第百六十四話
俺がキレている理由は幾つもある。
これまでの一連、アザゼルとアズラエルの非道ぶり。アリアスを狙って、カトラスの人生をぐちゃぐちゃにして、ネェルの魂もむちゃくちゃにして。
王都をまた戦火に包もうとしているのもムカつくしな。
でもそれ以上にキレてんのは、フィルニーアの研究を勝手に悪用したことだ。
どうやって盗んだのか知らないが、許されることじゃない。絶対だ。そう、絶対にだ。メイも同様で、かなりキレてる。
今回の作戦だって、俺がコイツらをぶっ飛ばすためでもある。俺とメイとで、アザゼルとアズラエルの二人を仕留めるように組み立てたからな。
相手が上級魔族? 知ったこっちゃねぇ。
滅びるまでぶちのめす。それだけだ。
「さぁ、起きろ。テメェらの相手は俺たちだ」
地面をわざと踏み鳴らして宣言すると、二人は同時に起き上がった。かなり本気で殴って蹴ったのだが、さすがは上級魔族。そこまでダメージはないらしい。
まぁそこまで魔力籠めたわけじゃないし、当然と言えば当然か。
「君は……確か、グラナダくん、だったよね」
歪んだ顔を直しながら、アザゼルは余裕を崩さない。
「君が出てくるとは思わなかったなぁ。てっきりアリアスを護衛してるものだと判断していたよ」
「はぁ?」
「君は賢くて聡明そうだから、何よりアリアスの命を優先すると思ってたんだけどね。まさか怒りに身を任せてやってくるとは思わなかったなぁ。君、意外とバカなんだね」
チープ極まりない挑発を、俺は鼻で笑い飛ばす。
「暗殺者だろ?」
核心を突く一言に、アザゼルのナチュラルに煽ってくる笑顔が僅かだけ歪んだ。
「この混乱に乗じて、アリアスを殺そうと企む。二流のやりそうな搦め手だ。そんなんに気付かないはずがなくて、俺がそれに引っ掛かってアリアスの護衛をすると? アホか」
俺は容赦なく悪態をぶつける。
暗殺者の可能性は見抜いていた。さすがに一から十までカトラスの目の前で策を練っているはずがないので、ネェルからはそういった情報はもたらされなかったが、容易に想像がつく。
「そんなもん、とっくに対策取ってるに決まってんだろ」
俺は何もかもを汚してくれたアザゼルとアズラエルを潰したいんだ。それに集中するため、考え付くあらゆる可能性に対策を講じてある。
「おいアホ魔族。楽に死ねると思うなよ」
そう言って、俺は魔力を更に高めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──フィリオ──
ほんの、僅かな物音。
どういう仕組みか、魔術的にロックされている窓の鍵が解錠され、ゆっくりと開いていく。
僅かな月明かりの中、影はゆっくりと動く。その滑らかで無音の動きはプロのそれだ。気配も殺していて、これでは確かに気づけない。
──けど。
どこからやって来るか分かればどうにでも出来る。
俺は部屋の隅でじっくりと待つ。
すると、二人目がぬるりと入ってきた。予想通りだったけど、俺はどこか恐怖に近いものを覚える。彼ら──暗殺者に対してじゃあない。それを予見したグラナダに対してだ。
「いいか。暗殺者は絶対に二人で行動する。それはアリアスが《超感応》を持っていて、一人では手こずる可能性があるからだ。その上に護衛がいると判断しているだろうしな」
グラナダは、かつて俺に見せた時よりも怜悧な表情を見せながら教えてくれた。
グラナダが言うには、グレゴリウスの手解きによって暗殺者がここへ侵入するような警備を敷いたらしい。ガチガチに固めると、向こうはどんな手でやってくるか読めない。だったら逆に誘い込んでやれ、ということらしい。
怖いのはそれを読みきって実現してみせた所だ。考えるグラナダもだけど、グレゴリウスも優秀だ。
二人目の侵入が終わり、ほんの一歩進む。それは合図だった。
「──《雷神》」
静寂には大きすぎる声。
暗殺者が一気に警戒心を最大にしたタイミングで、俺は暗殺者に肉薄していた。
直後、俺は剣を暗殺者に叩き付けていた。不意打ちのタイミング、加えてこの加速に付いてこれるはずがない。
一撃で急所を切り抜き、俺は二人目に飛びかかる。
「くっ!」
「《雷神》」
刹那の明滅。
迎撃の姿勢を取った暗殺者は、この一瞬の加速についてこれず、剣の一撃を受けて吹き飛んだ。
盛大な破砕音を響かせ、暗殺者は壁にめり込んだ。
「これで終わり、と……」
俺のこの技は奇襲でこそ生きる、初見殺しだ。暗殺者を迎撃するのに最も適している。
そもそも暗殺者は暗殺技術に特化しているからこそ脅威的であり、レアリティで考えればRレア程度でしかなく、正面から戦えば然程脅威的ではない。
もちろん、伝説的な暗殺者であるヅィルマクラスなら別だろうが、そもそもそんな化け物が来る確率なんてかなり低いし、ヅィルマは誰かによって始末されたらしい。
「とりあえず、次の襲撃に備えますか……」
俺は暗殺者を部屋の外へ叩き出してから、ひっそりと気配を殺す。アリアスは別の場所──禁書庫にいる。あそこは王城でも一番安全な場所だ。
もちろんそこまでは辿り着けないよう、巧妙に警備網が展開されている。
後は、グラナダたちがなんとかしてくれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──ラテア──
さぁ、始末を付けようか。
私は白装束──名も知らぬ父を睨み付ける。すると、行方を遮るように、いかにも悪魔然とした怪物、魔族がやってきた。
ぐるぐると唸りながら、口からは泡になったヨダレを垂らす。
腹でも減っているのか? まぁいい。
私は魔力を高めた。
「《水の悲しみ》《水の嘆き》《泡沫の激情》」
訥々と呪文を口にする。
「《今、整然と》《絶望を歌にせよ》《死はすべての優しさの始祖となるだろう》」
魔族が地面を蹴った瞬間、私は魔法を発動する。
「《ペイン・ゲイン》」
ずどん、と、地面を砕いて窪ませながら踏みこみ、魔族はその体躯に似合う腕力を発揮して私を砕き……──反射した。
軽い風船でも割れるような音を残し、頭を失った魔族はそのまま後ろ向きに倒れ、砂となって消えていく。
予想よりもかなり弱い。
あっけなく消えた敵の残滓の中、私は男へ突き進む。
「この術は……っ」
「《神眼》を使えるからこその魔法だ」
驚く男に、私は端的に答えてから近寄っていく。
「出せるのが、一匹だけだと思ったか!」
吠えながら、男は魔法陣を多重に出現し、次々と魔族を呼び出していく。
真っ黒い熊のような、獣そのものの魔族たちが一斉に飛び掛かってくる。まるでバカの一つ覚えのようだが、おそらく違う。私の術の特性や弱点を探すつもりだろう。
ふん、青いな。
私はナイフを抜く。
そんなこと、私がさせると思うのか?
魔族どもが飛び掛かってくる。だが遅い。私は魔族の動きを《神眼》で読みながら対応し、次々と首を切り刻んでいく。血の雨が降り出す頃には、私はもうそこにいない。
「この私を……──倒せると思ったか!」
「このっ……! 《ヘヴィ・エアロ》っ!」
男へ向かって私は加速するが、男は反撃に魔法を撃ってくる。
この男に、私の《神眼》は通用しない。おそらく、何かしらの対策を講じてあるのだろう。
だが、だったら基本的な能力差で圧倒するまでだ。私は魔力を高めながらナイフを投げて地面に突き刺す。
「《グランデ・クラッシュ》!」
ナイフが割れ弾け、衝撃が周囲の地面に強烈な亀裂を走らせる。直後、地面が爆裂して破片を次々と噴き上がる。
大地の砕け割れる地鳴りのような破砕音。
「おのれっ!」
男は上空へ逃げながら舌打ちする。
その逃げ方は、予想通り過ぎる。
「《フレイム・ボムズ》」
先手を撃つように魔法を発動させ、男の周囲に無数の小さな炎の球体を出現させる。
「これはっ……!?」
直後、私は指を鳴らし、炎の球体同士を衝突させて爆発を次々と引き起こす。
回避は許さない。
もうもうと立ち込める爆煙の中から、男は全身を燃やしながら落下してくる。私はそこに向かって地面を蹴っていた。
「かはっ……!」
血を吐く男の首筋に、私はナイフの刃を食い込ませた。
この男を父親と思ったこと。本当は、ある。何度も、何度も。だが、今回で分かった。この男に親としての情念も責任も無いのだ、と。
最初から徹頭徹尾、私は娘ではなかったのだ。
胸が、じくじくと傷み、私は自嘲する。
まだ傷付ける心があったのか。
そもそも自分が思い込んでいただけの願望だったのに、予想通り違ったのに、どうして裏切られた気分になるのだろうか。
どうして、一瞬だけでも躊躇ったのか。
「終わりだ」
私はその全てを切り捨てるように、ナイフを引いて首筋を、頸動脈を引き裂いた。
「ぁがっ……!?」
目に見える、男の絶望。
必死に飛び散る血を止めようと頸動脈を押さえるが無駄だ。止められるはずがないのだ。
「そんなっ、ばかなっ、どうして、なぜっ!」
「単純な話だ。冒険者として私の方が優れていた。それだけだ」
もちろんレアリティの差も大きいがな。
私はせりあがってくる感情の全てを圧し殺し、静かに着地した。
「くそっ、この、出来損ないめ! 私には、私にはまだっ!」
「その出来損ないを作ったのは貴様だし、そしてその出来損ないに負けるのも貴様だ。そんな貴様はなんなのだろうな? 単なるクズか、ゴミか」
ずしゃり、と男が地面に落ちる音がした。もう振り返らない。
「どっちでも良いし、どうでも良い。死ね」
ただそう告げて、私は息を吐いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──ハインリッヒ──
この戦いに、終止符を。
僕は静かに息を整え、全身に走る傷の痛みを堪えた。ぼた、ぼた。と、血が落ちていく。
目の前には、悠然と立つ、無傷のカトラスがいた。
「さぁ、終わりにしましょ?」
薄く笑いながら、カトラスは裸足の痕跡を残しながら、近寄ってきた。