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大学の卒業式

 ――ママはあの日、なんとか一命をとりとめた。
 けど、車いすになった。

 原因は、明らかに頑張り過ぎたからだ。
 考えるまでもなく当然で、一人の子を育てるにはバカみたいなお金がいる。まして大学まで行かせてくれたんだから。

 パパが一緒にいて、パパと暮らしてたら、ママはこんな苦労しなかったのかな。

 そんなことを考えたけど、バカらしいからさっさと捨てた。
 パパなんて要らない。違う。いない。

 どうやら私はますます拗らせたらしい。

 あれ以来、夢を持っている人がますます嫌いになった。大学に進学したけれど、告白とかも何回かされたけれど、全部ぶちのめしてきた。
 さすが国立大学だけあって意識高い系とか、ちょっと思考回路おかしい系とかいっぱいいた。でも、総じて夢を語ってきたんだよね。私の大っ嫌いな人種だ。
 とか言いつつ、私はやりたいことやらせてもらってるけど。

 もちろんサークルにも所属しなかった。

 別に、それでも友達はある程度できたしね。恋愛とかは一切してこなかったけど、でも不自由はなかった。
 就活は大変だったけど、なんとか良い条件の職を見付けた。奨学金の返済はあるけれど、それでも普通に食べていけるくらいにはなる。

 後はハメを外さないよう、卒業単位を取得しながらバイトに励むだけ。

 そうやって日々を過ごしていたら、あっという間に卒業式前日だ。
 今日もバイトを終えて、私はファミレスを後にする。

「ふぅ、ちょっと疲れたわね」

 今日が最終日だったので、少し気合を入れ過ぎたのかもしれない。
 卒業式の後は、ゆっくり新生活の準備をするつもりだ。とはいえ、基本的に必要なものは全て揃えてあるんだけどね。

 ママはどんなお弁当を作ろうかな、とウキウキだった。

 車いす生活にはなったけれど、料理は相変わらず続けている。
 というか、腕はますます上がっているんじゃないかなぁ。私も料理の練習はしているけれど、絶対にママには勝てない気がする。

 けどまぁ、それでいいのかもしれない。
 私には恋人なんていないし、作る気もないし。だって、ママと生きていくんだもん。
 ママは良い人を、と言ってくれるけれど、別に要らない。

 ――だって、パパのような人を好きになるかもしれないから。

 夢を追う人が嫌い、っていうのは今も変わらないけれど、もしかしたら、がある。実際、夢が全くない人も嫌いだから、私。
 良い感じで拗らせてる自覚はある。

「水瀬」

 なんて考えながら、蕾の大きくなった桜を見上げて歩いていると、声がかけられた。
 振り返ると、夜口。
 幼馴染でしかなかった彼は、大学で学部も一緒だったこともあり、私の大学生活の中でもしかしなくても一番親しい友達になっていた。
 いや、ママが初めて倒れた時、ずっと傍にいて、控えめだったけど励ましてくれた時から私はある意味で心を許してしまっている気がする。でも付き合うことにはならなかったけど。

「どうしたの?」
「……うん、たまたま通りかかって」
「そうなんだ。まぁ桜もそろそろだもんね」

 私は足を止める。
 ちょうど小さい橋の上で、せせらぎの両端を桜並木がずっと伸びていた。観光名所のような派手な桜って感じじゃないけど、ここも開花したらとんでもなく綺麗になる。一面桃色の景色は忘れられない。
 しかも、ちゃんと花筏も出来るし、流行に乗ってか、ライトアップもしてくれる。
 毎年、桜が綺麗に咲いたらママを連れてくるんだ。

「明日、卒業式だね」
「うん。どうしたの、何を改まって」

 学部も一緒なのだから、卒業式は明日だ。
 不思議になって首を傾げると、夜口は俯きながら何かを迷っている様子だった。いったいどうしたのかね。

「……ごめん、その前に一つ訂正」

 手を挙げながら夜口は切り出した。

「たまたま通りかかったんじゃない。実は待ってたんだ。水瀬のこと」

 顔を真っ赤にしながら言われ、私は苦笑した。
 そういえば、いつからだろう、夜口が私のこと呼び捨てにし始めたの。

「どうしたのよ」

 言いつつ、私は察していた。これって、もしかしてアレ?
 やだ、ちょっとドキドキしてるかも。
 夜口は髪型も目立たないし、ちょっと大きい眼鏡かけてるってだけだし。顔立ちだって、そんな目立つものじゃない。まぁ私も人のこと言えたもんじゃないけど。
 でも、そんな、こんな雰囲気になるなんて、思いもしなかった。だって、今までそんなの、微塵も出してなかったもん。
 不意打ちだよ、こんなの。

「僕には将来の夢があります」

 勇気を振り絞るように顔を上げて、夜口は言う。

「それは、幸せな家庭を築くコトです。僕には目立った特徴もないし、見た目にも自信がないし、お金持ちになれるとは約束できない」

 ――何?

「でも、一緒に、願わくば子供と、家族と一緒に笑っていたい」

 夜口が一歩ずつ近寄って来る。
 私は、動けない。

 あの時、高校の頃に告白された時、あれだけあっさりと足が動いてくれたのに。

「君は夢のある、夢ばかり追いかける人が嫌いと言うけれど。――こんな僕の夢でも、ダメですか?」

 最後は真っすぐ見据えられながら言い放たれた。声が震えているし、たどたどしいけど、でも、本気だった。
 可愛いから付き合おう、料理が上手だから付き合おう、そんなんじゃない。
 夜口は、私が私だから付き合おうって、言ってくれてる気がした。

「それ、自分で何言ってるか、分かってるの?」

 でも、それでも、確認はしたくて。
 思わずぶっきらぼうになってしまった。幼馴染だから、分かってくれると思いたい。

「要約すれば、結婚を前提に付き合ってください、かな?」
「……私と?」
「うん。一緒に卒業しよう。一緒に、暮らそう」

 夜口が少しずつ近づいてくる。
 自分の中で許されるラインも、越えた。もう、目と鼻の先。

「で、でも」
「君の家のこと、お母さんのこと、知ってる。だから言うんだ。君一人で働くよりも、僕と一緒に働いた方が良い。稼ぎの点でもそうだけど、何かトラブルがあった時、困ったことがあった時、対処しやすい」
「で、でもでも、それって、ママがずっと一緒にいるってことだよ」
「一緒に笑いたい人に、君のお母さんも入ってるよ、もちろん」

 当然のように言われて、私はたまらなくなった。
 ぽろぽろ、ぽろぽろと、涙があふれて零れる。

「……泣かないで」

 そっと、溢れる涙を指ですくいとられる。
 その手つきが優しくて、意外と大きくて、頼りがいがあって。

「ねぇ、水瀬」
「……サキ」

 呼びかけられて、私は訂正する。泣きじゃくりながら。
 だって、止まらないんだもん。涙が。

「一緒に添い遂げる気があるなら、サキって、呼んで」
「分かった、サキ」
「……うん」

 自然に名前呼びに切り替えられて、頭をゆっくりと撫でられる。

「ね。抱き着いても、いいかな?」
「こ、恋人なんだから、いいに決まってるじゃない」
「ありがとう」

 言いながら、夜口――司は私に抱き着いた。

「大好きだよ。ずっと、ずっとこうしたかった」
「う、ううう」
「頼りない僕だけど、ずっと、一緒にいようね」
「うん、うん……」

 大きい胸に顔を埋めながら、私は頷くしか出来なかった。


 ◇◇◇◇◇


 そして、卒業式。
 車いすでやってきたママは、もう泣いていた。

 あの日から、パパが出ていったあの日から、ただの一度だって泣いたことがなくて、弱音を吐いたこともないママが、泣いていた。
 最初から、最後まで、ずっと。
 それにもらい泣きしてしまって、私はちょっとみっともない姿をさらしてしまった。さらっと司がフォローしてくれたけど。

 友達からは、「結構ドライだと思ってたのに、ぼろぼろ泣いてたね! 超可愛い!」と中々不名誉なことを言われてしまった。

 ひとしきりわいわいやった後、彼女たちと一旦は別れた。
 彼女たちとは、今後もお茶とかするんだろうな、と思っている。というか、近々お茶する予定である。仲良くなった女子とは強かに繋がるものだ。
 私は司と合流し――司は司で男友達と別れを惜しんでいた――ママのところへ向かった。

「あの、ということで、お付き合いさせていただくことになりました」
「司ちゃん……!」

 ママは、その報告を聞くなり両手で顔を覆ってしまった。

「良かった、本当に良かった……! サキったら、本当にこのまま一人で独身貫いて鋼鉄女子になるものとやきもきしていたの……!」
「待ってママ、その鋼鉄女子ってどこから出てきた」
「細かいこと気にしちゃダメなのよ? でも、良かった……! 司ちゃんなら大丈夫ね。ちゃんとサキのこと、守ってくれるわ」

 私の追求をスルーして、ママは喜んでくれた。

「は、はい、頑張ります」

 司もまた、ちょっと動揺しながらも笑ってくれた。
 なんだろう、やっと救われる気がする。

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