scene:06 たとえこの身が朽ち果てようとも
――時を戻そう。
エリザベート・ドラクリア・バラスタインは思い出す。
ほんの一刻前。作戦会議の前に、エントランスホールの端で話したことを。
◆ ◆ ◆ ◆
「マリナさん、少し作戦について質問があるんです」
そう、エリザが作戦内容についてマリナに
事前にエリザが聞いていた内容は、騎士を倒す武器とその運用方法についてのみ。実際の作戦の流れに関しては大まかにしか教えて
そのエリザの疑問を察したのだろう。
マリナは「話しておく事がある」と前置きしてから、こう告げた。
「オレは、リチャードっつう騎士を出来るだけ怒らせて――負けるつもりだ」
「負ける――?」
「そうだ」
マリナは
「まず前提として、
つまり、オレはどうやったって負ける」
「マリナさん、何を言って……? だってこれは勝つ
エリザがそう眉をひそめると、マリナは「まあ、最後まで聞けって」と苦笑する。
「どうにも聞いた話からすると、リチャードっつう騎士は他と比べても規格外の強さだ。そこに転がってる
「らんちゃあ?」
「要は、オレが持ってる武器じゃ倒せないって話だ」
「じゃあ、どうするんですか?」
「簡単だろ。正面から倒せないんなら、正面から倒さなきゃいいんだ」
「それは……そうでしょうけど」
そもそも、それが困難だから正面から戦う事になっているのではないか。
マリナが持つ
「だから、
エリザの問いにマリナは「ニィッ」と歯を見せて笑う。
「オレは
「――、」
「その怒りが、大きな隙になる」
「そんなこと……」
エリザは言葉を失う。
この娘は、自分が何を言っているか分かっているのだろうか。
今、彼女が口にした拷問の内容は、彼女自身が受けることになる痛みだ。指を落とされ目を
そう
「『憂国士族団』からの話じゃ、リチャードはよく敵をいたぶって遊ぶらしい。それに炎槌騎士団の中には
マリナはそこで言葉を切り、黒いスカートをたくし上げる。そこから生み出したのは、
それを壁に立て掛け、エリザは親指でそれを指し示した。
「――エリザ、お前が
◆ ◆ ◆ ◆
エリザは記憶の海から現在へと意識を浮上させた。
チェルノート城の城壁。その胸壁の陰に、エリザは身を潜めている。
――
その赤色を見て、隣で身を隠しているエンゲルスが「こ、公女様……」と何か言いたげに口を開いたが、今のエリザにはそれを察してやれるほどの余裕はない。
耳の奥で響くのは、悲鳴だ。
『――ぐが、!』『がぁ――、』『つぅ、あ、ひぃ――』『じゃ、ぶが、は、は――』『はぅあ、あッ、あッ、あッ、あッ、あッ、――――――』
激痛に苦しむマリナの悲鳴。
それは空から墜落したマリナが、リチャードに
しかしエリザは
しかし、これは事前の打ち合わせ通り。
エリザ自身も「それじゃマリナさんが死んじゃいます!」とは言ったが、最終的には認めたこと。リチャードという化け物を倒すために、必要なことだと。
エリザは聞こえる悲鳴を
その武器の名は、01式軽対戦車誘導弾。
――通称『ラット』。
非冷却式の赤外線センサーと夜間照準器まで備えた対戦車兵器。
――だがこれは本来、騎士に通用する武器ではない。
だが、もしも。
対象が足を止めて、何かに意識を集中させている事があれば。
戦車のディーゼルエンジンの排気並みに熱を放出しているのなら。
つまり。
他の
そう――隙さえあれば。
〔遠見式〕のように拡大された景色の中で、リチャードが
照準が固定、発射準備が整う。
リチャードという化け物を倒すことができる。
無論それだけならばエリザがやる必要はない。一人で扱えるとはいえ『ラット』は重く、それにリチャードが見える位置に居なくてはならない以上、常に死と隣り合わせ。力のあるエンゲルスや、戦闘に慣れたダリウスに任せるという判断もあったはず。
しかし、マリナは『ラット』をエリザに託した。
それは、エリザベート・ドラクリア・バラスタインという少女が、本物の領主になるために必要なことだからだという。
父の言葉が、エリザの脳裏に
『王や貴族というものは、民草の幸せのために戦わねばならない。
――それが出来るから
つまり、それを示せという事だ。
エリザが敵を倒す姿を、背後の城内で
わたしが領主なのだと宣言しろ、と仲村マリナは言った。
――だけど、こんなこと。
そうエリザは
エリザの視界には、手足を失って上半身だけになったマリナと、それを見下ろすリチャードの姿がある。念話からはマリナが感じる痛みだけが伝達され、もはや意味を成していない。わたしが本物の領主になる
「公女さん」
エリザの姿を見かねたのだろう。声をかけたのは、かつて
ダリウスがエリザの肩を抱き
「待つことはない、
「……、」
「やれるんでしょう? その武器なら」
「いえ……まだです」
エリザは返事を
打ち合わせでは、放つ合図はマリナが出す事になっていた。なにしろ一度きりの大勝負。失敗は許されない。故に、最も近くでリチャードの意識を探れるマリナが合図を出すというのは至極当然の判断ではある。
――しかし。
まだか。
まだか。
まだなのか。
もしや、と思う。
マリナは既に合図など出せる状況に無いのではないか。手足全てを失い、拷問
エリザは『ラット』の
『――冗談じゃ、ない』
「マリナ、さん?」
マリナから届く念話。
どうやらエリザの発射しようという意図が、念話によって伝達されてしまったらしい。『まだだ』という念話が飛ばされてくる。
『まだ、アイツの意識がオレだけに向いていない』
「でも――」
『チャンスは一度しか、ない。中途半端なことを、するな』
マリナという少女の感じる痛みが、念話を通じて漏れ出してきていた。
これほどの苦痛を味わいながらもこの少女は、まだわたしを
「ごめんなさい」
この謝罪は偽善だと分かっている。
提案したのはマリナでも、それを承諾して指示したのはエリザ自身だ。
そのくせに、今更になって許しを請うなど、傲慢も甚だしい。
けれど――
それでも、口から漏れてしまうものもある。
「こんな辛いことをさせて、わたしは……」
『なに言ってる――。オレはな、幸せ、だよ』
だが、念話はマリナの感情を伝え、その感覚の一部もエリザへ伝達する。マリナが今なお、身体全身が溶けていくような痛みに
「でも! このままじゃマリナさんが死んじゃいますッ!」
『そいつは、見当、違いだな』
オレは死なない、と。マリナは笑う。
「どうして!?」
『エリザがオレを助けてくれる、からだ』
マリナの念話に『発射準備』の意図が
エリザが隣にいるダリウスに軽く
それは『ラット』へ仕込んだ〔
五感がどれだけ優れていようとも、〔魔導干渉域〕によって〔音響制御式〕が破られるまでは弾頭の接近に気づくことはない。
最終確認を終えたエリザは、マリナからの合図を待つ。
念話から流れ込んでくるのは、マリナという少女の心。
痛みで混濁した少女の意識と言葉が、エリザの脳内に響いて冒してくる。もはやマリナには、意識から言葉だけを選別して伝達する事すらできないのだろう。それだけの痛みと苦しみに耐えているのだ。
エリザは魂の濁流の中に潜む合図を見逃さぬよう、意識を集中させた。
念話が届く。
『エリザはオレの希望、だ。
人間も捨てたもんじゃ、ねえって、思わせてくれた……。
オレ自身に絶望せずに、済んだ』
心の濁流にマリナの記憶が混じる。
それは絶望の記憶。
仲村マリナという少女が、自分自身に殺意を抱くまでの記録。
初めて人を殺した時の恐怖、
分かり合えた敵兵を処刑した苦しみ、
仲間に
命がけで救った人々が次の日には黒焦げになっていた虚無、
殺し、殺され、
奪い、奪われ、
そうしなくては生きる事が出来ない人間に、
死にたくないからと同じ事をする自分自身に、
生き物の在り方に、
世界の在り方に、
存在する全てに絶望し、心を殺し、「今更なんだ」「それが世界だ」「夢など見るな」「それが大人になる事だ」と冷笑し、
そうして仲村マリナは、自分自身が大嫌いになった。
こんなヤツの手は切り落としてしまえばいい、足など砕いてしまえばいい、目を
しかし、自分を嫌いになるというのは、自分への期待の裏返し。
人間という存在への期待だ。
これ以上、他人を傷つけたくないという叫びから産まれる自己嫌悪だ。
だから――少女は夢を見た。
もしかしたら、どこかにクソじゃない人間も居るかもしれない。
そんな誰かに尽くすことが出来るのならこれ以上、誰かを嫌いにならなくていい。好きになる余地がある。自分の事は許せなくとも、誰かのことを許せる。誰を大切にして、愛して、与えて、信じても良いのだ。
オレは、そんな誰かに尽くしたい。
武装戦闘メイドになって、そいつの夢を支えられたら――。
そして。
赤黒い汚泥に満ちた記憶の果てに、白く輝く
それはエリザベート・ドラクリア・バラスタインとの出会いの記憶だった。
『それだけでオレには充分、だった。
満た――された。
だからッ!』
もはや、それはエリザへ向けられた言葉ではなかった。
それは魂魄に刻まれた、ただ一つの行動原理――
『たとえこの身が朽ち果てようとも、
オレはエリザの願いを、
エリザベートが担ぐラットの
その向こうで、リチャードが
頭上へと掲げ、今まさに振り下ろそうと――
念話。
『エリザ、』
待ち望んだ合図。
途端、誘導弾のロケットブースターが点火する。
無音のまま発射機から飛び出したミサイルは安定翼を展開。続いて点火されたメインロケットモーターは左右から炎を噴出させながら誘導弾を更に加速させる。安定翼は誘導弾を空高く上昇させ、ミサイルの赤外線画像シーカーが下方でリチャードが掲げる
2種類ある誘導方法のうち、選んだのは上空から戦車の上部装甲を狙う
〔音響制御式〕の加護を受け、対戦車誘導弾はリチャードへ向けて急降下。
落ちゆくのは、成型炸薬を内包した
下される【断罪の劫火】への
「――――っ、」
思わず、拳を握った。
覗き穴の向こうで〔爆裂式〕のような炎と煙が噴き上がる。
――直撃だ。
途端、白煙の中から何かが飛びだす。それは吹き飛ばされていく
〔爆裂式〕を受けたくらいで、騎士は武器を取り落としたりなどしない。
つまり――――リチャードは
「マリナさん!」
思わず立ち上がり、エリザは爆煙の向こうにいるはずのマリナの姿を捜す。
あの爆発に巻き込まれて果たしてマリナは無事なのか。エリザの
エリザは乏しい月明かりを頼りに、
「――え、」
白煙の合間に見えたのは、白銀の甲冑。
――瞬間、
◆ ◆ ◆ ◆
その時マリナが見たのは、何かで爆破されるチェルノート城の城壁だった。
「エ、リザ――」
――しかし煙が晴れた後に現れたのは、無残に破壊された城壁だった。
そこに人影は、無い。
「……やってくれたな、クズども」
対して、リチャードは健在だった。
悪態を吐く騎士は、城へ向けていた左腕を降ろす。
つまり、城壁を爆破したのはコイツだ。〔爆裂式〕か何かを扱える武器を、
無論、リチャードも無傷ではない。確かに弾頭が直撃したと思われる右腕は吹き飛び、甲冑の
――だが、それだけだ。
マリナの立てた作戦は全て
自身の命まで賭け金にして挑んだ大勝負は、マリナの思惑通りに進行した。
そして――負けたのだ。
マリナが持つ全てを費やしてそれでも
断罪の劫火を消し去るには、あまりに無力だった。
ふと、熱で白濁した眼球がマリナを見下ろした。
ギリリと、リチャードは苦々しく歯を食いしばる。
「貴様ら家畜ごときが、俺の右腕を奪うなど――!」
残った左腕が伸び、マリナの頭部を
「キサマを殺すくらい、ティーネがなくともなぁ……」
ミシリ――、と
痛い。
だがマリナには抵抗する術がない。手も足も既に無いのだ。既に賭け金として費やしてしまった。
くそ。
またか。
また、何も出来ずに死ぬのかオレは――。
せっかく、尽くしたいと思える相手を見つけたっていうのに。
……………………チクショウ。
仲村マリナは絶望を胸に瞳を閉じ、
――ふと、光を見た。
それは月光を
風になびくそれが、遠く、リチャードの背後で揺れている。
鮮血を滴らせ、焼け焦げたドレスを身に
あれは、オレのだ。
オレの
オレの
――エリザベート・ドラクリア・バラスタイン!!
「なんだ、」
マリナの瞳に光が戻ったことに気づいたのだろう。リチャードが背後を振り返り、そして目にしたエリザの姿にリチャードは目を見開いた。
破れたドレスを引き千切り、歯を食いしばりながら猛然と斜面を駆け下りるエリザは、その両手に何かを抱えていた。
それは長い木の柄の先に、金属の平たい刃がついた農具。
土を掘り起こし、畑を耕すために振るうもの。
エリザが家族を失ってから、ずっと握ってきたもの。
「その
――エリザが振り上げたのは、
「――メイドだぁッ!!」
――農作業用の、
「――ガ、」
振り下ろされた鍬はリチャードの後頭部を直撃。そのまま
そして当然、リチャードに
だが、それでもマリナの瞳はエリザの姿を捉え続けていた。
もう、見失いたくなかったのだ。
荒く息をつき、額から血を流し、焼け焦げた身体を
「マリナさん!」
今度こそリチャードが動かないことを確かめてから、エリザはマリナへと駆け寄ってきた。
眼鏡もメイド服も無く、赤髪は泥に塗れ、胸より上しかない
血を流し
そんな姿を、
――ああ、オレの目に狂いはなかった。
やっぱりコイツは――イイ女だ。
「……マリナさん? しっかりしてマリナっ!? マリナぁッ!!」
主人の声に包まれて、