第二百八十五話
――ブリタブル――
それは自信の肉体をより獣に近づける、選ばれたものにしか宿らない特殊なスキル。
多数いる王位継承者の中で余が選ばれたのは、このスキルを保有していたからだ。
数多ある獣を従える異風の金色の鬣。
余は、金色の獅子の獣人なのだ。
「バカな……! その力はっ!」
はじめて、ヘカトの表情が変わる。実に複雑な表情だが、驚愕が一番大きいか。
内側から焦げ付かせてくる衝動に身を震わせつつ、余は構える。
「悪いが、長くは持たんのでな……いかせてもらう!」
「それが王の証とでも言うのか! 愉快、実に愉快! ここでこのような戦いが出来るとは! まさに血湧き肉躍る!」
身を低くし、余は即座に間合いを詰める。
風圧を突っ切り、余は懐に潜り込む。ヘカトがようやく反応してガードを固める。これだけの巨躯が防御に回ると、本当に岩を前にしているようだ!
だがそこへ、構わず全力の一撃を叩き込む。文字通り全身を使った一撃!
空気さえ押し弾き、ミシ、と軋む音。次いで、砕ける音。
「ぬううっ! 腕をへし折ってくるか!」
「ああああああああああああああっ!!」
雄叫びを上げ、強引に押し切る。
ヘカトの足が浮き上がり、そのまま後ろへ弾き飛ばす。
だが、ヘカトはあっさりと着地し、へし折れたはずの腕を振り上げる。
「ぐううっ! 骨が折れた程度で、拳が! 使えなくなると思ったかぁ!」
筋肉だけで骨を強引に接合して動かした!? なんと無茶苦な!
だが、それでこそ闘技場最強!
余は笑みを深くさせ、一気に間合いを詰める。
「ハアアアアアアアアアアッ!」
ヘカトの全身から、水蒸気にも似た熱気が噴き上がる。魔力を圧縮して、熱を持ったか。
あっという間にヘカトの全身が固くなる。
これが噂に聞く、ヘカトのスキル――《絶対硬化》か!
「いくぞ!」
「こいっ!」
身構える相手に、余は突進する。
出来ることはただ一つ。死力を尽くしてただぶつかるのみ!
「あああああっ! 《獣王爪打乱舞》っ!」
余は回転し、舞うように爪を、拳を、蹴りを、足の爪を繰り出す。
斬撃と打撃を交互に繰り出し、反撃の暇を与えぬ連続攻撃を直撃させる!
凄まじい破壊の音が重なり、ヘカトが弾き飛ばされた。
余はさらに意識を集中させ、全身に魔力を纏わせる。
殴ってダメなのであれば、もっと!
内側からわきあがるのは破壊衝動。脈動するように襲ってきて、余は意識が奪われそうになる。いけない、今ここで手放すワケにはいかないのだ。
「悪いが、決めさせてもらうぞ」
「――それを耐えれば、我の勝ちということだな。良いだろう、こい!」
すでに全身ズタズタにしながらも、ヘカトは平然と言ってのける。
その矜持、獣人として誇るべし。なればこそ、余も全力を出す。
十歩下がり、余は助走をつけて加速する。その全身に風を纏い、弾丸となる。
「おお、お、お、ぬおおおおおおおおおお――――――――――――っ!」
咆哮が風となり、道を造る。その中に突っ込んで、余は更に加速した。
「《
叫び、全身でタックルを仕掛ける!
ズンと衝撃が全身を襲い、空気が衝撃波となって周囲へ散っていくのが皮膚で分かる。
そして。
一度は止められた加速が再開し、ヘカトを貫通する。
「……かはっ!?」
苦痛の声を耳にしつつ、余は地面を転がる。
何度ももんどりうってからゴロゴロと転がり、目が回りながらもゆっくりと起き上がる。
頭を何度も振って、無理やり感覚を取り戻してから前を見ると、どてっぱらに風穴を開けたまま立ち尽くすヘカトがいた。
もう、ぴくりとも動かない。
完全に意識を奪ったか。
「な、なな、なんとぉぉぉぉ――――っ! 大波乱、本当に大波乱です! あの闘技場最強の男、ヘカトが敗北したぁぁぁあああああ――――っ! これで決勝戦は、狼選手とブリタブル選手の決戦だぁぁ!!」
はぁ、はぁ、はぁ。
嫌に耳につく自分の吐息。危険な信号だと判断して、余は魔力を拡散させて姿を元に戻した。
勝った。
約束だ。約束を、ちゃんと果たせた。これで皆を――セリナ殿を助けることが出来る。
安心から脱力がやってきて、余はそのまま――……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――グラナダ――
ああ、やっとだ。やっと、ここまで来た。
医務室で眠るブリタブルの傍らで、俺は見上げた。質のあまり良くない油ランプに照らされた、オレンジ色の天井。ランプが揺らぐからだろう、揺れているように見えた。
衣擦れの音。
視線を落とすと、ルナリーが近くにやってきていた。
相変わらずの無表情だが、どこか気遣う様子なのが分かる。俺は微笑んで頭を撫でてやった。
「おにいちゃん、怒ってる」
ルナリーがぽつりと言った。
「どうしてそう思うんだ?」
「ここにきてから、いちども本気でわらってない」
……ああ、そうか。
また余裕のなさを指摘されて、俺は苦笑するしかなかった。
「そりゃ、みんなが攫われたからな」
「でも、もう助けられる」
「ああ。そうだな。でも、そんなことをした奴を許すことが出来ないんだ」
「……おにいちゃん、いま、しあわせじゃない。ルナリーも、しあわせじゃない」
ルナリーがしがみついてくる。
「ルナリー?」
「だから、しあわせ、もどして。ルナリー、そろそろおねえちゃんのごはん、食べたい」
最後に出た本音に、俺は我慢できなくて小さく噴き出した。
かわいいな、ルナリーは。
「ああ、任せろ。絶対に取り戻してやるから」
そう言ってもう一度頭をなでてやると、ブリタブルが動いた。
寝声に近い唸り声をあげてもぞもぞと寝返りを打ち、ゆっくりと目を開けた。
「ぬ……ここ、は」
「起き上がるなよ」
俺はまずそう制した。じゃないと起き上がりそうだからな。
今、ブリタブルはかなりの貧血状態にある。
これは戦いで失った血ではない。
ブリタブルは本当にギリギリの戦いを繰り広げて、なんとか勝ったのだ。
「ここは医務室だ。ちゃんとブリタブルが勝ったよ」
「む。そこはちゃんと覚えているぞ……勝って安心して、余は……」
「ぶっ倒れてここに搬送された。以上だ」
本当は俺が回復魔法をかけてやりたかったが、俺にはそのスキルがないからな。
闘技場の医療班がきっちりやってくれた。
「なるほど。余はちゃんと、やってのけたのだな」
「ああ。これで助けられる。皆をな」
後は決勝戦を残すのみで、優勝と準優勝は決まっている。全員を助けるという目標はまず達成だ。
問題は決勝戦をどうするか、だが。
「アニキ。余は決勝戦を辞退する。このスキルで失った血液は自然回復しかない。数日間はまともに動けんのだ。立つことも難しそうだ」
「そっか」
俺としては都合が良い。無理にブリタブルと戦わないで済むからな。けど。
『むう。だがそれは前代未聞ではないのか?』
「だよな」
闘技場の最強を決める闘いとして、決勝戦が不戦勝というのは恰好が付かない。
まずギラが許さないだろう。
主催としても何らかの手段を講じる必要があるはずだ。
『来るぞ』
ポチが鋭い声で警告してくる。
直後、医務室の中に炎が生まれ、ギラが姿を見せた。炎の残滓を散らせながら、クソむかつく顔を見せてくる。ぐ、と思わず殺意が芽生えそうになる。
「やぁ、決勝戦を生き残りし戦士たちよ。具合はどうだ、と訊きに来たのだが、どうも思わしくなさそうだな。ブリタブル王子」
「いやはや面目ない。ヘカトを倒すために、全力を使い切ってしまった」
「仕方なかろう。ヤツは闘技場で最強の男。よくぞ倒せたものだと思っているよ」
軽薄だな。
滲み出るギラの黒い感情に気付いて、俺は静かに呆れる。
理由は分からないでもない。アイツにとって、ギラは切り札だったはずだからな。それに、俺とブリタブルが繋がっていることにも気づいているはずで、メイたちを助けられるという事実も知っているだろう。
「だが、運営側として決勝戦が行われないというのは損害だし、いまいち締まらない。その問題はどうにかしないといけないと思っていてな」
やっぱりそう出るよな。だったら考えがある。いや、っつかきっとこれは相手も望んでいると思う。
俺はゆっくりと立ち上がった。
「だったら、俺とあんたが戦えば良いんじゃないか?」
「……ほう」
予想通り、興味深そうにギラが口の端を吊り上げる。
本気で演技臭くてたまったもんじゃねぇな。
反吐が出そうなのを抑えつつ、俺は相手の返事を待つ。
「つまり、エキシビジョンマッチということか」
「ああ、盛り上がると思うぞ。なんだったら、あんたがブリタブルの代わりとして出場するってのもアイデアだと思うが」
これはリップサービスでありながら挑発だ。ギラをブリタブルの交代要員程度だ、という言外の蔑みである。
解りやすく言ったはずだから、相手にも通じたようだ。不快感を示すように顔を一瞬だけひきつらせやがった。
「それでは私がブリタブル王子に肩入れしてしまうことになる。受けられない。だが、エキシビジョンマッチというアイデアは面白い。採用しよう」
すぐに余裕そうな表情を取り戻し、ギラは言う。
「そうだ、それと君たちの優勝と準優勝は決まっているのだから、先に彼女たちを引き渡そう」
パチン、と指を鳴らすと扉が開かれ、手錠で両手をふさがれ、まともに着替えさせても貰っていないのだろう、ボロボロな姿の三人が現れた。
――セリナ、アリアス。そして――メイ!
たまらず俺は三人に駆け寄った。
「グラナダ様っ!」
「グラナダっ!」
アリアスとセリナが抱き着いてきて、俺は受け止める。二人とも俺の胸ですすり泣く。よっぽど辛い思いをしていたのだろう。それに魔力が弱々しい。すぐにでも補給してやらないと。
って、メイもだな。
二人の頭を撫でてやりながら俺はメイに視線を戻して、異変に気付いた。
戸惑っているのだ、メイが。
なんで?
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
衝撃を受けていると、アリアスが謝り出す。事態についていけない。
「私たちを攻撃したことに強いショックを受けたメイちゃんは、その……記憶を、封印してしまったんです」
混乱する俺に気付いて、セリナは涙声で言った。
――は?
記憶を、封印? つまり、失った?
俺はゆっくりとメイを見る。
「えっと、あの……ごめん、なさい」
出会ったばかりの頃のように委縮した姿で、メイは俺に謝った。
「さて、狼――否、グラナダよ」
頭が真っ白になっている俺に、ギラはにたにたしながら声をかけてきた。
ブリキ人形のように、俺は軋ませながら首を向ける。
「明日のエキシビジョンマッチだが、闘技場で戦うのは少々手狭なんだ。よって、より広いフィールドを使おう。二次予選で使った場所よりも少し遠いが、充分な広さはある。多少暴れても問題はあるまい?」
それは同時に、闘技場周囲に展開されているフィールドが無効化されるという意味でもある。
「殺し合いをするってことか?」
「その通りだ。怖いのであれば闘技場でも構わないが?」
「……上等だ」
俺はギラの挑発に乗った。
ぶちのめすとかぶち倒すとか、色々と思ってたけど、考えが変わった。
こいつは、ぶっ殺す。