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第二百三十六話

 ――グラナダ――

「……ダメだ、このままだとちょっと足りないと思う」

 勝負の最終日、三日目の昼前。ウルムガルトは険しい表情を浮かべて、暗い声を出した。
 テーブルに広がっているのは、二日目からの収支表だ。昨日、割引セールを行ったおかげでだいぶ客足は良かったものの、一日目のロスを取り戻すには至らなかった。
 この三日目が勝負の分水嶺になるため、ウルムガルトは早々に試算をたたき出したのだ。

 その結果が、わずかに足りない。

 もちろんこの三日目も盛況だ。店内は客で賑わって、メイがひっきりなしに接客してくれている。俺もエプロンをつけて応援をしているぐらいだった。
 今はやっと落ち着いたって感じだな。

「巻き返しは厳しいのか?」
「向こうの売り上げも悪くないんでしょ?」

 これはポチの情報だ。相手の店の監視を兼ねて様子を確認してもらっている。

「客足はあるみたいだな」
「ネームバリューはこういう時、物を言うからね……」

 かり、と親指を噛みながら言う。
 何か巻き返しに必要なアイデアがいるってことか……。うーん、すぐには出てきそうにないな。

「あ、ごめん。そろそろランチ休憩入ってくれるかな、ちょっと早いんだけど。今ならお客さん少ないし、メイちゃんとどうぞ」
「ああ、分かった。露店でウルムガルトのも買ってきたら良いんだよな?」

 店の売り上げを少しでも伸ばすため、本来なら閉める時間帯も営業することになっている。そうなるとウルムガルトは店から離れることが出来ないので、俺が買ってくることになっていた。

「うん。申し訳ないんだけど」
「いいよ、気にすんな。メイ、行こう」
「はい、ご主人さま!」

 いつものようにメイは笑顔で応じてくれた。ここ最近、メイは機嫌が良い。
 理由を聞くと、「内緒です」とはぐらかされてしまうのだが、嬉しそうにはしているので気にしないことにしてる。
 ゆっくりしたい所だが、ウルムガルトを一人にしてはおけない。真っすぐに俺たちは露店へ向かった。

「こうして買い食いするのも楽しいですね」
「そうだな、色々と選べるしな」

 それに露店も日替わりで変わったりするので、飽きがこない。
 まぁ、多少割高な時もあるので、お財布事情にはあまりよろしくないのだが……とはいえ、今は余裕がある。王子の一件で、王様が密かに依頼したことにして、報酬を貰っているのだ。

 資金としてはかなり余裕がある。

 ということで、今は遠慮なく選べる贅沢が出来る!

「今日は何にしましょうかねー……あ、この串焼きとか新しいですね」
「海鮮串焼きか、懐かしいな」

 リゾート地にいった以来だな。
 並んでいるのは、ぷりぷりした大きいエビとホタテ、イカだ。特製ダレでどうぞ! と謳っている。よし、まずはここにするか。
 メイに視線を送ると、とても食べたそうにしてる。決まりだな。

「おっちゃん、これ二本くれ」
「あいよ! 最近開発されたばっかりの塩だれだ!」

 おお、懐かしいな。っていうか、ついに出て来たか。塩だれ好きなんだよな、俺。
 たっぷりかけられた塩だれに、俺はヨダレを垂らしそうになった。

 よし、早速食べますか。

 焼きたてで湯気の立つエビをまず一口する。噛み切るると、ぷりっと弾けた。瞬間、海を感じさせるような塩気がやってきて、甘い旨味が口中に広がる。そこに塩だれが乗っかって来て、美味しさが引き立つ。
 ああ、これはヤバい、美味い!
 思わず二口、三口と味わい、あっという間に俺はエビを食べきる。

「美味しいっ」

 メイもホタテを一口して、思わず顔を綻ばせた。

「すごく、貝の旨味がしっかりしてますっ」
「アタリだな、ウルムガルトにも買って帰ろう」
「そうですね」

 俺はお持ち帰り用に一本買って、次の店へ向かう。
 あまり時間がないので、さっとサンドイッチで済ませることにした。露店でも特にお気に入りの店でもある。毎回メニューが変わるのも売りだ。
 行列がすぐ出来るので、時間帯に注意しないといけないけどな。

「あれ、グラナダじゃないかィ」

 声をかけられたのは、そんな店の前にきた時だ。
 後ろを振り返ると、見知った顔がいた。特徴的なドレッドヘアは見間違えようがない。

「アイシャ!」

 アイシャは限界突破の方法を占えるという超貴重な占い師だ。
 俺もお世話になったし、それに特殊なゴーストを作り出せることから、ハンドガンの作成にも一役買ってもらっている。

「久しぶりだねィ。随分と大きくなったんじゃないか? それでも平均身長にはちょっと足りないけど」
「しれっとさらっと傷つくこと言うんじゃねぇよ?」
「ははは、そう怒るんじゃないねィ。それで、こんなところにいるって珍しいね? 冒険者になったんだろ、色々と忙しいんじゃないのかぃ? 特に新人は」

 さすがに占い師だけあって詳しい。

「今、まさに依頼をこなしてるとこだよ」
「なんだィ、そうなのか」
「アイシャこそ、こんな表にやってくるなんて珍しいな。何かあったのか?」
「ああ、ちょっと魔法素材を買いつけに来ようと思ってね。ゴーストを作らないといけない事情が出来て」

 アイシャは少し面倒くさそうに言った。
 どうやら依頼か何かを請け負ったらしい。おそらく貴族屋敷の護衛か何かだろう。
 ――って、まてよ?

「マジ?」
「ああ、こんなところに嘘なんてついてどうするんだぃ?」
「ゴースト作るってことは、くっそ高い代物をいっぱい仕入れるよな、確か」

 俺のハンドガンのゴーストを作る時もそうだった。
 金額を聞かされた時は目玉が飛び出そうになったのを今でも覚えている。

「そうだね。ちゃんとお金は……って!?」

 肯定を聞くと同時に、俺はアイシャの手を取った。最上級の客、ゲットだ。

「ちょ、ちょっと!?」
「アイシャ。ちょっと案内したい店があるんだ。その素材について」
「なんだぃ、ショップを知ってるのかぃ? 言っとくけど、目利きは厳しいぞ? ついさっきだって、店を見てたけどダメだったんだ」
「それなら大丈夫。任せろ」

 俺は自分の胸を打って答える。ウルムガルトなら大丈夫だろう。
 サンドイッチの買い物はメイに任せて、俺はすぐにウルムガルトの店へ案内した。
 かららん、と、心地好い鈴の音が鳴り、店内へ入る。品揃えを見て、アイシャが「へぇ」と目を細めて興味深そうに表情を変化させた。
 さっと一瞥しながら物色するその目線は本物だ。
 ウルムガルトはすかさずそれに気付き、さっと近寄ってくる。

「いらっしゃいませ! 何かお探し物ですか?」
「ああ、そうなんだよ。これを探してるんだけど、あるかい?」

 アイシャは胸元から取り出した羊皮紙を広げ、ウルムガルトに渡す。
 そろっと覗き込むと、どれもこれも稀少性が高く、値段もかなり張る素材ばかりだ。その品物たちをウルムガルトは真剣に睨んでから頷いた。

「大丈夫です。全部あります。こちらへどうぞ」

 真剣な表情のまま、ウルムガルトは店の奥へ案内した。
 そこはカウンターのさらに奥であり、一般客が普段は入れない領域だ。あまりに高価な品は保存の方法も難しく、また、窃盗などの可能性を考慮して店の奥に保存しているのだ。
 案内されたアイシャは、その品物たちを見て目を見開きながら、思わずと言った様子で笑む。

「へぇ、すごいねィ。これは。どれもこれも保存の方法が難しいのに、全部適切に管理されていて、劣化がない。何より、そもそもの質がとんでもなく上等だね」
「はい。目利きと管理は商人の基本ですから」

 揺らぎない自信を見せるようにウルムガルトは言う。すると、アイシャはこらえきれなくなったように笑い声をあげた。

「ふふふっ、いいねィ。気に入った。よし、ここで全部仕入れるよ。支払いは黒金貨でも構わないね?」
「は、はいっ……!」

 黒金貨、という単語を聞いて、ウルムガルトは少しだけ動揺した。とても分かる。
 その通貨は金貨よりも上位で、大物貴族を相手にした商売でしか見ることのないものだ。一般人なら一生目にすることはあるまい。それだけの価値のある貨幣なのである。

 アイシャはそれを何枚も何でもない様子で支払って見せた。

 ――これで、勝敗は決したな。
 勝利は揺るぎない。俺はほくそ笑んだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、翌日。
 勝敗の結果発表は、クロックブークの屋敷で行われることになった。己の勝ちを信じて疑わないからこその行動なのだろうが、それは全部裏目に出る。
 売り上げの会計は外部から雇った監査官で、公平性を保っている。
 その数字の発表は、クロックブークの執事のようだ。

「まずはクロックブーク様から……三日間の総売り上げは、四三八万と九七〇」

 数字を明確に出され、クロックブークは勝ち誇ったように笑んだ。
 まぁ、分からないでもない。一日で一〇〇万を超えるのは相当に凄まじいからな。けど、甘いぞ。 

 続いて、執事はウルムガルトの方の数字を見る。瞬間、明らかに動揺して硬直した。

「なんだ、さっさと言え」
「あ、は、はいっ。ウ、ウルムガルト殿……四億二三〇〇万四五〇〇」
「はぁぁぁぁぁ――――っ!?」

 百倍以上の数字を叩きつけられ、盛大に鼻水を噴き出しながらクロックブークは叫んだ。って汚いぞ、オイ。
 思わずジト目で睨んでしまう。
 すかさずメイドが駆け寄り、クロックブークの鼻を拭いた。お坊ちゃんかよ。いやお坊ちゃんなんだろうけど、かなり滑稽だぞ。
 ウルムガルトは呆れを通り越して無表情になってるし。

「よ、よんおくっ!? どういうことだ、デタラメじゃないのか!?」
「何言ってるの。売り上げ集計は外部の監査役でしょ? 嘘なんてつけないよ」
「んぐっ……!」

 ぴしゃりとやっつけられて、クロックブークは悔しそうに下唇をかんで顔を真っ赤にさせる。今度は鼻血でも出しそうな勢いだな。

「これだけの売り上げを叩き出したのは、高い魔法素材が軒並み売れたからだよ。キミのところにも来たんじゃないかな? ドレッドヘアの占い師さん」

 指摘されて、クロックブークはすぐい思い至ったらしい。

「あの、やたら目利きのある女か! ま、まさか! そいつを満足させたというのか……!」
「仕入れの品の目利きも、品質管理も商人としての基本だよ。それを怠った結果だね」

 冷然と言い放たれ、クロックブークはわなわなと震え出した。

「それじゃあ、結果はボクの勝ちということで。結婚はなしね。じゃあ」

 そんなクロックブークに告げ、ウルムガルトはさっと踵を返す。瞬間だった。クロックブークが叫びながら近くに立てかけてあった剣を抜き、まるでカエルのように情けなくジャンプしながら斬りかかって来る。
 うわ、ダセぇ。
 思いつつ、俺は即座に割って入り、カウンターのタイミングで顔面に拳を入れた。

「げぷうっ!」

 盛大に間抜けな声を出しつつ、クロックブークは壁に叩きつけられる。ぶしゅっ、と鼻血が飛び出た。あ、ホントに鼻血出た。
 クロックブークは砕けた鼻を押さえて涙目になりつつ、俺に怨嗟の目線を向けてくる。

「きょ、きょにょぉっ! びょ、びょくに手をらしたなっ! 賊だ、であえ、であええええっ!」

 金切声に近い、もはや悲鳴の命令。
 呼応してドアがけたたましく開けられる。俺はすぐに戦闘態勢を取るも、誰も飛びこんでこなかった。
 悠然と入ってきたのは、厳格そうな壮年だ。クロックブークにも似ていて、おそらく父親だろうと察せられた。

「ぴゃ、ぴゃぴゃっ!」
「話は全部聞かせてもらっていたぞ」

 歓喜の声を上げるクロックブークとは裏腹に、父親の声は低く険しい。

「なんと情けない……このアホ息子めぇぇぇぇっ!」
「ごほぉぉっ!」

 一喝一撃。怒号と共に放たれた拳は、再度クロックブークの顔面を捉えた。
 あ、あれは痛い。絶対に痛い。
 現にクロックブークは激痛を訴えながら床を転がる。

「卑怯卑劣極まりない手口を使って妨害しておきながら、正々堂々と戦わないでおきながら、それでも負けるとは……とても我が息子とは思えん!」
「にゃ、にゃんでっ……! ら、らって、らって!」
「なんでもだってもない!」

 まさに雷撃の怒号に、クロックブークは涙を流しながら口を噤んだ。

「良いか。これから貴様への罰を下す」

 その様子は、さながら地獄の裁判官の下す判決のようにも見えた。

しおり