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第百九話

 ――ハインリッヒ――


 まったくもって失策だ。
 いや、さすがにこれは予想外というべきだろうか。《神託》ではここまでの未来は見えなかった。
 とはいえ、情けないにも程がある。

 僕は今、地面を舐めていた。

 全身に激痛が走り、動くことさえままならない。
 必殺だった七星剣(セブンスソード)も地面に転がっている有様だ。

 こんな無様を晒した成果は、アリアスたちを守れたことか。否、まだ危険はある。

 もう呼吸さえ辛いけれど、僕は必死に歯を食い縛り、なんとか立ち上がろうと足掻く。
 身体中が悲鳴を上げてくる。魔力が枯渇しているせいもあるのだろう。

『あれー、まだ起きようとしているよー』
『まったく、見上げた根性ではあるな。さすがは世界最強の一人』

 頭上で、子供の声と、野太い声が会話する。
 ただの声のはずなのに、凄まじい威圧があって、思わず逃げ出してしまいそうになる。

 当然だ。彼らは魔族。その存在そのものが闇の魔族。しかも――魔神だ。

『ねー、どうする? このまま殺すの?』

 子供の声が退屈そうに言う。ようやく顔を上げると、そこには綺麗に髪を切りそろえ、真っ黒で大きい球に乗りながら宙に浮かぶ子供がいた。

 ──風の魔神、ボレアースだ。
 無垢な見た目と違い、《貪り尽くすもの》という異名を持っている。

 その隣には、立っていたとしても見上げなければならないくらいの偉丈夫が立っている。浅黒い肌は、どちらかというと灰色に近く、筋骨隆々の体躯の背中には悪魔の翼が生えていた。その凶悪そうな顔にも、ヤギのような角が何本も生えている。

 ――土の魔神、ドグジン。
 穢れた土の神とも言われ、死を操るとも言われている。アンデッドの始祖とか、様々な謂れがある。

 まさか、この二体の魔神が出現するなんて、夢にも思わなかったね。

『やめておけ。窮鼠猫を噛むと言う。それに、コイツはまだ何か腹に持っているからな』

 ドグジンは警戒するように言い、すん、と鼻を鳴らした。 

『それに、妙な力を持ったヤツも来ている。下手に戦闘となると、母様の命が危うい』
『あーまぁそれもうそうかー。母様大事だもんね』

 ドグジンの鋭い声に、ボレアースは頷いた。
 その二人の間には、小さな赤い灯が浮いている。後一歩で滅ぼせるところまで追い込んだエキドナの魂だ。恐らく外気に晒すだけで消滅してしまうくらい弱まっているが、二人の力により安定化している。

 どうして、こうなったのか。
 僕が駆け付けるのと、イベルタの展開していた氷の壁が崩壊したのはほとんど同時だった。
 即座に僕はエキドナへ攻撃を仕掛け、寸前でアリアスたちを死の脅威から救った。
 ここまでは良かった。
 後は消滅させるだけだったのだけれど、いきなりこの二人に襲われたのだ。

 さすがの僕でも、魔神を二人相手取るのは不可能だ。それでも挑んではみたけれど、結果はこの通り。

『ハインリッヒ。貴様との決着はまたの時にしよう』

 ドグジンはそう言うと、ゆっくりと宙に浮かび始める。
 意外なことだった。まさか魔神が魔神を助けるなんて。それに、エキドナを母呼ばわりとは、どういうことだろうか?

『それと、母様がこの程度だと思わないことだ』
『そうだそうだー』
『近頃の母様は疲れていたからな。よもや人間どもの封印術式に引っかかってしまう程に。故に、今回のことで我ら魔族を侮らないことだ。もし牙を剥けば、相応に報いがあると思え』

 そう言い残して、ドグジンは空へ昇り、やがて姿を消した。
 時空間転移魔法だ。ああまで造作もなく見事にやられると、苦笑するしかないね。僕なんて毎回、綱渡りに近いのに。
 応じて、ボレアースも姿を捻じ曲げて消えていく。
 二体の魔神が姿を消し、僕はようやく重圧から解放された。さっきから魂が掴まれているかのようで、苦しかったのだ。証拠に、後ろのアリアスたちは全員気を失っている。

 僕はなんとか身体を揺り起こすようにして起き上がり、そのまま座り込む。

 ちょっと、これはもう動けそうにないね。
 意識が遠のいていく。本当ならこのまま意識を失う分けにはいかないのだけれど――僕は委ねることにした。いい加減限界だったんだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――グラナダ――


 それから、三日間が経過した。
 宿場町奇襲大火事件と名付けられた今回の騒動は、ようやく終わりを迎えた。

 エキドナが遺した傷跡は凄まじく、宿場町の建物は、一つ残らず焼けこげ、結果、焼け野原と呼ぶに相応しい光景となった。中には瘴気によって腐敗したエリアもあり――エキドナが《血塊決壊咆哮(ブラッディハウリング)》を使った一帯だ――復興どころか、まずその後始末に追われることとなった。

 幸いなことにこの辺りはハインリッヒがある程度手配していて、セリナの王族で姫というネームバリューもあったおかげでスムーズには済んだ。
 王国が即座に派兵し、後始末にかかったからである。

 まぁ、街道の要所でもあるし、通行整備をしなければならないという側面もあったはずだが。

 ちなみにその資金源は、フィリオが有言実行した。
 己の罪を償うわけではないけれど、と言いながら父親を説得し、早くも復興協会を立ち上げて生き残った宿場町の重鎮たちと話し合いを始めている。

 犠牲者の方は――考えたくなかったが、出てしまっていた。
 少数ではあったが、数の問題ではない。
 フィリオは愕然としながらも、少しだけ泣いてから「やれるだけやるよ」と言って、今も街の後始末と復興のために駆け回っている。セリナからの情報によれば休学届さえ出しているという。

 まぁ、さすがに受理されないらしいが。この辺りはひと悶着ありそうだが、おそらくフィリオは学園へ戻ってくるだろう。罪を償うために、より多くの人を助ける、とか言って。

 そんな状況下で、俺は何をしているかというと、ハインリッヒの付き人である。
 俺が到着した時、全員が気絶していた。
 なんとか息があったが予断を許さない状況には違いなく、俺は超特急でセリナたちのところへ向かい、救援要請した。結果、避難テントに運び入れ、治療が始まったのだが――。

 そこでハインリッヒは限界を迎えたらしく、また爆裂した。

 またもやウルムガルトを呼んで霊薬の類を集めまくり、強引に起こして魔力水を飲ませたイベルタにまた頑張ってもらい、俺は魔力源としてその場に待機し続け、ようやく安定させた。
 さすがに二回も爆裂したハインリッヒは、全身包帯塗れになった。テントの中で絶対安静である。

「ということで、ご飯を持ってきましたよ、ハインリッヒさん」

 俺は炊き出しのスープと柔らかいパンをトレイに乗せてテントをくぐった。
 この辺りの避難キャンプも物資が王国から提供されて設備がしっかりとしつつある。柵は作られたし、馬車が大量に搬入されたし、見張りだっている。もう少ししたら借りの住まいが出来るらしい。
 本来なら今回の立役者なのでもっと良い場所へ移動しても良いのだろうが、この有様では連れ出すことさえ出来ない。面目、というやつなのだろう。

「すまないね」

 ミイラ男と呼ぶに相応しいみなりのハインリッヒは、ベッドの上でそう言った。苦笑している気配だけど、顔面も包帯塗れだから分からん。

「いえいえ、他にいませんからね」

 俺はそう返事をしつつ近くのテーブルに置いた。
 他の連中にこの姿を見せられない以上、ハインリッヒの身の回りの世話を出来るメンツがいないのだ。せいぜいがセリナ、メイ、俺、イベルタさん、アリアスくらいなもので(エッジやアマンダ、フィリオにさえ伏せられている)セリナとアリアス、イベルタさんは忙しく立ち回っている。メイは洗濯へ向かった。

 というわけで、俺しか世話役がいないのである。

 俺はテーブルを操作して上半身を起こしているハインリッヒの手元に並べ、トレイを安定させる。
 さすがに自分で食べられる程度には回復しているので、食事はご自身でどうぞ、だ。

「ありがとう、いただきます」

 ハインリッヒはパンをスープに浸し、ゆっくりと口に運んでいく。

「うん、美味しいね」
「王国からシェフが派遣されてきたらしいですからね。っていっても、ボランティアを募った感じらしいですけど。一流のシェフがゴロゴロいるみたいですね、野営厨房の方は」
「……なんだか違う意味で国力の無駄遣いしてない?」
「食は命の活力だ、らしいですよ」
「言えてるね」

 ハインリッヒは苦笑しながらスープにも口をつけた。
 実際、このスープは美味い。超一級の食材は使われていないが、豊富な野菜にちゃんと下拵えのされた肉。確かな旨味の出汁。満足しないというのは嘘だと言えるくらいだ。
 パンも本職が焼いているので実に美味しい。焼きたてなんて感涙するぐらいだ。

「そうだ。《神託》が今日降りて来たよ」

 《神託》と聞いて、俺は顔をひきつらせた。
 ハインリッヒの見る《神託》はロクなものではない。今回のエキドナの襲撃事件だって、聞けばやっぱり《神託》で知ったらしい。まぁ、そうじゃないと封印班やら何やら連れてくるはずがないか。
 もっとも、自分が敗北したり、魔神が二人も出現するとは思ってもいなかったようだが。

「そう忌避しないで。大丈夫な《神託》だから」

 大丈夫ってなんだよ、大丈夫って。

「まぁ、ある意味で大変なのかもしれないけど」
「どういうことです?」

 嫌な予感を感じつつも訊くと、ハインリッヒはスープを一口してから言葉を紡いだ。

「うん。君とアリアスが結婚するものだった」
「ぶっ!」
「兄としては非常に複雑な思いもあってね。ちょっと、こうお世話になっておいて何というか、アレなんだけど、ちょっと殴られてみない? それで気持ちに折り合いがつきそうなんだ。たぶん」
「んなもん知るかぁぁぁぁぁああああ――――――――っ!」

 俺は全力でツッコミを叩き入れた。

「まぁこの《神託》が見えた、ということは、アリアスの生存が確定したと思うんだけどね」
「思う?」
「暗殺者のこともあるしね。片腕失ったんなら、もうやってこないとは思うけど」

 微妙なニュアンスでハインリッヒは言う。
 確かに、腕の一部や切断された、とかなら回復魔法で再生は出来る。だが、失うとなると相当高位な魔術が必須だし、時間がかかる。
 事実、ハインリッヒが爆裂した時は、爆裂した中身を回収しまくった上に複雑な魔法陣を展開、さらに一本で家が建つくらい貴重な霊薬を湯水のように使っていた。それでも助かるかどうか微妙だったのである。

「とはいえ、少なくともしばらくは大丈夫そうなんだけど……アリアスとの結婚はちょっとね?」
「なんで俺とアリアスが結婚なんて!」
「知らないけど見えたんだから仕方ないね」

 テントの入り口が凄まじい勢いで開けられたのはその時で、セリナが顔を青ざめさせながら入ってきた。ってホントこういうタイミングでやってくるなコイツはっ!

「そ、そそそ、そうですっ。アリアスちゃんとグラナダ様が結婚なんて……ちょっと今からアリアスさんを殺してきますね?」
「やめろっ!?」

 せっかく生存ルートを選べたっぽいのに!
 俺は慌ててテントを飛び出し、魔物を派遣しようとしていたセリナを羽交い絞めにする。

「……このような白昼堂々で、何をやっているのだ、グラナダ殿?」

 そんな俺に声をかけたのは、それこそ複雑そうな表情を浮かべた王だった。

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