第23回「死よ、天より降り注げ」
マルーたちと、プラムに変身した僕は疾走した。その速さは常人が出せる次元ではなかった。練達の騎兵とてこうはいかないだろうという、まさしく風のようだった。僕が彼女たちに全力の補助魔法をかけたからであるが、その効果は僕自身も目を見張るほどだった。ラルダーラの面々がいかに優れているかということだろう。
「いいねぇ。体の奥底に、たぎるものを感じるよ。沸騰した鍋の中に放り込まれたみたいだ。ぐつぐつ煮立っちゃってさあ。体液という体液が燃え上がって、今にもこの世から消えちまいそうだ」
「ドキドキを感じてもらえているようで何よりだよ」
とはいえ、本当に蒸発してもらっては困る。マルーのようなタイプは、戦死よりもむしろ自分の能力が暴走して死んでしまいそうな気がする。同時に、それが彼女にとって真に望ましい死のようにも思えるのだ。気持ちのいい生き様といえば、そうなのかもしれない。
「私は戦場に惚れてるからね。今まさに初デートに赴くような気分……おめかししちゃって、憧れの人のところに向かうんだ。どうだい。心が飛び跳ねるだろう。もっとも、会った瞬間にはお別れだ。恋い焦がれたあの人の生首を抱えて、私もみんなも大笑い。第一幕はこれにて終了って筋書きさ」
僕はオスカー・ワイルドの「サロメ」を思い出していた。預言者ヨカナーンの首を銀の皿に載せ、その唇にキスをする。
そうか。マルー・スパイサーもまた美しき悪女なのかもしれない。
こちらの世界の文学ではリージョ・マンリーの「王女ラキ」が近いと言えるだろう。愛する青年貴族を無実の罪で捕らえさせ、独房で衰弱死していく様をお菓子など食べながら見守るラキの狂気は、サロメに相通ずるものがある。
「良い前衛芸術だ。貴族のお嬢様方が貧血で倒れ、悲鳴が歓声の代わりに辺りに満ちるだろうな」
だが、実際には、人間は残酷性を秘めているものだ。とりわけ権謀術数の渦巻く貴族社会で生きてきた女性たちは非常に血を好み、こうした文学に心躍らせる。そもそも、前衛文学の前衛性は、豊かな教養がある者が接してこそ大いに効果を発揮するものだ。いきなり平民が接したとしても、単に「グロテスクな記述」という感想しか残らないだろう。
僕らの雨中の疾駆は、いよいよ終点を迎えつつあった。眼前にアクスヴィル聖王国の旗が見えてくる。
「見えてきた。いいかい、みんな。もう一度言うよ。馬上の士官を狙え。あとは偉そうに胸を張ってるやつだ。聖王国の軍団編成で脅威なのは重装歩兵と魔法兵。攻城戦をしている今、どちらも密度は薄いはずだよ。指揮統制が乱れたら、こう叫べ。『クワジャ派の残党が紛れ込んでいる。やつらは同じ軍服を着ているぞ』ってね」
クワジャ派はアクスヴィル聖王国にとって苦い単語である。彼らの国教であるカーラ教の異端で、農民反乱を主導するなどの活動を続けてきた。複数回に及ぶ徹底的な弾圧によって勢力を大幅に減らしてはいるが、今なお獅子身中の虫として活動を続けている。どんな世界でも、異端は異教より罪深いものらしい。
「先行する」
「あいよ」
僕はスピードを上げ、いち早く聖王国軍に突入した。
「生は地にあり、死は天にあり。君たちの戦いの常識を破壊してやろう」
この戦いで暗躍するにあたって、いくつかのプランがあった。その中で最も効果が高く、また敵の士気を減衰させるものとして、僕は「死者を利用する」ことにした。死霊術師がよく使う手で、人間の魔法使いはあまり好まない。今や魔王の方に肩入れする身となった僕にはうってつけの術に思えた。
僕の魔法は敵の士官がいるであろう範囲に限定して発動した。いかに「謎の少女」を装っているとはいえ、目立ちすぎるのは控えたかった。あくまでも次の段階へのお膳立てに留めるのだ。
「どういうことだ」
「なぜ起き上がってくる」
「やめろ、撃つな」
「こいつらは敵だぞ」
兵士たちの間に恐慌が走った。それはそうだろう。突然、地面からゾンビが湧いてきたのだ。いいや、それだけならまだマシだったはず。このあたりにも、チャンドリカからの反撃によって不運にも死んだ者がいただろう。僕はそんな「哀れな犠牲者」も酷使することにした。
結果として、無残に死んだはずの戦友が、突然立ち上がって襲いかかってくるという恐ろしい状況が出現した。それを成しているのは僕だが、兵士でごった返しているところを巧みにすり抜け、魔法の詠唱だけを続けていく。
そこに、遅れてやってきたマルーたちが突入した。ここで手はず通りに、彼女たちは叫ぶ。「クワジャ派だ。やつらが紛れこんでいる。同じ服を着ているぞ」と。どうだろう。勝ち戦になると思っていたところに、この騒ぎだ。加えて、僕の魔法で強化されたラルダーラの一団が、鬼神のごとき強さで死体を積み上げていく。それらの死体も僕の魔法で立ち上がり、次々にかつての味方に襲いかかる。
混乱。波のように広がって、二度と元に戻らない。
そうしているうちに、僕は親衛隊らしき屈強な男たちに囲まれた、一人の「偉そうな若い男」を見つけた。
指揮官だ。
直感し、雷魔法で狙撃してやろうと手を向けた時、黒い影が親衛隊の壁を切り裂き、指揮官へと掴みかかった。
「やあ、将軍どの」
獣よりも恐ろしい笑みを浮かべた、マルーだった。
「う」
哀れな「将軍どの」は何かを言おうとして、マルーの怪力で首を根っこから引きちぎられた。ああ、そうだ。彼女は剣を使わず、膂力で強引に生首をもぎ取ってしまったのだ。
さすがの僕も、ちょっと引いた。
であるからには、この状況に気づいた聖王国軍の兵士は、いったいどれだけ恐れをなしたことだろう。
「さようなら、将軍どの」
マルーが血まみれの生首を掲げ、盛大に叫んだ。
彼女が仕留めたのは紛れもなく指揮官だったらしい。それもこの軍の最高指揮官だ。彼らは明らかに動揺し、下級指揮官たちが判断を決めかねているようだった。そこにラルダーラと僕のアンデッドが襲いかかったことで、兵士たちの緊張が極限に達した。軍組織の崩壊と潰走だ。
「追撃だ」
「討て、討て」
僕とマルーは、競うように声を張っていた。
崩壊した軍ほど脆いものもない。面白いくらいに多くのものが倒れ、ひっくり返り、命乞いをしていた。
それらの追撃はラルダーラに任せて、僕はアンデッドを連れて逃げる兵士たちすらも追い越し、戦場の端へと移動した。聖王国軍の後詰めがいる可能性を考えたのだ。追撃で思わぬ反撃を受けないようにするためにも、不確定要素を排除しておきたかった。
前方に、一騎の騎兵が見えてきた。やがてそれに乗っているのが大柄な白髪の老人であることがわかった。口元を覆うヒゲが勇壮だ。
さらに特徴的なことには、左手で手綱を掴み、右手で巨大な剣を手にしていた。とてつもない筋力があることを窺わせる。
その老将が、思い切り剣を横に一薙ぎする。
たちまち風が巻き起こり、鮮烈な青い衝撃波となって、僕たちに襲いかかってきた。
僕は問題なかった。最低限の防御魔法で難なく突破できた。しかし、よみがえった死体たちは、灰となって消し飛んだ。相当な数がいたはずなのに、今や老将と僕だけが対峙する形となった。
「一撃で天に召されてしまうとはね。名前を聞こうか」
「ニルマール・ギルクリスト」
老将ギルクリストはそれだけを朗々と応え、たちまち転移魔法を唱えて光に包まれ、僕の前から消え去った。
「引き際も完璧だ。気勢を削がれてしまったな」
追撃することも可能だったが、やめておいた。無いとは思うが、あのギルクリストさえも囮で、辺りには伏兵が潜んでいる可能性もあった。それなりに開けた地形ではあるが、森林もそばにはある。あくまでチャンドリカの救援とラルダーラの損害最小限という目標にこだわるべきと判断した。
あれが何者であるか、調べてみたい。
僕は来た道を走って戻りながら、今後障害となりそうな実力者に対しての思いを巡らせた。雨はようやく上がりつつある。