第二百二十話
かつて、世界最強の暗殺者として恐れられた、今でも伝説扱いの暗殺者。
それがヅィルマだ。
けど、影である自分を恨みながら魔族と化し、結局、死んだ。俺が引導を渡したんだ。
それなのに、なんでここにいる!
俺は間合いを図りながらヅィルマを睨みつける。確かにあの時、滅びたはずだ。
『そう警戒するな。あのヅィルマと、今の俺は別人だからな』
獰猛な笑みを浮かべながら、ヅィルマは言う。
どういうことだ、と訊く前に、ねばつく口が開かれた。
『俺は確かに、お前さんに殺されたようだ。その死に際くらいは覚えている。だが、そこで俺は確かに死んだ。終わったんだよ。だが、人間というものは浅ましいものでな?』
ごり、と、音を立てて、両の手首が変化して刃を形成していく。夥しく伝わってくる汚らわしい魔力。
俺は確信する。このヅィルマは、魔族だ。
戦意を昂らせ、俺は魔力を最大限に高めていく。
『滅びた後、僅かに、こびりついて残った魂のカスから復活したんだよ。いわゆる残滓だ』
説明を受けて、俺は即座に《ソウル・ソナー》を撃った。
返って来たのは、おぞましい反応だった。なんだ、この異常なまでに混じり合った魂は!
たじろぎながら、俺は思い出していた。
かつて、俺はその混じった魂を知っている。王都の地下牢にいた、王族のなれの果てだ。アレも、幾つもの魂が混ざっていて、メチャクチャだった。名前は、確かグランゴ。
あの時と違うのは、混じっている魂の数と、強さ。そして、保たれている自我。
やはりヅィルマは規格外なのだろう、これだけ混じっていても自我を保っているのは、もはや恐怖だ。
『主がどうしてこの俺を復活させたのかは知らないが――……こうしてお前さんと出会ったのは何かの縁だ』
「俺としては会いたくなかったけどな」
『そう言うな。あそこまで情けなく自分を吐露させておいて、俺は情けなく負けて死んだんだぞ』
己の死に際を情けないと言う自虐。
だが、ヅィルマにその様子はない。まるで、他人の死を嘲笑うかのようだ。
『俺は死んだ。今でも鮮明に見える。あの間際に見えた、美しい世界を』
「……ヅィルマ」
『だからこそ、生きたいと願った。だから、俺はこびりついた。本体はとうの昔に成仏したさ』
ヅィルマの周囲に、黒いダガーが生まれる。
呼応させて、俺は魔法道具マジックアイテムを起動させた。緊迫感が一段階上昇し、俺は僅かな動きさえ逃さないよう、集中を高める。
『くははは、はは。俺はいつだって影だ。影の影だ。ようやく光をあてられたのに、俺はその影になっちまって、取り残された。もう絶望しかない、何もない、空っぽだ』
ダガーに、黒い炎が宿る。あれは、魔神エキドナの炎だ。
『だから、今一度決着をつけよう。より強く光となったお前さんを――殺すために』
「ヅィルマ!」
『逝っちまったアイツは満足したかもしれないが、俺は満足出来てないんだよ』
ヅィルマの全身から、黒い滲むようなオーラは放たれる。瘴気だな。
厄介な。
俺は即座に《エンチャント》をかける。
『これはお前さんの罪だ。殺すなら、徹底的に殺すべきだった。救いを与えるような殺し合いなど、まったくもって美しくない。単なる偽善だ。だから、罪を償え』
ヅィルマが地面を蹴る。
のびやかに、しなやかに。刹那の加速は穏やかなように見えて、その実かなりのものだ。
「――《ヴォルフ・ヤクト》!」
『俺に殺されて贖うか、今度こそ俺を根こそぎ殺して贖うか!』
「ふざけんな! 結局、それはお前が救われたいってだけだろ!」
俺は背中の刃を展開しつつ言い返す。さっきから聞いてれば、女々しい!
ヅィルマの接近を認めて、俺はダガーを下から抉りあげるように二本繰り出す。それぞれ速度を変えていて、しっかりとタイミングを取りづらくしてある。
ヅィルマが、ふと笑ったような気がした。
瞬間、ヅィルマの黒い炎を帯びたダガーが閃き、ダガーを弾いてくる。
ギィン、と鈍い金属音が重なった。
『強くなったな』
「ずっと死んでたお前とは違うんだよ!」
俺は痛烈に言い返し、ハンドガンから氷の弾丸を放つ。
これも微妙にタイミングをずらして放つ。だが加速具合が異なり、後で発射した弾丸の方が早くヅィルマへ向かう。ヅィルマは素早く気付き、ひょい、と回避してみせた。
ちっ。
内心で舌打ちしつつ、俺は次の攻撃へ移る。
左右から挟み込む様にしてダガーで襲わせ、さらにヅィルマの真上に一本展開、強襲。
だが、ヅィルマは魔力の流れか、それとも見えているのか。全てをひらりと回避し、反撃にダガーを投げつけてくる。
「《エアロ》っ!」
俺は咄嗟に風の魔法を解き放ち、ダガーを薙ぎ散らす。
渦巻く風の中、ヅィルマが姿勢を低くして突っ込んでくる。まるで狩りをする猛獣のような勢いだ。
『はははっ! 本当に強くなったな!』
「くそっ!」
その動きだけで分かる。隙が無い。体術だけで言えば、相手の方がまだ上だ。
俺は舌打ちを交らせつつバックステップする。
刹那、ヅィルマが予測していたのか、さらに加速した。
距離が詰まる。
ダガーの迎撃は間に合わない!
『判断も実に鋭く早くなった!』
振るわれた刃を、俺はハンドガンで受け止め、いなす。
返す一撃も同じようにいなして、大きく弾いてやった。ヅィルマのバランスが崩れ、前のめりになる。俺はそこへ蹴りを叩き込み、顔面を跳ね上げた。
「《エアロ》っ!」
追撃に魔法を放つ。
上から圧し潰す風の塊を放ちつつ、風に乗って俺は離れた。
ぐしゃり、と、生々しく砕ける音を響かせた。悲鳴一つ上がらない。
潰されたはずのヅィルマは、血塗れになりながらゆっくりと起き上がる。ちっ、再生能力か。
『随分と容赦がなくなったな?』
「人外には元から厳しかったつもりだけどな」
言い返しつつ、俺は密かに乱れ始めた呼吸を整える。
ヅィルマのチェンジオブペースは完璧に近い。読みにくいし、感知しにくい。俺も訓練で習得したつもりだったが、相手の方が何枚も上手だ。正直、接近戦は避けたい。
反対に、相手は接近戦を挑んでくるだろう。
俺の弱点だし、相手の得意フィールドっぽいしな。自分の有利な間合いで戦うのは基本の基本だ。
『それじゃあ、続きと行こうか』
「……ヅィルマ」
身構えたヅィルマに、俺は語り掛ける。僅かだけ、ヅィルマの顔に嫌悪が奔る。
「お前、本当は知ってるだろ。自分が生まれた理由」
ズバリと指摘すると、ヅィルマはますます嫌悪の表情を色濃く見せた。
やっぱりか。
戦ってみて分かる。確かにヅィルマは本気で挑んできているが、あくまで『ヅィルマ』として戦おうとしてきている。内包する魔力や、変化させた腕の刃からして、いくらでも異形に変化して、トリッキーに仕掛けてこれるはずだ。
それをしてこないのは、矜持プライドだろう。
ってことは、その矜持プライドを持たせるだけの、何かを知ってるってことだ。
『俺は最初に、何も知らない、といったはずだが?』
「暗殺者は良くウソをつくからな?」
しれっと言い返すと、ヅィルマはくっく、と笑った。
『違いない。訂正しよう。確かに俺は知っている。何かをな』
「……話したら楽になると思うぞ?」
『簡単に話すのは癪だな。お前さんとの仲だし。それならば、ゲームをしようじゃないか』
意地の悪い笑顔を浮かべながら、ヅィルマは語る。
『簡単だ。お前さんが俺を倒せば良し。それだけだ。簡単だろう?』
こういう所は一切変わってねぇな。
内心で呆れながらも、俺は肯定で頷いた。直後、契約は成立し、ヅィルマの全身が変化を始める!
同時に解放される夥しい魔力に対抗して、俺も魔力を全開に放つ。
ビリビリと空間を震わせながら魔力同士が衝突し、風を生み出す。
『この新しい身体の性能、全力で試させてもらおうぞ』
楽しそうに言い放った直後、ヅィルマは背中から四本の腕を生み出しながら突っ込んでくる!
それだけじゃない。両足も地味に強化されてるし、両腕だって、リーチが伸びてる!
一目で変化を観察、把握した俺は大きく後ろに下がりながらハンドガンを放つ。
だが、新しく生えた腕が刃に変化し、次々と魔法の弾丸を撃ち落としていく。時折氷の魔法も混ぜていたが、それは周囲に生まれた赤黒い炎で迎撃された。
反射神経も桁違いに上がってる!
「――《真・神威》っ!」
接近を許さないタイミングで、俺はスキルを解放する。
ヅィルマが驚愕に目を見開き、雷轟が響き渡った。
空気が閃光によって散り散りに引き裂かれ、破壊がただ周囲に襲い掛かる。
耳鳴りさえやってくる中、破壊が終わる。
佇んでいたのは、やはり片腕を失っただけで済んでいるヅィルマ。
――やっぱりか。
俺は苦笑しつつ、強烈な目眩に負けないよう両足を踏ん張る。
『賭けには失敗したようだな? 【転身の儀】はちゃんと残っているぞ』
余裕の様子を見せつつも、ヅィルマは仕掛けてこない。
つまり、相手もダメージを受けている証拠だ。しっかりこの《神威》だって威力は上昇している。
ヅィルマはビキビキと音を立てながら手を復活させる。
「まったく。相変わらず、ロクでもない能力を持ってやがるな」
『それはお互い様だろう。いつの間にか、戦巧者の雰囲気を纏わせおってからに』
ふぅ、と、俺は息を吐く。身体の感覚が戻って来る。
向こうも同じだろう、じわり、と間合いが詰められた。
『さぁ始めよう。殺し合いゲームだ』
俺とヅィルマは、同時に地面を蹴った。