第百九十話
『主、いい加減限界だ』
ポチからやや険しい声が届く。俺は仕方なくステータスを確認すると、体力がレッドゾーンを超えていた。なるほど、確かにこれ以上続けたら死ぬ。
けど、大丈夫なんだ。
俺はポーチから手のひらサイズのボックスを取り出し、なんとか魔力を振り絞る。すると、一気に魔力が吸い取られ、それは発動した。
「…………くぁっ!」
激痛に全身が苛まれ、俺は膝を折りそうになる。
――身体を超速再生させる
俺は地べたを這うアザミを睥睨し、ゆっくりと歩き出す。
アザミの全身が淡い光に包まれた。どうやら回復魔法をかけているらしい。
「がっ……よくも、よくも僕の顔を!」
「まだ潰れてるぞ」
「うるさいっ! 覚悟しろっ!」
アザミは怒りを放ちながら、刀を構え、影を切り取って斬撃を飛ばしてくる。
俺はハンドガンの一射で撃ち落とし、距離を詰めた。
「なめるなっ! 《影斬り》の能力はっ――」
「うるせぇな」
姿勢を低くさせ、俺は稲妻を迸らせて飛び出す。一瞬で間合いを詰め、俺は掌底を胸に叩きつける。同時に雷を走らせ、アザミの胸を貫通させた。
「かはっ……!?」
短い苦痛の声。俺は突き飛ばしてから構える。
アザミはなんとか姿勢を整えながらも着地し、気付く。呼吸がほとんど出来ないことに。
「な、なにをっ……」
見る間に顔を青くさせ、アザミは表情を深刻な焦りのものに変えていく。
まぁ当然か。息が出来ないのは最高に苦しいからな。
俺は指先に雷を生み出しながら説明してやることにした。
「簡単なことだ。電撃でお前の肺の機能をほとんど奪ったんだよ」
「な、んだ……と……」
「ただひたすら、呼吸にだけ集中していたら、辛うじて生きていられるかもな。けど、そんなこと俺がさせると思うワケねぇよな?」
焦燥が、恐怖に変わる。
俺は怒りをぶちまけるように地面を踏み抜く。稲妻が駆け抜け、ばぢっ! とアザミに直撃して跳ね上げた。
「っがっ……!?」
上がった悲鳴。飛び上がったアザミに、俺は跳躍して追いつき、肘を鳩尾に叩きつけて地面に沈める。大きくバウンドしたところで、俺はその顔面を引っ掴んでまた地面に叩きつけた。
どん、と炸裂音が響き、強制的にアザミの肺から空気が吐き出される。
「かひゅうっ……!?」
アザミは必死に息を吸おうとするが、ほとんど叶わない。あっという間にチアノーゼだ。
「俺は善人なんかじゃない。ハインリッヒさんのような、世界を救うために、全員を救うために動くようなヒーローなんかでもない。ただのガキだ」
痛みが走る。身体を動かす度に、電撃を強制的に与えているのだから当然だ。
「だから、俺は怒る。お前の理不尽の全てを、怒る!」
「くっ……!」
「分かってるよ、エゴだって。だから綺麗ゴトなんて言わねぇんだ。けど、我慢してたってなんにもならねぇ。我慢しなきゃいけない場面だってある。叫んだって訴えたところで、叶わない時だってある!」
俺も叶わなかった。病気に負けて、死んで、ここにいる。
「だから! この世界で、俺は我慢しないって決めたんだ。俺は俺の思うように生きるって決めたんだ」
もちろん、最低限法律に抵触しないよう過ごすつもりだけど。
「だから、俺は、俺の仲間を傷付けるヤツを許さないんだよ!!」
「……っ! さ、っきから、聞いて、いればっ!」
アザミの全身から唐突に魔力が放たれ、黒い影が生み出される。瞬間、アザミは俺の手から脱出していた。だが、チアノーゼには変わりなく、すぐその場に膝を突く。
俺は電撃を通して影を破砕してからその場を退く。フィリオみたいに影を縛られたらシャレにならん。
「ぜぇっ……ぜぇっ……ガキの言い分を、並べて、んじゃない……!」
「俺はガキだぞ」
「はっ……! 視野の、狭いっ……」
アザミは喉を必死に抑えながら酸素を求めている。
「僕は、帝王、だ。神の子、だっ! いずれ世界を……一つに、してっ……!」
魔力が走り、アザミの刀に影が宿る。
ぞくぞくと背筋が凍るような、冷たい魔力だ。
「僕が、僕が……世界の、頂点で……世界を……救うんだよッ!」
「そんなもん、それこそガキの理論じゃねぇか!」
負けじと俺も使いづらくなった魔力を全開にする。ポチが呼応して稲妻を発生させ、俺の足元の地面を割れ砕いていく。
「終わりにしてやるよ、俺はもう、お前の声を聞くだけで虫酸が走る!」
「それはこっちもだっ!!」
俺とアザミは同時に地面を蹴る。稲妻の残滓が破壊の軌跡となり、アザミの方は黒い影が残滓となる。
迸る魔力の塊となって俺たちは衝突し――アザミは情けなく弾かれた。
当たり前だ。そもそもの魔力が違いすぎる。
「がっ!」
「邪魔だ!」
苦痛を上げなかがらも刀を構えたアザミの腕を、俺は斬り飛ばす。
腕が飛び、血が舞う中、俺は刃を次々と繰り出してアザミを切り刻んでいく。
「ばかなっ、ばかなぁっ……どうして、どうして、この僕が、こんな雑魚のレアリティにっ……」
「負けるんだよ、お前はっ!」
声にならない叫びの末尾を言い放ち、俺はハンドガンを構える。
「これで、終わり、だぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!」
ハンドガンにありったけの魔力を籠め、俺は放つ。
それは人一人よりも大きい巨大な閃光となり、アザミを呑み込んだ。
視界が白に染まり、破壊の音だけが鳴り響く。
「ぁぁぁああぁぁぁぁっ!」
その中で、俺は確かにアザミの断末魔を聞いた。
やがて白が過ぎ去り、視界が戻ってくる。そこには、黒焦げになって地面に倒れる人間。アザミだ。
瞬間、俺に賭けられていた呪いのようなスキルが消える。身体の自由が戻っていく。
感じ取ったらしいポチは、すぐに俺から離れ、白い子犬に戻っていった。アテナとアルテミスもハンドガンから抜けてポチの中へ吸い込まれていく。
そうか。授乳中だったんだよな、確か。
「……ありがとな」
自分の肉の焦げる生臭いモノを香りながら、俺は静かに言う。
『何、構わないさ』
ポチは少しだけ疲れた声で言ってくれた。
『ただ、約束だけは忘れるなよ?』
「分かってるよ」
苦笑しながら返す。
そんなやり取りの間に霧が晴れていく。術者がいなくなったからか。とはいえ、その速度はゆっくりなので、俺は《エアロ》を何回も発動させて弾いていった。
ようやく視界が晴れだした頃、ようやく実況が俺たちの姿を確認する。
則ち、ボロボロの姿で、辛うじて立っている俺の姿だ。
『おおおおお――――――――っ!? こ、これはっ! 霧が展開されている間に何があったのか! 帝国、王国共に凄絶な戦いがあったに違いありませんが、なんと、立っているのは、今回の対抗戦で唯一の
実況の絶叫にも近い声に、闘技場の誰もが動揺している様子だ。
まぁそりゃそうか。俺が立っているだけだしな。まさにどうしてこうなった、だろう。
『しかし、しかししかししかしっ! つまりこの状況で確定していることは一つっ!!』
実況の勝鬨が轟く。
『今回の国別学園対抗戦、勝者は、王都だ――――――――――――っ!』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あー、とんどもない目にあった。
控室にあるシャワー室でたっぷりと水を浴びながら、俺はようやく安堵をついていた。ずっと痛みを覚えていたせいか、専門の治癒術師に治療してもらった後だというのにまだ全身が痛いように思える。
後、ずっと火照っているような感じがして、水を浴び続けたい気分だった。
『あれだけ肉体を酷使したんだ。ある意味当然だと思うがな』
隣で同じく水を浴びているポチがテレパシーを飛ばしてくる。
『己の身体に電流を無理やり流して動かすなど、正気の沙汰ではない。罰だと思って甘んじて受けるべきだな』
「言い方酷くねぇかな!?」
『下手しなくても死んでもおかしくなかったのだぞ』
ぴしゃりとやっつけられて、俺は口をつぐんだ。
『それにしても、今回は良く勝てたものだな』
「……それは俺も思う」
奇跡的だと言っていい。
まさかあんなアビリティがあるとは思わなかった。高レアリティの上に、自分よりレア度が低い相手の全てを封殺するなんて。
今回辛うじて勝てたのは、どうやら相手が微妙に不調だったらしく、能力が完全に発動しなかったことに加え、俺が《神獣の使い》というアビリティと、《シラカミノミタマ》による尋常ならざるステータス恩恵のおかげで、一部だけでも力が使えたことだ。
もしそれさえ出来なかったら、もう本当に殺されるだけだった。
あんなの、本気でチートだろ。
いやまぁ、俺もチートだと思うけど。
言ってしまえば、あの能力は《ビーストマスター》の究極なのかもしれないな。
「もう次は戦いたくねぇわ」
『私も同意見だな。奴隷紋の契約壺まで持ち出してくるとは思わなかったからな』
アレは所持しているだけで、帝国でも犯罪だ(帝国の場合は専用の許可がいる)。
当然俺たちはしっかり申告し(もちろんメイのことは隠しながら)、アザミは運営委員会によって拘束される運びとなった。運よく、そのツボも攻撃によって壊れなかったしな。途中で落としてくれてて良かったってヤツだ。
後はどういう流れになるかは分からないが、処罰は間違いないだろう。
まぁ、帝国側としたらアザミは重要な戦力だから、軽い処罰で終わらせるだろうけどな。
ちなみに、皆は蘇生措置を受け、今は別室で安静にしている。蘇生措置を受けなくて済んだのは俺の他にメイだけだったが、奴隷紋のダメージが大きく、同じく安静だ。
「そろそろ出るか」
いい加減、身体も冷えてきた。
きゅっ、とハンドルを閉めて、俺は水を止めてからシャワー室から出る。すると、更衣室でメイが待ち構えていた。両手にはバスタオルがある。
って、いつから居たんだ?
「メイ? 大丈夫なのか?」
「はい」
バスタオルを受け取り、俺はシャワー室で身体を拭きつつ訊くと、メイは少し無理をしているような笑顔を浮かべた。
すかさず俺は《ソウル・ソナー》を撃って状態を確かめる。体調──特に奴隷紋には、変調は見られない。
「ご主人様……ごめんなさい」
メイから服をトスしてもらって、着替え終えたタイミングで、メイは堪えきれなくなったように嗚咽を始めた。
っていきなりどうしたんだ?
慌てて更衣室に向かい、メイの頭を撫でてやると、メイは泣きじゃくりながら俺に抱きついてきた。
「メイ、メイ……っ! ご主人様に、ご主人様にぃっ……うわぁぁぁぁぁあっ!」
ズキン、と痛みが走った。
そうだ。メイは気にしてるんだ。自分が操られていたとは言え、俺に剣を向けたことに。まして奴隷紋が原因なら尚更か。
こんな健気なのに。なんで奴隷紋なんて。
ぐっ、と俺は唇を噛んだ。
消してやりてぇな、奴隷紋。
とはいえ、かなりの難題だ。何せ《魔導の真理》でもどうにも出来なかったからな。
「ごめんなさいぃ、ごめんなさいぃぃぃ…………っ」
「メイは悪くないよ。だから落ち着いて。大丈夫だから」
なるべく優しい声をかけながら、俺はメイを抱き締める。
落ち着くまで、背中をとんとんと優しく撫でる。
「ご主人様……」
「落ち着いたか?」
「はい。ごめんなさい」
まだ少し落ち込んでいる様子だな。仕方ない、ちょっと仕事をあげてみるか。気が紛れるだろ。
「ん、なんかちょっとお腹空いたな。メイ、軽くで良いんだけど、何か作れないか?」
訊くと、見る間にメイの表情が明るくなった。
「はい! メイに任せてください!」
何度も頷いて、メイは部屋から出ていった。
気配が遠退いてから、ポチが俺にすり寄ってきた。
『──主。何か小さい入れ物はあるか』
「え? ちょっと待ってろ」
俺は自分の服のポーチを漁り、採集用の小さい瓶を取り出した。促されるがまま蓋を開けてポチの口元にやると、ねた、とした黒い液体が落ちた。
この秘められた魔力は──! 奴隷紋の墨か!
受けた衝撃のままにポチを見ると、小さく頷いた。
『研究するのだろう? そう思って、少しだが回収しておいた』
「すまん、助かる!」
これがあれば、少なくとも試したいことが出来るはずだ。
俺は即座に隠蔽魔法と封印魔法を施し、ポーチの一番奥に忍び込ませた。これは持ってるだけで犯罪だからな。悪用するつもりはもちろんないけど、メイの奴隷紋を何とかするためだ。
っていうか、いつの間にこんな優秀になった、ポチ。
「じゃあブラッシングするか」
『うむ! 丁寧に頼むぞ』
「じゃあそこのベンチの上に寝転がってくれ、取ってくるから」
控室には俺たちの荷物が置かれている。修行というか、山籠もりした時の荷物そのまんまだから、ポチのブラシとかもしっかり持ってきている。
自分のリュックを探して、中をごそごそと探していると、唐突に違和感はやってきた。
なんだ、今のは。
背筋が凍るような、異質で気持ち悪くなるような魔力。これは……魔族の魔力?
思った刹那だった。
『「ミトメナイ……ミトメナイッ!」』
轟音が、やってきた。