第百九十一話
扉が粉砕された瞬間、俺は武器を取りながら飛び退く。
破片が飛び散っていく中、何かが入ってきた。──速い。
俺は目と気配で追いながらハンドガンを構える。
それは更衣室の壁にはりついて姿を見せた。
「──……は? クロイロハ……アザミ?」
『「ソウダ、ソウダ!」』
二重の声を響かせて、異形と化したアザミは血走った目で俺を睨み付けてきた。
いったい何があったのか。
両足は氷に閉ざされて獣のように象り、上半身は黒く染まり、背中からは異様な翼が生えている。鬼気迫るその表情も、どこかひび割れているようだ。
完全に人間ではない。
伝わってくる魔力もそうだ。
『「グラナダ・アベンジャー。キサマヲミトメナイ! モウイチドダ、モウイチド、コノボクトタタカエ!」』
異常に裂けた口から、血糊のような唾液を垂らし、アザミは低い唸り声で訴えてくる。
「え、嫌ですけど」
『「ナンダト!?」』
反射的に断ると、アザミは盛大に叫んだ。
しまったな。とりあえず、説得を試みるか。敗北を突きつけたら心が折れるかもしれないし。
「だって、お前試合で負けただろ。認めるとか認めないとかの世界じゃねぇよ。公式に負けたんだ。認めろって」
『「ミトメナイィィィ!」』
正論を口にしたが、アザミは感情論で跳ね飛ばしてきた。
あ、やっぱダメだ。これは説得できない系だ。なんとなく分かってたけど。
俺は過剰なまでの魔力を全身に漲らせつつ、どう時間を稼ぐか思案していた。正直言って、今の俺は疲れているし、ハッキリと一人で戦う必要がない。
だったら、魔力で異常を報せて仲間を集める方が絶対に良い。明らかに今のアザミは人間辞めてるしな。
『「キサマハ、キサマハ、キサマハココデコロス!!」』
ミシミシと張り付いた壁に亀裂を走らせ、アザミは力を溜めてから飛び出してくる!
――ちっ、やっぱそうなるかよ!
俺は横に跳びながら体当たりを回避する。
自分を制御出来ていないのか、アザミは顔面から壁にダイブし、盛大に音を立てて破壊した。もうもうと土煙が立ち込める中、即座に頭を引き抜いて、アザミは俺に向かって飛びかかって来た。
ああもう! これは正当防衛成立ってことで良いよな!
「一体、何がどうなったってんだ!」
俺はハンドガンから弾丸を何発も放つ。炸裂音が響き、顔面に着弾する。
アザミは顔面を跳ね上げてその場でひっくり返るが、そのまま四本脚の構えで着地し、顔面から煙を上げているにも関わらず突っ込んでくる!
なめんなっ!
俺はタイミングを合わせながら後ろ飛び回し蹴りを仕掛け、顔面を真横に弾け飛ばす!
『「ゲギゥッ!」』
ごきん、と、嫌な感触が足を伝わってくる中、アザミはまた盛大な破砕音を立てて壁に突っ込んだ。
だが、すぐに立ち直る気配だ。
「――《ヴォルフ・ヤクト》!」
俺は刃を展開して構える。
魔力はまだ回復しきったワケじゃないけど……! やるしかねぇか!
覚悟を決めて魔力を高めた瞬間だった。
『「《帝王の呼び声》」』
異様なまでに流暢な発音で発動したのは、アビリティだ。
「――ぐぉっ!?」
一瞬にして全身に重みがやってきて、《ヴォルフ・ヤクト》が強制的に解除される。
しまった!
俺は即座に対応しようとするが、今回の拘束は桁が違う! 本気で、魔力が、練り上げられない!
『「サァ、コレデ、ココデ、オワリダ!!」』
アザミはバキバキと痛そうな音を立てて腕を変化させ、巨大化させていく。
くそ、これはマズい、マジでマズい!
ポチも俺と同じ様子で動けない。これは、詰んだか?
「ご主人様に、手を出すなっ!」
咆哮と共に飛び出してきたのは、メイだった。
凄まじい炎を全身に宿し、それ以上の炎を大剣に纏わせ、大上段から大きく振り下ろす!
「炎轟剣っ!」
凄まじい一刀はアザミを縦に割り、さらに地面を叩き割って瓦礫を撒き散らす!
「《切り刻め》《運命の烈風》《極限に舞え》――――《絶風剣》!!」
更にメイは必殺の一撃を放つ。
無数の風の刃が蠢き、容赦なくアザミを切り刻みながら吹き飛ばし、控室の壁をぶち抜いて外へアザミを追いやった。
破壊の衝撃波がやってくるのと同時に、俺の全身が軽くなる。
「ご主人様!」
「すまん、助かった」
駆け寄ってくるメイの頭を撫でながら俺は言う。いや、本気で助かった。
もうもうと粉塵が舞う中、外の空気が入ってくると共に気配が生まれる。禍々しい魔力だ。
メイもそれに気付いて大剣を構える。
「そんな……今のを耐えた?」
「いや、違う」
俺は即座に否定する。
事実として、俺にかけられた能力は解除されている。つまり、死んだか、良くて気絶して魔力の供給を完全にカットされたかのどっちかだ。
状況的に鑑みて、死んだ確率の方が高い。あの二連撃の直撃を受けて無事なはずがないからな。
「たぶん、再生したんだ」
「再生……?」
訝るメイに、俺は頷く。
ぶち抜いた壁は外に繋がっている。方角的に見て、闘技場だろう。
このまま攻撃しに行くつもりはない。《帝王の呼び声》を使われたら手も足も出ないのだ。それなら助けを呼ぶ方が絶対に良い。
「メイ、このまま通報を――」
指示を出そうとして、気配が生まれた。
無遠慮に入ってきたのは、見覚えのある――というか、帝国の選抜メンバーの双子だ。
「無事だったか!?」
入ってくるなり、一人が俺を見つけて駆け寄ってくる。緊迫した表情もそうだが、全身がボロボロになっていることに驚いた。べっとりと血も付いてるし。何があったんだ?
疑問を目線にして向けると、双子は顔を青くさせたまま語り出した。
「アイツ、いきなり暴走を始めたんだよ!」
「暴走? ちょっと意味わかんねぇぞ」
「……治療室で蘇生措置を受けて、復活するなり、アイツがいきなりキレだしたんだ。納得いかない、再戦させろって。でも、試合には負けたワケだし、持ってたらいけない奴隷紋の液体まで所持してたから、当然聞き入れてもらえなくて」
そりゃそうだわな。運営委員会が許すとは思えない。帝国は何とかしようとしてただろうけど。
「で、そうしたら、いきなりバッグから何か取り出して、それを取り込んだんだよ。なんか、どろどろ動いてる肉みたいなものだった」
思い出して気分を悪くしたのか、双子の片割れは更に顔色を悪くさせた。
っていうか、聞くだけでヤバいもの取り込んだって分かるんだけど。何をしたんだ、ホント。
「そしたらあんなバケモノみたいになって、暴れまくって飛び出したんだ。そのせいで、治癒術師が――犠牲になった」
――うげ。マジか。それって幾らなんでも見過ごせないだろ。
「アイツはもう、アザミじゃない」
「それは分かったけど、どうするつもりだよ。あんなのどうしようもないぞ」
ぶっちゃけて、アザミは低レアキラーだ。俺なんてひとたまりもない。さっき食らって分かった。確かに、試合中は調子が良くなかったんだろう。動けないレベルが違った。
まぁ化け物みたいになった影響って可能性もあるけど。
ともかく正面から対峙するつもりにはなれない。それこそハインリッヒを召喚するレベルだ。
俺の質問に、双子の片割れは表情を険しくさせた。
「……──帝国としては、処分することにした」
声からして納得していない様子だ。簡単に切り捨てやがって、という感情からだろうか。
「ただ、ギャラリー達はもう帰ってて、会場には俺たちしかいない。だから、俺たちでなんとかしろって……!」
「なんだそれ、無茶にも程があんだろ」
っていうかそれ、証拠隠滅じゃねぇか。つまり、アザミの強さには帝国が関わってるんだな。つつけば色々とボロが出てきそうだけど、今はそれどころじゃあない。
「分かってるよ! だからお前たちにも助けを求めようと……」
「そんなの勝手すぎます!」
強く反発したのは、メイだった。
「そうだな。俺たちに助力を願うんだったら、国として正式に嘆願してくるべきだ」
メイを掩護射撃したのは、担任だった。駆けつけてくれたのか。
担任は容赦のない敵意と、毅然とした大人の態度で双子の片割れを睨み付ける。その威圧は侮れず、双子の片割れはたじろいだ。
「うっ……」
「生徒からの報告はもう聞いている。アイツはスレスレどころかブッチギリで違反してくれてんだろ? それに、生徒たちにやってくれた戦術も戦術だしな。心理的な話だけで言うんなら、ふざけんなって感じだ」
担任は俺とメイの言いたいことをまるごと代弁してくれた。
でも、だからって完全拒否も出来ないんだよな。アザミは俺を狙ってきているし、実際、もう戦ってるし。
「だから、俺たちは俺たちで動く。その結果、ちゃんと正式に報告するし、抗議する。良いな?」
なるほど、そういう落としどころを見せてくるのか。上手いな。さすが大人。
俺は素直に感心した。
つまり、担任は手助けじゃなく、状況的に無視出来ないから事態に介入する。けど、それは王国としては見過ごさない、思いっきり公的にぶちまける、と言っているのだ。
「それは……俺が決めることじゃあ」
「ないな。分かってるよ。だからこれはもう宣言なんだよ」
双子の片割れの言葉に被せ、担任はぴしゃりと言い切った。
「全く。まどろっこしいやり取りをしおってからに。叩っ切るだけなんじゃから、いちいち言わんでもよかろうに」
そこに入ってきたのは、ライゴウだった。もう戦闘準備は万端らしく、戦意が漲っている。こっちが息苦しくなるくらいだ。
だが、担任はため息をつくだけでジト目で抗議をする。
「大人として必要なことですから」
「フン。小賢しくなりおって。おい、グラ坊、お前さんたちも戦列に加われよ。ありゃあ、ちと骨が折れそうじゃからのぅ」
外で膨らみ始めた魔力を感知してか、ライゴウは戦意たっぷりの野蛮な笑顔を浮かべながら言う。
「って言っても、俺のレアリティじゃ……」
「心配ない。アレはもう人間じゃねぇからな」
俺の懸念を払拭するように、担任はまた深くため息をつく。その両手にはもう得物がしっかりと握りしめられていた。こっちも戦闘準備は完璧らしい。
いや、それよりも人間じゃないって?
訝ると、寒恐ろしい魔力が風となってやってくる。これは、もう完全に魔族のそれだな!
「この魔力を感じて、まだお前はアイツを人間だと呼ぶのか?」
事実を突き付けられて、俺は頭を振るしかなかった。
漂ってくる魔力は、凍えるくらい冷たくて、とんでもない密度だった。上級魔族でもここまで出せるかどうか分からんぞ。
「ハインリッヒ坊やには助けを要請してある。向こうで死闘を繰り広げてなかったら駆け付けてくれるじゃろうて。ワシらはそれまでの間、なるべくアヤツを削ることじゃ」
「……分かりました。そういうことなら。メイ、お前はどうする? こっから先は危険だぞ」
「ご主人様?」
メイの体調を気遣っての発言だったが、メイはにこにこと笑いながら怒りを露わにする。
「私は……メイはご主人様の運命共同体です。どこまでも付いていきますよ」
「分かった。ごめん」
俺は素直に謝った。
「それじゃあ、早速いくぞ!」
担任が言い放ち、一斉に地面を蹴って闘技場へ飛び出す。
ざわり、と、冷たい空気に触れられて、辺りは薄っすらと霧が発生していた。そこまで視界を悪くさせるものではないが、一〇〇メートルは先にいるだろうアザミがシルエットになる程度でもある。
『「キタカ!!」』
俺の気配を感じ取ったか、シルエットになったアザミが吼え猛る。
それだけで魔力が渦巻き、衝撃となって霧を大きくかき乱した。
『「コロス、コロス、コロスゥゥゥゥッ!」』
ドン、とけたたましい音を立ててアザミが地面を蹴ってくる!
俺は一気に魔力を高めて構える中、ライゴウと担任が同時に飛び出す!
「一気にぶちのめすぞ!」
「左から行きます!」
呼吸をガッチリと合わせ、二人は左右に散開する。
まるでシンクロでも見ているかのような見事さで地面を蹴って肉薄し、すっかりバケモノとなったアザミを左右から挟撃した。
「《雷轟剣》っ!」
「《フレイムグレン・メイス》!」
雷が轟き、炎が蠢く。
凄まじい破壊が重なり、異形と化したアザミがあっという間に潰されていく。
しかし、その場からぼこぼこと沸騰するように肉が膨らみ、アザミが再生していく。とはいえ元通りにはならない。さらに異形さが増していくばかりだ。
これは、なんだ、既視感があるぞ? どこかで――。
「グラナダ! メイ!」
叱責のような声が飛んできて、俺とメイは飛び出した。
「はああああっ! 《絶風剣》っ!」
まずメイが仕掛け、また凄まじい風の無数の刃が炸裂し、次々と肉片を散らし、血飛沫を飛ばしていく。俺はその中へ飛び出し、同時にライゴウと担任が退いた。
長い時間かける意味がないからな。ここは短期決戦で行く!
「――《真・神威》っ!」
力を解放すると同時に光が迸り、空気がひび割れて悲鳴を上げる!
――ばぢばぢばぢばぢばぢばぢっ!!
光、光、光。
破壊がただ駆け抜け、アザミを攻撃していく!
『「アアアアアアアアアアアアアアアッ!」』
まるでかきむしるような絶叫が上がる。
無数の光条に貫かれ、焼かれ、壊され、駆け巡られ、アザミはその身を焦がしていく。
だが、それにも拘わらず、アザミはその場から再生を始めていた。
な、なんだこれ、まるで――!?
破壊が終わった後、ただ焦げ臭さだけが広がる中で、アザミはまだ再生していく。とはいえ、大ダメージには違いない。ここで連続攻撃を叩きこんで、一気に仕留めるか!?
『「ガ……ハッ」』
もはや原型を留めておらず、どこから声を出しているのかも分からない。
そんな肉片は、まだ膨大な魔力を宿していた。
『「オレノチカラ……マダ! マダ! オレノヤドシタチカラ……ミセテヤル!」』
一瞬だけ、空白がやってきた。
『「スフィーダ・アベ・チリスト・ゴンジ・ガネント・リトゥアル・ゾンネ・インフォカティス・レジスタレ・シミエント」』
響いてきたのは、とりとめのないような、呪文。なんだ、聞いたこともないぞ?
『「サン・カルティア・コロナ・クロウズ・フォルティス・ソル・ザ・マインッ!』」
ず、と、魔力が更に膨れ上がる。
たまらず俺は跳び退った。
『この言語は、第一精霊言語!? 何故に人間がこの言葉をっ!?』
驚愕のポチの声が入って来て、俺は怪訝になる。
『「
――刹那、世界が白に染まって爆発した。