第百十五話
――夜。
俺はセリナを通じてグレゴリウスを呼び出した。
場所は王都から少しだけ離れた草原だ。街道がすぐ傍にあって、朝や昼間であれば、関門を通ろうと行商人や通行人が列をなす場所だ。
とはいえ、この時間帯ともなればさすがに静かだ。虫の囀りしか聞こえてこない。
そんな中、グレゴリウスはハインリッヒとフィリオ、アマンダやエッジを護衛にやってきた。
こうして見るとそうそうたるメンツではあって、グレゴリウスも泰然自若の構えだ。
まぁ、そもそもこの周囲には魔物なんていないんだけどな。
思いつつ、俺は草木の影にいた。
「こんな所へ呼び出すとは、どういう了見かな、セリナ姫」
ねとっとした口調でグレゴリウスは草原の中に立つセリナへ声をかけた。近くにはメイとアリアスがいて、一応護衛役として立ってもらっている。
「ええ。求婚のお手紙を頂戴したので、その御返事を、と思いまして」
セリナは夜風に金髪を揺らしながら、静かに答えた。
その言葉を聞いて、グレゴリウスは嬉しそうに顔を歪めた。うわ気持ち悪い。
思わず身震いしていると、セリナは薄く笑うばかりだ。
「ほおう、このような場所で返答か。どういうことかな?」
「グレゴリウス様」
訝る、というより、挑むような調子で言うグレゴリウスに、セリナは静かに名前を呼ぶ。
そのどこか妖しい笑顔に、グレゴリウスは必然的に惹かれたはずで、ごくり、と喉を鳴らした。
ちなみにセリナは薄いワンピースだけで、少し露出が多い。
好色家のグレゴリウスはそれでも魅力を感じていることだろう。
「本当に、この私とご結婚なされるおつもりですか?」
その声でさえ、どこか艶やかだ。
「と、当然だ! 本妻と同等、否、もう本妻として受け入れても構わないくらいだ!」
「そうですか……」
「どうしたのだ?」
「それならば、私の全てを受け入れてくれますか?」
どこか含みのある言い方に、グレゴリウスは少しだけ戸惑い、だがすぐに頭を振った。
「構わんぞ。私はこう見えて寛容なのだ」
──ぴきっ。
乾いた、何かが弾けるような音。焚き火にくべた木の枝が弾けるような、そんな音だ。
「分かりました。では、受け止めてくださいね?」
──ぱき、ぱきぱきっ。
今度は、ボイルウインナーを齧った時のような破裂音。
そしてセリナの変化が始まる。
「…………は?」
グレゴリウスが唖然とする中、セリナはその身体をバキバキ音を言わせて巨大化、変質させ、その皮膚には鱗を、頭からは角を、背中からは翼を生やしていく。
ばさ、と、その翼が夜風を受け止めるように広げた時には、セリナはもう立派なドラゴンへと変貌を遂げていた。
「…………………………………………はいぃ?」
完全に顔をひきつらせるどころか、グレゴリウスは腰を抜かしてその場にへたりこんだ。
その流線形のフォルム。尖っているように見える黒の鱗。精悍でありながら繊細な顔つき、美しいとまで言われる黒銀色の角と、黒金の瞳。
「こ、こここ、こいつ、
『左様。これが本来の私の姿』
魂に訴えかけるような、威厳のある声になった【セリナ】――否、ドラゴンはそう語る。
これが俺の仕掛けた搦め手の一つ、セリナは実はドラゴンだった作戦っ!
下らないと言うなかれ。
これはかなり衝撃的で、昔からドラゴンが人に化けて人に紛れて生活する、というのは
当然、グレゴリウスも知っているはずで、今それを目の当たりにすれば愕然として然るべき、である。
俺はこの伝承を元に、魔法陣を組み立てたのだ。
実際、
ちなみに、そのためにはセリナの細かい情報が必要で、俺はセリナに触れて魔力経絡を詳しく調査させてもらった。まぁ、そのせいでセリナは悶えに悶え、完全にダウンしてしまっているが。
かなり幸せそうな顔をしていたから良いと思う。うん、たぶん。なんか後はすっげぇ怖い気がするが、とりあえず今を乗り越えることが優先なのである。
ということで、見事にセリナへ変身できたクータは、こうしてセリナのふりをしているわけだ。
真相を言うとセリナがドラゴンになったのではなく、セリナに化けていたドラゴンが元の姿に戻っただけなのである。
「そ、そそそそそそそそんなっ!?」
作戦は見事に大ヒットである。
『私は理由があってセリナとして活動しています。ですが、私自身がまだ未熟ということもあり、時折この姿にならねばなりません。また、竜としての責務も果たさなければならない時もあります』
「あ、あうあうあうあうあうあうあうあうあう」
『私の夫として過ごされるのであれば、このことを黙っていることは出来ません。故に、今日、これを明かしました』
「うおうおうおうおうおうおうおうおうおうお」
クータは実に役者だ。
完璧な語り口調でグレゴリウスを着実に追い詰めていく。っていうかさっきから情けない限りだぞ、グレゴリウス。まぁ当然だけど。
とはいえ、田舎村が焼かれた時、あの黒い巨狼相手に堂々と立ち向かった強さはある。
『さぁ、受け入れてくださいますか?』
「あばばばばばばばばばばばばばばば」
『ああ。グレゴリウス。そのような美味しそうな声を出さないでください』
そしてこれがとっておきである。
『食べてしまいたくなるではありませんか』
最高の脅し文句である。
「た、たたたたたたたたたたたたたたたたたたたた食べるぅぅっ!?」
『ええ。さっきから美味しそうで美味しそうで。うっかり齧ってしまいそう』
ドラゴンにうっかり齧られたら間違いなく上半身と下半身が分断されるな。
その上で舌なめずりされた上で鼻息までかけられたら、もう恐怖のどん底である。
「あがががががががっ。ははははははハインリッヒ! どうにかしろ! こいつはドラゴンだ人を喰らう国賊だ今すぐに始末しろっ!」
「ですが、セリナ様ですよ?」
ドラゴンの威圧に動じない様子のハインリッヒはしれっと言い返す。
「セリナ様は王族であられ、スフィリトリア領主の姫でもあられます。そんな立場の方を仕留めるとおっしゃるので?」
「だがコイツはドラゴンだっ! それに、幾らでも理由はつけられるっ!」
「ですが……」
「ハインリッヒよ、これは命令だっ!」
思いっきり勘違い発言である。
「申し訳ありませんが、僕はセリナ様の依頼であなたの護衛についています。あなたは護衛対象ではありますが、依頼主ではありません。命令をされる覚えはないのですが?」
「だったら今から俺が依頼主だ! 金はいくらでも支払う! こいつを仕留めろ! 何よりもコイツは裏切り者ではないかっ! お前は英雄なのだろう、この国を救う英雄なのだろう!」
がなり立てられ、ハインリッヒは困ったような表情で――その実怒っている表情だ、あれは――少し躊躇う様子を見せてから、ドラゴンへ向かう。
すらりと剣を抜いたのが、合図だ。
俺は素早くポチを連れて空中に跳び上がる。
『そうですか……戦う運命にあるならば、容赦はできませんよ?』
ビリビリと威圧を放つクータ。それだけでグレゴリウスが小さく悲鳴を上げる。
「そこまでにしなさい」
そこに声をかけたのは、俺だ。
巨大化したポチにまたがり、空に浮遊する。そのまま魔法を操り、俺はクータとハインリッヒの間に割って入った。
ポチが稲妻を迸らせているので、威厳はバッチリだ。ちなみに俺は久しぶりにあの仮面をつけている。
まさかもう一度日の目を浴びる日がくるとは思わなかったな、この仮面。
などと思いつつ、俺はポチにまたがったまま、ハインリッヒを見下ろす。
「あ、あなた様はっ……!?」
あからさまに驚くハインリッヒ。こっちもかなり演技が上手い。わー、俺、一人だけ大根役者みたいになりそうなんですけど。くそ、ハイスペックめ。
「な、なんだ、なんだというんだ、貴様っ!」
「頭が高いぞ、グレゴリウス。控えよ」
言いながら俺は国賓の証である指輪を見せつけた。
それだけでグレゴリウスの喉がひきつった。「国賓の証……っ!?」と、言いながら顔を青くさせていく。
俺はそのままハインリッヒを見る。
互いにアイコンタクトを取ったところで、ハインリッヒはその場で跪いた。
合わせるようにして、フィリオたちも跪き、背後にいるクータも頭を垂れた。こっちはどっちかというと頭を撫でて欲しそうな感じだけど。
「私は《神獣の使い》である。この王国を影から守る存在と思え。そして、ここにいるセリナもまた同様の存在である。つまり国を守る礎だ。貴様はそんな存在に対して、身を迫った上でなく始末しろと言うのか?」
ばちばちと稲妻を迸らせて威厳と神々しさを放ちつつ、俺は静かに言う。
もちろんこんな荒唐無稽、誰が信じると言うのだろう。だが、ハインリッヒは現に跪き、他の連中も同様だ。しかもグレゴリウスから見ればついさっきまで猛々しく吼えていたドラゴンでさえ頭を垂れているように見えるのである。
かなり強引で急展開だが、同時に否が応でも信じざるを得ない状況だ。
「そ、そそそ、そんなっ、バカなっ……! なんでそんな存在がっ……!?」
「グレゴリウス。貴様には二つの選択肢がある」
呆気に取られる様子のグレゴリウスに、俺はハッキリと叩きつける。こういう時は畳み掛けるものである。クータが食おうとしていた発言とかあった気がするが、全てスルーである。
グレゴリウスも同じようなことをしたのだ。子供の理論だが、やったらやり返すまで。
「今日のことも、セリナのこともキッパリ忘れて真っ当に生きていくか、もしくは――この場で死ぬか」
「死っ……!?」
「貴様がスフィリトリアにとって頭の上がらない存在であることは俺も認識している。今回はそういった背景をも利用してセリナを手籠めにしようとしたんだろうが……セリナはそのような存在ではない。それこそ不敬も良いところだ。万死に値する」
「ひぃっ。あ、あ、ああ、あああああ、諦める、諦めるともっ!」
「もちろん、変わらずスフィリトリアに復興資金を提供し続けるな?」
「む、むむむ無論だっ!」
そこまで言質を取ってから、俺はニヤりと笑った。