第百七十四話
かっぽーん。
どこかで桶の音がした。たちこめる湯気は心地よく、見渡す限り、そこは浴室だった。
こりゃあ本物の大浴場だな。百人は軽く入れるんじゃね?
「ほえぇ……」
メイもその大きさに感嘆の声を上げていた。
スフィリトリアの時も大きかったけど、ここはその倍はあるな。大浴場の中にも浴槽があるが、それもまた巨大だ。しかもお湯が絶えず溢れかえってて、源泉かけ流しっぽい。うーん、贅沢だな。
生前は日本で、しかもほとんど入院してたし、こっちに来てからも田舎村や王都は水に恵まれていたから意識してなかったけど、実際話として水はかなり貴重だ。
それをここまで遠慮なく使えるってのは中々ないぞ。
特にこういった島では尚更のはずだ。
時間的に良いのだろうか、風呂には人影がなかった。
「なんか貸し切りっぽいな。じゃあ遠慮なく入るか」
「はい!」
とりあえずはかかり湯して、俺たちは身体を洗う。
ん、ここにもシャンプーが置いてあるな。しかもかなり上等品だ。こういうアメニティを惜しげもなく使ってる辺り、気が届いているよな。
俺は遠慮なく使わせてもらうことにした。
「メイ、頭洗うよ」
「はいっ!」
ちょこん、とメイは俺に対面しながら座り込む。俺はメイの白に近い銀髪にお湯をかけてからシャンプーをしてやる。わしゃわしゃ、とすぐに泡立つ。
こうして触ると、メイの髪って綺麗なんだよな。さすが異世界って感じだ。
「えへへ、ご主人様に洗ってもらうと気持ち良いのです」
「そうか?」
「はい!」
メイは目を閉じながらも嬉しそうに頷いた。
まぁ、人に洗ってもらうって気持ち良いもんな。それに俺は良く看護師さんに洗ってもらってたから、コツとかも知ってるし。というか、色々と教えてもらった。
「はい、おしまい」
シャワーでシャンプーを洗い流してやると、メイはスッキリした様子だった。
身体は自分で洗う。まぁ、メイの場合、スクール水着の上だからあまり意味はないんだけど。それでもするのとしないのとでは違うらしい。
特に奴隷紋の辺りは念入りだ。
「たまに思うんですよね。こうして洗ったら消えないのかなーって」
なんでもないように言ってくるが、俺はチクリと胸が痛んだ。
メイの奴隷紋は強い魔力が籠められている上に、メイの魔力経絡と繋がっている。言ってしまえば、メイの身体の一部になっているのだ。それを消すのはかなり苦労する。
実際、フィルニーアでさえ消せなかったのだ。
俺も時間を見付けては試行錯誤してるが、糸口さえ掴めない。
「ま、仕方ないんですけどね」
「メイ……」
この世界において、奴隷紋は非常に不利だ。奴隷という立場だけで、一気に蔑まれる。
特にメイの場合、レアリティが
まぁ、貴重な
メイもそれを重々承知していて、人前では絶対に見せないようにしている。
最悪じゃなくとも、俺にも波及してくるだろうし、メイはそれを一番心配しているようだ。
「よし、お湯につかるか」
「はい!」
気を取り直して言うと、メイは元気よく頷いた。
まずは内湯からだな。
広々とした浴槽で、正面はガラス張りだ。んー、これだけお湯があると何だか気分が良いなぁ。
「露天風呂もあるみたいですね」
「そうだな。そっちもいってみるか」
せっかくだし、たくさんのお湯を楽しみたいし、やっぱ温泉っていったら露天だしな!
それに気候的に温かいから、外でも全然平気だ。
「わぁっ…………っ!」
「絶景だな」
外に出て、メイは感動し、俺も思わずその景色に見とれた。
どうやら露天は少し高いところにあるらしく、森と火山、そして奥に海が見下ろせる絶景だった。ここまでダイナミックで力強い風景が見れるのは珍しいんじゃないかな。
肝心のお風呂は、岩風呂だ。お湯は乳白色。おお、しっとりしてる。これは良いなぁ。お湯の熱さもほどほどで、しっかりとつかれそうだ。
「わぁ、色つきのお風呂なんてあるんですね」
「温泉成分でそうなる時があるんだよ。他にも茶色とかあるぞ。鉄の成分とかがあるんだ」
「へぇ、そうなんですね」
温泉につかりながら、メイはふぅ、とため息をつく。気持ち良さそうだ。
俺も温泉を堪能する。うん、この滑らかなお湯は良いな。
「おや、ここにいはりましたか。隣よろしいでっか?」
声は後ろからかけられた。振り返ると、トリモチが水着姿で立っている。とはいえ、さっきまでの人当たりの良い気配は少し影を潜めていて、代わりに強者の雰囲気が少し際立っている。
ってことは、俺には隠すつもりがないってことか。
少し警戒しつつも、了承の意を籠めて少しだけ動く。トリモチは「どうも」と言ってから静かに温泉に入ってきた。
「んー、やっぱええお湯やね、ここは。景色も素晴らしいでっしゃろ?」
「そうですね。日本人の心を上手く掴んでると思います」
カマかけで言ってやると、トリモチはニヤりと笑みを深くさせた。
俺の言わんとしてることは察したようだ。
「やっぱり、あんたさんだけは見抜いてはったんやね。イヤやわぁ」
「それはこっちのセリフですね。もし見抜かせるつもりがないなら、あんなタイミングで微妙に威圧を放つはずがないですから」
「せや。つまり試したってことや」
おどけて見せるトリモチに鋭く指摘してやると、トリモチはまた笑みを深くさせた。もう鋭い眼光を隠そうともしない。
そこまで受けて、メイが俺の傍にやってきた。警戒だ。
「警戒せんとってや。別に敵意があってやってるワケやないねん」
手を振りながらトリモチは苦笑を浮かべる。どこかハインリッヒぽい反応だな、今の。強すぎるヤツってみんなこうなのか? いや、違うな。ライゴウとかライゴウとかライゴウとか。
思い浮かんだゴツいオッサンを頭振りで払い飛ばし、俺はトリモチを見据えた。
考え方を変えろ。コイツはアレだ、ハインリッヒと同じく食えないタイプだ。
「それで、なんで試したんですか?」
「本気で強いヤツを見たいから、やね。ワイ、こう見えても《鑑定》持ちやねん」
鑑定、と言われて俺は思い出す。
確か世界でも数人しかいないとされるレアな固有アビリティのことだ。フィルニーアは、魔法でそれに近いことを再現していたが、やはり精度で劣るとか言ってたな。
「悪いけど、あんたさんのこと全部鑑定させてもろたわ。せやし興味を持ってここにやってきてん」
俺は咄嗟にネックレスにしてる《シラカミノミタマ》を掴んで距離を取る。
もしここで襲われたら、全力で暴れるしかないな。とにかくメイを回収して、ポチを呼び寄せて――。
思考が一瞬で戦闘モードに切り代わり、高速回転を始めたタイミングで、トリモチは慌てたように両手を上げて敵意のないポーズを見せた。
「ちょ、待ってぇな。若い子は血気盛んやなぁ。何回でも言うけど、ワイは敵意ないって」
「怪しいトコですね」
「本気やって。大丈夫、心配せんでもそんなたいそれたモン、パクらへんわ。
目を見開いてトリモチは饒舌に語ってくる。うーん、どうやら本気っぽいな。
事実、奪われたとしてもフィルニーアの魔法で俺にしか力が使えないようになってるし、ポチとは俺と専属契約だからな。どうこう出来るものじゃあない。
「せやし逆に興味を持ったんや。あんたさん、転生者やのに
「……そうですね」
「ワイ、はじめて見たわ。というか、《森の》に訊いたけど、この異世界じゃあ前代未聞の初めての例らしいな」
「森の?」
「ああ。森の神獣のことや。ワイ、仲良しやねん」
怪訝になっておうむ返しに訊くと、トリモチはあっさりと認めた。
「って言っても、あんたさんみたいに契約までは至ってへんけどな。それにしても、転生者やのに
「成り行きもありますけどね」
「せやかて、大したもんやで? 《ビーストマスター》《魔導の真理》《神獣の使い》――どれもこれも超一級品のアビリティや。その上で神獣のスキルまで使えるみたいやし、見たこともないオリジナル魔法とかもある。まぁ、地水火風とかの属性魔法は基本しか覚えてないみたいやけど」
覚えられない、と言わなかったのは、トリモチの配慮だろうか。
「そんなに強くなって、何がしたいんや?」
「村を復興するためです」
俺が即答すると、トリモチは驚いた表情を見せた。
それから俺はかいつまんで事情を説明して、すぐにトリモチは納得の表情に変化した。
「なるほどな。いささか過剰な気がするけど」
「そこは成り行きもありますが、力はあれば損はしないですし」
「せや。その通りやな」
俺の言葉に、トリモチは何度も頷いてくれた。
「神さんもあんたさんがここまで強くなるなんて、想像もしてへんかったやろうなぁ」
「でしょうね。使えないからって森に捨ててくれたみたいですし」
これは俺の推測だが、そうとしか考えられないのもまた事実だ。
赤ん坊の状態で魔物が蔓延る森の中に捨てたんだぞ。お前、死んでも良いよって言われてるのと同然だ。
「それはけったいな話やな。さすが神さんやで。ワイもそこらへんが気に入らんくてな、第一線から引かせてもろたんや。ハインリッヒは頑張ってるみたいやけど、ワイには無理や」
「なんか、世界に詳しいですね?」
「森のからいっぱい教えてもろたからな。別に隠す情報でもないから、教えてあげても構へんで」
言いながら、トリモチ――否、風のアレンは指先に風を宿す。
「神さんから少しは聞いたと思うけど、ワイら転生者は異世界ガチャっちゅう景品にさせられて、転生させられとんねん。それは、この異世界が自力では世界を救えへん、つまり、滅亡から回避できひんって判断して、異なる力を求めた結果や」
その辺りはなんとなく分かる。
「せやけど、異界の力を変換するっちゅうのは存外大変みたいでな。タダでやるなんてアカンってワケや。そこでこの世界は、神さんに対して課金するワケやな」
「なんかソシャゲっぽいというか……」
「はは、違わんな。それで、その課金額によって排出されるレアリティが変わるっちゅうわけや。この世界は割と廃課金というか、量よりも質を求めてるようやねん。それで高い金額のガチャを回してて、常に高レアリティが輩出されてるっちゅうわけなんやけど」
指先に宿った風が破裂し、周囲にそよかぜを起こした。
さらさら、と、周囲の木々の葉がこすれ、心地よい音を奏でる。
「一定の課金をすると、ボーナスとか特典とかあるの、知ってるやろ?」
「ええ、まぁ」
「あんたさんは、そのオマケのレアガチャチケットで出て来たんや」
おお、そういうことか。
オマケのレアガチャチケットってのは、ガチャ一回分に相当し、
「せやし、本気でどうでもええと思ったんやろうなぁ」
「そう言われると、すっごいムカつくんですけど」
「せやろ? やから、もしあんたさんが世界のために頑張ってる! って言う理由で強くなってるんやったら教えてあげよ思てな? でもそうやなくて安心したわ。せっかくの第二の人生やで、好きに生きればええねん」
別にそれで咎められることもなさそうだしな。遠慮なく俺もそうさせてもらうつもりだ。
そもそも、俺の強化前のステータスだと上級魔族となんて渡り合えるはずがないからな。そんなんで世界のために戦ってたら、あっさりと死ぬ。
そもそもどうでも良いと思って捨てられてるのに、そこまでやる必要はないからな。
俺は冒険者になるが、そこそこの功績を上げて村を復興させたらとっとと引退する予定だ。
「ま、ワイが言いたいのはそれだけや。あんたさんのツレ――三人とも
「そこまで見抜けるんですか?」
「ワイの鑑定は相手のカンスト予定値まで分かるからなぁ。あの三人はええとこまでいくで?」
なんだ、その目線。まるで俺の今後の動きでそれが変わるみたいな言い方だぞ。
ジト目で見返すと、アレンはくすりと笑った。
「まぁ、惜しいのはあんたさんもそうやけどな」
「え?」
「せやなぁ、ちょっと模擬戦やってみよか。本気でぶつかっといで。そしたら分かるわ」
ざば、と立ち上がりながらアレンは不敵に笑う。
「あんたさんの可能性を見せてあげるわ」
それは俺にとって、かなり魅力的な響きがあった。