第六十話
「ず、随分とあっさり断るのね……」
俺の即答の拒否を受けて、アリシアは顔をひきつらせた。
そこに乗じて、俺は素早く言い訳を並べる。
「俺は学園でそこそこの成績で卒業出来ればいいんです。目立つことはしたくない」
もちろん俺の能力を持ってすればぶち倒すのは簡単だ。
だが、それをしてしまえば目立つ。絶対に目立つ。それはハインリッヒの忠告に反するし、王が懸念していた戦争の種とやらに発展する可能性がある。
それだけは何とかしなければならない。
俺の行動一つで国同士が争うとかゴメンである。精神衛生的に良くない。絶対に良くない。
「でも、ぶっ飛ばして欲しいのよ」
「それは何でなんですか?」
「呪いから解放してあげるためよ」
アリシアは即答してから、予め用意していた羊皮紙をこちらに寄越した。
見ると、随分と詳細なデータだった。
しかも、パーソナルデータだ。
「これって、アマンダのデータじゃないですか」
「そうよ。今朝の健康診断の時、取ってもらったものなの。ちょっと様子がおかしい感じがしたから特別念入りにね。そのせいで私が動くことになったんだけど……今はいいわ、とにかくこっちの第二項目の数値を見て」
言われて目を移すと、異常な数値があった。
そこから派生してみると、所々に変調とも言えるような数値が散見された。
ハッキリと分かるわけではないが、これはもしこのまま増大したら――人間の姿を保てなくなる? フィルニーアから授かった《魔導の真理》からの知識で、俺はそう結論付けた。
「これは……」
「月狼の呪い。別名、魔族の呪い。このまま放置していけば、この子は魔神になるわ」
ハッキリとした宣告に、俺は思わず唾を飲み込んだ。
魔神っていうのは、魔族の中でも最上位の存在だ。もうずっと昔、フィルニーアが英雄と謳われることとなった戦争に乗じて一度だけ出現したことがあるらしいが、その時は国が三つ焼かれたという。
何十人という高レアリティの転生者が犠牲になったこともあり、国々は連携して当時の最強パーティを幾つも編成し、波状攻撃を仕掛け、実に丸三日間かけてことでやっと仕留めたらしい。
フィルニーアは俺にそれを話してくれた時、何度も死にかけたと言っていた。
そんなバケモノに変化するっていうのか。
俺は俄かに信じられなかったが、アリシアの表情は真剣そのものだ。
「王都のど真ん中でそんなことが起これば、まず王都は滅びるわね。そうなれば学園生活とかどうとか言ってられなくなるわよ? それどころか、国が亡びる可能性だって充分にあるんだから。田舎村も消し飛ぶかもね」
「……それで、その呪いと、俺がそいつをぶっ飛ばすのと、どんな関わりがあるんですか」
「この呪いの難しいところは、正攻法で解呪する方法がないっていうこと。ただし、一度条件さえ揃ってしまえば簡単に解呪できるようになるのよ。それこそちょっと齧っただけの素人でもね」
「なんですかそのヘンテコな呪い」
「その条件を揃えることが難しいからよ」
ふぅ、と、ため息をついてアリシアは書斎へ立ち、一冊の本を抜き出した。
「条件は幾つかあるわ。呪いをかけられた人物を、圧倒的敗北感で心神喪失状態にさせること。そして、光魔法の《エンシェント・エンジェル》を放って解呪すること。且つ、それを三秒以内で行うこと」
並べられた条件に、俺は納得した。
なるほど、確かにそれは俺にしか出来なさそうだ。
「この光魔法、《エンシェント・エンジェル》に関して聞いたことはある?」
「ええ。話だけは聞いたことがあります。確か、光魔法に適性を持つ者しか習得できない古代魔法の一つですよね?」
古代魔法とは、もはや使われなくなった、もしくは使えなくなった魔法のことを言う。
この《エンシェント・エンジェル》は前者だ。
何せ聖属性も付与するせいで膨大な魔力を浪費する癖に、たった数秒間だけ《祝福》状態にするというものだからだ。ちなみに《祝福》とは体力を三%上昇させ、本当に簡単な呪いなら受け付けなくする魔法だ。完全に名前負けの状態である。
ついでに俺は使えない。覚えていないからだ。そもそも覚える必要ないし。
こんな魔法を習得するくらいなら、
「君のレアリティは
さらりと言い放たれて俺は絶句した。
情報源は誰だ。ハインリッヒしかいない。
「そんな警戒しないで。身内でもあるんだからばらさないわよ」
俺の変化をすかさず見抜いたアリシアは、手を振りながら言う。
「もしそんな人にコテンパンにされたら敗北感で心神喪失間違いなし。その上で光魔法に適性があるわけだから、呪いを解呪することも出来る。しかも、学園の生徒だし、いつでも勝負が挑める」
アリシアの言う事が全てだ。
しかし、なんでこんな意味不明な呪いにしたんだか。
いや、想像はつく。大方、弱者に負けるようなヤツには必要ないとか、そんな理由でそういう条件にしたんだろ。
あと、強い呪いには強い制約が必要だ。故に解呪そのものはあっさり出来るように設定したんだろう。
「まぁ、ソイツの対処も必要ですけど、なんでそんな呪いに掛かったんですか」
「少し前のことだけど、王都に魔物の群れが攻めてきたことがあったわよね? その時、護衛を引き連れて魔物の群れへ向かったらしいのよ。蛮勇の勇み足ってやつね。で、その時白い狼に襲われて噛まれたらしいわ」
……………………ん?
「でもパーティは壊滅、というか、護衛たちが喰われていく間に何とか逃げ延びたらしいわ。その狼からは嫌な感じがしたらしいって、診察の時のカルテにはあるわね」
どっから手に入れたんだ、そのデータ。
しかしそれは薮蛇だ。俺はツッコミを呑み込む。っていうか、どれどころじゃない。
アマンダを噛んだ白い狼。嫌な感じがしたらしい。ってことはそれ、間違いなくポチじゃね?
俺はバカみたいに魔物を駆逐したが、白い狼なんてポチ以外には見ていない。一応メイにも確認のため視線を送るが、メイも知らない様子だ。
ってことは……。
「呪いというのは、同じ負の属性である瘴気に引き付けられる特性もあるから、もしかしたらって……あれ? どうしたの? 頭なんて抱えて」
「いえ、なんでも……とりあえず、そのアマンダへの対処ですけど、引き受けさせてもらいます」
これはどうしようもない。
状況的にポチが(正確に言えばポチの身体の一部)呪いをかけた以上、飼い主でもある俺にも責任の一端がある。
飼い犬の不始末は飼い主の責任ってやつだ。
とはいえ、アマンダがアホやってることも事実なので、全責任がこっちにあるわけじゃあないけど。
まぁ、魔神になるかもしれない呪いを放置するのもアレだしな。
もし魔神にでもなられて、田舎村が消し飛んだらシャレにならん、というか元も子もない。
「良かった、引き受けてくれて。あ、ちゃんと報酬弾むわね。危険な橋を渡らせることにもなるから。あぁ、安心した。もしダメだったら、アマンダを殺すしかなかったのよね」
そうか。解呪できない以上、そうするしか手立てはないのか。
とはいえ、貴族で
「それも呪いごと消滅させないといけないから、地獄のような苦痛を与えなきゃいけなかったのよね。呪いを逃さないようにしないといけないんだけど凄く難しくてね。ハインリッヒでも成功率は良いとこ四割ってところかしら。かなりの賭けに出ないといけなかったわ」
しれっというアリシアに、俺は顔をひきつらせた。
もし俺が断り続けたら、絶対にそれを口にするつもりだったな。しかもその殺し方の中でも最も酷いものを淡々と、でも細かく言うつもりだったはずだ。
「王都としても貴重な
「まぁ、分からないでもないですけど」
「ともあれ、早速魔法の習得に入りましょう。誰も使わなくなった魔法だけど、ちゃんと方法はあるから」
そう言って、アリシアは本を手に持った。
「あ、その前に言わないといけないことが。俺、聖属性、習得していません」
「え、本当?」
俺は頷く。
聖属性と闇属性は、魔法属性の中でも少し特殊だ。この二つは、別名上乗せ属性と呼ばれている。
つまり、基本となる属性に、サブとして属性を付与するのだ。
こうすることで威力や効果が上昇、変化する。
しかし、これを習得する前にフィルニーアは逝ってしまった。
もちろん理論としては俺の中にはあったのだが、それを習得するよりも既存の魔法やスキルのレベルアップに励んだしな。
「あらあら、仕方ないわね。それじゃあ、まず聖属性の習得から行かないとね」
アリシアは頬に手を当てながら言うが、困った様子を見せるが、その実嬉しそうだった。
その絶妙な表情に、俺は何故か寒気を覚える。
「ふふふ、今晩は寝られないと思ってね? 魔力が枯渇するまでやるから」
あ。なんか久しぶりに聞いたな、そのセリフ。
在りし日のフィルニーアを重ねつつ、俺は遠い目になってしまった。
結局、アリシアの宣言通り、俺は徹夜で魔法の習得に明け暮れる羽目になった。明け方に何とか習得し、ほんの少しだけ仮眠時間を取って、俺は登校した。
一晩で習得できたのは凄い、と言われたが、こっちはたまったもんじゃない。
あー、身体がダルい。
そして俺は寝ぼけ眼のまま学園初めての授業を受けることになったのだが、早くもチャンスはやってきた。
クラス全員の強さを改めて図るという目的で、模擬戦が行われることになったのだ。
相手はくじ引きで決められて――俺はアマンダと対決することになった。