第百五十四話
フィルニーア。
言うまでもなく、俺の育ての親にして、師匠。最強の魔法使い、英雄、など、あらゆるあだ名を持つ。
そんな傑物の名前が、どうして出てくるんだ?
圧倒的な違和感に惑っていると、ハインリッヒも動揺を見せていた。
「ど、どういうことですか、ラテアさん」
「分からん。だが、フィルニーアという名前は視えたし、間違いなくあのフィルニーアのことだろう」
「あのバーサンの名前が出てくるとはのぅ」
髭を撫でながら、ライゴウも唸る。
「繋がりが見えないね。どういうことだろう」
「それに、どうしてアリアスが狙われたのか、だな」
考え込む様子のハインリッヒに、ラテアが更に疑問をぶつけてくる。だが、そこはもう解決している。というか、繋がった。
「秘密結社ガルヴァルニア……か」
「そこに繋がってくるよね、どうしても」
俺が言葉を漏らすと、ハインリッヒが苦笑しながら同意した。
ヅィルマから聞き出した、アリアスを狙う組織。そして今回、アリアスが暗殺されかけたこと。
アリアスは不安そうにしてハインリッヒにしがみつく。
「あの男とカトラスが、ガルヴァルニアに所属しているってこと、か」
ヅィルマから聞いた時から、いつかアリアスが狙われると思っていたが、まさかこんな状況になるとは。
それにしても、ガルヴァルニアの狙いが分からない。何を目的として、何を考えているのか。そして、フィルニーアがどう関わってくるのか。
少なくとも、フィルニーアがそんな組織に関わっていた様子はない。
「ともあれ、フィルニーアが関わっている以上、そこから調べていくべきだろうな」
ラテアは小さくため息をこぼす。
「それで、ラテア。お前とあのいけすかない男。どういう関係なんだ? 夫婦か?」
「男女と見ればすぐそう思う空っぽな脳みそにそろそろ色々と常識とか常識とか常識とか詰め込んだらどうだ?」
空気を乱しまくる一言を真顔で放つライゴウへ、ラテアは手厳しいツッコミを入れた。まぁ、分かる。
だが同時にファインプレーだ。これでラテアはあの男との関係を話さなければならなくなった。
「まったく……あの男は、はぐれものの研究者だ。元は帝国で働いていたようだが、あまりにマッドな内容のせいで捨てられたようだ。その後は裏の組織に研究成果を売り払いながら資金を稼いで研究の日々を送っていたようだが」
まさにテンプレな悪役科学技術ってとこか。性格とかも色々とぶっとんでるんだろうな。いや、ぶっとんでるか。あんな薬を躊躇いなく服用させるんだから。
「冒険者としての腕も悪くない。研究のために魔法も修得していったようだし、依頼もこなしていた様子だしな」
その割には暗殺者を呼び込む時だろう、あの視線は分かりやすすぎたけどな。まぁ俺がいないと思ってたからなのかもしれないが。
「まぁそんな男だが、私の父親でもある」
「「「は?」」」
とんでもない発言に、全員が呆気に取られた。
ラテアは自嘲気味に鼻を鳴らす。
「理論は簡単だ。自分の研究には人体が必要だった。だが、人さらいをするのはリスクが高いし、奴隷も簡単ではない。だったら自分で作ってしまえ、というものだ。愛情も何もない」
うわ、ヘドが出るな。
思わず気持ち悪くなった。頭のネジどころか、頭そのものがぶっ飛んでんじゃねぇか?
「私はその中の一人で、《神眼》を授けられた。そもそも《神眼》は特定の一族にしか発現しない能力で、言ってしまえば《神託》と同じだ」
「確か、帝国が統治している地域だったね」
ハインリッヒの言葉にラテアが頷く。
「だが、《神眼》には強い拒絶作用がある。適応していないと、肉体が持たずに滅びてしまう。私も当然強い拒絶に晒されて、命の危機に瀕した。辛うじて助かったのは、母方の血筋にその一族がいたからだったが……やはり能力は完全に使いこなすことはなかった」
だから、出来損ない、か。
俺は小さくため息を漏らした。聞けば聞くだけサイテーだな。
「それで私は捨てられて、今に至る」
「それはまたヘビーな話を……どうも」
ハインリッヒが重い表情で言った。同感だ。
もうハインリッヒだけでもお腹一杯なのに、ラテアの事情も中々どうして過酷である。
まぁ聞いたのはこっちなんだけど。とはいえ、これでハッキリとした。ラテアのクソ親父はガルヴァルニアに所属している。そこで何かの研究をしていると思って良い。
その被験者がカトラスで、そのためにはアリアスの命が必要で、フィルニーアが関わっている。
……うん。まったく意味不明だぞ!
もはや思考放棄したいところだが、そうはいかない。
「話を戻すぞ。問題であるフィルニーアから探るってことだが、どこかに研究資料とか残っていないのか?」
「田舎村の家に行けば、ある程度の資料はあると思いますけど」
ラテアがバッチリと俺を見てくるので、仕方なくそう答えた。俺を見ながら言ってきてる時点で、俺がフィルニーアの弟子だってことは知っているんだろうしな。
あまり他人に入られたくはないが、そういう我が儘を言っていられる場合ではない。
「なんだ、煮えきらないな」
「フィルニーアの私室は、あかずの間なんですよ」
俺は正直に答える。
あの屋敷にはフィルニーアの私室が幾つかあって、書斎には俺も入ることが出来る。実際、フィルニーアがいなくなった後はその書斎から必要なものを取り出して使ってたしな。
けど、研究室だろう部屋には入れない。俺にその権限がない。
「それはまた難儀だな」
「強引に開けようとすると、何が起こるか分かりません」
フツーに侵入者と見なしてトラップの嵐が襲いかかってくるだろうな。絶対にロクでもない。命が五個くらいで済んだらラッキーじゃないだろうか?
ハッキリと言ったことが効果的だったのか、ラテアが少し尻込みするように仰け反る。ハインリッヒは苦笑し、ライゴウでさえ困ったような表情だ。
ちなみに分かってないアリアスは怪訝になっていて、メイは沈痛な表情を浮かべている。
「なんとかして解除できないのか?」
「やってみたことがないんで、なんとも言えませんけど」
「厳しいことに違いはないだろうね」
俺が言うと、ハインリッヒが補足した。
「あのバアサンが相手なら一筋縄じゃあ行かんだろうな」
あのライゴウがここまで言うのである。
「と言っても、行かなければ始まらないだろう。案内できるか」
「案内も何も、俺の実家ですからね。大丈夫ですよ」
「学園の方もしばらく休みになることだしね」
学園祭が終わると、中期休暇の時期に入る。二週間と少しの休みで、遠方からやってきている学生を除けば、実家に戻る。
まぁ俺もその遠方に入るんだが、クータに乗ればそこまで時間は掛からない。
それにハインリッヒの時空間転移魔法を使えば更に早いしな。
「分かった。それじゃあ、学園が休みになったところで向かうとしよう。それまでアリアスの護衛だが……ライゴウ、ハインリッヒ、私でローテーションするか」
「それが一番無難だね」
伝説とまで言われる怪物たちに護衛されるとか、どんだけVIP扱いなんだか。
しかし、相手が相手なだけに納得してしまう。
特にカトラスがやってきたら、どう対処すれば良いか俺には分からないからな。常識外には常識外をぶつけるしかない。
それから短いやり取りで、アリアスの護衛は纏まった。
当のアリアスは不安そうにしているが、ハインリッヒが慰めるとすぐに機嫌を直した。さすがというか、なんというか。
「あ、そうだ。忘れてた」
お開きかな、と思った矢先、メイが手を叩く。
「ライゴウさんとハインリッヒさんの決闘の結果なんですけど」
その言葉にライゴウが大きく肩を震わせた。
「ああ、言うまでもなくハインリッヒさんの勝ちだろ」
「ぐぬぬぬぬっ……」
俺が言うと、ライゴウは悔しそうに拳を握りしめ、その顔は怒りと言うより涙を必死に堪えている様子だった。
うわー、これ、まだメイを諦めきれてない感じだな。
素早くメイが俺の後ろに隠れる。まさかここで暴れることはないと思うが……たぶん、いやきっと、おそらく。どうしよう、どんどん自信が無くなっていく!
などと思っていると、ライゴウが大きく息を吐いた。
「お、男の約束じゃ……諦めよう……」
言いながらもライゴウは何度もメイをチラチラと見てくる。
未練タラタラだなぁ。
だが、メイの方は完全に苦手意識を持っているようで、俺の背中にはりついて離れない。ぎゅっと握られている。
「しかし、料理上手な上にあの胆力、それでいて、こう、何か原始的なものをくすぐられる可愛さ……ああ、目に入れても痛くないくらいじゃ」
──ん?
目に入れても痛くない? それって……。
思いながらハインリッヒに目線を向けると、同じことに思い至ったらしいハインリッヒも苦笑していた。
「あの、ライゴウさん。それ、たぶん恋じゃない」
「なんじゃと!? いや、確かに、恋愛感情というには、あまりにもなんというか……」
指摘すると、ライゴウは明らかに戸惑った。ああ、やっぱり。
「えっと、それ、孫を思う気持ちとか、そういうのだと思います」
「ま、孫っ……!?」
なんか雷に打たれたようなエフェクトを背景に、ライゴウは恐ろしいくらいの衝撃を受けていた。
あー、えっと。
なんやこのオッサン。
「そ、そうかっ……これが、これが!」
手をわなわなと震わせつつ、ライゴウはメイを見る。俺の背中に隠れるメイは、ちらりと覗いていた様子だったが、すぐにまた隠れた。
目でもあったんだろうか。
「これが、孫を思う気持ち……っ! ぐ、ぐうっ」
「あの、大丈夫ですか?」
色々な意味を籠めて言うと、ライゴウは全身をぷるぷる震わせて何度も頷く。
「た、頼むっ……ワシをおじいちゃん、と呼んでくれないかっ……!」
「いや」
ライゴウの全身全霊の訴えを、メイは一言で切り捨てるのだった。