scene:05 鉄壁の紫雷
「リチャード様、ご無事ですね?」
アンドレは
対して彼の主人――リチャードは「あまり馬鹿にするなよ、アンドレ」と笑った。
「だが礼は言おう。――友よ、助かった」
「当然のことをしたまで」
言って、二人は顔を小さく笑い合う。
だが、明るい声色と対照的に、その
既に、騎士二人に油断はない。
その
そして何より、その矢は大騎士クラスの
アンドレは自身の
あれはもはや――ただの家畜ではない。
「アンドレ」
アンドレの背後で、リチャードが
「アレは、俺がやる」
そう言った主人を、アンドレは片手だけで制した。
「いえ、リチャード様。ここは私にお任せ下さい」
「お前一人でか?」
リチャードの問いに、アンドレは無言で
相手は大騎士二人を
だが、リチャードとアンドレは相性が
問題は二人の固有式だった。
どちらも広範囲へ効果を及ぼすものであり、協力して戦うとなればどうしてもお互いの魔導干渉域が邪魔をしてしまうのだ。魔導干渉域は、固有式の先端に触れただけで内包する魔導式に干渉――その発生源まで遡って成立を阻害する。
アンドレとリチャードの本来の相方はニコライとガブストールであり、彼らであれば互いの魔導式を阻害せずに連携も取れた。だが彼らが討たれてしまった以上、それぞれが単独で戦う方が
であるならば、ここは実力で勝るリチャードに任せた方が確実なのは理解する。自分は身を引き、その勝利を目に収めるべきなのだろう。
――だが。
と、アンドレは
「リチャード様。どうか、私の
私は誓ったのだ。
「私は
この身はリチャード様の盾。
リチャード様の道を照らす雷光。
彼――リチャード・ラウンディア・エッドフォードにこの身を
リチャードという男は、アンドレを友人として扱ってくれた。
家格がモノを言う貴族社会で、ただの騎士侯の子供と対等に接してくれた。
「信頼できる男が欲しい」と、戦場へ連れ出してくれた。
結果を正しく評価し、副官として取り立ててくれた。
お陰でエッドフォード伯爵の家臣団の中でも落ち目だったエスタンマーク家は持ち直し、暗い顔ばかりだった家族に笑顔が戻った。
アンドレには、リチャードへ返しきれない程の恩義があるのだ。
その恩義を返す
であるのに――
大騎士を
それは、アンドレにとって自身の否定に他ならない。
どうしても譲れない一線だった。
そして、
「ふ――」
アンドレの背後で、リチャードが小さく笑った。
「……思えば、お前が
「リチャード様、」
「であれば、その奉公に報いるために
「! ――では」
アンドレの問いに、リチャードは
「
「御意! ――あの
宣言。
――そしてアンドレは
その速さはまさに雷光。
雨でぬかるんだ土を巻き上げながらアンドレは駆ける。
標的は正面、リチャード様へ仇成す
途端、メイドの持つ鉄塊が
まるで
「だが――ッ」
この身は
アンドレは
――だが、アンドレの
それこそ、アンドレが『鉄壁』と呼ばれる理由だった。
アンドレ自身は特別、
当然、騎士本人の
だから、アンドレは
通常なら五~六つほど刻まれる魔導式を、最低限の三つにまで減らしたのだ。
自身の
そうする事で、アンドレは『鉄壁』の二つ名を得るほどの甲冑を得た。
そして――
「ぜぇいッ!」
「……、」
メイドは再び、アンドレの突進を避けるように
やはり接近戦は嫌いなようだ。
アンドレはメイドの動きと対応を冷静に見つめる。
――つまり、こちらへの対抗手段は、右肩に担ぐ6メルトはある巨大な鉄塊しか無いのだろう。距離を取ってこちらの打撃を避けつつ、遠距離からひたすら矢を放ってこちらの消耗を狙うつもりか。一度に生成できる
だが、と。
アンドレは牛を
――それは、相手に遠距離武器が無い前提でしか成立しない。
「はぁッ!」
アンドレは
雷の鞭が地を割り
赤熱する鉄を
その名を【
「そらぁ!」
「……、」
逃げ回るメイドを鞭のようにしなる雷撃が追い立てる。
対してメイドは、頭に被っていた緑色の斑模様をした帽子を投げ捨てた。途端、雷撃がメイドから
その隙にメイドは更にアンドレから距離を取り、鋼鉄の矢を放ち続ける。
アンドレはそれを【雷鋼鞭】で弾きながら、メイドへ雷撃を放った。
だが、雷撃はメイドがスカートから生み出した〔爆裂式〕仕込みの鉄球に
しかし同時に、ただの〔雷火式〕には意味の無い〔爆裂式〕が、
「チッ」
――
いつまでもこうして雷撃を放ち続けるのはマズイ。
アンドレ自身の
――仕方ない。
相手がこちらから距離を取るというのなら、それを逆手に取ってやる。
これだけ離れていれば、
アンドレは、
「――
途端、アンドレを中心とした上空と地上に魔導陣が展開された。
直径100メルトの巨大な魔導陣。それがアンドレと――そして地を駆けるメイドを挟むように、天と地へ広がったのだ。
二つの魔導陣は
上空の魔導陣は
強烈な電位差を持った二つの魔導陣の間に強い電圧がかかり、そして――
「――
アンドレは、
地上に流れ込んだ大量の電流がトドメとなって、絶縁体である大気を破壊し、魔導陣の間に放電現象が起こる。
地上から天空へと、数百もの
固有式――【
自身の周囲100メルトに稲妻の檻を展開し、攻防一体の城壁と成す固有式。
あらゆる物理的攻撃は超高電圧の雷撃によって蒸発させられ、効果範囲内にある全てを焼き尽くす。
なおかつ魔導陣が作り出すのは、あくまで
これこそがアンドレ・エスタンマークの切り札。
『鉄壁の紫雷』の二つ名を
これで生意気なメイドを――、
アンドレは焼き
が、
「それは存じております」
「な――!?」
雷の檻の中を、メイドが駆けている――!
メイドはアンドレを中心に右回りに走っている。当然、そこは【雷檻城塞】の効果範囲内。――であるというのに
それどころか、雷撃の柵がメイドに道を譲るように避けている。
馬鹿な。
多少、鉄球で雷撃を
なのに、
アンドレは答えを求めるように周囲を見渡し、ふと、自身の足下に突き立てられた金属の
メイドはその縄を遡るように、雷柱の間を駆けていた。
――まさか、
固有式【雷檻城塞】は、上空と地上に電位差のある環境を作り出して
つまりそのままでは、雷撃がアンドレへも
故に、この固有式には
発動者の周囲半径6メルト。この範囲だけは、上空の魔導陣と同じ電位を持つように調整する魔導陣が展開されているのだ。電位差によって電流が流れる以上、同じ電位を持つものに電流は流れない。その空間だけは雷が立ち昇ることはないのだ。
また、空間外の地面との電位差によって発動者へ雷撃が引き寄せられる事を防ぐために、電子同士の
そしてその効果は、
つまり地面に刺さった
いやそれよりも、いつの間にこんなものを用意して――
アンドレは記憶を探り、左回りに延びる
そう、左回りだ。
メイドも、ひたすら
そして、アンドレが今立っているのは最初にメイドが立っていた場所。
つまり。
最初からこうするつもりで
そしてその推測が正しい事を証明するかのように、
アンドレは鋼鉄の矢を迎え撃つべく、
まあいい。接近戦を挑むというのなら望むところ。
どうせ
そして、6メルトある鉄塊の切っ先が――
――アンドレの横を通り過ぎた。
おかしい。
アンドレは
接近戦を仕掛けたのは、至近距離で鉄塊の
アンドレの視線の先で、雷撃の雨を割って駆けるメイドがスカートを翻す。そこから
あれは、町でリチャード様を狙った〔爆裂式〕仕込みの
なるほど、コイツの狙いはソレか。
何度も放ってくるという事は、恐らく
しかし、
「近づいたところでぇッ!」
放たれた
音の速さを超えぬ矢など、どれだけ至近距離であろうと当たりはしない。
アンドレはそのまま
――それを見たメイドが
「それも、存じ上げております」
アンドレの背後で、
ばら
無論、この程度の爆圧と熱では
――だが。
アンドレの視界は炎によって奪われた。
「やはり贈り物は――」
赤い髪と丸
その左手には
「――手渡しするのが礼儀でございましょう」
――それは
強化された
穴から内部へ侵入したメタルジェットと高熱のガスが、
――果たして、雷鳴は
◆ ◆ ◆ ◆
爆風の中から立ち上がり、マリナは右手だけで
――ひとまず、ここまでは作戦通り。
想定の
本当なら
遠距離からの砲撃で
――それが『憂国士族団』との協議で
マリナがそれに気づけたのは、似たような敵と戦うアニメーションをかつて
メイドではないが『皇女に仕える侍女』という設定に
ともあれ、これで後はクソ野郎一人。
マリナは残った赤いマントを羽織る騎士を見据える。夜風にマントをたなびかせ、
憂国士族団から聞いた名前は『リチャード』。
アレを倒せば、ひとまず危機は去――
隣にリチャードがいた。
「――ッ!?」
慌てて、マリナは斜め後方へと跳躍する。
何だ今のは!?
いつの間に横に立たれた?
そもそも行動の起こりが見えなかった。
あいつ、まるで瞬間移動でもしてきたみたいな――。
対してリチャードは、マリナに何の興味も無いかのように立ち尽くしていた。
その
「アンドレ――やはり、行かせるべきではなかった」
騎士の独り言が、マリナの耳にまで届く。
力なく悲嘆に暮れるその姿は、戦闘意欲など
しかし、
「ならば、せめて仇は俺が取ろう」
ゆらりと面の
――次の瞬間には、
砲口は既に、リチャードの背後にある。
「――エリザぁッ!」
『3番、切って!』
マリナの意図を察したエリザが、ダリウスへ指示を飛ばす。
途端、
引き金を握る。
途端、マリナの身体が背後に吹き飛んだ。
これまで〔力量制御式〕によって打ち消されていた反動がマリナを襲ったのだ。毎分3900発の速度で発射される30mm徹甲焼夷弾の反作用は、40キロニュートン以上。これは
当然、
急激なGと共に遠ざかっていく景色と、リチャード。
ジェット機が如き速度で、マリナはリチャードから距離を取る。白木の身体は今にもバラバラになりそうだったが、何とか
マリナは一度
何だったんだ今のは。
マリナはこちらをゆったりと見つめる白銀の騎士を
笑えねえ速さだ。
――だが、それでもやりようはある!
マリナは
〔力量制御式〕は後方のものだけが切られている。砲身のブレを抑える〔力量制御式〕は働いたままで、かつ、
つまり、使いようによってはジェットエンジンそのものとして使うことも可能――
そのまま、マリナは地上にいるリチャードを狙うべく、白銀の甲冑を探す。
上から重力も上乗せして
と、そこでようやく気づく。
――
「どこを見ている、メイド」
「――ッ!?」
すぐ隣から聞こえた声。
マリナは確認もせずに
――だが、それをリチャードは許さない。
何もない空に平然と立っているリチャードは、マリナを見上げるとそのまま
――コイツ、なんで!?
マリナはスカートから
勝つ
だが。
爆風を斬り裂いて、白銀の騎士が空を駆け上がってくる。
その速度はミサイルが如き速さで飛ぶマリナと同等か、それ以上――
「チ、」
コイツどうして。
聞いてないぞ、こんなの。
あいつ
――そう。
確かにグラマン
しかし、それらはあくまでリチャードが戦場で見せたものだけだった。
無論、ただの騎士ならそれで充分。むしろ実際に扱う所を見ることで、その弱点を知ることもできる。アンドレが良い例だろう。
だが、憂国士族団は前提からして間違っていた。
そもそも、リチャードは戦場において自らの能力を全て使った事など一度もなかったのだ。
彼は
その戦い方を支えていたのは、
それは
対して、リチャードが
戦場によっては更に魔導式を刻み込んだ
そしてリチャードが今見せているのは、
誰にも見せる事のなかった、奥の手である。
「――クソがぁ!」
マリナは新たに
今度は
全てピンを抜いた状態で放られたそれは、即座に爆――
「それはもう見たぞ」
――発する前に、リチャードはその全てを斬り捨てる。
だが、その僅かに足を止めた隙に、マリナは
しかし、劣化ウラン弾芯の砲弾は白銀の甲冑を
――チクショウ、
マリナは
首を
――チクショウ、
バレットM82を生み出して撃つ。リチャードは避けもしない。
――チクショウ!
こんなもんが効くかっ! 何をやってるんだオレは!
マリナはM82を投げ捨て、再び
だが距離を取らねば死――
――
「――弾切れ!?」
「終わりか」
その
瞬間、腹に突き刺さる衝撃。
それがリチャードに蹴りだと気づく前に、マリナは地上へと墜落した。
――早く、逃げなくては。
マリナは右腕を
――だが、次の瞬間には落下してきたリチャードが、マリナの両脚を切り落としていた。
「――ぐが、!」
下半身から駆け上がる、喪失の痛み。
「痛かろう」
リチャードが、感情の籠もらぬ
「それは魂が削られる痛みだ。
――さあ、
右腕が切り落とされる。
「がぁ――、」
残っていた左肘から先を、細かく千切りにされる。
「つぅ、あ、ひぃ――」
ふくらはぎを踏みつけられ、砕かれる。
「じゃ、ぶが、は、は――」
腹に、剣を突き刺される。
何度も繰り返し、突き刺される。
「はぅあ、あッ、あッ、あッ、あッ、あッ、――――――」
何度も。
何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――
素体の白木が砂になるまで粉砕されていき、その全ての痛みがマリナを襲う。
既にマリナにまともな思考は無い。口はただ「あッ、あッ」と苦鳴を漏らすだけの器官に成り果てた。
そして。
切り刻まれ続けた
「良い悲鳴だ」
仲間の騎士が倒されてから一度も浮かばなかった笑みが、リチャードの口元に現れる。
「その痛みは我が同胞たち、そして我が盟友の痛みだ。心ゆくまで楽しみたまえ」
リチャードは
「では、我が友へのせめてもの手向けに、俺の最大の
……その魂、一片とて冥界へなど落としてやるものか」
リチャードの
途端、剣に亀裂が走り、太い刀身が扇のように五
「
リチャードが持つ膨大な
その刀身の表面温度をマリナの居た世界の基準で表すならば――摂氏150万度。
極小の太陽が、剣の形を成してここに顕現した。
――これこそが炎剣。
通常状態の刀身はこの
その剣先で
故にソレを――【滅却式】と呼ぶ。
「恨むのなら、貴様を
元の数十倍のサイズにまで巨大化した
答えなど期待していない、ただの宣告。
そしてその宣告が――
痛みは消えず、
だが――、
それは、聞き捨てならない。
「――冗談じゃ、ない」
マリナの口から、自然と言葉が漏れた。
「ほう、」リチャードは感嘆の声を漏らす「まだまともに話せるとは」
「魂だけの生命体と言えど、
「なに言ってる――。オレはな、幸せ、だよ」
「幸せ?」
リチャードは鼻で笑い、
「痛みに塗れるのが、貴様の幸せなのか。
貴様の主人はお前を盾にして、仲間の
そんな
「そいつは、見当、違いだな」
マリナはリチャードの問いを、鼻で笑い返した。
「エリザはオレの希望、だ。
人間も捨てたもんじゃ、ねえって、思わせてくれた……。
オレ自身に絶望せずに、済んだ。
それだけでオレには充分、だった。
満た――された。
だからッ! オレはエリザの願いを、
「もう良い、聞き飽きた」
リチャードはマリナの言葉を遮り、炎剣を振りかぶる。
「これより天罰を下す」
「――お言葉ですが、リチャード様」
マリナは精いっぱい、小馬鹿にした笑みを浮かべてみせる。
「天罰が下るのは、
「――死ね」
――そして、天罰がくだされる。