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第七章 色彩の戦場と灰色の番人

 灰色の岩で囲まれた円形のフィールドに、足を踏み入れた。
 足の下で、色とりどりの光がぼんやりと光っては消える。
 土の感触はごく普通だ。それがかえって、不思議な感覚を強めている。
 中央にいる岩の巨人が、僕たちを見つけた。
 ただし、攻撃はしてこない。体の隙間から生えた筒が絶えず水蒸気を発しているものの、それ以外に動きはない。様子を見ているのだろうか。距離はまだ十分にあり、十メートルはありそうな巨体を持ってしても、このままでは攻撃は届かない。
 でも、攻撃が届かないのは僕たちにとっても同じ、いやそれ以上だ。
「どうする、フレア」
「そうね、どんな攻撃をしてくるのか、見定めてから近づくのが安全かも――」
 突然、僕の背後から一筋の光が伸び、巨人の顔に当たった。
 振り向くと、ハンジャイクの右手の指輪から光線が伸びている。地下二層で僕たちに撃った、あの光線だ。
 いくら自由に戦っていいからって、こんないきなり攻撃するなんて。
 巨人が、右腕を振り上げた。
 振り下ろした腕が、僕たちに向かって伸びる。
 届かないと思っていた攻撃が迫ってきて、僕たちは左右に分かれて回避した。灰色の岩の手の先に生えた尖った黒い石の爪が、僕たちがさっきまでいた地面の土を抉った。
「厄介な体をしているわね」
 戻っていく腕を見て、フレアがつぶやく。
 巨人の体は、大小の岩が組み合わさってできている。その組み合わせを変えることで、腕の長さを伸ばして僕たちに攻撃してきたのだ。
「一ヶ所に固まるより、的を絞らせないほうがいいわ。もっと広がって」
 固まっていたら、下手をすると一撃で全滅してしまう。フレアの指示で、壁に沿って弧を描くように、お互いの距離を取った。
 そのさらに左に、ハンジャイクが回り込んだ。右手の指輪で光線を放ち続けながら、左手で氷弾を放った。次々と放たれていく氷弾も、光線と同じく巨人の顔へと飛んでいく。
 高さがあるモンスターの場合、頭が弱点になっているのはよくあるパターンだ。そしてこの巨人の場合、どう考えても弱点はあの赤く光る四つの目だ。
 ハンジャイクは光線の標的を右端の目に定めている。右端の目だけはヒビが入っていて、他の三つの目より光が弱く、点滅している。それは、ハンジャイクが前の戦闘の時に攻撃したからだ。ハンジャイクは右端の目を完全に壊すつもりだ。氷弾は巨人を光線に集中させないための目眩ましのようだけど、当たれば当然ダメージになる。
 ハンジャイクに負けじと、アミカが光の矢を、アイリーが炎の玉を放った。しかし、
「アイリー、その魔法じゃ効かないわ」
 フレアがアイリーに魔法を止めるように促した。
「うーん、ちょっと高さがありすぎるかな」
「そうじゃなくて、もっとピンポイントで狙えないかな」
「あー……、目だけを狙うってことだよね。それはちょっと無理かも」
 アイリーの火炎魔法や爆裂魔法は、広い範囲の複数のモンスターに攻撃する時には他の魔法より効果を発揮する。でも逆に、ある一点に絞って狙いたい場合には向いていない魔法だ。
「しょうがない、足を狙おう」
 炎の玉が巨人の太い足めがけて飛んでいく。しかし、爆発した炎の玉は岩の足を全く傷つけることができなかった。
「今はまだ攻撃する時ではないわ。だからその時まで待機していて」
「うん……しょうがないよね」
 フレアは巨人の顔を見上げた。
「そう言う私も、ちょっと攻撃する方法がないわね」
 右手の人差し指が空中を滑る。使えるアイテムがないか、確認をしているのだろう。しかし、めぼしいものは見つからなかったようだ。指が空中を叩いた。ウィンドウを閉じたフレアが、ため息をつく。
 攻撃する方法がないのは、僕も同じだ。剣が届かないのだからどうしようもない。また伸びてきた腕の攻撃を避けながら考える。あの巨体をよじ登って頭まで行って攻撃するというのを思いついたけど、非現実的だ。本物のリュンタルに行った時にそれをやろうとして、止まっていた魔獣が動き出した瞬間に弾き飛ばされてしまったことを思い出す。最初から動いているモンスターの体をよじ登るなんて、なおさら無理だ。
 剣を握り締めたまま、ただただハンジャイクとアミカの攻撃を見ているしかない。
 ハンジャイクの光線が、右端の目を完全に砕いた。アミカも光の矢を放ち続け、その隣の、右の内側の目を砕いた。
「すごいねアミカ! 楽勝じゃん!」
「うん、アミカはつよいよ」
 喜び合うアイリーとアミカの姿を、僕は素直に見ることができなかった。
 おかしい。
 こんなにうまくいくはずがない。
 ハンジャイクがあれだけボロボロになるくらいの攻撃を受けたんだ。何か隠しているに違いない。
「ハンジャイク! 教えてくれ……」
 ハンジャイクは戦闘に集中していて、返事をしなかった。こっちを見ようともしなかった。
 僕も、それ以上言うのをやめた。
 巨人の特徴を知るには、一度戦っているハンジャイクに訊くのが一番手っ取り早い。でも、ハンジャイクとは連携を取らない、同時に戦っているけれども別々に戦っている、というのが前提の戦闘だ。ハンジャイクから情報を引き出そうとするべきではない。
 そして、訊く必要もなくなった。
 巨人が両腕を広げた。掌の上の空間が歪み、石の小人が出現する。
「あ、なんかかわいいね、あれ」
 アイリーの顔が緩む。
 岩の巨人とは違って、石の小人は頭が大きい。三頭身ぐらいだろうか。体全体も丸っこくて、もし岩の巨人のデフォルメキャラクターを作るとしたら、きっとこんな感じになるだろう。しかし、三頭身で掌に乗る小人と言えばかわいいように聞こえるけど、なんせ巨人の掌だ。小人といっても一メートルくらいはある。それに、これからこのモンスターと戦わなければならないのだ。かわいいなどとは言っていられない。
 小人が空中を飛ぶ。空いた掌の上に、また別の石の小人が出現する。次々と出現した合計八人の石の小人が、空中に漂ったまま岩の巨人の両腕に整列した。
 アミカは光の矢を止め、巨人と小人の様子を見ている。それに対してハンジャイクは攻撃の手を緩めない。次に何が来るのかわかっていて対策ができているのか、それとも……対策なんかなくて、攻撃が来るより先に倒してしまわなければならない、と考えているのだろうか。
 小人が一斉に近寄ってきた。身構えてはみたものの、それぞれが不規則な軌道を描いて飛んでくるから、どの小人に注意すればいいのかわからない。
 三頭身の頭部の口が、ぱっくりと開いた。
 小人は石を吐き出し始めた。休むことなく吐き出され続ける石が、小人の不規則な飛行軌道に合わせて蛇のような形を描く。
「キュイア! 僕の後ろに!」
「はい!」
 八人の小人が一斉に吐き出した石から逃げ切るなんて無理だ。キュイアにケガをさせないためには、僕が盾になるしかない。
 石が僕の体を襲う。体中が切り裂かれる感覚。先が尖った鋭利な石が、僕の全身に傷をつけていた。
 これがハンジャイクをボロボロにした攻撃か。八人の小人の攻撃を一人で浴びたのなら、さすがにハンジャイクといえども耐えきれなかったのは仕方がない。
 攻撃を終えた小人が、戻っていく。
「キュイア、ケガはない?」
 振り向いて、キュイアが無事かどうか確認する。どうやらキュイアには石は届かなかったようだ。ホッと一息つく。
「はい、でもリッキこそ大丈夫ですか? そんなに傷だらけで」
「僕は大丈夫。戦闘でケガをするなんて、いつものことだよ」
 そう言っているうちに、傷は消えていった。シェレラの回復魔法だ。
 僕だけでなく、キュイア以外はみんな傷を負ったけど、シェレラの回復魔法のおかげで今は全員無傷だ。
「やっとあたしの出番が来た」
 優しく微笑むシェレラの笑顔には癒やされるけど、シェレラが大活躍してしまうような状況が好ましくないのは、言うまでもない。
 巨人の顔に、光線が飛んでいる。巨人は首を振って抵抗していた。
 ハンジャイクは傷を負いながらも、攻撃の手を休めてはいなかった。左手で回復魔法をかけて自分自身のHPを回復させながら、右手で光線を放っている。一人で戦った時とは違って、小人から集中攻撃を受けることはない。それでも回復魔法をかけながら攻撃を続けるなんて、普通はできない。さすがハンジャイクだ。
 フレアの指が空中を滑る。
「とりあえず、あの小さいのをなんとかするわ。あれなら私も戦える」
 小さい筒を取り出し、口に咥えた。筒の先端から吹き出たシャボン玉が、高く舞い上がっていく。このシャボン玉は、触れたら爆発してダメージを与える。仮に小人がシャボン玉を避けたとしても、進路が限定されるから対処が簡単になるはずだ。
「私もたぶん大丈夫。やっぱりあんまりかわいくなかった。倒さなきゃ」
 アイリーも杖を構え、迎撃体制を整える。
 僕も、そしてフレアの隣でザームも剣を構えた。
 あとは、小人が巨人ほど頑丈じゃないのを祈るばかりだ。
 戻っていった小人が、またこっちを向いた。
 剣を握る手に、力が入る。
 動き出したのは……小人ではなく、巨人だった。
 体を構成する岩と岩の隙間から伸びる、水蒸気を吐き出す筒。
 上に向けて水蒸気を吐いているその筒が、一斉に前を向いた。そして水蒸気が吹き出る勢いが一気に激しくなった。
 水蒸気が霧を作り、円形のフィールドに広がっていく。あっという間に巨人の姿は白い霧の中に隠れてしまった。そしてこっちにも、霧はどんどん迫ってくる。シャボン玉が霧に飲まれ、ダメージを与えることなく次々と破裂した。
「まずいわ! この霧、どうにかしなくちゃ――」
 フレアは何かアイテムを出そうとしたみたいだけど、その姿は霧で見えなくなってしまった。
 完全に、霧が周囲を隠している。
「キュイア!」
「はい! 私はここにいます!」
 姿は見えないけど、後ろからキュイアの大きな声。
「僕の手を握って。キュイア、見える?」
 前を向いたまま、右手を後ろに伸ばす。数秒後に手が触れた感触。そして、柔らかい両手がしっかりと僕の手を握った。
「絶対に、離しません。死んでも離しません」
「大丈夫。死なせたりなんかしないって」
 直後に、肌が切り裂かれる感触。
 小人が吐き出した石が、また僕を切りつけた。
 霧のせいで、小人が飛んで来ていたことすらわからなかった。これじゃ反撃するどころか、防御することだってできない。
 それでも僕はキュイアの前に立って、戦い続ける。僕自身が選んだ道だ。
 横から風が吹いた。この風は自然の風ではない。シェレラが魔法で起こした風だ。
 おかげで少し霧が飛ばされて、目の前の白さが薄くなる。
 その薄くなった霧の中から、何かが迫ってくるのを感じた。
「キュイア!」
 とっさに体を捻って後ろに飛び、キュイアを抱きかかえた。そのまま倒れて横へ転がる。直後、頭のすぐ横の地面に黒い物体が突き刺さった。黒い物体は半透明の灰色の土を抉り取ると、霧の中へと戻っていった。
 巨人の腕が伸び、僕を襲ったのだ。もしあのまま立っていたら、きっとあの黒い爪が僕の体を貫いていただろう。今生きているのは、そしてキュイアを守ることができたのは、シェレラのおかげだ。
 石に切られた傷が消えていく。僕からは霧で見えないけど、シェレラは僕がいる位置を把握できているみたいだ。シェレラは不思議なことを平気でやってみせることがよくある。でも、平凡な僕が理解できないだけで、シェレラにとっては当たり前のことなのだろう。
 体を起こす。立ち上がって、前を見たまま左手で剣を拾い、右手をキュイアに差し出す。
 キュイアの両手が、再び僕の右手を握った。キュイアがいる限り、僕は負けられないんだ。
 またいつ攻撃が来るかわからない。白い霧に遮られた向こうを見るつもりで、集中する。
 ……何だ?
 霧の中で、ぼんやりと青い光が灯ったのが見えた。高さは三メートルくらいだろうか。
 巨人が新しい攻撃を仕掛けてきたのか?
 今度は赤い光が見えた。高さは一メートルくらいと低い。それに、霧の中というより、だいぶ壁に近い位置だ。
 その赤い光が、霧の中の青い光に向かって移動していく。
 そして、赤い光が青い光の場所へ到達した瞬間、赤い光は爆発した。ドォンという激しい爆音が鳴り響く。一回だけではなく、いくつもの赤い光が青い光に向かっていき、爆発を繰り返した。
 何が起こっているんだ? あの赤い光は……たぶん、アイリーが放った炎の玉だ。じゃあ、青い光は何なんだ?
 また風が吹き、少し霧が晴れた。
 空中に、巨大なクモの巣が浮かんでいた。青い風船からぶら下がった六角形のフレームの内側に、銀色の糸が規則正しく張られている。フレームも銀色で、白い霧に溶け込んでかなり見えにくい。ただ風船が浮かんでいるだけのようにも見える。
 小人にとっても見えにくいのだろうか。それとも罠が待ち構えているとは思わなかったのだろうか。
 空中を飛ぶ小人が、風船の下を通った。クモの巣が小人を捕らえ、行く手を阻む。
 風船に光が灯った。青い光の正体は、クモの巣が獲物を捕らえた合図だったんだ。
 ただ、小人は捕らえられても構わず前に進んでいく。クモの巣が大きくたわんだ。しかし、決して破れはせず、小人を逃さない。
 そこへ、地上から炎の玉が飛んできた。炎の玉は小人に命中し、爆発した。小人の石の体から、小さい欠片が剥がれ落ちていく。
 炎の玉は次々と放たれ、小人に爆発の衝撃を与えた。小人から剥がれ落ちる欠片はだんだん多く、そして大きくなっていく。大きくたわんでいたクモの巣も、それにつれて少しずつ平面に戻っていく。
 そしてついに、小人の体は耐えきれなくなった。体全体が砕け、完全に平面に戻ったクモの巣に弾き飛ばされた。小人の砕けた体は輪郭が光り、地上に落ちる前に消えてしまった。

 時間が経つにつれ、徐々に霧が晴れていく。
 そんな中、またアイリーの炎の玉が爆発した。
 あれから小人はクモの巣に掛かり続けた。ちょうど今、アイリーが六人目の小人を仕留めたところだ。
「霧が晴れると、さすがにバレちゃうわね」
 小人を捕らえ続けたクモの巣は、フレアのアイテムウィンドウに戻された。
「フレア、それはどういうアイテムなの?」
 霧が晴れて、誰がどこにいるのかがちゃんとわかるようになった。クモの巣のアイテムのことを、フレアに訊く。
「見てのとおり、飛んでくるモンスターを捕まえるためのものよ。でも、こういう待ち伏せ型のアイテムって、なかなか使うところがなくって。活躍させてあげられてよかったわ」
 自作のアイテムに「活躍させてあげられてよかった」という言い方をするあたり、フレアのアイテムへの愛が感じられる。
 うれしそうな表情を見せるフレアとは対照的に、隣にいるザームの表情は暗い。
「ザーム、どうしたんだ? 顔色が悪いけど。もし治療が必要ならシェレラに」
「いや、そうじゃねえ。ちょっと、昔のことを思い出して……」
「ひょっとして、クモの巣の実験のこと? 試作でザームが何度も捕まってくれたから、クモの巣が完成したんじゃない。もっと自慢に思っていいのよ?」
 そんな過去があったなんて。フレアにとっては自慢のアイテムだろうけど、付き合わされたザームにとってはたまったもんじゃない。ザームが鬱な気分になってしまうのも、仕方ない。
 暗く沈んでいるザームをよそに、フレアは再びシャボン玉の筒を取り出した。霧が晴れたなら、シャボン玉が使える。
 それに反応したのか、巨人の体から生える筒が、ガタガタと震えだした。
 また霧を発生させるつもりか?
 しかし。
 ――プシュウウゥゥゥ、…………。
 ほんの一瞬だけ水蒸気を吐き出すと、そのまま止まってしまった。
「どうやら、水蒸気を溜めるには時間がかかるようね」
 霧の心配がなくなり、フレアはさらにシャボン玉を吹く。アイリーは小人に炎の玉を、アミカは巨人の目に光の矢を放った。ハンジャイクも、光線を巨人の目に向けて放っている。
「……俺たち、やることなくね? リッキもそう思うだろ? 俺なんかいなくても、勝てるよな?」
 ザームはまだ暗く沈んでいる。嫌な記憶が蘇ってきた上に剣士が活躍する場もないとあっては、明るくなれる要素がない。
「危ない!」
 巨人の腕が伸び、僕たちを襲った。僕はちゃんと見えていたけど、ザームだけが気づくのが遅く、避けるのが遅れた。
「落ち込んでいる場合じゃないだろ! せめて戦闘中だけは集中してくれ! そ、そうだ、シェレラ、なんかこう、気分がよくなる魔法とか」
「ないけど?」
「そ、そうか、ないのか」
 ザームがいなくても勝てるかもしれないけど、ザームをこのままにしておくのもなんだか気が引ける――。
「おいザーム、あれを見ろ!」
 岩の巨人が両腕を広げた。掌の上の空間が歪み、また石の小人が出現した。
「あいつら、どんだけお嬢に壊されたら気が済むんだよ!」
 実際にはフレアが捕らえてアイリーが倒したんだけど、ザームにとってはフレアが倒したことになっているらしい。
 それはともかく、ザームの沈んでいた気持ちは、もう払拭されたようだ。
 巨人はさらに右足を上げ、その場に踏み下ろした。ズシンという大きな音が響き、衝撃が地面を伝わって僕の足に届く。
 巨人の右足の足元も、空間が歪んだ。土の小人が巨人の右足を囲むように一斉に出現し、歩き出す。三頭身で一メートルくらいの大きさというのは、石の小人と同じだ。土の鎧をまとい、土の剣を両手に持っているけど、武器や防具としてちゃんと機能するのだろうか。
 石の小人は、今度は八人では止まらなかった。十人、二十人を超えてもまだ増え続け、巨人の肩や胸の辺りを漂っている。土の小人も、巨人が右足や左足を踏み下ろすたびに出現し、こっちに向かって歩いてきた。
 僕とザームは顔を見合わせ、うなずいた。土の小人となら、戦える。
 ようやく出番が来た。
「お嬢には指一本触らせねえぞ!」
 右手に剣を握り締め、ザームは駆け出していった。
 僕は振り向いた。
「キュイア、僕も行くよ。キュイアはどうする? ここにいる? だいぶ数も多いし、危険だからさ、もし怖かったら」
「でも、ちゃんと守ってくれるんですよね? 前にもこんなことがありましたけど、リッキはちゃんと守ってくれました」
 キュイアにとっては初めての冒険だった、モーマノ山での土人形との戦闘のことだ。
「今度のモンスターは、あの時とは比べ物にならないくらい強いよ」
「それでも、ちゃんと守ってくれるんですよね?」
 キュイアの目は、全く僕を疑っていない。
「うん、守るよ」
「私は、誰よりも近くでリッキが戦うのを見たいです」
「うん、見せてあげるよ」
 僕はキュイアの手を引いた。
「だって、そのために、僕はまた冒険に出たんだから」

   ◇ ◇ ◇

 戦闘は、作戦も何もない消耗戦となった。
 岩の巨人が、石の小人や土の小人をひたすら生み出す。アイリーとフレアが石の小人を、僕とザームが土の小人を迎え討って倒す。その繰り返しが、ずっと続いた。
 土の小人が装備している土の鎧は、想像以上に硬かった。鎧は全力で剣を振ればなんとか一撃で斬ることができたけど、その間に他の土の小人が僕を取り囲み、剣を向けてきた。土の剣も硬く、確実に僕のHPを削った。何より後ろにいるキュイアが攻撃を受けることは避けなければならなかったから、時には盾となって土の小人の剣を受けた。それでもパーティの一番後ろにいるシェレラがちゃんと見ていてくれて、減ったHPはちゃんと回復してくれた。
 アミカは光の矢で巨人の目を狙った。パーティの中であの目を狙えるのはアミカだけだ。石の小人が飛び交う中で狙いを定めるのは大変だろうけど、それでもアミカは矢を放ち続けた。
 そして何より……ハンジャイクだ。
 ハンジャイクは、僕たちのパーティの誰よりも激しく戦っていた。光線の命中度を上げるため、小人に囲まれることもいとわず巨人に近づいていった。左手だけで氷弾で石の小人を撃ち落とし、吹雪で土の小人を凍りつかせ、それでも負ってしまうダメージを回復させた。そんなに激しく戦いながらも、右手の指輪は巨人の目に光線を放つことを決して止めなかった。
 そんな時間が、長く続いた。
 ハンジャイクとアミカの攻撃で、巨人の目は左端を残すだけとなった。その左端の目も、すでにヒビが入っている。
 もうすぐ、戦闘は終わる。僕たちの勝ちだ。
 そう、思っていた。
 ところが。
 前で戦っていたハンジャイクが、突然下がりだした。壁際まで後退し、杖を取り出す。襲ってくる土の小人を、杖を振り回して叩き壊した。
 ハンジャイクの手を見て、その理由がわかった。
 指輪が、砕けていた。
 両手の全ての指に嵌めている指輪が、一つ残らず砕けている。
 ハンジャイクの戦いぶりが激しすぎて、指輪が耐えきれなかったんだ。
 そして、限界が来たのはハンジャイクだけじゃなかった。
「ヤバい。もう無理。お兄ちゃん、マジックポーション持ってない?」
 アイリーのMPが尽きかけ、僕に助けを求めてきた。
「僕が持ってる訳ないだろ。剣士なんだから」
「だよね。知ってた」
 僕に言ってくるくらいだから、シェレラやアミカも当然マジックポーションが残っていないのだろう。
 アミカが弓を引くのを止めた。力なく巨人の顔を見上げている。アミカもMPが尽きてしまったんだ。普通に弓で矢を射るのとは違い、光の矢は魔法の一種だ。MPがなくなってしまえば、光の矢は使えない。
「シェレラ! まだMPある?」
「あたしもなくなっちゃったから、ポーション飲んで」
 ポーションにだって限りがある。それに、巨人の目を攻撃できないんだったら、ポーションがあろうがなかろうが関係ない。
「フレア、いい何かアイテムは」
「あったら最初から使ってるわ。それに、シャボン玉の液ももう残ってない」
「だったら、俺が行くしかねえな」
 ザームが巨人の顔を見上げた。
「ひとっ飛びして、最後に残ったあの目を潰してくる」
「あれが最後じゃないけど」
「何っ!?」
 驚いたザームが振り向く。
「目を四つ壊すと、真ん中に新しい目が現れるから、それを壊して終わり」
 シェレラの説明は、淡々としていた。<分析>のスキルを持つシェレラは、それがわかっていたんだ。
「そんな大事なこと、なんで今まで言わなかったんだよ!」
 目の前に土の小人がいなかったら、ザームはシェレラに掴みかかっていたかもしれない。土の小人を斬るザームの剣に、いつも以上の力が入っていた。
「四つ壊してから言えばいいと思った」
「……ようするに、俺があの目を壊して、最後の目も壊せば、それでいいんだろ?」
 ハンジャイクやアミカが攻撃し続けることで壊した巨人の目を、ザームが一回飛んだだけで二つも壊すことができるのだろうか?
 でも、他に方法がない。少なくとも、僕にできることはない。ザームを止める権利なんて、僕にはない。
 白い翼が、ザームの背中に出現した。羽ばたいていくザームを、僕は無言で見送った。
「二つとなると、厳しいかもしれないわね」
 小さくなっていくザームを見上げながら、フレアは近づいてきた石の小人に向けてパチンコでピッパムを放ち、撃ち落とした。あまり高くは放てないから、ギリギリまで引きつけてからじゃないと当たらないけど、ザームが巨人の目を壊すまではこれで凌ぐしかない。
 僕も剣を振り続け、土の小人を倒す。そうするしかない。
 巨人の顔に到達したザームが、ヒビが入った赤い目に剣を打ちつけた。
「くそっ、全然壊れねえ」
 ヒビが入っているというのに、巨人の目はザームの剣を跳ね返した。
「これでもか! これでもか!」
 何度も何度も、ザームは剣を打ちつけた。それでも巨人の目は壊れない。
 ハンジャイクの光線やアミカの光の矢とは違って、ザームはただ剣を叩きつけているだけだ。与えられるダメージの大きさが違うし、もしかしたら魔法攻撃しか効かないのかもしれない。
「ザーム! 時間よ!」
 フレアの声が、ザームの耳には届いているはずだ。
 自分の翼がだんだん薄くなってきていることにも、気がついているはずだ。
 それでもザームは、剣を止めない。
「ザーム! 戻ってきて!」
「飛べなくたって構わねえ! 顔にしがみついてでも倒してやる!」
 ザームは地上を見ようともせず、剣を振り続ける。
「ザーム!」
 もう無理だ。
 本人は認めたくはないだろうけど、ザームの剣で巨人を倒すことはできない。
 剣に宿る宝珠(オーブ)の力で、ヒビ割れた目を壊すことはできるだろう。でも今それをしてしまったら、最後に現れた目を壊す手段がなくなってしまう。
「負けて、しまうのですか?」
 震える声で、キュイアが僕の背中に問いかける。
 この戦いで、僕は何をした?
 ハンジャイクは、そしてアミカは、巨人の目を壊した。
 フレアとアイリーは、何も見えない霧の中で石の小人を倒した。
 傷を負った僕たちを、シェレラは回復し続けた。
 そして今、ザームは巨人に挑んでいる。
 僕だけが、何もできていない。
 このまま、負けてしまうのか。
 僕は、キュイアを守りきれないのか。
 僕はまた、あの時のように、守ることができないのか……。
 ――――――――。
 あった。
 巨人を倒す方法が。
「ザーム! 最後の目は僕が壊す!」
「どうやって!」
「僕を信じてくれ!」
 初めて、ザームが地上を見た。
「……いいんだな、任せても」
 ザームは剣先を巨人の目に当てた。
 剣の鍔や柄頭に埋め込まれた宝珠が、赤や青の光を放つ。
「うおおおおおおおおおおおおぉぉっ!」
 雄叫びとともに、ザームの両腕が剣を巨人の目の中へ押し込んでいく。
 そして、ついに。
 巨人の赤い目が、砕けた。
 同時に、巨人の額に一本の線が走った。灰色の岩の中から、赤い光が漏れ出す。
 ザームは消えかかった翼を弱く羽ばたかせ、落下同然に地上に戻ってきた。
 ここから先は、僕の戦いだ。
 あんな悲しい思いは、もう二度としない。
 剣を鞘に戻し、ウィンドウを開く。

 ――使わせてもらうよ、シュニー。

 僕はシュニーの槍を取り出した。スイッチを入れ、起動させる。ブォンという音とともに、一瞬だけ震えた。少し驚いたけど、落ち着いて革が巻かれた持ち手を握る。
 巨人の額に走った線が、円形に開いた。四つの目を合わせたよりも大きな目が、赤く光る。
 眩しさに構わず、僕は額の目をしっかりと見据えた。
 槍を握る左手の感触を確かめ、腕を大きく後ろへ引く。
「行けええええええええええええええええええええぇぇぇぇっ!」
 引いた左腕を、思い切り前へ振り抜いた。
 槍は空を切り裂き、額の目へ向けて一直線に飛んでいく。嵌め込まれた宝珠の力が、軌道から逸れることを許さない。
 槍は、額の大きな目に深々と突き刺さった。
 額の目にヒビが入り、赤い光が消えていく。
 目の破片が、こぼれ落ちる。
 そして。
 額の目は、完全に砕け散った。
 灰色の巨体の輪郭が光る。残っていた小人ともども、岩の巨人の姿が消えた。
 戦闘は終わった。僕たちの勝ちだ。

 巨人の目の高さから、槍が落ちてきた。駆け寄って拾い上げ、じっと見つめる。
 シュニーが、僕を助けてくれた……。
 そして、僕は……。
「リッキ! すごいですね!」
 キュイアがこっちに向かって走ってきた。
「リッキがこんな武器を持っていたなんて、全然知りませんでした」
「うん、ちょっとね。預かり物なんだけど」
「そうなんですか。こんなにすごい武器を預けてくれるなんて、リッキはとても信頼されているんですね」
「そうなのかな。だったら、うれしいんだけど」
「やっぱりリッキは冒険で戦う姿が似合っています。すぐそばで見ていた私が言うんですから、間違いありません。素敵なリッキを見ることができて、本当に楽しかったです。ありがとうございました」
 僕は、キュイアを守り通すことができた。
 僕を癒し、立ち直らせてくれたキュイアを、喜ばせることができた。
 また冒険に行きたいと言ったキュイアを、冒険で楽しませることができた。
「僕のほうこそ、ありがとう、キュイア」
 そして、ありがとう、シュニー。

 突然、地面がガタガタと揺れだした。
「な、何だ? 地震?」
 戦闘が終わったばかりだというのに。一体何が起こるんだ?
「リッキ、こっち。早く!」
 フレアが手招きしている。フレア自身もだいぶあせっているようだ。
 みんながここから出ようとしている。僕もキュイアの手を引いて、出口へ向かった。

 ここへ来たときの道へ戻ってきた。ここは、揺れていない。揺れているのは戦場だった円形のフィールドだけだ。
「何かが起こるとしたら、お宝の出現しかないわ。むしろ起こらないほうが不自然よ」
 フレアは境界ギリギリのところに立ち、フィールドの様子をじっと見ている。僕や他のみんなも、その後ろでフィールドを見つめている。
 本当に、『世界が買えるほどのお宝』なんてものが、現れるのだろうか。
 やっぱり、地面の下にある色とりどりの光が、お宝と関係しているのだろうか。
「あ、あれ!」
 フレアが指差した先は、フィールドの中央。岩の巨人が立っていた辺りだ。
 そこの地面から、何かが吹き出した。
 地面の下の光と同じ、カラフルな何かだ。
 そして、それは徐々に勢いを増してきた。最初はストローで吹いたかのように細く吹き出ていたけど、今はまるで水道管が破裂したかのような激しい勢いだ。
 ただし、吹き出しているのは水ではない。
「魔石に鉱物、それに星屑……どれも色鮮やかで、純度が高いのは見ただけでわかるわ。それがこんなにたくさんあるなんて! 私の予想は間違ってなかったみたいね!」
 興奮したフレアが、フィールドへ身を乗り出そうとした。
「下がって!」
 後ろでシェレラが叫んだ。僕はとっさにフレアの腕を掴み、引き寄せた。
 地面に、ヒビが走った。放射状の地割れが、フィールド全体を覆っていく。
 そして――。

しおり