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第五十五話

 アイシャは余裕のある笑みを浮かべていて、どこか挑戦的ではあったが、目は真剣だった。

「おいおい、ディープキスって意味わかってんのか?」

 俺は思わず問いかけた。
 唇をちょっと重ねるだけのバードキスとは違うのだ。
 だが、アイシャは鼻で俺の言葉を笑い飛ばす。

「もちろんだィ。舌と舌を濃厚に絡めて互いの唾液を交換しながら熱を……」
「あーもういい十分だ!」

 いきなり官能的な表現を始めたアイシャを、俺は慌てて止めた。

「まぁ、あんたにはハンナを助けてもらった礼もあるからねィ。それぐらいはやってやるよ?」
「本気か?」
「たかだかディープキスの一つや二つでガタガタ言いやしないよ。まぁ経験ないけどねィ」

 何故か胸をはって言われ、俺は傾いだ。

「ないんかい!」
「当たり前だねィ! 私はまだ十六だぞ!」
「自慢気に言うんじゃねぇよ!」
「まぁそういうことだから、ハンナは目を閉じてな。ちょーっと刺激が強いからねィ」

 アイシャが言うと、ハンナは黙って頷き、両手で顔を覆った。
 おい、覆ってるけど指と指の間すっげー開いてんぞ、目がぱっちり見えてんぞ。
 つっこんでやろうとしたら、アイシャが舌なめずりしながら近寄ってくる。その仕草は娼婦のようにも見えて、俺の心臓はいきなり高鳴った。

 そういえば、俺、人生で初めてのキスだ。

 前世でも女の子とキスなんてしたことないぞ。
 そう思うと緊張がやってきて、情けないことに俺はドギマギしてしまった。

「緊張してるんかィ? もしかして初めてとか?」
「ま、まぁな」
「じゃあ初めて同士じゃないかィ。気にするこたぁないね」

 ふっと笑ったアイシャは、女の子だった。その顔はすっげぇ可愛くて、俺はますます緊張する。
 それでも俺は固い腕を上げてアイシャの肩に乗せる。
 すると、アイシャは本当に小さく口を開けて目を閉じた。

 がたん。

 と、アパートの木製の窓扉が開いたのはその時だった。
 ぬっと入ってきたのは──セリナだった。

 って、はい?

 完全に不意打ちのタイミングだ。っていうかなんでコイツは今平然と窓から入ってきたんだ? ここ、確か三階だったよな? いやそもそもなんでここが? え?
 いろんなことに疑問符をつけていると、セリナは窓から着地していつもの微笑みを浮かべた。

「ごきげんよう、グラナダ様」
「ご、ごきげんよう?」

 恭しい挨拶に、さすがのアイシャも戸惑いながら言う。

「どうしてかここに馳せ参じなければならない使命感に駆られてやってきたのですが……正解のようですわねぇ?」
「どんな使命感だよオイ」
「事情は分かりかねますが……今、グラナダ様はキスをしなければならないのですねぇ?」
「ま、まぁ、そう、だけど?」

 どうしてか逆らえない。
 俺は根源的な恐怖を覚えつつも頷くと、セリナはゆっくりと笑顔を向けてきた。

「それならば、私がやりますねぇ。熱く濃厚な蕩けること間違いなしの口づけをしましょう。そしてそのまま褥を共に」
「おい舌なめずりすんな」
「いいえ、やめませんねぇ」

 言いながらセリナが近寄ってくる。
 俺は同じ距離だけ逃げた。

「こらセリナ! いきなり野性的な動きで壁をよじ登ったと思ったら、なんてことを! ……って、グラナダ殿?」
「そうですよ、いけませんよセリナさ……ご主人様?」

 咎めながら窓枠に顔を見せたのは、シーナとメイだ。メイの頭にはポチもいる。
 二人と一匹は俺を見付けて怪訝になりながらも、窓から入ってくる。だからここ三階ですけど。
 もはや口にするのも出来ないくらい呆れていると、アイシャが思いっきり眉根を寄せていた。

「な、なんなんだィ?」

 アイシャからすれば、闖入者どころか侵入者だ。フツーに通報されててもおかしくないレベルだぞ。
 さすがにこれを咎めないワケにはいかない。

「揃いも揃ってなんつうトコから入ってきてんだよ。民家だぞ、ここ」
「そんな些事はどうでも良いですねぇ」
「良くないかな!?」

 さらりと流そうとするセリナに俺はつっこんだ。当然だ。
 まぁ、セリナ以外は民家であることに気付いて、思いっきり気まずそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべているが。

「グラナダ。あんたの知り合いかィ?」
「あ、ああ」

 どっちかって言うとセリナに関しては知らない。と言いたいところだが、さすがにメイまでは犠牲に出来ない。
 俺は簡単に三人の紹介をした。
 王族にしてスフィリトリアの姫と、近衛騎士。そしてSSR(エスエスレア)の付き人。あれ、こうして並べるとなんだかとんでもない気がするな。

「ぶっとんでるねィ――……」

 顔を引きつらせたアイシャのこの一言は、実に良く表していると思う。

「ま、まぁ、グラナダの知り合いなら構わないねィ。どうやってここが分かったのか謎だけど」

 それは俺も本気で思う。
 だが、セリナは当然どこ吹く風だ。

「それは愛の為せる荒業ですねぇ」

 しかもこう言ってのける始末である。もうつける薬はどこにもない。
 っていうか、ホントにセリナってこんなキャラだったか?
 最初はキレーなお嬢様って思ってたけど。あーでも、片鱗は見せていた、か?
 何故か自慢げに言ったセリナに、アイシャは呆れて苦笑していた。

「随分と偏執狂的な愛だねィ」
「褒めても何もでませんよ? でも嬉しいですねぇ」
「偏執狂的って言われて喜んでんじゃねぇよ!」
「罵倒で悦べるなんて……強いねィ……!」
「そっちはそっちで何に対抗してんの!? っていうかたぶんだけど漢字違うからね!?」

 しまった。セリナの登場が登場だっただけにアレだったけど、アイシャもおかしいヤツだった!

「っていうか、ご主人様、こんなところで何をしてたんですか? 試験はまだ受験していないのに」
「あ、ああそれには事情があってな」
「そのために深い深い愛の蜜が絡み合うキスが必要なのだそうですねぇ。だから私が立候補したのですねぇ」
「おいセリナ。何を言ってるんだ! さすがにそれはダメだぞ! お前は姫なんだから!」
「愛の前に身分は関係ありませんねぇ」
「だからってだな!」 

 あ、言い合いが始まった。
 ギャースカと繰り広げる口喧嘩を見ていると、裾が引っ張られた。メイだ。

「あ、あの、ご主人様? 私が、しますよ?」

 おずおずとメイが申告してくる。緊張しているのか、少し手が震えている。
 俺としては嬉しいのだが、それが微妙に嫌がっているようでも見えて、気が引けた。

 ここはやっぱり、アイシャに――。

 と思って振り返ると。

「姉さま、私、やる」
「何いってんだィ、ハンナ! そんなことさせられるはずがないだろ!」
「でも、命、恩人」
「だから私がやるって言ってるんだィ!」
「でも!」
「姉さま、ダメ、ステイ」
「んぐうっ!?」

 あ、何か悦び始めた。
 っていうか、どういうことコレ。すっげぇカオスなんですけど。
 収拾がつかないレベルで騒ぎが起こっていて、もはや誰が何を言っているのかわからない状態だ。

「うるっっっっっさいねぇぇぇぇぇ――――――――っ!!」

 怒号が轟いたのはその時だった。
 凄まじい勢いで玄関が蹴破られ、入ってきたのは筋骨隆々な男だった。何故か化粧してるけど。

「こっちは寝てるんだよ、少しは静かにしろってんだ!!」

 どうやら隣の住民らしい。
 凄まじい剣幕で叱りつけられ、誰もがシンと沈黙した。
 化粧した男はそれでも凄まじい勢いでズカズカと俺に近寄ってくる――って、え?

「しかもさっきからキスするだのしないだの! そんなに誰かがしたいってんなら、アタイがしてやる!」

 ――……え?

 まったく話の行方が掴めないでいると、男は俺の肩をがっしり掴んで――――。


 ―――――――――――――――


 ………………………………あれ?

 気が付くと、景色が一変していた。
 あれ? なんで? ここって、受験受付のところだろ?

 全く状況がつかめない。
 俺は咄嗟に記憶を呼び起こそうとして、何故か強烈な頭痛と目眩に襲われた。
 たまらずふらつくと、俺はメイに支えられた。

「大丈夫ですか、ご主人様」
「あ、ああ。あれ? 俺は、なんでここに……」
「無理に思い出さなくていいんです、ご主人様。あれはノーカンですから」
「……何がだ?」
「いえ気にしないでください」

 痛ましい表情をしていたメイは、ただ頭を振って言った。どこか凄みがあって、俺は思い出さないことにした。なんだか嫌な予感もするしな。

「かなりお疲れの様子ですが、戻ってこられた、ということは限界突破してきたのですね?」

 受付で待っていたらしい学園長が訊いてくる。
 俺は一瞬首をひねりかけたが、すぐにステータスウィンドウを開いた。
 そこには、俺の名前の隣に《R+(レアプラス)》とあった。

 おお、限界突破出来てる。

 でも、どうやって? えっと――

「ほう。確かに突破しているようですね。素晴らしい。これは本当に素晴らしい」

 思い出そうとする前に、学園長が拍手さえ送って来た。

「僅かな時間で突破する方法を見つけ、そして突破してきた。貴方の覚悟は相当なものでしょう。それではステータス値を見せていただけますか?」

 求められ、俺は慌てて《シラカミノミタマ》の効果をオフにした。
 もしここで俺のとんでもないステータスが露見したら、どうなるか分からない。

 ぐっ、と身体が重くなったが、俺は耐える。

「ほう! レベルカンストですか。驚きましたね。いくらR(レア)はレベルの上がりが早いとはいえ、その年齢でカンストしている方は初めて見受けました。ステータス値は文句なしですね」

 学園長は手放しで褒めてから、時計を確認した。

「時刻は十七時。十分受付時間内ですね。よろしいでしょう、試験会場へ案内します」

 その言葉を聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろした。
 なんだか何日も経過したような気さえしていたぞ。

 思いながら、俺は試験会場へと案内された。

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