第二百九十五話
俺たちが相手の用意した勝負で完膚なきまでに勝ったおかげか、オアシス同士の争いはあっさりと終わりを告げた。一応、反発してくる連中はいたが、そこは俺が黙らせてある。
これで、クァーレでやることは全部済ませた。
焔ほむらが三日ほど寝込んだせいで出立が遅れてしまったが、その間、充分にクァーレを観光して堪能できたから良しとしよう。王都への報告書も作り終えたし。
後顧の憂いなど何一つない状態で、俺は空を見上げる。
今日も空はカンカン照りだで、相変わらず陽射しが殺人的だ。
その中で、俺たちは焔に見送られていた。
「ブリタブル。この俺様が認める王子になったんだ。生半可は許さねぇぞ」
「御意。余に任せていただこう」
焔と向かい合いながら、ブリタブルは自分の胸に拳を当てた。
事実上、獣人の国は周囲と同盟を組めたので、帝国からの脅威も激減した。これから発展していく素地はバッチリである。
「グラナダ。今回は色々と世話になったな」
「全くです」
「おま、そこは少しくらい遠慮するとこだろ?」
「今更でしょう、それ」
苦笑しながら言うと、焔ほむらは一瞬だけきょとんとしてから、そうだなと言ってにやける。
「何せ神獣たるこの俺様をアホ呼ばわりしたんだからな」
今にして思えば命知らずにも程がある行動である。
「でもまぁ、お前らは面白い人間だよ。料理も含めてな。まさかプリンで命の危機を感じるとは思わなかったし、ただの肉から溶岩を産み出すなんて考えるだけで寒気がするぜ」
「「へぇ」」
「よし分かった俺の言葉が過ぎただから落ち着いてくれ」
同時に不穏な気配を放ち始めたセリナとアリアスを、焔ほぬらが慌ててなだめる。
ま、自業自得だな、今のは。
「ま、まぁそういうことだから、俺様から報酬だ」
強引に話を変えて、焔ほむらは指を鳴らす。
全員が熱くない炎に包まれ、ステータスウィンドウが開く。
──《炎の加護》が授与されました。
おっと、なんだこれは。
調べると、俺には炎耐性の加護がついていた。それと、武器に炎属性をエンチャント出来るようになった。これは便利だな。
それぞれアリアスやセリナにも付与されているようだ。
「特にメイはアホ息子が酷い目に遭わせたからな、サービスだ」
「スゴい……ステータスが底上げされてるっ……!」
メイは驚きながら身体の具合を確かめている。確かに、魔力が膨れ上がっている感じだ。
「ま、こんなもんだろ。それじゃあな。次は――精霊会議で会おうや」
気軽に手を挙げ、焔は少しだけ意地悪そうに笑った。
あ、そっか。もうすぐ精霊会議があるんだっけ。
俺もポチの眷属的な扱いになっているので、参加することが決まっている。具体的な日時はまだ教えてもらってないんだけどな。
「分かった。それじゃあ」
「ああ、またな」
クータが翼をはためかせ、ぐっと上昇する。
一気に高度を上げながらクータは加速していく。クータにも加護が与えられたのか、魔力がとんでもなく上昇している。あっという間に音の壁を超えた。
ってヤバすぎだろ。結界を展開しなかったらヤバかったぞ。
「それで、ブリタブルはこれからどうするんだ?」
「とりあえず王都へ戻ることになっている。護衛を付けてくれた上に交渉の手助けまでしてもらったんだ。国の代表として謝辞を述べねばならん。それに今後の足踏みを揃えていく必要もあるからな」
ブリタブルは懐から取り出した書類を読みながら言う。
ここ最近到着した、獣人の国からの手紙だ。
「特に帝国に対する足並みを揃えたいところみたいだしね」
アリアスも報告書を読みながら口を開けた。
こちらは魔法袋を通して送られてきた、王都の状況報告書だ。魔法袋は王都にある俺の屋敷に繋がっているので、こうしたやり取りも可能だ。
離れていても王都の動きがリアルタイムに近い感覚で把握できるのは大きい。
セリナも書類を確認しながら髪をかきあげた。
「凱旋パレードもありますしねぇ」
「またするのか?」
「当然ですねぇ。チェールタの危機を救い、クァーレでも成果を上げ、そして同盟締結に尽力した。これは大きい成果です。叙勲もあるとご説明したでしょう?」
「それはそうだけど」
俺は辟易した。
あれ、死ぬほどメンドーなんだよなぁ。
「それに、この同盟を締結したことによって対帝国包囲網も強固に出来るわ」
「確か通商協定も結ぶのでしたねぇ。獣人の国を迎えたことによって、東部諸国との通商ラインも繋がりましたわ。今まではグラン山脈という障害がありましたから、往来だけでも大変でしたが」
「獣人の国を通過すれば危険度も下がり、日にちもぐっと短くなる、か」
地図上では遠回りになるが、あの山脈を越えるよりはマシだ。
同盟を組んだことによって安全性も上がるし、何より関税が緩和される。商人たちにとってはやりやすくなるだろう。
「その辺りの話し合いもある。余だけでなく、大臣まで招聘されたそうだぞ」
「行動が早いな」
「それだけ危機感持ってるんだと思うわ。特にチェールタの一件でね」
つまり戦争になる可能性が高くなってる、ってことか。
そっちは気を引き締める必要がありそうだな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ベリアル――
――これで、何人目だ。何人目の私が、死んだ。
真っ暗闇な玉座で、私は一人頬杖をつく。やってくる喪失感は耐え難く、途方もない苛立ちと共に涙を呼び起こした。
悲しみ。
そう。魔族だとて、このような感情は存在する。
私にとってみれば要らぬものだ。何せ、この感情そのものが根源に繋がっていく証明であると、焼け付くように訴えてくるからだ。
たった一滴流しただけで、私は悲しみを振り切る。
「今更な話だ。選んだ道の通りではないか」
別れの言葉などとうに済ませてある。
問題はない。何一つとして。
自分の心を落ち着かせていると、不意に魔力が集まった。空間転移だ。
闇の中、玉座の前の空間が歪む。その美しくも無駄がない歪み方は、明らかに同胞、それも高位のものだ。
ほんの僅か緊張感を宿して見守っていると、空間から異形が姿を見せた。
「ドグジンか」
長身痩躯。そう呼ぶに相応しい土気色の彼は、無表情だった。名を呼んだというのに、無粋なヤツだ。
音もなく地面に着地する。
歓迎の意味も込めて、私は薄っすらと魔力で明かりを灯してやった。
「ほう。報告の通りのようだな」
「……何が言いたい?」
「我ら魔神と名乗るのにはあまりにも脆弱になっている、ということだ」
はじめの一手から仕掛けてくる風の物言いに気分を害しつつ問うと、ドグジンは威圧を籠めてくる。
どういう心変わりだ。今まで何があっても動こうとしなかった男が。
「自分で自分を分割したからな。弱くなっていることは認めよう。それで?」
余裕の一つも崩さないで、続きを促す。
もし仕掛けてこられた場合が厄介だ。各地へやった私を回収して戦いに挑むしかないが、その時間が作れるかどうか。
ドグジンは私と同じ魔神だ。
「そんなことをして、貴様は何を考えているというのだ?」
「決まっているだろう? 我らの、母の本懐を遂げるためだ」
「全ては母のために、か」
どこか吐き捨てる調子でドグジンは顔を歪めた。
「軽薄な貴様から出てくるとは思わなかったな。いや、訂正しよう。いつも白々しく言っているか」
「さすがに酷くはないか? 同胞だろう」
「私は貴様を同胞と思わない。私は純粋に母から生まれた。貴様は違うだろう」
徹底的な拒絶を叩きつけられた。
そうか、コイツ、知ってしまったのか。私の本性を。
これは面白い。
愉悦に破顔してしまう。
私は紛れもなく魔族だ。だが、母の眷属ではあっても、母の子ではない。
「この《まがい物》め」
「それは違うぞ、《第二世代》」
揶揄には揶揄を。それが私の主義だ。
ドグジンには母の純然たる子という誇りがあるように、私にも《第一世代》という誇りがある。
そう。私は母の眷属でありながら、母と同じ世代でもある。
「貴様……」
「やめておけ。今ここで争うのは、理にかなわない。それとも母から殺されたいのか? 私は母の意思と許可のもと、今ここにいるのだぞ?」
敢えて二重に言ってやる。今、ここにいる理由。
膨れ上がった魔力が、しぼんでいく。ドグジンは十分に理解したらしい。それでも私への憎しみは消えた様子がないが。それもまた一興というもの。
私を楽しませてくれるのであれば、例え魔族であっても構わない。
「せいぜい死なないことだな。《帝国第二十四代皇帝》ベリアル」
「無論だ。大きい花火を打ち上げるとしよう。我が子も順調に育っているからな」
そう。私は今、皇帝になっていた。
クロイロハ・アザミの件をはじめとして失策の上に、病に伏せた前皇帝の《息子》として。
「第五の魔神……そうなれば良いな」
「言われなくとも」
踵を返したドグジンが消える。
入れ替わるように、誰かが入って来る。まだ幼子のそれは、夥しい魔力を内包していた。
人形のように白く美しく整った顔。その瞳は、蒼。
「父上。今のは……」
「ああ、気にしなくて良いよ。古くからの友人だ」
「そうなのですか」
「ああ。それよりもう寝なさい。夜が遅い」
「承知しました」
息子――アスタロトは礼儀正しく一礼すると、そのまま出て行った。
アレにはまだまだ育ってもらわねばならない。
第五の魔神――《鬨》のアスタロトとして。
「楽しみだ、ああ、楽しみだ」