第二百五十三話
大きく息が漏れる。同時に脱力感が襲ってきて、私はその場に膝をついた。
ばしゃんっと水が弾けて、膝がまた水を吸うけど、もうずぶ濡れだし関係ないわね。なけなしの魔力を使って風を起こし、濡れすぎて重たくなった髪の毛をかき上げながら水を吹き散らす。
『ふん。終わりにゃ? なら帰るにゃ』
「あーうん、ありがとね」
気怠さに包まれつつも、私は精霊の頭を撫でてあげた。精霊は嬉しそうにひと鳴きしてから消える。
あー、ほんと魔力吸いつくされたわね。
「んー、久々の陽射しって感じですねぇ」
ぐったりしてると、すぐ後ろでセリナも座り込んでいた。まぁ当然よね。魔力吸われてるんだし。
唯一元気なのはルナリーぐらい。オルカナも町に着いてからずっと戦ってたし、ちょっと疲れてるみたいね。魔力の回復手段がルナリーしかないっていうのもあるんだろうけど。
「……おなか、すいた」
そのルナリーが、微妙に眉根を寄せながら訴える。
「ははっ、そうね、お腹すいたね。どっかで食べたいね」
『と言っても、店はどこも駄目だろうがな。もう水没寸前、相当な被害が出ているだろう』
すかさずオルカナが指摘してくる。
その通りなのよね。この町に入って三日、非常食しか口にできていない。だから量もいつもより少なくて、かなり大食いのルナリーがそろそろ我慢の限界を迎えそうなのよね。
というか、迎えてるわね。この様子だと。確実に。
お腹をさすりながら、ルナリーはじっと見てくる。
『ルナリー、気持ちは分かるが落ち着いてくれ』
「じゃあオルカナたべる」
『吾が輩をっ!? そんな愚かしいことをするでないぞ! というか吾が輩は美味しくない! 前にそう言っていたではないか!?』
「せにはらはかえられない」
『や、やめるんだルナリー! 今、吾が輩疲れてるから! とっても疲れてるから! 食べられたら灰になってしまうかもしれぬ! だから、な? やめよう?』
「………………」
『人の、いや、吸血鬼の話を聞いてっ!? お願い! ぷりーずっ! いま吾が輩本気で命の危険を感じてるんですけど!』
オルカナはほとんど涙目になりながら訴える。
ホント、このくまのぬいぐるみはあの夜の王、
軽い頭痛を覚えて頭をさすっていると、オルカナのか細い悲鳴がやってきた。あ、食われたわね。
思いながら目を開けると、本当に頭を齧られてた。
…………私、これはどうしたら良いのかしらね?
「……船もそうすぐには出せそうにありませんねぇ」
港の方を眺めながら、セリナは呟く。
現実逃避かしら?
とはいえ、この状況じゃあ船なんてすぐに出せないわね。港もかなりのダメージを受けているみたいだし、ここでじっとしてたらいつ船が出るか分かったもんじゃないわ。
「とにかく、移動するのが吉ね。チェールタへ船を出してる港って他にあったっけ」
「ここから三日程移動した先にありますねぇ」
「じゃあそこにいくってことで。さっさといきましょ」
「そうですねぇ。はい、そこのお二人もじゃれあってないで移動しましょう。今からなら宿場町へ日が暮れるまでに到着するはずですから」
セリナはまるで先生みたいに手を叩く。
『じゃれとらん! 割りと本気で命の危険に晒されておる!』
返ってきたのは、オルカナの悲鳴だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──グラナダ──
稲妻の衝撃が止む。焦げ臭い中、俺はゆっくりと身を起こした。くそ、強引に倒れこんだせいか、強く身体を打ったな。
自動回復スキルが発動しない中、体力管理はかなり重要だ。
「大丈夫か、メイ」
自分を戒めつつも、俺はメイに声をかける。
「はい。ありがとうございます。でも、なんであのウサギがこんなところに……」
「見当さえつかねぇな」
俺は短く返しつつ、周囲を焦土に変えた巨大なホーンラビットを睨み付ける。
──まさか二匹目がいたなんてな。
何らかの研究で巨大化させられた上に、能力を強化されたホーンラビット。一匹は今、俺に角を根刮ぎ奪われて大人しくなって、王都の騎士団の敷地内で管理されている。
そいつと強さは変わらないと思って良い。
『主、どうする。逃げるか』
静かに提案してきたのはポチだ。
まぁ戦いを避けたいのは事実だけど。だが、逃げたところで逃げ切れるかどうかかなり怪しい。
それにこんな狭い島だ。遭遇率を考えれば、逃げる方が愚策だ。
「いや、戦う」
俺の決断は早い。
ホーンラビットは角を折れば戦意も失う。それは巨大化しても同じのはずだ。だから、角を狙う。
俺は意識を集中させる。いつもよりかなり頼りがいのない魔力が高まった。
「こいつの角をへし折るぞ!」
これは作戦の号令でもある。いち早く意図を汲み取ったメイが剣を構えつつ前に出る。
とたん、ホーンラビットは全身に稲妻を纏わせる。
やば、直撃!?
『させぬぞ』
低い唸り声はポチだ。迸った稲妻が降ってきた雷に殴られて拡散する。パワープレイで無理矢理落としたのか!
戸惑ったようにホーンラビットが身を固める。
今だ。
俺は身体能力強化魔法フィジカリングを最大にしながら《バフ・オール》を仕掛ける。
全力で地面を蹴り、俺は抜いたハンドガンに魔力を注いだ。
「《ヴォルフ・ヤクト》!」
惜しみ無く背中から刃を展開させ、俺は一気に間合いを詰める!
刹那、ホーンラビットが敏感な反応を示すが、すかさずメイが割り込んできた。
「いやああああっ! 轟炎剣!」
メイが膨大な炎を宿し、剣を地面に叩きつける。大地が破砕し、炎を纏った岩がホーンラビットを殴る。
だが、いつもより威力が低い。
全身を叩かれてホーンラビットは怯んだが、そこで終わる。すぎにホーンラビットの目に敵意が宿った。
立ち直りが早いな!
メイは即座に次の攻撃へ移ろうとするが、妙にもたつく。くそ、奴隷紋が悪さしてやがるのか!?
「くっ……!」
「はっはっはっはっは! 余も殴るぞぉ!」
危機にやってきたのは能天気な声で、言うまでもなくブリタブルだ。唯一元気いっぱいなブリタブルは、魔力を高めながら懐へ飛びこみ、ホーンラビットの脇腹に拳をめり込ませる!
ごぉん、と鐘でも突いたような重い音が響く。
って、随分な威力だな!
驚く暇はない。俺は出来た隙を突きながらホーンラビットの懐へ飛びこんだ。
「《デバフ・フィジカル》」
発動させたのは、相手の身体能力を低下させる魔法だ。
至近距離でしか発動させられないのがネックだが、一度浴びせてしまえばこっちのもんだ。
「はっ!」
明らかに動きが鈍ったところを狙い撃ちし、俺は八つの刃の全てを閃かせ、角を削り抉る。
手応えはある──……っていうか、固いな!?
くそ、こんなとこでもステータスの影響か!
舌打ちしつつ、俺は何度も刃を突き入れて削っていく。
ホーンラビットは抵抗しようともがくが、メイとブリタブルの挟撃で足止めを食らっている。っていうか、あれだけ攻撃受けてなんで無傷なんだ……?
『打撃や斬撃をほとんど受け付けていないようだな』
なるほど、それで参加していないのか。
ホーンラビットが稲妻を展開しようとするが、ポチが即座に全てを打ち消していく。
俺はその音を耳元で聞きながら、角を削っていく。後、もう少しっ……!
神経を尖らせ、俺は魔力を高める。
刃が一瞬だけ加速し──最後の一削りを終える!
ぼきん、と角がへし折れ、ホーンラビットが大きく震える。ほとんど同時に、メイとブリタブルは大きく離れた。
「きゅ、きゅいいいいいいっ!」
あれだけ膨れていた敵意が消え去り、ホーンラビットは文字通り脱兎の勢いで逃げていく。
追いかける理由はない。
ふう、と一息吐いて、俺はその場に座り込んだ。
なんとかなった、か……。
正直危なかった。もう少ししたらこの重い体にも馴れるんだろうけどな……。ここ最近、加護を外してなかったからなぁ。ちゃんと訓練しておかないとな。
「大丈夫ですか、ご主人さま」
「ん? ああ、大丈夫だよ。ありがと」
駆け寄ってくるメイに微笑みかけ、俺は立ち上がる。
「さて、今後どうするか、だけど」
『現状、地下に潜るしかない』
「それしかないんだよなぁ……」
ポチの返答に、俺は微苦笑した。
海からの脱出経路がない以上、もう地下に望みを託すしかない。とはいえ、幾らなんでも危険すぎる。
それにメイも辛そうだ。かなり無理して戦ってたのが良く分かる。なんとかしてやらないとな……。
「メイ、手をかしてくれ」
「あ、はい」
メイの手を掴み、俺は具合を確かめる。静かに、本当に静かに。すると、奴隷紋が確かに拡大化していた。
魔力経絡が妨害されまくってるな……。瘴気にあてられて、バランスが崩れてるからなんだろうけど。
俺は魔法袋の口を開ける。確か、聖水があったはずだ。
手を入れると、すぐに聖水を掴めた。
「メイ、飲んでみて。効果はあると思う」
「はい」
従って、メイはくいっと聖水を飲む。
清らかな魔力が流れ、吸収。俺は即座にその流れを奴隷紋に注ぎ込み、拡大して妨害してる部分を封じ込める。バランスが崩れてこうなっているだけだから、強い清浄な流れでもって、正しい魔力の流れに導いてやれば……──。
見る間に、メイの全身から奴隷紋が引いていく。
さすがに元の奴隷紋を消すことは出来ないけど、これで身体は楽になったはずだ。
「わ、すごい。身体が一気に軽くっ……」
「うん、良かったな」
喜ぶメイの頭を俺は撫でる。
《鑑定》スキルで確かめてみると、メイの能力値はいつものものに戻っていた。
これで戦力的にも頼りになる。
後はポチの加護が受けられるようになれば言うことなしではあるんだけど。
「ポチ、状態はどうだ?」
『む? うむ。まだだな。もう少ししたら瘴気も浄化できると思うのだが。主の方はまだまだだな』
むう。どれだけ汚染されたんだ、俺は。
不満に膝を指でトントンしつつ、俺も聖水を飲んで自分の魔力経絡の掃除を始める。
少しはマシになるかなぁ、ぐらいだな、これは。
清らかな魔力で正常化させつつ、他人の魔力という外に弾き出されやすいもので不純物を丸め込んで吐き出すからな。自分の魔力じゃあ不純物を除去できない。
俺は日にち薬になりそうだ。
「よし、準備をしたら地下に行こう。何があるか分からないから、無理しないようにな」
俺は人さし指を立てながら言った。
ああ、クータがいればなぁ。万が一を考えて屋敷に置いてきたのが裏目に出たか……。