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第九十九話

 結局、俺がフィリオを連れて帰ったのは、一時間も経過してからだった。
 ああ疲れた。本気で疲れた。

 俺はため息を隠せない。
 一時間ずっと《ヴォルフ・ヤクト》を維持していたせいもあるかもしれないが、フィリオの悲鳴交りの謝罪を聞きながら、本気で反省しているか見極めていたからである。
 結果としては一応及第点だ。

 涙だけじゃなく、あらゆる液体をだばだばと漏らしながら土下座してきた上に、今回の不始末の責任を取ること、街に全面的な補償を行い、更に復興を率先して行わせることまで自ら申し出て来たのだ。
 こいつの親がどう言うか知らないが、もし反発してきてもそこはハインリッヒやアリアスに任せれば良いだろう。
 最悪、セリナを通して王に掛け合ってもいい。

 そしてフィリオは、俺が及第点をやるとあっさり気絶した。かなり汚いので放置したかったが、水で丸洗いしてから背負ってやった。

「やぁ、お帰り」

 そんな俺を出迎えたのは、ハインリッヒだった。まだ全身包帯まみれ、顔は傷だらけだ。それでもイケメン具合がむしろ増してるって言うんだから世界は不公平である。
 俺はそんなハインリッヒのところへ駆け足で向かい、目の前にきたところで──

「あだっ!?」

 殴ってやった。勢い的には『ぽかっ』ぐらいだったが、ハインリッヒにとっては上級魔術なみの威力だったらしい。
 慌てて屈みながら背中を向けて顔を隠す。

「ちょっといきなりはダメだって! 目玉、目玉が飛び出ちゃうっ! やっと安定してきたとこなのに!」

 ……どんな状況だ、それは。
 とはいえ、これぐらいしても罰は当たるまい。俺にはそれだけの権利がある。

「ハインリッヒさん」
「アッハイ」

 名前を呼ぶと、まだ片目を押さえたままハインリッヒが振り返る。俺の怒りは重々に伝わっているようだ。

「エキドナから逃げる時なんですけど」
「え、あ、あ、あーうん、ごめんね、いきなり魔力借りるとか言って。ホントは少しだけ残すつもりだったんだけど、あまりにも量が多くてびっくりしちゃってさ、まさかフィルニーアの倍以上あるとは思わなくて。それでついつい、あ、許して、ごめんね、あの後、メイちゃんにちょっと本気で殺されかけたんだよ」

 そんなことしようとしてたのか、メイは。

「その、ほら、なんていうか、助けるためだったしさ、ね、事後承諾で申し訳ないけど」
「いや、魔力に関しては仕方ないと思ってます。一人でも助けるためだったんでしょう?」

 ハインリッヒはそういう運命を背負っている。
 誰かを見捨てて、誰かを救う、という選択は出来ないのだ。全てを救う。それがハインリッヒというヒーローであり、誰もが彼に持っているイメージだ。
 今回もそれを遂行したに過ぎない。そのために俺の魔力が必要だったってことで、俺はそこを咎めるつもりは最初からない。

 ──けど。けど、だ。

 俺は怒りの威圧を放ちながら詰め寄る。

「ポチやウルムガルトから少しだけ聞きました。なんか大変なことになったそうですね?」
「え、あ、えー、うん」
「どういうことなんですか?」

 誤魔化しを許さない目線で追求すると、ハインリッヒはあたふたしてあっちこっちを見渡す。うまい言い訳でも考えているのだろうか。

「代償です」

 代わりに答えたのは、ハインリッヒの後方から歩いてくる美女──イベルタだった。
 かなり色濃い疲労が見える辺り、相当に神経を尖らせて治療を行っていたのだろう。ついでにその目にはしっかりと怒りが滲んでいる。

「時空間転移魔法──平たく言えば瞬間移動ですね。これはUR(ウルトラレア)にならないと習得できない特殊な魔法です。消費魔力も大きいし、コントロールに失敗すれば身体がズタズタになる。それを集団で行うとなれば、とてつもない量の魔力が要ります。それこそ魔石を何個もダメにするような」

 ああ、確かに魔石をバラまいてたな。

「ですが、それだけ膨大な魔力を一度に使用したら、肉体はどうなりますか?」
「……激しい魔力枯渇と消費を繰り返す?」
「その通りです。そうなれば、身体中が悲鳴を上げ、本来であれば体内を循環する魔力さえも異常をきたすようになり、細胞が乖離を始めます」

 ぞく、と背筋が凍る思いがした。
 細胞が乖離するって、それは――。

「結果、彼は自分自身の肉体を保てなくなり、爆散しました」

 しれっと言うが、人間に使う単語ではない。

『それを皆で必死にかき集め、強引につなぎとめていく。どれだけ精神的に辛い作業であったか』

 言い添えてきたのはポチだ。
 おそらくその肉体をかき集めたのだろう。ポチだけじゃない、おそらく、みんなが。

「霊縛と呪隷、あらゆる儀式魔法で肉体を再構築させつつ、霊薬の類を全てつぎ込んで、辛うじて。本当に助かったのは奇跡としか言いようがありません。一〇〇回やれば一五〇回は死ぬような行為です」

 死ぬ回数の方が多いんだけど。
 つまり、それだけ厳しいことだったのだ。
 ハインリッヒはそれを知っていたのか? いや、知っていたな、絶対に。知っててやる男だ。そしてどういう理屈か、助かるとも確信を持っていたはずだ。
 たぶん、《神託》で。

 だからってこっちに何も知らせないってのはちょっち有り得ないな。

 あーくそ。同じようなことをアリアスにしたな、俺は。因果応報とはこのことか?
 いや、今は別問題と認識しよう。レベルが違うんだ、レベルが。

「ギリギリはギリギリだったね、確かに。あはは……」
「ハインリッヒさん」
「うん?」
「元気になったらとりあえず思いっきり殴らせてくださいね」

 笑顔でそう言うと、ハインリッヒは「はい……」としか返事を出来なかった。
 今はそれで溜飲を下げるとしよう。

「それじゃあ、肝心の本題に行きたいんだけど、その様子だと、しっかり連れて帰ってきてくれたみたいだね。ちょっと色々と大変そうだけど」

 ずぶぬれのフィリオへ苦笑を向けながらハインリッヒは言う。

「手荒にしても構わないってことだったんで」
「まぁ、彼の暴走さえ止めてくれればそれで良かったんだけど。もしそれを許してしまっていたら、今頃僕等はここにいないから」

 ハインリッヒの苦笑に、俺も苦笑するしかない。
 まぁ筋書きは予想出来るからな。

「何をどう育てられたらこうなるんだか……」
「生まれた時から特別だって言われてチヤホヤされて何不自由なく育って強くなって周囲を圧倒したら、そうなるもんだよ。勘違いするものなんだ。特に前世とは桁違いの優遇さだしね」

 経験者は語る、なのだろうか、ハインリッヒは同情の色を見せていた。

「前世の僕たちからすれば、魔法は当然、他のことだって全部が桁違いだろう? そんな持たざる力を持ってしまって、そしてそれが更に他を圧倒するものだったら――どうなることか。まして、この世界はゲームに近い感じだしね。ステータスとか」

 言われてみればそうだ。更に俺たち転生者は、世界を救えって言い含められてやってくる。
 色々と勘違いさせられる要素は大量にあるってことだ。

「まぁ、だからってここまで拗れさせるのは稀なんだけど……彼に対しての処遇は後にしよう。とにかく今はエキドナのことだ」

 ハインリッヒは話の本題を切り出した。同時に表情が引き締まっていく。

「現状、エキドナは封印のエキスパートたちによって何とか繋ぎ止めてる。けど、それも時間の問題になりつつある。あの封印が解除されれば、エキドナは一気に周辺を火の海に沈めるだろうね。そうしたら、向こう百年は通行が出来なくなる」
「この宿場町は通行の要所でもある。そんなことになれば、大打撃ですね」

 ハインリッヒは頷く。

「そこでエキドナを何とかしないといけないんだけど、あの本体の状態で叩くのは難しい。世界各国から最強戦力を集めたら別かもしれないけど……現状、それを要求して連中を説き伏せて集めるのは無理だ」
「だったら、どうするんです?」

 俺はどこか急かすように訊くと、ハインリッヒはまた頷いた。

「エキドナを分断して、確固で撃破する。それしか道はないね」
「エキドナを……分断? どういうことですか、それ」

 ハインリッヒは懐から一つのボックスを取り出す。
 そこから感じる波動に、俺は違和感を覚えた。どこか懐かしいような、なんというか。
 訝しんでいると、鋭い反応を示したのはポチだった。

『私の、波動……?』
「ポチの……シラカミの波動?」

 ポチのテレパシーをそのまま言うと、ハインリッヒは頷いた。

「そう。正確に言うとその眷属の力なんだけどね。これを使って、エキドナの核を切り裂いて分断する」

 そんなこと可能なのか?

『主は私の力の一つ《神撃》を使えるな。それを極限にまで究めた種族がいる。ソイツの力だ。使いようによっては時空間にさえ切れ目を入れることが出来る。確かにその力を使えば、魂を一時的に分離させることは可能だろう。まぁ魔神を倒すには少々足りないがな』

 少し頭痛がしそうな話だった。
 色々とぶっ飛んでる。《神獣》の力を使役して、魔神の魂を切り離して、各個撃破?
 しかもポチの話ではそれでも時限式らしい。つまり魂がもう一度くっつくってことだ。
 どんだけ強いんだ、魔神は。

『しかし、可能性があるとすれば確かにそれしかないな。魂の分断はかなりの弱体化を呼ぶ』
「もうこれしか手はない。《神託》によれば、だけどね」

 そう言って、ハインリッヒは真剣な表情を浮かべた。

「というわけで、早速編成なんだけど――……」

 ハインリッヒがそう切り出した時だった。

「あれ? グラナダ?」
「あら、あらら、あらららら、ですねぇ」
「マジか!」

 ひどく聞き覚えのある声の三連打に、俺は思わず振り返る。

「アマンダ! セリナ! エッジ!」

 その姿を認めて、俺は思わず名前を呼んだのだった。

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