第百八十四話
――朝がやってくる。
俺は久しぶりに我が家での朝を迎えた。むっくりと身体を起こし、朝の準備を始める。メイは少し早めに起きていて、ささっと朝ごはんの準備を済ませてくれている。
リゾート地での朝も良かったが、やっぱ我が家は落ち着く。それにやっぱメイの作る美味しそうな味噌汁の匂いがとても心地好いんだ。
「ん……」
ゆっくり伸びをしてからストレッチをして階段を降りる。
しばらくするとハインリッヒがこっそりとやってきて、簡単な朝ごはんを済ませてから訓練が始まる。
久しぶりの特訓だなぁ、と思いつつも、俺はしっかりとついていくことが出来た。
朝の城壁ランニングも、もう慣れたものだ。
チヒタ島でのリゾートは良い思い出になったし、良い経験になった。リフレッシュも出来たしな。何より収穫も色々とあって、俺としては充実したバケーションだった。つか南の島最高。
いつか絶対行くぞ。今度こそゆっくりと身体を休めるためだ。
思っていると、ペースが上がる。ちゃんと追い掛けないとな。って早い早い早い!
「へぇ、ついてこれるんだ。進歩したね?」
「ついて、いくのが、やっと、ですけどねっ!」
大きく息を乱しながら言うと、ハインリッヒは余裕の表情で振り返った。しかも爽やかな笑顔。くっそなんかムカつくぞ!
ホント、スタミナの化物だな! ステータスどうなってんの!?
「それでも大したものだよ。アマンダとか、このペースだとついてさえこれないからね」
そらそーだろ。
思いながらも俺は走ることに集中しようとして気付く。そうだ、俺には《鑑定》スキルがあるんだった。
ちょっと調べてみるか。
走りながら俺はハインリッヒに向かってスキルを使う。
ぽーん、と軽い鉄琴のような音を立てて数値が俺の脳裏に浮かんでくる。
ハインリッヒ【
HP:138000/138000
MP:115600/115600
物攻:213665
物防:225821
魔攻:175234
魔防:166597
素早:275846
…………………って、高っ!?
HPとかMPはハインリッヒのが高いし!
能力値ステータスは俺の方が上だけど、それでもこの数値を単体で出すとか信じられないんですが。
他にもスキルはたくさんあるし有用なものばっかっぽいしというか《神に愛されしもの》ってアビリティがマジチート。
どうチートかと言うと、《全ての魔法属性が得意になる上に、全てのアビリティ、スキルが習得可能になり、経験値取得量が二割上昇し、レベルアップに必要な数値が一割低くなる。また、レベルアップ時の能力上昇値が二割増になる。》と説明文があった。
なんじゃこりゃ……。
頭痛を覚えながら、俺はため息をつきそうになった。
本気で神に愛されてるじゃねぇか。恵まれすぎだろ、いや、本気で。その上で《神託》まで持ってるんだから、マジで隙が無いな。
「ねぇグラナダくん。何かしてない? 妙にくすぐったい気がしなくもないんだけど」
付け加えてこの魔力感知能力である。
「いえ、別に」
反射的に否定すると、ハインリッヒは僅かだけ懐疑的な視線を送ってきてから、また微笑んだ。
「ならいいんだけど、もうちょっとペースあげるね?」
「殺す気ですか!?」
「何を言ってるんだい? 人間、死ぬ一歩手前まで追い込まれてはじめて強くなれるんだよ? フィルニーアから教わらなかったっけ?」
思わず抗議すると、ハインリッヒから手痛い返事がやってきた。くそ、言い返せねぇ。
「それに聞いたよ。君たちの学年、学園対抗戦に出るんだって?」
「……まだ、正確、には、聞いて、ません、けどっ?」
走ることに神経を削られながら答えると、ハインリッヒはいきなりペースを落とした。合わせてブレーキをかけると、ハインリッヒは完全に停止してから振り返った。
割りと深刻な表情だ。
「え、本当に?」
「はぁ……はぁ……本当に、です」
荒くなった呼吸を整え、顎にまで垂れてきた汗を拭いながら俺は答えた。
「あー……忘れて?」
どうやら言ってはいけない機密情報らしい。まぁそれはそうか。まだ生徒に正式通達が出てないんだからな。
まずどこからそんな情報を、って疑問になるけど、ハインリッヒならどこからでも手に入れてきそうだし、不思議はない。
「いや、忘れなくても良いです。話があるっていうのは知ってますし、ほぼ確定っぽいのも知ってます」
って言っても、フィリオたちと俺だけだがな。
さすがにこんな情報を広めるつもりはないし、提供源であるセリナも望んじゃあいないだろうし。
「そっか、それなら良かった。とにかく、まぁ、おめでとう」
ハインリッヒは誤魔化すように褒めてくれた。
一般的に、この対抗戦のメンバーに選出されるだけで名誉なこととされているようで、ハインリッヒもその観点から言ってくれたんだろう。
「いや、俺がまだ選出されるとは限りませんけど」
「え? もうバッチリ選ばれてるって聞いたけど」
「チクショウッ!」
何を言ってるの? と言外に主張しながら言われ、俺は毒づいた。あの担任め!
「まぁ君が選ばれないはずがないからね。そこに関しては疑問に思うことさえ無かったんだけど」
「えらい自信ですね……」
「あのフィルニーアの弟子で、僕が目付けとして鍛えてるんだよ? 選ばれない方がおかしいさ」
しれっと言われ、俺は撃沈した。何も言い返せない。
「それよりも、一年で選ばれるなんて素晴らしいことだよ」
「偶然が色々と重なったからですよ」
「そうでもないと思うけどね。今の二年生は正直、怠慢だから……
期待出来なかったんだ。でも、グラナダくんが出るなら少し安心かな」
上級生の悪評はハインリッヒにまで届いているのか。
思わず辟易すると、ハインリッヒが苦笑した。
「学園の生徒は将来の後輩だよ? ちゃんと情報を仕入れるものなんだ。特にギルドに関わっている人間なら尚更、アンテナを高くしてるものでさ」
なるほど、常々情報は仕入れてるってことか。
言われてみれば当然の理論で、俺は納得した。
「だから君たちが頑張って一位を取ってくれると嬉しいんだけど……簡単じゃあなさそうなんだよね」
ハインリッヒの表情が苦笑から、困り顔になった。
この人がこういう表情をする時は本気で困った事態になる時だ。俺は良く知っている。
思わず身構えるぐらいだ。
「ここ最近動きが活発な帝国にも、とんでもない期待の星がいるんだ。帝国の麒麟児、とまで呼ばれているらしくね。他には《神の子》なんて物騒なあだ名も持っているそうだよ」
「なんですかそれ……」
「とにかく気を付けることだね。最近動きの活発な帝国が、特に力を入れて育てているそうだから」
つまり、ハインリッヒの再来と呼ばれているフィリオと同等か、もしくはそれ以上の可能性があるってことか。確かに油断ならないな。
しかも俺たちは黄金世代とまで言われ始めている。そんな世代が奴等に屈する、となったら、王国は落ちぶれてしまうかもしれない。うわ、そうなるとかなりの重圧だな。
「帝国をこれ以上調子に乗らせてはいけないからね。今回の対抗戦はかなり気合が入るはずだよ」
「なんかイヤな響きですね、それ」
「学園を上げてバックアップすることになるだろうからねぇ」
何故か楽しそうにハインリッヒは言う。くそ、対岸の火事だと思って。
抗議の目線を向けると、ハインリッヒは軽く躱した。
「ま、グラナダくんが本気で暴れてくれたら、そういう心配もないんだけど? 実際話、君に勝てる同世代なんていないから」
ハッキリと言い切られるが、俺は抗議の意味を含めて頭を振る。
俺はそういう権力闘争みたいなモンに巻き込まれたくない。メンドクサイことこの上ないし。フィルニーアじゃないけど、そういうのは毛嫌いしてるんだ。
別にそれそのものを否定するつもりはない。必要だってのも理解する。けど、その当事者になるつもりはないってコトだ。
「実際、僕も全力で戦ってみたい相手だと思ってるしね?」
「そんなことされたら、一〇秒持ちませんよ」
真顔で言われたので真顔で言い返す。
俺が勝ってるのはステータス値だけで、スキルやアビリティで負けてるし、そもそも魔法属性でも桁違いだ。本気で戦ったらあっという間に消炭だぞ。
「あはは、そうならないことを祈ってるよ。さて、訓練を再開しようか」
「分かりました」
ハインリッヒの言葉に俺は頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝の訓練を終えて登校すると、教室が修理されていた。
久々のクラスは綺麗になってて、俺たちとしてはちょっと嬉しい。やっぱピカピカの机とかって良いよな、うん。
だが、そんな新鮮な気分はあっさりと打ち砕かれた。
担任が入ってきてSHRを始めるなり、俺とフィリオ、アリアス、セリナ、アマンダ、エッジを壇上に立たせたのである。もう絶対嫌な予感しかしない。
「ということだから、国別学園対抗戦。お前らに出て貰うからな」
ざわ、と教室中がざわめいて、俺は力の限り落胆した。
本気だ。本気で選びやがったよ、この担任。
「まぁグラナダは付き人であるメイを出場させるためでもあるがな」
一応フォローらしきことを入れてくれるが、その顔は明らかに期待の視線だ。俺は思わず拒否権を求めようとしたが、全員からの羨望の眼差しと、アリアスあたりからの険しい視線を受けて断念した。
さすがにこの雰囲気で断れるほど、俺は強くない。
「そういうことだから、対抗戦までの一週間、お前ら今日から特別授業な」
「「「特別授業?」」」
全員が訝りながらおうむ返しに訊く中、俺だけは果てしなく嫌な予感を駆け巡らせていた。
蘇る。ハインリッヒの言葉が蘇る。
背筋を凍らせていると、待っていたとばかりに巨大な気配が生まれ、さらにけたたましい音を立てて扉が開かれる!
「がっはっはっはっはっは!!」
間髪おかずに上がった豪胆極まりない笑い声は、衝撃を伴って教室中に轟いた。
がしゃーんっ! と盛大な音を立てて机と椅子がひっくり返り、教室は一瞬でメチャクチャになった。あちこちで悲鳴と呻きがあがり、唯一教壇だけは担任が抑え込んで転倒を免れたが、教室の窓ガラスには早くも亀裂が走りまくっていた。
ちなみに俺以外の全員が倒れている。
「新調したばっかの教室になんつーコトしてくれてんですか……」
俺は沈痛な表情でこめかみを押さえながら言う。
「――ライゴウさん」
「がっはっはっはっはっは!! すまんすまん、つい嬉しくて調子に乗って加減を間違えてしもうたわ!」
まるで何一つ悪びれる様子なく、ライゴウはそう言い放ったのだった。
つか、このタイミングで出てくるってことはアレですよね? ライゴウが臨時教師になるとか、そんな展開ですよね? ああ、もうホントにイヤだ!!
俺はただ内心でそう叫んだ。