一帯を壊滅させるほどの魔力を持続できないからだ。霧状の魔力は一個一個があまりにも無力で、吸ったものを死に至らしめるまでには効果が上がらない。
いや、待てよ。魔力を増大させる兵器が財宝の中にあったとしたらどうだろう。それは伝説の名を借りて歴史の闇に封印したくなるくらい、恐ろしい代物になるはずだ。
「探してみる価値はありそうだな」
「兄弟、こんな眉唾な話を信じるって言うの」
「そうよ。もっと別の方法が確実だと思う」
サリヴァとスワーナが反対の色を鮮明にした。
「私はぜひ探すべきだと感じた。財宝という現実的な側面もそうだし、面白そうでもあるじゃない」
「リーバウ副王領にかつての魔王軍が攻め寄せた記録も、スカラルドに残っている。彼らは『謎の風土病』で死んだと記されていた。盲目的な宝探しは経済ではないが、この記録に隠された何かを追い求めることは経済だ。神を支持する」
サマーとプラムは賛成のようだ。
「改めて会議で話してみようとは思うが……。僕とプラムとサマーで探してみようかと思う。サリヴァは引き続き情報の収集、スワーナはこの城の改良計画を立ててくれ」
「夢と現実の担当を分けるということね」
スワーナが呆れたように言ったが、まさしくその通りになりそうだった。現実的なプランを進めながら、確度の高い財宝探しを行うことは両立しうる。僕はそう考える。
チャンドリカには他にも周囲の宝物の情報を共有してもらうことにした。彼がこれだけ冒険的な情報に詳しいのは、前の主が関係しているようだ。ならば、それを生かすに越したことはない。
そうして、この日の夜は終わり、さらに冒険の準備を進めている間に十数日が過ぎた。その間にルンヴァル一族の者たちも到着し、チャンドリカはいよいよ一個の勢力としての形を整え始める。
より良い未来を引き寄せるため、次の行動を選択する時だった。