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第89回「英雄の行方」

 チャンドリカへ帰還し、僕たちは皆の歓待を受けた。こちらでは大きな変わりはなかったようだ。一安心である。やはり僕とチャンドリカを結ぶ線がほしいところだ。そのためにはエロイーズのように、高速で移動することができて、かつ僕の位置を正確に把握できる能力を持っている必要がある。
 彼女がなぜ僕の位置を把握できるかというと、いくつかの方法が考えられる。一番よく使う手は僕が居場所を識別できるアイテムを渡すことだ。それを持っている限り、アストロラーベのような手持ちの観測機械で、いつでも僕のいる場所を把握することができる。
 ただ、これはエロイーズの場合は該当しない。彼女はおそらく生来からそういう能力を持っていると考えられる。犬に帰巣本能があるように、彼女は対象を定めたら、その居場所へ戻ってくることができる能力があるのだ。その上に変身能力まで備えているのだから、間諜としてこれ以上優秀な存在もないだろう。

 シェルドンたちルンヴァル家の面々はまだ到着していなかったが、先行してやってきた者の話によると、数日中には到着する予定だという。私兵もいくらか連れてくるようなので、いよいよチャンドリカも手狭になってくる頃合いだ。スワーナに早めに設計を依頼しないと、いくらかの人材が野営する羽目になってしまう。それでは彼らが逃散するのを防げない。
 拡張工事ぐらいなら、今いる人員でも対応可能だろう。一方で、予算が乏しいのも事実だ。喫緊の課題くらいはチャンドリカに眠っていた宝石を売却することでまかなえるが、その先は安定した収入を得られないとどん詰まりになる。ここにいる兵士たちにも給与を出さなければならないし、ロンドロッグとの協力関係維持のためにも費用が必要だし、ラルダーラにも個別に支払う必要があるし、ルスブリッジのビンドゥ・サトーの研究所への投資もしたい。
 まったく、金がなくなる時はあっという間だ。最初にチャンドリカの宝石を見た時には、これで充分にやっていけると思ったんだが、国家のように多角的に運営していくとなると、安定したキャッシュフローがないとやっていけない。そのためにもダンジョンビジネスを軌道に乗せたいし、他の収入についても思案したいが、とりあえず現状を打開するための臨時的な予算の確保も考えなければならない。

 そういう諸々の思考をまとめるため、僕は風呂に入った。かのギリシアの数学者アルキメデスの伝説にも、浴場で彼の名のついた「アルキメデスの原理」をひらめいたというものがある。その時に叫んだのが「ヘウレーカ」、わかったぞという言葉だ。
 僕にとっては熟慮が必要な事項ばかりなので、あまり効果はないかもしれないが、それでも妙案が浮かぶかもしれない。ゆっくりと入浴して、旅の疲れを取るとともに、今後の方策を練る。そのつもりだった。
 だが、ここで思わぬ状況になった。

「諸君、僕はくつろぐために入浴している。考えをまとめあげ、ルンヴァル家の者たちが到着してから行う予定の全体会議で、スムーズに議事をまとめないといけないからな。そんなくつろぎタイムに、なぜここに揃っているのかを聞こう」

 僕は濡れた手で顔を拭いた。ふうと大きく息をつき、同じく湯に浸かっている面々を眺める。プラム・レイムンド。サマー・トゥルビアス。サリヴァ=ポル。スワーナ・ボロメオ。美しい少女たちを侍らせて入浴しているといえば聞こえはいいが、僕としては落ち着かないという気分の方が勝っている。

「プラム、君はいい。一緒に入浴するのはいつものことだし、特に用事があるわけでもないだろう。サマー、君はどうした」
「貴方はまだ知らないかと思って、今後の情勢を判断するために情報を持ってきたの」
「そうか。サリヴァ」
「くつろいでいるんなら、復讐する機会かと思ったんだけどね。兄弟は人気者すぎる」
「君は歪みすぎだ。それで、スワーナ」
「あら、あたしはあなたと出会ってまだ少ししか時間が経っていないもの。じっくり関係を深めたいと思うのは当然でしょう」

 どうにも素敵な動機が集まったものだ。個人的にはサマーの情報に早く触れたかったし、火急の用件と言えるのはそれくらいだった。

「サマー、君の話を聞こう」
「貴方が私を助け出してくれた時、城を破壊したでしょう」
「ああ、ぶっ壊したね」
「あの時、ルテニア王、ハーシュ2世が死んだ」

 思わぬところで、とんでもない戦果を挙げていたらしい。
 僕はサマー救出の際にエリス監獄を、そしてローレンス城を徹底的に破壊したことを思い出した。そこにあるものをすべて滅ぼすつもりだったから、そういう結果になったとしても驚かない。私怨もあったことは認める必要があるだろう。

「今はまだ4歳のフランツ3世が即位して、母親のメルバ・ラヴィンドランが摂政になっている」
「僕の破壊神らしい活動が、大きな結果になって帰ってきたな」

 そうだ。大きなうねりだ。
 僕はアルビオンが「動いた」理由を悟りつつあった。彼は僕によるルテニアへの打撃を最大限に生かすことにしたのだろう。ルテニア王だけでなく、多くの士官や兵士も巻き添えになったはずだ。ルテニアは人類国家でも大きな方であり、魔王軍と衝突する人類の連合軍ではたびたび主力を担ってきた。
 だとすれば、ルテニアの国家機能が一時的な麻痺状態にある今はチャンスである。魔王はそのためにスワーナによる大義名分の作成を急いだのだ。だから、エロイーズを浸かって、僕をスカラルドに召喚した。
 結果的には、僕は自分のした行為の報いを受けていることになる。大量殺人を行った事実からは逃れられないし、その前にシャノンたちと冒険をしていたころから、多くの魔物を殺めてきた。その事実は常に確定して、僕の背中に覆いかぶさっている。

「それだけじゃない」

 サマーは水面から人差し指を出した。

「メルバ・ラヴィンドランは、ルテニアの情勢を立て直すために、勇者シャノンを『英雄将軍』として国軍に迎え入れることを発表した」
「シャノンを。あいつが将軍に」

 言われてみれば、妥当な措置かもしれなかった。ラヴィンドラン家は名門貴族であり、今や現国王の母親であり摂政という地位を手に入れたとしても、他の血族が黙っていないであろうことは容易に想像できる。
 であるならば、他の有力貴族を取り込むための策は打ちたいところだろう。そこで活用されるのが、同じ有力貴族であるウォルフォード家だ。シャノンの実家である。
 それでも、不思議な気分になるのは否めなかった。シャノンは自分の血に誇りを持っている一方で、窮屈な宮廷暮らしや大軍を率いる将になるのを嫌っていた節があった。だからこそ、冒険者になったのだ。それが今になって将軍として、それも「英雄将軍」などという客寄せパンダじみた称号を伴って迎え入れられるのは、いささか不自然なようにも思えた。

「信じられないな。あいつは将軍になるとか、そういうのを嫌っていた」
「たぶん、シャノンの妹が関係している。摂政メルバは新王フランツの婚姻も発表した。相手はアルミラ・ウォルフォード。まだ6歳の、シャノンの妹」

 そういうことか。
 僕は再び納得せざるを得なかった。シャノンは妹思いな男で、よく旅先で彼女へのお土産を探していたものだった。彼にとって10歳以上も年の離れた妹は、とても大切な存在だったようだ。そんな彼女がルテニアという国体と同一化した時、将軍となって傍で守ることを選択するのは想像に難くない。

「4歳と6歳の結婚か。王族ってのは業が深いね」
「それでも、すぐには立て直せていないみたい。ルテニアの破壊は誰もが魔王軍の仕業だと思っているし、そういう噂も流れている」

 僕がアルビオンに依頼して、そのようにしてもらったんだ。彼は約束を履行している。なんて律儀なやつだ。僕を陰謀にハメておきながら。
 しかし、噂がそんな二日や三日で世界中に飛散するはずもない。あんな破壊が可能な勢力はどこかということで、自然と魔王軍の所業という点に収束していったのだろう。

「アルビオンは軍を起こすぞ。彼になびかなかった勢力も合わせた、たぶん、これまでで最大の軍だ」
「ルテニアはまだ軍を動かせない。フランツの王位はまだ安定していないから、シャノンも首都から動かないと思う」
「これは魔王軍が大勝するかもしれないな」
「じゃあ、やることは決まっているじゃないか。そうだろう、兄弟」

 サリヴァが朗らかに言った。

「負けそうな方を徹底的にぶっ叩くんだ。私たちは一気に飛躍することができる。賠償金も身代金も思うがまま。もちろん、土地をいただいて、一端の勢力に成長するのも不可能じゃない」
「僕はそうは考えないね。今、人類国家の背中を刺すことは危険だ。僕たちは組織としては脆弱。大軍勢で押し寄せて来られたら、たちまち滅びてしまうだろう。この前のアクスヴィルの侵攻にしたって、あくまで限定的な戦力だった上に、ラルダーラという第三の要素を組み込めたから勝てたんだ」
「冒険に出ないと、大きな利益は得られないぞ。私は断固として弱いやつらから食っていくことを主張するね」

 結構食い下がってくるものだ。彼女がムーハウスを治めていた時、副将のエディンと反りが合わなかったというのもよくわかる。良く言えば大胆かつ博打打ちの戦術家で、悪く言えば大局的見地に欠ける戦略面での無思慮を持っている。
 どうあっても、僕は周辺の弱体な勢力への武力侵攻には反対だった。彼らはすでに一定の同盟を組んでいて、現在の戦力ではうかつに触れないこと。曲がりなりにも人類領域の中にあるから存在していられるのに、魔族に利するような行為をした場合、全人類を敵に回す可能性があること。その他にもいくつかあるが、得られるものに比べたら、失う危険の方がはるかに大きいというのが実情だ。

「あたしが思うに、戦争中だからこそ、活動しやすくなるという面はある」

 スワーナが湯の中で小さく挙手をした。

「リュウはテイラーの工員たちを引き込むつもりでしょう。戦争は戦火に包まれていない場所でも住民を苦しめる。きっと、不満はさらに高まると思うよ。仲間になってくれやすくなるんじゃないかな」
「スワーナの言う通りだと思う。僕が目指すこの城のための人材集めをやるにあたっては、大戦争はむしろ利するだろうね。問題なのは、僕らも懐が豊かなわけではないということだ。チャンドリカに溜め込んであった財産だけでは限界がある。そのために、スワーナの技術を使って、ダンジョン建設を受注するビジネスを始めようと思っていたんだけど、軌道に乗るまでには時間が掛かる」
「お金の問題かぁ……」

 これには参ったと言わんばかりに、スワーナは口まで湯に浸かってしまった。

「考えている手段はいろいろある。今度の会議で話そうと思うけど、どれもあまり上手くないんだ。傭兵をやるにしても、よそに喧嘩を売って賠償金を奪うにしても、どれも喜ばしくない」
「それなら腹案があるっすよ」

 浴室の中に声が響いた。チャンドリカだ。彼自身の姿、すなわち化身としての人型はこの近くにないが、生きた城が僕に呼びかけてきている。

「解決方法があるのか」
「あるっす。財宝を手に入れれば、全部解決するっすよ」

 財宝。
 まさかの響きに、僕はつい立ち上がっていた。
 浴槽は元いた世界のものに比べれば浅い。それで全裸を少女たちに晒すことになったわけだが、ここで何も感じなくなっているのは、良くも悪くも今の生活に慣れているということかもしれない。

「じゃあ、風呂上がりの寝物語にでも」

 冒険者でなくなった今、またこんな一山当てるような話にわくわくすることになるとは思わなかった。
 しかし、僕はその可能性に賭けてみたくなっていた。所持者が確定していない財宝があるのだとしたら、大いに助けになることは間違いない。

「本当にそんなものがあるとしたら、これ以上に経済なことはない」

 プラムが呆れたように言ったが、そうだ、まさしく経済なのだ。国を潤し、民を安んじるために、この時ほど財物が必要な話もない。

「僕は上がる」

 そう宣言すると、少女たちも「それなら」という形で、浴槽から出ることになった。

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