第二章 二日目
よく晴れた朝だ。
『リュンタル・ワールド』の中で一晩寝るなんてことはこれまでなかったから、起きたら朝になっていた、という毎日繰り返している当たり前のことと、それがリュンタルの朝だという初めてのこととのズレに戸惑いを感じる。
洗面所に行き、水道の水で顔を洗う。冷たくて気持ちいい。
ピレックルの城や街には水道が完備されている。魔石を動力源として近くの川から汲み上げられた水が街中に張り巡らされた水道管を通っていて、いつでも好きなだけ水を使えるようになっている。昨日までは仮想世界の中の都合のいいシステムだと思っていたけど、実際に存在して機能しているのを見ると、僕たちの世界にはない魔法というものの凄さに驚く。その代わり、ここには電気がないんだけど。
日常生活と同じように水道を使っているというのに、正面の鏡に映っているのは立樹ではなく、寝ぐせをつけた青い髪のリッキだ。
「お兄ちゃんおはよー」
声のほうを振り向くと、ピンクの長髪をぼさぼさに爆発させたアイリーが、あくびを手で隠しながら歩いてきた。あのサラサラストレートのツインテールがこんなにも乱れるものなのか。
「やっぱ本物のリュンタルは違うねー。私これまで何度も寝ちゃったことあるけど、髪型が崩れたことなかったもん」
『リュンタル・ワールド』では設定した髪型が崩れるなんてことはない。もちろん寝ぐせもつかない。ここが仮想世界ではないということを改めて感じる。
ということは、そのうち髪が伸びたりもするのだろうか。仮想世界じゃないんだから、時間が経てばきっと髪は伸びるのだろう。
……僕は何を考えているんだ。そんなに長い間、ここにいるつもりなんてないのに。
外に出て、屋敷の周辺を歩いてみる。空気が爽やかだ。仮想空間の空気の感覚とは、なんとなく違う。もちろん、梅雨の真っ直中の日本の空気とは大違いだ。きっと今ごろはこんな晴れ渡った青空なんかじゃなくて、暗い灰色の雲が雨を降らせているはずだ。
木々の間から小鳥の囀りが聞こえてくる。花壇には赤や黄色、白、紫の花が散りばめられて咲いている。まだ生えたばかりの数枚の若葉だけの花壇もあったり、これから何か植える予定なのか、土だけの花壇もあったりしている。
歩いているうちに、声が聞こえてきた。一定の間隔で掛け声を掛けているようだ。行ってみると、リノラナが剣の素振りをしていた。服装は上下とも黒一色で、体にフィットしている。伸縮性があるのだろう、剣を振る動きを全く妨げていない。緑が混ざった銀の長髪は後頭部で束ねられている。スラリとした長身と長い腕、そしてその体が生み出す長剣の銀の軌跡は、なかなか美しい。
「おはよう、リノラナ」
「おはようございます! わたしは毎朝こうして素振りをするのが日課なのです。一日も早く立派な騎士になるよう、鍛錬あるのみです」
現実のリュンタルは大変だ。日々の積み重ねの延長で剣の腕が上達する。もちろん、『リュンタル・ワールド』でも日々モンスターを倒して経験値を稼いで、っていう積み重ねが必要なんだろうけど、所詮は仮想世界の話だ。現実じゃない。
「昨日もお願いしましたが、もしよろしければ手合わせして頂けませんか」
だから、こうして日々の積み重ねを頑張っている人に、テストプレイで得た知識を使って楽にレベルアップしたステータスで戦うのは気が引ける。
「いや、まだ起きたばっかりで体が動かないから、今はやめとくよ」
「そこをなんとか!」
「きっと、リノラナが思っているような立派な剣士ではないよ、僕は」
絶対にリノラナは僕にお父さんを、『
剣士のリッキで通し続けるしかないよな、やっぱり。
「一回だけだよ? 一回だけ、勝負しよう」
「本当ですか! ありがとうございます! では急いで鎧を着てきますので」
「いやいやそんな本格的なのじゃなくて! このままでいいよ、この格好のままで」
確かめてみたいことが、二つあった。
一つは、仮想世界と同じように、立樹ではなくリッキとして体を動かせるのかということ。でもたぶんこれは問題ない。ステータスは『リュンタル・ワールド』のままなんだから、身体能力はステータスの通り、リッキのもののはずだ。
そして、もう一つは……。
自分一人では、確認しにくい。
やってやれないことはないだろうけど、そんな性格じゃないし。
僕はリノラナから白い木刀を受け取った。白ヘワジェの木だ。柔らかさが特徴の材質で、加工しやすいため工芸品などでよく使われている。
これなら大丈夫かな。
僕は左手で木刀を握った。
「では」
リノラナが気合いを込めて言葉を放った。
「参ります!」
頭上から、リノラナが両手で握りしめた木刀が振り下ろされた。僕は木刀を水平にして右手を添え、リノラナの攻撃を受け止めた。後方に跳び、間合いを取る。リノラナはすかさず間合いを詰め、僕の左肩めがけて斜めに木刀を振り下ろした。僕はその軌道に合わせず、木刀を斜めにして受け流す。リノラナは振り下ろした木刀をそのまま僕の右の足元から振り上げた。僕はとっさに右手に木刀を持ち替え追撃を受け止め、同時に左に跳んで距離を取った。
やはり、体の動きはリッキのものだ。現実の立樹では、こうはいかない。
「リッキは右手も使えるのですか」
リノラナは少し驚いた様子を見せた。
「少なくとも、リノラナが左手を使うよりは、僕は右手を使えると思うよ」
左利きにとっては不便なことが、世の中にはいっぱいある。左利きであっても、右手を使わなければならないことはよくあることだ。だから僕のように、右手もそこそこ使える左利きというのは、決して珍しくないはずだ。
「こっちからも行くよ!」
僕は木刀を左手に持ち直して姿勢を低くすると、踏み込んでリノラナの左脇腹を逆手で薙ぎ払おうとした。リノラナは後方に跳んで躱した。僕はもう一歩踏み込み、空を切った木刀をそのままリノラナの右脇腹に向けて振った。リノラナは右手で木刀を振り上げ、僕の木刀をはね返した。
体が左に開いた。正面がガラ空きだ。リノラナの木刀が折り返し、僕の体を襲う。僕は左に流された勢いでそのまま右脚を軸に体を捻り、背中越しに左脚で回し蹴りを放った。
リノラナが体を反らす。胸に触れるか触れないかの距離で、僕の左脚は空を切った。直後に痛みが走る。リノラナは体の重心を後ろに移動させながらも、右腕だけを別の生き物かのように動かしていた。リノラナの長い腕から伸びた木刀の先が、背中を向けた僕の右脇腹を捉えていた。
「…………ッ」
その場でうずくまる。痛くて声が出ない。
「だ、大丈夫ですか!」
リノラナが心配して、しゃがんで僕の顔を覗き込む。
「……大丈夫。白だしね。黒よりはマシ」
打たれた部分を見ると、うっすらと痣が浮かんできている。もし硬い材質の黒ヘワジェの木でできた木刀だったら、この程度じゃ済まなかったかもしれない。
「お兄ちゃん! リノラナ! いったいどうしたの?」
アイリーが驚いた様子でこっちに走って来た。髪の毛はいつものツインテールに整えてある。その後ろからはシェレラも駆け寄って来た。
「ちょ、丁度よかった。シェレラ、た、頼む」
僕は事情を話し、シェレラに回復魔法をかけてもらった。できかけの痣が消えていく。痛みも引いていった。
「これから朝ごはんだからお兄ちゃんを探してたんだけど、こんなことになってるなんて」
「ごめんごめん。ちょっと試しにやってみたかったんだよ。……リノラナは先に戻っていてくれないか。僕もすぐ戻るから」
「わかりました。本調子ではないというのにお願いに応えて頂き、ありがとうございました!」
僕に礼を言ったリノラナは、屋敷の中へと戻って行った。
もう一つの確かめてみたかったこと。
痛み、だ。
仮想世界ではカットされている痛覚が、ここにはあった。そして怪我もする。リュンタルは現実の世界なのだ。
◇ ◇ ◇
朝食といえば食パンとサラダ、というのが沢野家の常識だ。
それなのに。
昨日の夕食とほとんど変わらない食卓が、僕たち三人を待っていた。
フォスミロスもヴェンクーもリノラナも、テーブルを埋め尽くすたくさんの皿を次から次へと空にしていく。僕は食べる手を止め、思わず見とれてしまっていた。
「どうしたリッキ。食べないのか?」
ヴェンクーは骨付き肉をかじりながら、不思議そうに僕を見ている。
立派な体格のフォスミロスや朝稽古をしていたリノラナはともかく、ヴェンクーの小さな体のどこにそんなに食べたものが入っていくんだ? 僕からすればヴェンクーのほうこそ不思議だと思うんだけど。
「驚いたでしょう? 朝からこんなに食べるなんて。私には絶対無理」
ミオザは豆が入ったスープを少しずつ飲んでいる。
「母さま、ちゃんと食べないと体が弱ってしまいます。もっと食べてください」
「そうですよ母さま。兄さまはあんなに食べているのに体が小さいのです。母さまももっと食べなければ体が縮んでしまいます」
「小さくて悪かったな! いつまでも小さい小さいとバカにしやがって! リノラナ、お前はたまたま背が伸びるのが早かっただけだ。オレだってそのうち背が伸びる」
「兄さま! それはもう聞き飽きました! そのうちとはいったいいつなのですか?」
また始まったよこの二人。
「ね、ねえヴェンクー、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
アイリーが苦笑いを浮かべながら割って入って訊いた。
「おう、そ、そうだな、どうしようかな。いっぱいありすぎて迷うな」
ヴェンクーは目を上の方にやりながら指を折って数え始めた。どうやら兄妹ゲンカにならずに済んだようだ。
行き先が決まってしまう前に、僕には言っておかなければならないことがあった。
「ヴェンクー、あの石版のことなんだけど」
僕は話を切り出した。
「その、吹き出してきた黒い霧ってのは、何なんだ?」
「それについては、俺が説明しよう」
フォスミロスは持っていたフォークを静かに置いた。
「俺にも責任の一端はある」
フォスミロスの話によると――。
遥か昔、この辺りの土地はもともと魔族が支配していたのだけど、新たな土地を求める人間たちがやってきて、戦いが起きた。その結果人間側が勝ち、新しい国が誕生した。それがピレックルだ。噴水の広場にある建国王の像は、この時の偉業を讃えて作られたのだそうだ。
この戦いで魔族の肉体を滅ぼすことはできたものの、魔族が持っていた気を完全に消し去ることはできなかった。そのため悪しき気を集めて閉じ込めておくための場所が、国内各地に作られた。あの石版もその一つで、建国当時はきちんと管理されていたはずだ、ということなのだけど。
「……時代が過ぎるとともに、多くの人々は古い石版のことなど忘れてしまった。知っている人も気に留めなくなった。その洞窟には俺もコーヤと一緒に行ったことがある。しかし、石版が壊れかけていたのを見ても、どうせ昔のことだと思い何もしなかった。あの時きちんと直しておけば、こんなことにはならなかっただろう」
「つまり、石版の力が弱まって、悪しき気が封印から解けてしまったということなんですね」
「そういうことだ。しかしこれは我々の責任だ。この国の騎士団長として、俺が対処する。別の世界から来た君たちが気にすることではない」
「でもせっかくこの世界に来たんだし、協力できることならなんでもします。そうだ、あの石版の再生に必要な七種類の希石、僕、持ってます」
「なんと。それは本当か」
「はい。今日はこれからあの洞窟に行ってみます。いいよな、ヴェンクー」
「ああ、いいぜ。オレも気になってたんだ。まず最初に行こう」
僕はヴェンクーと目を合わせ、二人で頷いた。アイリーとシェレラも頷いてくれた。
「しかし……良いのか、本当に。なにも君たちがやらなくても」
「大丈夫ですって。任せてください」
本来の自分より体を動かせるステータスを持ったアバターの僕なら、お父さん以上にこの世界で活躍できるかもしれない。石版のことだけじゃなくて、この世界にはもっと僕が活躍できる場所が――。
……ダメだ。一刻も早く帰る方法を探さなければならないのに、僕は何を考えているんだ。これじゃ、帰りたくないと言ったアイリーやシェレラを責める資格なんてないじゃないか。
◇ ◇ ◇
僕たちはジザの背中に乗って、北に向かって空を飛んでいた。
下に見える街道は、昨日僕たちが城下町を出て洞窟に向かった、あの街道だ。ただし、昨日通ったのは仮想世界の『リュンタル・ワールド』の街道だった。今見ているのは本物のリュンタルの街道だ。
「鎧が重いとジザが言っている。降りろ」
「兄さま。ジザはそんなこと言っていませんし、これくらいの重さでへこたれはしません」
今日は僕たち三人やヴェンクーだけでなく、リノラナも一緒に行動することになった。ジザはまだ幼いとはいえその背中は広く、五人を乗せてもまだまだ余裕がある。
しかしヴェンクーはリノラナがついてきたことに不満のようだ。
「……今日だけだからな。明日からはいつものように騎士団に行くんだぞ」
「兄さま! 兄さまこそ騎士になりたくはないのですか! たまには騎士団に顔を出してください」
「オレにはオレなりの戦い方がある。だから騎士団には行かない」
「兄さまは体が小さすぎて騎士に向いていないのはわかっています! ですが」
「ねえ、ヴェンクーもリノラナも、ジザの言っていることがわかるの?」
シェレラが二人の会話をぶった切って疑問を口にした。確かにそれっぽいこと言ってたけど、わからないに決まってるじゃないか。
「オレはジザの気持ちは全部わかる。ジザの飼い主なんだからな」
「兄さまだけではありません! わたしだってわかります!」
二人とも自信たっぷりだ。もしかしたらリュンタルの人は本当にドラゴンの言葉がわかるのだろうか。なんだか気になってきた。
僕たちは、昨日リュンタルに来た時の、あの洞窟の前に降りた。
もしかしたら、昨日気がつかなかっただけで、『リュンタル・ワールド』に戻れる痕跡があるのかもしれない。そう思って、昨日僕たちが来た地点をもう一度よく見てみたのだけど……。
何もなかった。
「何もないみたいね」
シェレラが追い打ちをかける。
「これはもっとリュンタルにいなさい、ってことなんだよ。お兄ちゃん」
それはアイリーの願望にすぎないんだけど。
この洞窟に来た理由は、石版を直すことだ。本来の目的を遂げるべく、僕たちは奥へと進んだ。
「ところで、ヴェンクーはどうしてこの洞窟に入ったんだ?」
僕のように、ゲームのクエストをクリアするためなんて理由があるわけがない。気になっていた疑問を、ヴェンクーにぶつけた。
「たまたま見かけたからだけど」
「…………は?」
「ジザに乗って地上を眺めていたら知らない洞窟があったから、行ってみようと思って」
「そ、それだけ?」
「それだけってなんだよ。オレ、まだ行ったことない場所に行くのが大好きなんだよ。オレの知らない何かが待っているんだと思うと、ワクワクしちゃってさ。あーあ、早く旅に出るのを許してくれねーかなー」
「その気持ち、すっごいわかる!」
アイリーもかよ!
「私ね、いろんな人と会って仲良くなりたいの。ヴェンクーのことも、最初は何こいつ? って思ったけど、今はもうわかり合える気がするの。リノラナとも会えてうれしかったし、いろんな場所に行ってまだ会ったことがない人たちに会えば、もっとたくさんの人と仲良くなれそうでしょ?」
「アイリー、お前、気が合うな!」
「でしょ!」
「ちょっと待て。アイリー、まさかこのまま帰らずに旅に出るとか言うんじゃないだろうな? 絶対にダメだからな。絶対に帰る方法を見つけて帰るんだからな」
「えー。お兄ちゃんだけ帰ればいいじゃん」
「シェレラだって帰りたいだろ! な?」
「あたしはどっちでもいいかなー。そうだ、智保に起きてもらうってことできないかな? それならあたしここにいてもいいよね?」
僕はさすがに開いた口が塞がらなかった。
「いや、シェレラ……さすがにそれはないって」
「チホとは誰なのです?」
すかさずリノラナが訊いてきた。リノラナは僕たちの世界のことをまだ何も聞いていない。当然の疑問だ。でも説明するのはややこしい。
「そ、そうだな、リノラナはヴェンクーが旅に出るのをどう思ってるの?」
こっちから別の質問を振って話をごまかした。
「アイリーが言ったように、わたしもみなさんに会えてうれしかったです。でもわたしはアイリーとは違って、兄さまが旅に出るのには反対です! 兄さまは行く先々で騒動を起こすに決まっています!」
あ、それ言っちゃうの?
リノラナもちょっと天然というか、考えていることがストレートに外に出すぎてしまう性格だというのは十分感じていたけど。
「旅なんだから、全部がすんなりいくなんてことないだろ。旅に騒動はつきものだ」
「それはそうかもしれませんが……。わたしは、兄さまにそばにいてほしいのです」
「そういうことを思っているから子供なんだよ、リノラナは。オレは大人だからな、一人でいても平気だし、だから一人で旅に出て――」
「あれが石版だよ」
僕は洞窟の奥の行き止まりを指差した。
洞窟の中は枝分かれのない簡単な構造で、『リュンタル・ワールド』と同じだった。深さも同じくらいで、歩いて十分ほどだ。昨日僕の前に立ち塞がった狼人間は、ここにはいなかった。お父さんが言う「ゲームだから」ってやつの違いだろう。
『リュンタル・ワールド』では僕が復活させた石版が、現実のリュンタルでは崩れていた。台座はヒビ割れてはいるものの、かろうじて形はとどめている。本来はその上に石版が立っているんだけど、今ではその残骸である石ころが周辺に散らばっているばかりだ。
「ヴェンクー、前にもちょっと聞いたけど、あの時何があったのか、詳しく説明してくれないか」
「ああ、オレが来た時には、まだこの台座の上に石版があったんだ」
ヴェンクーは台座の後ろに回った。
「裏側から、真っ黒い霧が吹き出していたんだ。それがだんだん勢いが激しくなっていって、これはやばいと思った瞬間、石版が割れて飛び散って、霧が出口に向かって流れ出してきた。オレは全力で走って逃げたんだけど、出口まであと少しってところで霧の流れる勢いが激しくなって、飲み込まれて何も見えなくなってしまった。そして頭が朦朧としてきて、気がついた時にはリッキがいたんだ」
「その霧ってのは、洞窟を出てから、どこに行ったんだ?」
「わからない。その時にはもう気を失っていたからな」
「そうか……」
この石版を復活させることができても、黒い霧が野に放たれたままでは意味がない。一刻も早く封印し直さないと……。
「父さまも言ってたけど、リッキが深く考え込むことなんてないんだからな。父さまは立派な人だ。これくらいのことは解決してみせるさ」
「そうだな。僕は僕が今できることをやろう」
ヴェンクーの言う通りだ。みんなで協力して解決すればいいんだ。
台座には七つのくぼみが一直線に並んでいる。希石は一つも嵌っていない。
僕はアイテムアイコンをつついてウィンドウを開き、昨日『リュンタル・ワールド』でしたのと同じように希石を取り出した。まず左端のくぼみに、赤い立方体の希石を嵌め込む。その瞬間赤く小さな光が放たれた。次々と希石を嵌め込んでいく。六つの希石を嵌め込み、六色の光が放たれ、右端の一つだけを残したところで、手を止めた。
――形が違う。
色は紫であっているはず。昨日は星形の希石を嵌め込めばよかった。でも今目の前にあるくぼみは、水滴形をしている。
何もかもが同じだとつい思い込んでいた。でもお父さんの記憶が完全に正確ということはないだろうし、『リュンタル・ワールド』と現実のリュンタルで違う部分があるというのは、考えてみれば当然のことだ。
とはいえ、ここでそれに気がつくなんて!
わかってはいるけど、ウィンドウをスクロールさせていく。やはり水滴型の紫の希石は持っていなかった。
「ごめん。最後の希石が知っているのとは違う形だった。僕はこの希石を持っていない」
「あたしそれ持ってるけど」
まさか。
「シェレラ持ってるの? この希石って、ヌパ海岸のウミガメの涙だろ? 海岸に上がってくるシーズンって始まったばっかりなのに、もう取ってきたの?」
「違うよ? これはクゼン草の朝露。 紫は他の色より出る確率低いけど」
「えっ? そんなのあったの? 知らなかった」
「リッキはリュンタルのことをなんでも知っているって思ってるでしょ? 自分だけでなんでもできる、って。 それ、リッキの悪いところ」
「……うん、そうだね」
ついさっき、みんなで協力すればいいって思ったばっかりなのに。ダメだな僕は。
僕はテストプレイで得た知識で『リュンタル・ワールド』を攻略してきた。予め知っていることをその通りにやって、何もかもがうまくいっていた。でも昨日からはありえないはずの経験ばかりが続いている。慌てたり戸惑ったり、どうすればいいのかわからなかったりってことばかりだ。でもアイリーもシェレラも、そんな状況を楽しんでいる。知らないことを不安に思わず、僕ももっと気楽に考えて、周りの人たちに頼るべきなのかもしれない。
シェレラが右端のくぼみに、水滴型の紫の希石を嵌め込んだ。
七色の光が放たれる。光は台座の上に石版の形を作った。
全体が真っ白な光に変わり、一際激しく輝いた。その眩しさに目を瞑る。
輝きが収まり、目を開けると、そこには壊れる前の石版が立っていた。
コトッ。
足元に何かが落ちた。
拾ってみると、希石と同じ七色をしたコインだった。七角形の角がそれぞれの色をしていて、中心に向かって隣り合う色と溶け込んでいる。『リュンタル・ワールド』には、こんなものはなかった。
「これは……何だ? ヴェンクー、わかるか?」
「リッキ、こっちだ。石版にくぼみがある」
石版の裏側に回ると、ちょうどコインが嵌まるようなくぼみがある。
嵌めてみた。変化はない。たぶんここに嵌めるものだと思うんだけど……。
仕方がないのでまた外した。
「オレたちにはわからないから、父さまに調べてもらおう」
「うん、そうだな。じゃあこれはヴェンクーが持っていてくれよ」
僕は七色のコインをヴェンクーに渡した。
あとは黒い霧をここに封印し直すだけだ。行方がわからないのは気になるけど、わからないものは仕方がない。七色のコインのこともそうだけど、きっとフォスミロスがなんとかしてくれるだろう。
僕たちは洞窟の外に出た。
「ヴェンクー、これからどこに行くの? ねえ早く!」
アイリーはもうジザに乗っていて、ヴェンクーを急かしている。
「そうだな、このまま北のほうに行こうか」
「北には何があるの?」
「うーん……何かがある」
「えー。何よそれ」
「まあいいから行こうぜ。行けば何かあるから。初めから何があるのかわかってたら、つまんないだろ」
「そうね、言えてる! じゃあ行こう!」
気楽に考えたほうがいいとは思ったけど、それにしてもずいぶんとお気楽だな、アイリーは。
北へ向かって飛び立ってすぐ、大きな湖が見えてきた。
「ねえお兄ちゃん! 見てあれ! アザラシがいるよ! 模様おもしろいね!」
「知ってる。ノスルアザラシだろ?」
ノスルアザラシはこのノスロク湖に生息している普通の動物で、モンスターではない。薄いピンクの体に赤いまだら模様があるのが特徴だ。見たところ『リュンタル・ワールド』のノスルアザラシと同じみたいだから、本物のノスルアザラシもきっと魔獣ではなく普通の動物のはずだ。
そう言えばお父さんがノスロク湖の
「えー、お兄ちゃんなんで知ってるのよ」
アイリーは口を尖らせて拗ねている。
ヴェンクーが手綱を持ったまま、顔だけ振り向いた。
「なんだよアイリー、知らなかったのか? 昨日ステーキ食べただろ」
アイリーは昨日の夕食を思い出したみたいだ。
「えっ!? あれってアザラシのステーキだったの? 確かに普通の牛肉とは違うなと思ったけど、リュンタルにしかいない種類の牛なのかなとか、そういうこと考えてた。まさかアザラシだったなんて……。あんなかわいいのに、ショック……」
「かわいいって、それはこうして遠くから見てるからだろ。僕は近くで見たことあるけど、顔はシワだらけで、全然かわいくなかったよ」
「お兄ちゃんあの湖行ったことあるの?」
「うん。あるよ」
アイリーに普通に訊かれて、普通に答えただけだったんだけど……。
「リッキはノスロク湖に行ったことがあるのですか?」
リノラナに不思議がられてしまった。
「リッキは昨日初めてリュンタルに来たのでは?」
しまった。面倒くさいことになってしまった。
「リッキ、いったいどういうことなのですか? さっきの洞窟でもそうです。どこからともなく希石を取り出したり、希石がどこで採れるのかを知っていたり、なんだかおかしいのです」
リノラナの目が、僕を問い詰める。
「えっと、それはね……」
これはもう言うしかない。リノラナにだけ言わない、という理由もないし。
僕は『リュンタル・ワールド』のことを話した。お父さんが作った仮想世界のゲームだとか、僕たちの姿は現実のものではなくて仮想世界のアバターだとか。
「……………………」
「えっと……、わかって、くれたかな?」
「全くわかりません!」
やっぱり。
「兄さまは知っていたのですか」
「ああ、もちろん知ってた」
リノラナに訊かれたヴェンクーは、振り向かずに前を見たまま答えた。両手はしっかり手綱を握っている。
「兄さまはちゃんとわかったのですか? わたしはさっぱりわかりませんでした」
「それはもちろん、実際に行ってきたんだしな。わかってるさ」
ヴェンクーは振り向かない。
「ではそのカソウセカイとはどんな所なのですか?」
「……さっきリッキが言っただろ」
「わたしは兄さまの口から聞きたいのです!」
「……お前には難しい。知らなくていい」
「兄さま! それはないです兄さま! 聞かせてください!」
「…………」
ヴェンクーは黙りこんでしまった。
僕とアイリー、シェレラは、顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。
すると。
「魔獣だ! 人を襲っているぞ!」
ヴェンクーが叫んだ。同時にジザを急降下させた。
一瞬、身体が浮いた。
「うわああああああああ」
落ちる落ちる!
「しっかり掴まってろ!」
先にそれを言えよ! それと掴まるってどこに!
僕は四つん這いになって、振り落とされないようにしっかり手足に力を入れた。
ジザは優しい。
僕たちが落ちる危険があるとわかって、ヴェンクーがどんなに急かそうとしても、僕たちが落ちないように気を使ってくれた。急ぎながらもスピードを出さず、そしてふんわりと着地した。
すぐにヴェンクーは飛び降り、走り出した。
その先にいるのは、二メートルくらいの大きさのトカゲの群れ。緑色の体に紫の細い線が胴体を輪切りにするように何本も走っていて、首の周りの鱗が逆立っている。ざっと数えて三十匹くらいか。
襲われているのはたぶん隊商だ。人数は十人くらいで、荷物を乗せた馬をたくさん引き連れている。しかし馬はパニックを起こして遠くへ走って行ってしまったり、荷物を背にしたまま倒れて起き上がれなくなったりしていた。
ヴェンクーはナイフを抜きざまに大トカゲの喉元に切りつけた。鮮血を吹き出し、大トカゲが倒れる。体が痙攣している。立ち上がることは、もうできないだろう。
当然、僕も黙って見てなどいなかった。左手に剣を掴み、大トカゲの胴体に斬りかかった。しかし鱗が硬く、浅い傷しか負わせられない。
でも僕はこの大トカゲの弱点を知っている。『リュンタル・ワールド』のモンスターはゲームとしてのオリジナルだってお父さんは言っていたけど、この大トカゲに似たやつなら出てくるし、倒したこともある。僕は大トカゲの背後に回り、逆立っている首周りの鱗の隙間に剣を突き刺した。大トカゲは一瞬で絶命し、ピクリともせず倒れた。
もちろん、攻撃に加わったのは僕だけではなかった。アイリーは大トカゲの群れに向かって炎を派手にぶっ放して焼き尽くした。リノラナは大トカゲが口を開いた瞬間に喉の奥まで剣を突き刺した。
大トカゲもただやられてはいない。鋭い歯で噛みつこうとしたり、太い尻尾を体に叩きつけたりして攻撃してきた。しかし、攻撃を受けても後方に控えたシェレラがすぐに回復魔法をかけ、万全の状態で戦うことができた。
決着がついた。
大トカゲは全滅。僕たちの完勝だった。
ヴェンクーが辺りを見回している。仮想世界を出入りした時によくやっているけど、どうして今やっているんだろう?
「いた! あいつか!」
ヴェンクーが指差した方向を見ると、崖の向こうの空に大きな鳥が一羽、飛び去って行くのが見えた。よく見ると人が一人乗っているようだ。
「ジザ! 追うぞ!」
ヴェンクーはジザに飛び乗って手綱を握った。しかし鳥の姿はどんどん小さくなり、見えなくなってしまった。
「ちっ!」
ヴェンクーはジザから降りた。
「どうしたんだよヴェンクー。あの鳥がどうかしたのか?」
「この場所にこれだけの魔獣がいるはずがない。魔獣使いの仕業だ。失敗したとわかって、あの鳥に乗って逃げたんだ」
「魔獣使い? そんなやつがいるのか?」
「ああ。魔獣を操って人を襲うんだ。あんなやつら、絶対に許せない」
『リュンタル・ワールド』ではモンスターを使役するシステムなんてない。魔獣使いなんてものが存在するなんて、全く考えなかった。
「本当は、魔獣はみだりに人を襲ったりなんかしないんだ。ただ、魔獣使いは魔獣の心を支配してしまう。魔獣をむやみに殺したくはないけど、こうなってしまった魔獣は、もう仕方ないんだ」
ヴェンクーは地面の石ころを思い切り蹴飛ばした。握りこぶしを震わせている。ぶつけようのない怒りと、悔しさ、悲しさが伝わってくる。
「こういう魔獣は、卵の時に巣から攫われてきたり、禁忌の魔法で産み出されたりして、魔獣使いの意のままになるように育てられるんだ。仮に魔獣使いを倒したとしても、黒くなってしまった心は戻らないし、自然の中でも生きていけない。だから殺すしかない。けど、魔獣にとっても、人にとっても、一番いい方法が殺すことだなんて、オレは嫌だ。だから魔獣使いは、絶対に許せないんだ」
僕はヴェンクーのことを年齢のわりには幼い、ただの喧嘩っ早い子供だと思っていた。でもそうじゃない。命の大切さがしっかりわかっている。わかった上で、魔獣を殺している。優しさも、厳しさも、ちゃんと持っているんだ。『リュンタル・ワールド』でモンスターと戦う話をした時も、ヴェンクーは嫌がっていたしな。いくら僕が「これはゲームだから」って言っても、それでもヴェンクーの中には受け入れられないものがあったみたいだし。
「みなさん、ケガはありませんか?」
シェレラが隊商の人たちに声を掛けている。ケガをした人がいたようで、回復魔法でケガを治している。
ゲームのモンスターは殺せば消えてしまうけど、僕たちが倒した大トカゲの群れは今も死骸となって転がっている。
これは現実の戦いなんだ。
「ありがとうございました。護身術の心得はあるのですが、これほどの数に襲われてしまってはどうにもならず、全てを捨てて逃げ出す覚悟をしたところでした」
立派な顎ひげを蓄えた、隊長らしい人が僕たちに礼を言った。隊商の人たちはみんな白地に赤や黄色の幾何学模様が入った服を着ている。髪の色はこげ茶色、目の色が青というのもみんな同じだ。同じ一族なのだろう。
「いえいえ。みんな無事でよかったです」
逃げ出した馬も、隊商の一人が呼ぶと戻ってきた。僕たちの世界で、遊牧民がこういう独特な声を出しているのをテレビで見たことがある。リュンタルにもあるんだな。
「みなさんは旅の商人なんですよね? どこから来たんですか?」
「私たちはシュドゥインの商人です」
シュドゥインって……えっ? ずいぶん遠いな……。
「ねえお兄ちゃん、私そんなとこ聞いたことないよ? どこ?」
アイリーが首を傾げている。
知らないのも無理はない。シュドゥインは『リュンタル・ワールド』ではまだ実装されていない、西の果てにある国だ。僕はお父さんが非公開の全体マップを見せてくれたので知っているけど、それでもかろうじて名前と位置を知っている程度でしかない国だ。
でもさすがにヴェンクーとリノラナは知っていた。
「あんな遠くから旅してきたのか!? 本当に!? あーオレも遠くに旅に出たいなー」
「兄さま! この人たちは仕事で旅をしているのです。兄さまは遊びで旅をしたがっているではないですか!」
リノラナはヴェンクーの腕を引っ張って、ちょっと離れた場所にある木の陰に行ってしまった。
引きずられるように歩きながら、ヴェンクーは反論した。
「それを言うなら父さまだって仕事で旅をしていたんじゃないだろ」
「父さまは行く先々で人々の役に立っていたではないですか! 兄さまは父さまのように役に立てるのですか!」
「今だって魔獣を退治して役に立っただろ! そうだ! オレを護衛として雇ってくれないかな」
「兄さま! 無理です!」
「訊いてみなきゃわからないだろ!」
「父さまや母さまが許すはずがないです!」
また始まったよこの二人。いったい何度目だよ。本当に毎日この調子なのだろうか。わざわざ離れた場所に行ったってのに、声が大きいから全部聞こえてるし。
呆れてこの兄妹を眺めていたら、
「あの、みなさん大変お強いんですね。びっくりしました」
隊商の一人が僕の前にやってきた。小さな女の子だ。他はみんな大人の男ばかりみたいだけど、こんな子もいるんだな。
「特にあの男の子なんかまだ小さいのにあんなに強いなんて、私本当に驚きました」
女の子は、リノラナに連れて行かれたヴェンクーを指さしている。
「いやあ、あいつはその、小さいことは小さいんだけど……」
この女の子も背の高さはヴェンクーとほとんど同じくらいないんだけど、それなのに小さいって言われるヴェンクーって……。それに、たぶんこの子はヴェンクーがこの中で一番年下だと思っている。本当は一番年上なのに。
「おい、そこのやつ! オレのこと小さいって言っただろ!」
ヴェンクーがわざわざこっちに戻って来て、女の子に詰め寄った。すごい地獄耳だ。
「お前だってそんなにオレと変わらないだろ!」
二人が並んで立ったから、身長を比べることができた。たぶんヴェンクーのほうがほんのちょっとだけ、一センチか二センチくらい背が高い。
「背の高さはキミと大して変わらないけど、私これでも十四歳なのよ」
「十四歳? オレは十五歳だ。オレのほうが年上だな」
ヴェンクーは勝ち誇ったような態度を見せた。
「十五歳ですって!? うそ!? ……私より年上なのにこんなに小さいなんて、かわいそうに」
「なっ、なんだと!」
「おいヴェンクー! もうやめろ!」
僕は二人の間に割って入った。
「兄さま!」
リノラナも戻ってきた。
「さっきまで護衛として雇ってほしいとか言っていたのに、喧嘩を売ってどうするのですか! そんなことでは絶対に雇ってくれません! 無理です! もう決定です!」
「それはっ……、まあ、しょうがない、今回は諦める」
「そうだよキミ! いくら強くても、ちゃんとこのお姉さんの……じゃなかった、あの、妹さんなんだよね? この背の高い立派な妹さんの言うことを、ぷっ、ちゃんと、ふふっ、聞いて……ぷっ」
笑い出すのを必死にこらえながら話しているんだけど、それがバレバレすぎてこらえている意味がほとんどなくなっちゃっている。
「笑ってんじゃねーよ!」
「笑ってないって! あはは、もうダメ、あはは、でも笑って、あは、ないから」
「てめえ! いい加減にしろ!」
ヴェンクーは左腰のナイフに手をかけた。
「やめろヴェンクー! 何やってるんだ!」
僕はヴェンクーの体を抱くようにして女の子から遠ざけた。
「離せリッキ! 離せ!」
「落ち着け! とにかく落ち着けって!」
ぐぇっ。
背中のほうから、何か変な声が聞こえた。
「私の娘がご迷惑をお掛けしました」
隊長が僕たちに謝った。
女の子は涙目になって、ゴホゴホと咳き込んでいる。隊長でもある父親から、服の襟首を掴まれて引きずられて行ったのだ。
「ユスフィエ、謝りなさい」
「ごめんなさい」
女の子は右手を出した。
「ほら、ヴェンクーも」
僕が促すと、納得しているようではなかったけど、ヴェンクーも右手を出した。
二人は握手した。これで仲直りだ。
隊商の人たちは馬がケガをしていないか確かめたり、崩れた荷物を直したりしている。
アイリーたち女子三人は、さっきのユスフィエという女の子とガールズトーク中だ。
僕はヴェンクーと話をしていた。
「ヴェンクー、その喧嘩っ早さは絶対に直さなきゃダメだ。そんなんじゃ絶対に旅なんて無理だって」
僕は思っていることをそのままヴェンクーに伝えた。
「リッキもリノラナと同じだ。背が低いやつのことをわかってない」
ヴェンクーはぶつぶつ呟くように言っている。
「それと喧嘩っ早さは関係ないだろ。それに、でかけりゃいいってもんじゃないって自分でも言ってただろ、昨日の夕食の時にさ。もういちいち身長のことで怒るなよ。さっきの戦いだってさ、すごく強かったじゃないか。あの子だけじゃないよ、僕も驚いた。むしろ体が小さくても戦えるんだってことを、他の人たちに見せつけてやれよ」
「……それは、わかっている。体が小さいなりの戦い方を、身につけたつもりだ」
「だったらどうして」
「オレは、父さまみたいになりたい」
あー……。それはさすがに……。
「オレは、ずっと憧れていたんだ。オレの父さまや、リッキの父さまに。オレと違ってリッキは背が高い。それにさっきの戦いでも、リッキは細身の長剣をちゃんと使いこなしていただろ。だからお前は、リッキはなれるんだよ! お前の父さまに! 『白銀のコーヤ』に! でもオレは体の小さなナイフ使いだ。どう頑張ってもオレの父さまに、英雄フォスミロスにはなれない」
「なんだ。そんなことかよ」
「そんなことってなんだよ!」
「だってさ、僕は別にお父さんを目指してなんかいないからさ。だってお父さんがリュンタルに来ていたこと自体、昨日まで知らなかったんだし。僕はこの戦い方が自分に合っていると思ったからやっているだけだよ。ヴェンクーだって、自分に合った戦い方がわかっているじゃないか。だったらその戦い方を迷わずやればいい。大剣を振るうだけが戦いじゃないだろ。僕はそう思うけどな」
「だから、それはわかっているんだって。わかっているんだけど……」
僕たちが話しているところに、隊長がやってきた。
「あの……お二人」
「はい。なんでしょうか」
「お二人があのフォスミロスとコーヤの息子だというのは、本当なのですか?」
「あ、はい、そうですけど……。声、聞こえちゃってましたか? なんか恥ずかしいな」
「何が恥ずかしいというのですか! どうりで強いはずです! フォスミロスとコーヤの伝説は我々もよく知っております。みなさんに会えただけでもピレックルに来た価値があったというのに、魔獣に襲われたところを救われたなんて、一生自慢できます」
魔獣に襲われたことは、あまり自慢しないほうがいいと思うんだけどな……。
それにしても、お父さんって本当にリュンタルでは有名人なんだ。ヴェンクーの話を信用しなかったことはないけど、こうやって見ず知らずの人からお父さんの話を聞くと、改めてお父さんがリュンタルで残してきた伝説のすごさがわかる。
そんなわけで、隊長のほうから護衛の依頼を切り出してきてくれた。
この先、また魔獣が襲ってくることがあるかもしれないからだ。
今日一日だけなら、という条件で、僕たちは引き受けた。
「ユスフィエ、オレにも旅の話を聞かせてくれよ」
「うん、いいよ」
ガールズトークはユスフィエの旅の話だったらしい。そのことを知ったヴェンクーが話を聞きに行ったのだ。ユスフィエも快く同意した。二人はすっかり打ち解けたみたいだ。
僕たちは隊商の人たちと一緒に歩いて北に向かっている。この先に珍しい薬草が採れる村があって、買い付けに行くのだそうだ。ジザだけはさすがに歩いてついて行くことはできないので、自由行動ということになった。
僕もユスフィエからいろいろ話を聞いた。
シュドゥインは山岳地帯で、魔石や鉱石の採掘が主な産業なのだそうだ。ただ土地は痩せていて農業ができないから、魔石や金属を加工した製品を売りに行って、農作物を買って帰ることにした。これが旅の商人の始まりだったらしい。それがいつしか交易の規模が大きくなり、リュンタル中を旅するようになったのだそうだ。
「私はこれが初めての旅だったから、最初は不安だったし、毎日が新しいことばかりで戸惑っていたんだけど、だんだんそれが楽しくなってきちゃって。たまには今日みたいに怖い目にも遭うけど、ほとんどが楽しいことばかりなの。
今回は経験を積むために旅について来ているんだけど、いつかはちゃんと自分で商売ができるようにならなくちゃいけないから、父さんや他の人たちの仕事をしっかり見て覚えなきゃ、って思ってる。
シュドゥインを出て、あちこちの国を回ってもう半年になるわ。さらにいろいろな国を回って、シュドゥインに帰るまでもう半年かかるの。長い旅だと思っていたのに、もう半分終わっちゃった。あっという間の半年だったけど、もう半年、まだまだ頑張らなきゃ」
一年かけての旅か。長いなあ。『リュンタル・ワールド』なら『門』を使ってすぐに移動できるけど、本物のリュンタルは過酷だ。
それにしてもユスフィエはしっかりしている。僕と同じ十四歳なのに。僕は将来のことや仕事のことなんて、全然考えたことがなかった。ヴェンクーにダメ出ししてばっかりじゃなくて、僕もちゃんと将来のことを考えなきゃ。
「毎日が新しいことなんてすげーなー。オレ、ユスフィエが羨ましくてしょうがないよ。オレも早く旅に出たいよ」
そうは思っても、やっぱりダメ出ししたくなる。まだ言ってるよこいつ。
「ヴェンクー、まだ言ってるの?」
「兄さま、まだ言ってるのですか!」
アイリーもリノラナも同時にツッコんだ。みんな思っていることは同じだ。
「そうだ! オレも商人になれば旅に出れるかも!」
「ヴェンクー、商人は計算が得意じゃなきゃできないのよ? 計算は得意なの?」
シェレラが具体的な指摘をしているけど、そもそもそういう問題ではないし。
「う……。オ、オレは、父さまみたいな立派な騎士になるんだ。商人にはならないさ」
本当にヴェンクーは言うことが無茶苦茶だ。
今度は僕が言う番だ。
「だったら、まず騎士としてちゃんとしたらどうだ。人を守る騎士が、あんなにカッとしやすくてどうするんだよ」
「オレは、落ち着いて、いるさ。戦いの時はちゃんと落ち着いているさ。ただ、体が小さいとか背が低いとか言われると、やっぱり、気になるのは、しょうが、ないだろ。それは、どうしても、背が高いリッキにはわからないさ」
普段のヴェンクーならここで怒鳴り散らしているのかもしれない。でも今はなんとか感情を押し殺して話しているのが伝わってくる。
「私にはわかるよ」
「ユスフィエ」
「さっきは笑っちゃってごめんね。私より年上で、それも男の子で、こんなに小さい人と会ったことがなかったから、つい」
「いいって。もう終わったことだ。気にするな」
「私、体が小さいから軽い小さな荷物しか持つことができないでしょ。だから私も体が大きかったら、せめて人並みの体があったらな、って思うもの。でもないものはしょうがない。その代わり読み書きをしっかり覚えて、計算も早く正確にできるようになって、私にできることで商人としてしっかり仕事ができるようになろう、って決めたの。
ヴェンクーも私と同じで体が小さいことに劣等感があるんだろうけど、私はヴェンクーがナイフで魔獣と戦っていたのを見て、とてもカッコいいと思った。体が小さくてもあんなにやれるんだって。励みになった。私は力任せに大きな武器を振り回すような人よりは、ナイフ使いの小さいヴェンクーが好きよ」
ヴェンクーの顔が真っ赤になった。ユスフィエを見ていた目が泳いでいる。
「そ、そうか!? まあ、オレほどナイフの扱いがうまいやつは、たぶんいないだろうな。あの戦いはオレがいたから勝ったようなものだからな」
ヴェンクーは腕組みして自慢げに言っているけど、顔は真っ赤なままだし、視線もあさっての方向だ。きっと女の子から褒められるなんて経験、ないんだろうな。
「あと、リッキも細身の長剣で力技には向かないけど、弱点を正確に突く技術を持っているよね。アイリーの攻撃魔法の破壊力もすごいし、シェレラの回復魔法があるおかげでみんなが安心して戦えてる。リノラナは地を這う大トカゲが相手だと背の高さが生かせない感じで、ちょっと戦いにくそうだったけどよく戦ってたよ」
すごい。戦いを一度見ただけで全員の特徴を完全に掴んでいる。
そして、ヴェンクーは自分だけが褒められたのではないとわかって固まっているけど。
「あたしも後ろから見ていて、同じことを思ったわ」
シェレラもけっこういろんなことに気がつくタイプだ。きちんと分析しているユスフィエと違って、シェレラは直感が鋭いタイプだけど、パーティの後方で全体を見渡せる位置に、見抜く能力が高いシェレラがいるのは心強い。
「ユスフィエは私たちとは違って、実際に戦うことはないんでしょ? それなのにずいぶんと詳しくわかるのね。商人として物を見る目を養っているからかしら?」
「それもあるけど、シュドゥインは魔石と鉱石の国でもあるから。だから魔法と武器にも詳しいし、それぞれに合った戦い方にも自然と詳しくなっちゃうのよ」
「そっか、そういうことなのね。じゃあ今度あたしに合った武器を選んでもらおうかな」
「えっ? 武器? えっと、魔法の杖とか指輪とかのことかな?」
「そうじゃなくて、直接攻撃する武器のことよ。あたしが攻撃してもうまくいかないのって、きっと武器が合ってないからだと思うの。でもユスフィエならきっとあたしに合った武器を――」
「今のは聞かなかったことにして」
僕は必死に割って入った。
「シェレラは回復系の魔法使いが合ってるよね? そうだよね? 絶対そうでしょ?」
アイリーもユスフィエにそう言って全力で同意を求めた。
ユスフィエは顔を引きつらせながらうっすら笑っている。
「そ、そうね。シェレラは回復魔法や後方支援が合っているよ。きっと」
察してくれたようだ。よかった。
シェレラは他の人のことを把握できても、自分のこととなるとちょっと天然だからな。この戦いで魔法を間違えずに使えたってのは、けっこう成長したと僕は思う。
夕方が近づいてきた。ずっと歩き通しで、さすがに足が疲れた。こんな旅を半年も続けているなんて、旅慣れた大人の隊商の人たちはともかく、ユスフィエはすごい。しかもこの先まだ半年あるなんて。僕には無理だ。シェレラの回復魔法を試してみたけど、疲れは取れなかった。仮想世界はどんなに激しく動き回っても疲れることがないから、回復魔法も疲れのことを考えた設定にはなっていないのだろう。
結局ここまで何事もなく、順調に旅は進んだ。相変わらず自然の風景が続いている。緑の草や葉、茶色い土や岩や木、そして青い空、白い雲。そればかりだ。ただ一つ違うのは、草原の中にぽつんと灰色の塔が立っていることだ。高さはだいたい十階建てくらい。このまま直進すれば塔にたどり着くだろうけど、かなり手前から道は右側に弓なりに曲がっているので、僕たちは左側にある塔を遠くに眺めながら歩いていることになる。
ヴェンクーは「あの塔はまだ魔族がこの地を支配していた頃から立っているらしい。近くまで行ったことはあるけど、ヒビが入っていて、崩れそうだった」って言っている。もちろん中に人はいなくて、はるか昔に捨てられた塔だ。
その塔のほうから、何かが飛んで近づいてきた。
ジザだ。僕たちとは別行動を取っていたジザが、甲高い鳴き声を轟かせながらこちらに向かってくる。
そして、その後ろからも別の何かが列をなして飛んできている……?
「魔獣だ! ジザは追われているんだ!」
ヴェンクーが叫んだ。
ジザは僕たちの所には降りて来なかった。一定の距離を保ちながら、空を飛び続けている。きっとジザなりに気を使っているんだ。僕たち、特に隊商の人たちと魔獣を近づけないために。
追ってきているのは、カラスみたいな鳥の群れだ。
「ジザ、降りてくるんだ。オレが片付けてやる」
ヴェンクーが指笛を鳴らした。
ジザは飛ぶ方向を斜めに変え、僕たちとは少し離れた草原に着地した。
魔獣もそれについてきた。よく見るとカラスとは違って嘴にはギザギザの歯が生えていて、翼の先にも大きな爪がついている。足の爪も大きい。それに何よりも数だ。あまりに大群すぎて何羽いるのか見当もつかない。ギャーギャーとけたたましく鳴きながら、ジザの周囲を黒く埋め尽くしていく。
その濃密な真っ黒の中に、ナイフの柄に手をかけたヴェンクーが突っ込んでいった。
『リュンタル・ワールド』にも鳥のようなモンスターはいる。空を飛ぶモンスターは魔法使いや弓使いが戦うのが普通で、剣士である僕は戦ったことはない。でも、地上に降りてきたなら話は別だ。僕もヴェンクーの後に続いて走り出そうとした。
が、後ろから腕を掴まれた。
リノラナだった。僕を見つめ、首を横に振った。
「リノラナ! なんで止めるんだ! 早くヴェンクーと一緒に戦わなきゃ!」
「なぜですか?」
「見りゃわかるだろ! あんな大群に一人で戦うなんて無茶すぎる!」
「いいえ」
リノラナは僕の腕を掴んだまま、話し続ける。
「昨日の夕食の時にわたしが兄さまに言ったこと、覚えていますか? 『今日こそ一太刀浴びせてみせる』と」
ああ、そんなこと言ってたっけ。
「これまで、兄さまとは何千回、何万回と剣の稽古を重ねてきました。しかし“剣を交えた”ことは一度たりともないのです。なぜなら、わたしの剣はずっと兄さまに躱され続けているからです。そして兄さまのナイフをわたしの剣が受け止めたこともありません。わたしの剣は全て兄さまに届かず、兄さまのナイフは全てわたしの体に届くのです。せめて一度だけでもわたしの剣を受けさせたい、体に届かずともナイフで受け止めさせてみたい、そう思い全力で剣を振るのですが、未だにその思いは叶いません」
信じられない。僕は一度しか“剣を交えた”ことはないけど、それでもわかる。リノラナは強い。そのリノラナが攻めることも守ることも全く敵わないなんて。
「たとえどんなに数が多かろうと、あの程度の魔獣相手に兄さまが負けるはずがありません。わたしの兄さまが」
――舞っているかのようだった。
全く無駄のない、速く、精密で、なめらかな動きで、次々と魔獣を仕留めていく。喉元を切り裂き、心臓を突き、必ず一撃で魔獣を絶命させていた。魔獣はヴェンクーの上下左右から、それぞれが不規則なタイミングで攻撃してきているのに、ヴェンクーの体に傷ひとつつけられない。
すっかり見とれてしまっていた。
「リッキ、兄さまの美しい戦いを見ていたい気持ちは、誰よりもわたしがわかります」
リノラナの声で、はっと我に返った。
「ですが、わたしたちにも戦うべき相手がいます。戦いましょう」
足音が大地を響かせる。
塔のほうから、土埃を上げて魔獣の群れが押し寄せて来た。
こういう鳥、乗り物としてよく出てきがちだ。
がっしりした二本足でやたら速く走る、ダチョウをさらに巨大化させたような飛べない鳥。
ただ、僕たちに向かって走ってきているその鳥は、残念なことに乗り物ではない。僕たちを襲いに来た魔獣だ。それも大群で。
僕は震えていた。
決して武者震いなんかじゃない。不安で怯えて、足がガクガクしていた。
『リュンタル・ワールド』には、こんなモンスターはいない。
データがない。戦い方がわからない――。
「行きます!」
リノラナが叫んだ。同時に剣を抜く。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
怪鳥の大群に突撃していったリノラナが、剣を頭上から振り下ろす。怪鳥の細長い首を切り落とした。頭を失った怪鳥は、惰性で走りながら絶命していく。
僕も行かなきゃ。でも足が震えて動かない。
後ろから炎の玉が僕の横を飛んでいって、怪鳥の群れの中で弾けた。爆音が鳴り響き、怪鳥が肉片となって飛び散った。
「お兄ちゃん! 何ボーッとしてるの!」
アイリーが僕の右隣に来た。次々と杖から炎の玉を生み出し、怪鳥の群れの中に放っていく。
「迷っている場合じゃないよ。とにかく戦わなきゃ」
「でも」
「リッキ、もしかして怖いの? 初めての敵だから?」
左隣にはシェレラがいた。
「あたし、言ったよね? 自分はなんでも知っている、自分だけでなんでもできる、と思い込むのはリッキの悪い癖だって」
そうだった。知らないことはある。一人じゃできないことはある。だからみんなで協力すればいい。そう思ったんだった。
後ろにはユスフィエが、隊商の人たちがいる。守らなきゃ。
「二人とも、僕を殺すなよ」
僕は左手に剣を握ると、怪鳥の群れの中に突っ込んでいった。
無我夢中で剣を振った。
怪鳥は鉤型の大きな嘴で僕の頭を啄んできた。大きな爪のついた長く太い足で、鋭い蹴りを放ってもきた。その度に僕は『リュンタル・ワールド』では感じることのない、現実の「痛み」を感じた。もちろん痛みだけではなく、傷を負い、血を流した。でもその度にシェレラが回復魔法をかけて、僕の体を治してくれた。僕が囲まれて絶体絶命になった時は、アイリーが魔法で怪鳥を倒し、進路を切り開いてくれた。もちろん、リノラナも同じだ。リノラナも僕がピンチになった時には助太刀してくれたし、逆にリノラナが囲まれた時は僕が突っ込んでいき、怪鳥の群れを切り崩した。
アイリーは大きな炎の球をどんどん怪鳥の群れに放り込み、爆発させていった。僕たちをすり抜けた怪鳥が隊商の人たちに危害を与えることがないよう、シェレラが
怪鳥の死骸が、辺りを埋め尽くしていた。生きているのは、一羽だけ。
「ごめんお兄ちゃん! MPが尽きた!」
後ろからアイリーが叫んだ。
「あたしも、もうダメ」
シェレラの声も聞こえた。
でも大丈夫だ。今の僕なら。
怪鳥がこっちに走ってくる。そのままの勢いで右足で蹴りを放ってきた。僕は右側に回りこんで避けると、怪鳥の胸に剣を深々と突き刺し、振り下ろした。怪鳥の体が二つに割れ、溢れ出す赤い血とともに怪鳥は倒れた。
終わった……。
はあはあと荒い息を吐く。
「やりましたね! リッキ!」
リノラナが駆け寄ってきた。
「うん。みんなの力で勝てた」
額に流れる汗を拭う。
「そうだ。ヴェンクーは?」
目の前の戦いに精一杯で、すっかり忘れていた。
「兄さまなら」
リノラナがなぜか上を指さした。
空を見上げると、ヴェンクーを乗せたジザが、猛スピードで灰色の塔に向かって飛んでいた。ヴェンクーが戦っていた場所には、黒い山ができていた。ヴェンクーが倒した、カラスの魔獣の死骸の山だ。
ジザが怒っている。甲高いながらもずしりと響く声で鳴いている。赤い体がさらに紅潮している。僕たちが乗っている時はあくまでも安全運転だったんだろう。本気で飛ぶとこんなに速いんだ。
ヴェンクーを乗せたジザは、あっという間に塔に着いた。
なぜ塔に向かったかは、言われなくてももちろんわかる。あそこに魔獣使いがいるからだ。今度こそ捕まえられるだろうか。いや、絶対に捕まえてくれ。
「服がボロボロね、リッキ」
シェレラに言われて初めて気がついた。胸、腕、腹、腿、体中の服が破けている。『リュンタル・ワールド』とは違って、回復魔法で服が元通りにならないからだ。
「あとで縫ってあげるね」
いや、これはもう新調したほうがいいだろ、さすがに。新しい服を買おう。でもお金ってどうすればいいんだ? 『リュンタル・ワールド』で稼いだシルって、ここでも使えるのか? ……いや、使えないよなやっぱり。
「鎧を着ないからこんなことになるのです。どうしてリッキは鎧を着ないのですか?」
リノラナが不思議がっている。
「鎧だったら、ヴェンクーだって着てないじゃないか。鎧がないほうが身軽で動きやすいんだよ」
「兄さまは絶対に攻撃を受けません。でもリッキは攻撃をたくさん受けているではないですか!」
「そう言われちゃうとな……。僕だってこんなに攻撃されるとは思ってなかったんだよ」
僕が鎧を着ないもう一つの理由は、攻撃を食らわない自信がある、ということだった。『リュンタル・ワールド』のモンスターの攻撃パターンや弱点は把握していたから、これまではずっとダメージを受けることなくモンスターの弱点をついて倒してきた。でもこれからはそうも言っていられない。鎧を着て戦うことも考えなくてはならない。
いや、これからというか、この世界に居続けるつもりはないんだけど。
「お兄ちゃん、大活躍だったね! お兄ちゃんがこんなに本気で戦ってるの、私初めて見たよ」
アイリーが興奮気味に話しかけてきた。僕の右手を両手で掴んで思い切り振っている。
僕もまさか、自分がこんなに熱くなれる人間だったなんて思わなかった。初めて仮想世界の中に入った日の興奮を思い出した。いつの間にかテストプレイで得たデータを使って、作業を処理するかのように戦うことが僕にとっての『リュンタル・ワールド』のプレイになってしまっていたけど、本物のリュンタルに来て、忘れていたものを取り戻せたような気がする。
「みんなありがとう。みんなのおかげで力を出せたよ」
この戦いで、僕は一つ成長した。経験値とかレベルとかじゃなくて、本当の成長を。
隊商の人たちには、何も被害は出なかった。ケガもなかったし、荷物も無事だった。
「みんなすごい! なんて強いの!」
ユスフィエは僕たち一人ひとりに両手でしっかりと握手をした。
「私たちが生きているのはみんなのおかげよ。あんなのに襲われてたら、きっと逃げることもできなかったもの。みんな本当にありがとう」
「みんなと言うのなら、もう少し待ちましょう」
リノラナが空を見上げた。
「兄さまが戻ってきました」
ジザが甲高く鳴いている。夕日を背にして、こちらに向かって飛んでいる。
もう怒ってなどいない。ゆっくりと羽ばたき、ゆっくりと飛んでいる。きっと戻ってきたことを僕たちに知らせるために鳴いたのだろう。
こちらに近づいてきたジザは、足に何かを掴んでいた。
あれは……人だ!
ジザは着地寸前、掴んでいた人を投げ出した。大丈夫なのかこの人?
「そいつが魔獣使いだ」
ジザの背中の上から、吐き捨てるようにヴェンクーが言った。
こいつが……。
ファンタジーものによくありがちな、露出度の高いきわどい格好をした女だ。本当にいるんだな、こういう人。
ユスフィエが荷造り用のロープを持ってきて、魔獣使いを縛り上げた。
「お前は父さまに引き渡す。殺されなかっただけありがたいと思え」
縛り上げられ、地面に転がされた魔獣使いを見るヴェンクーの目は冷たい。僕も同じ気持ちだ。
魔獣使いは、この辺りの道を旅の商人がよく使うのを知っていて襲ったのだ。それがたまたま通りがかった僕たちにやられてしまい、このまま引き下がるのが癪に障るからとまた襲ってきて、返り討ちにあったのだった。
夕日が沈みかけている。
護衛の仕事も、ここで終わりだ。魔獣使いは捕えたし、もう心配ないだろう。
「兄さま、帰りましょう」
「そうだな」
ヴェンクーやリノラナと違って、僕の場合は帰ると言っていいのかどうかわからないけど、今の僕にとってはヴェンクーたちの家が帰る場所であることは間違いない。
隊商の人たちに挨拶してこよう。
「みなさん、今日は一緒に過ごすことができて楽しかったです。護衛の仕事もちゃんと果たすことができたし、みなさんにお会いできてよかったです」
すると、隊長が小さな布の袋をいくつも持ってきた。
「これは護衛の報酬です。受け取ってください」
僕は左手を伸ばして、掌で袋の一つを受け取った。
その瞬間、重みで手が下がった。
びっくりして慌てて中身を確認した。金貨や銀貨がぎっしり詰まっている。どうりで重いはずだ。
『リュンタル・ワールド』ではお金はウィンドウの金額表示が増えたり減ったりするだけで、物体としての貨幣は存在しない。宝箱の中などにイメージとして金貨や銀貨があるけど、実際にそれをそのまま使うことはない。さっき『リュンタル・ワールド』で稼いだシルをここでは使えないと思ったのも、それが理由だ。
だから僕は現物のお金を受け取る想像なんかしなかったし、受け取った瞬間に感じた重みにも驚いたのだ。
「こっこんなに!? いやいや、こんなの受け取れませんって!」
「何を言うのですか。我々は命を救われたのです。みなさんの働きにこれだけの価値があるのは当然です。もちろん、みなさん一人ずつにお支払いします」
「いやいや! 余計受け取れませんって!」
「しかし、みなさんをタダ働きさせたとあっては我々にとっての恥となります。商人仲間から笑われてしまいます。どうか受け取って頂きたい」
「そう言われても……。困ったな……」
どうしようか迷っていると、隊商の中から、僕の横を走り過ぎていく人がいた。
ユスフィエだ。
「ヴェンクー」
ユスフィエはヴェンクーの前に立つと、ヴェンクーの両手を握った。
「私、ヴェンクーの戦いを見てたよ。あまりに素晴らしくて、美しくて、ずっと見ていたいと思った。おかしいよね、襲われてるっていうのに。
あの黒い鳥の魔獣、大きな人が大きな剣で戦っても、きっとうまく戦えなかったはずなの。魔法を使ったらジザも巻き込んじゃうし、ヴェンクーみたいに小さな体の人が小さな武器を素早く正確に使えないと、戦えなかったはずよ。
ごめんね、またヴェンクーのこと小さいって言っちゃって。でもどうしても、小さい体の私は、他の誰よりも小さいヴェンクーの戦いに励まされるの。私、旅を続けてきて、出会いと別れの繰り返しは慣れていると思っていたけど、ヴェンクーほど出会えてよかったと思った人はいなかったし、ヴェンクーほど別れたくないと思った人もいないの。まだ日は沈みきっていないでしょ? だからあとちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいの、私と一緒にいて。お願い」
「ユスフィエ」
ヴェンクーはユスフィエに両手を握られたまま、じっとしていた。が、
「帰る」
両手を振りほどくと、ジザがいる方向へ歩き出した。
「ヴェンクー! 待って!」
ヴェンクーは立ち止まり、振り向いた。
「今じゃなくてもいいだろ」
「え?」
ユスフィエはヴェンクーが言ったことの意味を掴めず、戸惑っているようだ。
「いつかまた、ピレックルに来ることもあるんだろ? その時に会えばいいじゃないか。オレだっていつか旅に出て、シュドゥインに行くことがあるかもしれない。もしかしたら行き違いになるかもしれないけど、その代わり旅先でばったり会うことだってあるかもしれない。今の別れを悲しむより、次にまた会うことを楽しみにしたい」
「ヴェンクー! 二度と会えないことだって、あるかもしれないのよ!」
「オレは……またユスフィエに会えると、信じているから」
ヴェンクーはまたジザに乗るために歩き出した。
結局、僕は新しい服を買うためのお金を、報酬として受け取った。
もう日は沈んでしまった。
僕たちはジザに乗り、飛び立った。
ジザの背中の上でも、女子三人はガールズトークに花を咲かせている。どうして女の子ってこんなにおしゃべりが好きなんだ?
「リッキ」
真後ろに座っている僕に、前を見たままヴェンクーが言った。
「リッキは背が高いからわからないだろうけど、小さいからいいことだって、あるんだからな」
わかるさ。今日のヴェンクーを見ていれば。
「うん。そうだな」
ヴェンクーの背中で、僕は笑顔になった。
僕は、前を見たまま振り向かないヴェンクーの顔を、想像してみた。
城下町が近づいてきた。昨日と同じ夜景だ。
これからも繰り返しこの夜景を見て、その度に僕たちは成長していくのだろうか。
ジザは街の夜景を通り過ぎ、ヴェンクーの家の前に降りた。正確には、降りる寸前に足で掴んでいた魔獣使いを投げ落としてから着地した。魔獣使いは、家の前で待っていたフォスミロスの前に転がっていった。また帰りが夜になってしまったから、フォスミロスが心配して家の前で待っていたのだろうか。
「父さま、そいつは魔獣使いです。旅人を襲ったので、捕えました」
そう言ってヴェンクーはジザから降りた。
「魔獣使いだと? お前たち、魔獣使いと戦ってきたというのか」
僕たちもジザから降りた。
フォスミロスは僕を見て驚いている。
「どうしたのだリッキ、その姿は。服がボロボロではないか。そんなに激しい戦闘があったのか」
「ちょっと恥ずかしいです。僕もヴェンクーくらい強かったら、こんなにボロボロにならなくて済んだのに」
僕は服の裾をつまんで、朝と同じ姿のヴェンクーと見比べた。
「オレとリッキは戦った魔獣が違っただろ。それだけの差だ」
自分の相手は大した魔獣じゃなかった、って言っているみたいだけど、そんなことはない。ヴェンクーだからこそ、あの戦いができたんだ。
「魔獣使いのことは引き受けた。それよりリッキ、見てもらいたいものがある。昨日君たちから聞いたことと、関係があるかもしれない」
フォスミロスは、僕たちを花壇の前に案内した。リノラナが朝稽古をしていた場所に行った時に通った、あの花壇だ。
見た瞬間にわかった。
花壇には何も植えていない所があったけど、そこの土が荒いドットのようになって見えている。
僕たちが『リュンタル・ワールド』からこの本物のリュンタルに来た時と同じだ。
「お兄ちゃん、これ、『
「うん。そうとしか考えられない」
帰れる。帰れるんだ。
僕はこれが何であるか、フォスミロスに説明した。フォスミロスも昨日の話からある程度予想していたようで、すぐに理解してくれた。
「僕たちは帰ります。一晩泊めてくれてありがとう。いろいろあったけど、楽しかったです」
僕はフォスミロスにお礼を言った。
「礼などいらん。俺も君たちに会えて楽しかった。俺は元気でやっていると、コーヤに伝えてくれ」
「はい。わかりました。必ず伝えます」
「私はもっとここにいたかったけど……。でも、やっぱり帰るね」
「あたしもみなさんとは別れたくないけど、向こうで心配して待っている人がいるから」
アイリーもシェレラも、フォスミロスやヴェンクー、リノラナにお礼と別れの挨拶をした。
「リッキ」
ヴェンクーが僕の顔をじっと見つめた。
「もしかして……、もう、会えないのか? コーヤが言ってただろ? また来たいと思ったけど来れなかった、って……」
この『門』がなぜ発生したのかわからない。『リュンタル・ワールド』のバグによるものなら、もう二度とこの『門』が開くことはないかもしれない。
でも。
「会えるさ」
僕はしっかりと首を縦に振った。
「またヴェンクーに会えるって、信じてるからさ」
僕は、花壇の土に触れた。
ドットが花壇に広がっていく。
そして――。
◇ ◇ ◇
気がついたら、僕は花壇に倒れていた。
立ち上がって、辺りを見る。
アイリーもシェレラも、すぐそばで横になっている。
ヴェンクーはいない。リノラナも、フォスミロスもいない。
隣の花壇には、黄色い花だけが咲き誇っている。
「ん……」
アイリーが目を覚ました。シェレラも起きようとしている。
「お兄ちゃん! 服、直ってる!」
アイリーの声に反応して、僕は自分の腕や胸、体中のあちこちを見て、触った。あんなにボロボロだった服が、元通りになっている。
「あたしたち、帰ってきたみたいね」
シェレラの言う通りだ。ここは本物のリュンタルではない。仮想世界の『リュンタル・ワールド』だ。
電子音が鳴った。メッセージだ。
メッセージウィンドウを開く。
Koya: みんな無事か?
僕は二人に言った。
「無事だってことを、見せてあげようか」
アイリーもシェレラも頷いた。
僕たちはメニューウィンドウの最下段にある「ログアウト」をタッチした。
――本当にログアウトしますか? <はい> <いいえ>
僕はゆっくり<はい>を選択した。
◇ ◇ ◇
現実世界に戻ってきた僕たちは、結果としてまた“夕食時に突然現れる”ということをやってしまっていた。僕たちがいつ戻って来られるかなんてわからなかったから、当然夕食の準備なんてしていない。ヴェンクーの家は専属の料理人やメイドさんがいたからよかったけど、今ここにいるのは僕たちが目を覚ました瞬間から泣きっぱなしのお母さんと、ようやくパソコンから開放されたお父さんだけだ。
自分で料理する気にもなれなかった。僕も疲れた。現実世界の僕は、ただベッドで寝ていただけだというのに。でもそれは僕だけではなく、愛里も智保も同じだった。
結局、今日もまたピザを食べることになった。
「――でね、ジザに乗った時なんか私もう最高にドキドキしたし、ヴェンクーの妹がリノラナって言うんだけど、すっごいスタイルいいし強いし、ヴェンクーも思ってたよりメチャクチャ強かったし、あーもう何から話したらいいんだろう!」
愛里がリュンタルでの出来事をお父さんやお母さんに話そうとしているんだけど、全然話がまとまっていない。僕も同じだ。話したいことがいっぱいありすぎて、何から話したらいいのかわからない。智保は……適当に相槌を打ちながら、ピザを食べている。たぶんこの中で一番落ち着いていて、一番ピザを食べているのが智保だ。
「そうだ、フォスミロスがお父さんに『元気でやっているからよろしく』って」
僕はようやくこれだけ言えた。
お父さんは軽く微笑んだ。
「なんだよ。何考えてんだあいつ。病気とかするわけねーだろ。他になんかねーのかよ。ほんっとこういうの気が利かねーよなあいつは」
誰に言うでもなく、お父さんは呟いた。
お父さんはこんな言葉遣いをする人じゃない。でも、二十年前の、まだ十七歳だったお父さんは、きっとこういうくだけた言葉遣いをしていたのだろう。フォスミロスとお父さんは、かけがえのない親友だったんだ。だからこそまるで悪口のように聞こえてしまえる言葉も平気で言えるし、そんな程度じゃ壊れることのない信頼関係があったんだ。
今、僕の前にいるお父さんは、『白銀のコーヤ』なんだ。
僕は……。
「ねえお父さん、お父さんがあの場所に『門』を開いたんでしょ?」
愛里の質問が、お父さんを二十年前から連れ戻した。
「リッキたちが洞窟から消えた時のデータを解析して、同じ状況を作り出したんだ。うまくいくかどうかはやってみなければわからなかったけど、成功してよかった。なんせ父さんからしたら、リッキたちがちゃんとリュンタルに行ったのかどうかも、はっきりわからなかったしね」
そうか。
『リュンタル・ワールド』のデータ的には、突然僕たちが消えたってだけだったんだ。言われてみればそうだ。
「フォスミロスが騎士団長になっていたというのを聞いておいてよかった。もしそれを知らなければ、どこに『門』を開けばいいのかわからなかった。もっとも、さっきも言ったけど、もしリッキたちがリュンタルに行っていなかったとすれば全くの無駄だし、賭けだったと言ってもよかったくらいだ」
もちろん、このことは『リュンタル・ワールド』の他のスタッフには知られてはいけないから、お父さんが一人でデータ解析をやっていた。徹夜で解析作業をして夕方になってようやく『門』の作成に成功したらしい。
「じゃあさお父さん、またあの場所に『門』を開くことはできるんでしょ? 私また本物のリュンタルに行きたいよ。そうしたらまたヴェンクーやリノラナと一緒に遊んだり、ジザに乗って冒険に行ったり、いろんな」
「愛里、それはダメだ」
お父さんは、愛里がまだ言い終わらないうちに否定した。
「今回は上手くいったけど、まだわからない部分もあって、毎回成功できるとは限らないんだ。もし失敗すれば、仮想世界からも現実世界からも消えてしまって、抜け殻の体だけが残ってしまうことになるだろう。そんな危険な目にはあわせられない」
「そんな……」
「愛里ちゃん、しょうがないよ。あたしだってまた行きたいけど、しょうがないよ」
智保は愛里の肩に手を回して、軽く叩いた。
「そうよあいちゃん。お母さんとっても心配したんだからね。危ないことはやめて」
お母さんも愛里の考えに反対した。
それでも愛里の心は収まらない。
「なんでよ、なんでもう行けないの? お父さん、もっとちゃんと解析してよ! ちゃんと本物のリュンタルに行けるようにしてよ! ねえ! お兄ちゃんも黙ってないで何か言ってよ! ねえ!」
最後は泣きそうになりながら、愛里は叫んだ。
僕はこの二日間のことを思い返していた。いろいろあった。ありすぎた。まだ整理がつかない。お父さんの過去のこと、仮想世界の元となった、僕たちの世界とは別の現実の世界があること、そしてその世界で暮らす人たちのこと。
また行きたい。また会いたい。
あんなに帰ることばかり考えていたのに、そして帰って来られたのに、この思い出が思い出として終わってしまうのが、辛い。
ピザを片手に、今は誰も座っていない、右隣の椅子を見つめた。
「また会えるなんて、言わなきゃよかったかな……」