第百五十五話
随分と懐かしい空気と、森の気配。たった数か月離れただけなのに、ここまで懐古の念にかられるものなんだろうか。
じゃり、と、すっかり緑の濃くなった道を歩いて、俺たちは実家に辿り着いた。
植物のツタが伸びているが、二階建ての丸太小屋のような家は変わっていない。
「ほう、ここがフィルニーアの家か」
珍しそうにラテアは家を見上げた。
「じゃあ、ちょっと掃除してきますね。ホコリ凄そうですし」
「いや、構わないぞ」
「いえ、お迎えする以上は。ご主人様、ご足労願っても?」
メイが上目使いで訊いてくる。俺は即座に頷いた。
「すぐに終わるから、ちょっとだけ待ってて欲しいです。もしかしたら物取りが入ってる可能性もありますし、荒らされてるかもしれません。この辺りがどんな噂が立ったか、ご存知ですよね?」
「……──なるほど、そういうことか。理解した。配慮が足らず申し訳ない」
念押しで言うと、ラテアがすぐに引き下がった。いや、謝られる必要もないんだけどな。ちなみにライゴウはまだ分かっていない様子なので、ハインリッヒが懇切丁寧に教えていた。
その間に俺とメイは急いで家に向かう。
玄関についた時点で、封印が解除された形跡がないことを確認する。これは家主である俺だけが確認できる権限だ。どうも物取りがやってきた様子はなさそうだ。
中に入ると、荒らされた痕跡はなかった。
ただ、予想通り埃まみれではあったので、俺は早速魔法を発動させる。パチンと指を鳴らすと、どこからともなくホウキとバケツ、ハタキたちがやってきて、自動で掃除を始める。
さっさとキッチン回りとリビングを掃除し、メイがお茶の準備を始める。ああ、懐かしいなぁ。
「こんなもんだな」
掃除道具を総動員させての掃除は、ものの数分間で終えた。
俺は扉を開けてみんなを迎え入れる。
雑然としているのは仕方がない。相変わらずだが、これが我が家だ。
「ほう」
「ああ、この感じ、変わらないね」
興味深そうにするラテアに、ハインリッヒは懐かしそうに目を細めた。ライゴウはおとなしくしている。ハインリッヒに何を言われたんだ。
いやまぁ、確かに暴れるとお仕置装置が起動するんだけど。
「フィルニーアの私室は?」
「こっちです」
お茶の準備はまだしばらく掛かるので、俺は先に案内した。二階の大半はフィルニーアの私室だ。
俺はその中でも、絶対に入れなかった私室のドアの前に立つ。
ここはどうやっても入れない、どころか、ドアノブに触れただけでスタンする。しかも下手したら焼け死ぬ。小さい頃にそうなったので、以降は一回も触れることはなかった。
「……一応聞くが、どんなトラップが?」
「触っただけで感電しますね。下手したら死ぬくらい」
「物騒にも程があるな」
ラテアの言葉は正しい。
けど、裏を返せばそれだけ誰にも触れられたくないってことだ。
「なんだか、危険な臭いがスゴくするんじゃが?」
「感じるのか?」
「《野性》がビンビン言うておる」
ラテアが訝りながら言うと、ライゴウは眉根を険しく寄せながら言う。
「まぁ、確かにこれは、危険、だね……」
調べていたハインリッヒが唸る。苦笑が多分に混じっている。
まぁ、確かにフィルニーアの術式は化け物地味てる。俺でも未だに理解できないからな。
「さすがにこれをどうにかするには骨が折れるね。というか、年単位でなんとかなるって感じかな?」
「じゃあどうするんだ?」
「それを考えるために来てるのではないか?」
ライゴウの言葉はもっともだが、早くも詰んでいるのだ。
とにかく術式がややこしく、フィルニーアでなければ解除出来ないように設定されている。
俺も術式を確認しながら、ため息を漏らす。相変わらず意味不明。
「手を出せば終わり……うーん、確かに電撃系統の罠が展開されるけど、それ以上に無駄に複雑な術式があるから、どうしたら良いか分からないかな」
「貴様でもそうなのか」
「そもそも魔法陣に関することなら僕よりもグラナダ君の方が詳しいんだけどね」
言いながらハインリッヒは俺を見てくるが、俺は肩を竦めてみせた。分からんもんは分からん。
「じゃあ手の出しようがないということか? いつもフィルニーアはどうやって入ってたんだ?」
「どうやって、って言われても、フツーとしか……別に何かするわけでもなく、扉を開けてたし。たぶん、本人の魔力を感知してトラップを解除してたんだろうけど」
「まぁ、それらしき術式っぽいといえば、っぽい……けど」
俺がそう言うと、ハインリッヒは難しい顔をしながら同意した。
「とにかく、フィルニーアの腕か何かないといかんっちゅうことか」
「もう少し言葉を選べ、ライゴウ」
あけすけに言うライゴウに、ラテアが咎める。
まぁ確かにフィルニーアの肉体があれば解決はするだろうけど、フィルニーアの身体なんて……──。
……──んん?
思考がぴたり、と止まる。
もしかして、いや、もしかしなくても。
思いながら俺はおもむろにドアノブを掴んだ。
「おい! ……あ?」
ラテアが鋭い咎めの声をあげるが、かちゃん、というドアのロックが解錠される音を聞いて怪訝になった。
あー、やっぱり。
俺は苦笑しつつドアを開けた。理論なんてあったもんじゃないが、言うとすれば、俺の中にフィルニーアの一部があるからだ。あの巨狼との戦いで、俺は両腕を損失したが、フィルニーアは自分の一部を俺に与えることで再生させた。
じゃあ、その一部が反応すれば、フィルニーアと誤認して解錠してくれるんじゃ?
と思ったのだ。
結果は大成功である。
俺はそれを口にすると、みんな苦笑した。
「ある意味、ライゴウのおかげ、か?」
「まぁある意味だね」
「がっはっはっは!」
困惑するラテアに、ハインリッヒが苦笑を深め、ライゴウは分かっていないのだろう、豪快に笑う。
軽い頭痛を覚えながらも、俺は部屋の中へ《アクティブ・ソナー》を打ち込んでから入った。
「《ライト》」
唱えながら光を灯すと、室内の様子が明らかになった。
古くさい机が一つに、実験を繰り返していたのだろう、何かの壺たち。そしてビーカーや試験管といった器具の数々。そして地面に散らばっている紙。
本棚には見たこともない本がびっしり並んでいた。半分以上が研究日誌のようで、残りは研究のまとめのようだ。
同時に、俺は目眩を覚えていた。
とんでもない魔力濃度のせいだ。それはラテアたちも感じているようで、微妙な表情だ。
「とりあえず、手分けしようか。室内の調査はグラナダくん。日誌と研究のまとめの確認は僕とラテアさんで。ライゴウさんは索敵してください。変な気配があればすぐに対応お願いします」
「任せろ! がっはっはっは!」
おーい、気付けー。それってつまり役立たずだから立ってろってことだぞー。
まぁ指摘しないけど。問題になるし。
俺は黙って頷いて室内を確かめる。どこになんの罠が仕掛けられているか分かったもんじゃねぇからな。いきなり隕石が落ちてくる罠が発動したとしても俺は驚かない。焦るけど。
隣の部屋にも移動し、俺は《ライト》の魔法を発動させる。こっちは資材置き場のようだ。見るからに高そうな薬品や物質たちが棚に並べられている。
こっちはあまり情報に繋がるのはなさそう、だな……。
罠を慎重に警戒しつつ、俺は室内をめぐる。
棚の奥にも机があった。何冊かの本もある。タイトルがないので開けると、フィルニーアの直筆のものだった。
この微妙に癖のある字はフィルニーアだなぁ。
などと思いながらページをめくっていると、俺の目にひとつの文章が止まった。
──《固有アビリティ継承システムの研究について》。
どういうことだ、と思うまでもない。表記の通りだ。
《固有アビリティ》は保持者が死んだ時に一定確率で、または子をなす時に継承されるものだ。
実際、俺はフィルニーアから《魔導の真理》を、フィルニーアが仕留めた敵から《ビーストマスター》を継承している。
フィルニーアは、それを研究していた? どういうことだ?
突き動かされるように、俺はページをめくっていった。