第二十三話
スフィリトリア北部、スフィリトリア火山の近く。ここに北の都がある。そこは女性にとっては憧れの都で、美の町とまで呼ばれているそうだ。
確かにそう呼ばれているだけあって、町の景観は美しい。モダンな色使いの道路に、ゴシック建築の建物。火山の近くだって言うのに緑も豊かだ。
時折硫黄の匂いがする。町から出ると間欠泉もあるらしい。
つまり。ここの温泉は本物だ。源泉かけながしに違いない! 温泉好きにとってのパワーワード、源泉かけながし! しかも異世界の温泉となれば、入らないわけにはいかない!
「というわけで俺は温泉に入りたい」
「何がどうというわけで、なのさね」
真顔で言いはなった訴えに、フィルニーアは呆れた表情を見せながらツッコミを入れてきた。
「いきなり温泉とか、何ジジ臭いこと言ってるんさね。ここはまずショッピングしてエステしてショッピングしてショッピングしてエステしてエステしてエステするんだよ」
「ショッピングとエステしかねぇぞオイ」
「女にとっては別なんだよ!」
俺の正論は、フィルニーアの強引さによって押し潰された。
だが、俺もここで引き下がるわけには行かない。なんてったって、十年間も入れなかった温泉だ。加えて現世にいた頃でもそうそう行けるものじゃなかったんだ。ここで諦めるなんて有り得ない。
「男にとっても温泉は特別なんだ。なぁ、頼むから温泉に連れてってくれよ」
「そんなこと言ったってね、荷物持ちは誰がするんだい」
おい、俺は荷物持ちかよ。息子じゃなかったんかい。
思いっきり非難の目線を送るが、フィルニーアに気にする様子はない。そればかりか、薄っすらと魔力を高めつつある。これはあれか。脅して無理やり俺に言う事をきかせるつもりか!
狙いを看破し、どう抵抗してやろうかと考えた時だった。
「ひゃああああああああっ!?」
絹を切り裂くような悲鳴が上がった。しかもかなり近い。
振り返ると、そこには必死に誰かを指さす上品そうなワンピースの女性と、このにぎやかだが、人の動きは穏やかな大通りで全力疾走するいかにも柄の悪そうな恰好の男が三人。そのうちの一人の腕には、高そうなバッグがあった。
おお、ひったくりってヤツか。こんな異世界にもいるんだなぁ。……ん?
瞬間、俺の頭が超高速回転した。これは、使える。
思うや否や、俺は動いていた。最速で魔力を高め、
「な、なんだ、ガキがすげぇ速度で追ってくるぞ!」
「はぁ!? もしかして魔法使いか?」
「関係ねぇ、追いかけてくるなら殺るまでだ!」
口々に言う犠牲トリオ(勝手に命名)は、いきなり懐からナイフを見せる。見事な脅し道具だが、今の俺には全く関係がない。
俺はしっかりと間合いを図り、適切な距離で地面を蹴った。
「俺の犠牲になれやクラアアアアアアアッシュ!」
俺はまず一人目に容赦なく跳び蹴りをかました。
ごがっ! と鈍い音を立て、犠牲トリオ一号が蹴り飛ばされ、地面を何回かバウンドして更にごろごろと転がってから沈黙する。大丈夫。死んではいない。たぶん。
俺は見事に着地し、茫然とする二人を睨みながら魔力を高める。
相手が我に返るより早く、俺の魔法が完成した。
「《エアロ》」
裏技(ミキシング)でアレンジした風魔法を発動させ、二人を地面に縫い付ける。「あぎゃっ!」と情けない悲鳴が上がったが、俺は容赦しない。
バキバキと拳を鳴らし、
「荷物持ち運命ストラッシュ! クソババァお守りしろやブラスト! 俺に自由と平和をブロウ!」
「「ぎゃああああっ!?」」
悲鳴を聞きながら、ひたすらに殴りまくった。
それでも離そうとはしなかったカバンを取り返し、ぜぇぜぇと追いかけてきていた女性に返す。
お礼をそこそこに済ませ、ついでに路地で伸びていたけど意識を何とか取り戻していた犠牲トリオ一号を回収して、ボロボロの三人を正座させてから俺は笑顔を向けた。
びくっ、と三人の肩が震える。
「さて、盗人を働いた諸君には選択肢があります」
俺は人差し指をまず立てる。
「一つ。俺に殺されてから役人に突き出される。二つ。俺に殺されてから路地裏に投げ出される。三つ。俺の言う事を素直に聞いてから役人に突き出される。どれがいい?」
「いや、ちょっと待てクソガキ。なんだいきなりその選択は」
「三秒だけ待ってやる。答えなかったら殺す。こんな感じで。――《エアロ》」
ボコボコになりながらも口ごたえする一人へ笑顔を向けながら、俺は魔法を発動する。
狙いは取り上げたナイフだ。無造作に空中へ投げると、ぐしゃり、と破砕音を響かせてボロボロに砕け散った。レベルが上がって魔力やら何やらのステータスが上昇したせいか、裏技(ミキシング)で出来ることが増えた気がするな。
粉々になったナイフが地面に落ちるのを、犠牲トリオは青ざめた顔を引きつらせながら見ていた。
「というわけだ。カウントダウン始めるぞー」
「「「素直に言う事を聞きます」」」
カウントを始めるよりも早く、三人は口を揃えたのであった。
よし、良い返事だ。
「というわけだから、荷物持ちはコイツらがやってくれるから、温泉につれてってくれ」
「あんたねぇ……」
いつの間にか追いついていたフィルニーアへ向けて、俺は真顔で訴えた。
するとフィルニーアは呆れて眉間に皺を寄せた。何か言いたそうだったが、それよりも早くメイがフィルニーアの袖を掴んだ。
「あ、あのー、おんせん、ってなに?」
「温泉ってのは、火山の成分が溶けたお湯のことだ。あったかくて体にとっても良いんだ。ついでにいうと大きいお風呂だぞ」
「おおきい、おふろ……」
すかさず俺が解説すると、メイが明らかに紅潮して高揚した。見る間に目がキラキラとし始める。まるで美味しいものを前にした子供のようだ。
「フィルニーア、さん。わたしも、おんせんに入りたい」
そして、俺の狙い通りそう訴えたのだった。
これに流石のフィルニーアも拒絶出来るはずもなく、なし崩し的に了承するしかなかった。「まぁ、荷物持ちも手に入れたことだしね」とは言い訳にも過ぎる言い訳だったが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もくもくと湯気が立ち込める。
広大な露天風呂は岩風呂だった。何十と並んだ洗い場に、ひたすらに大きい浴槽、そして、目の前に広がる雄大な火山という絶景。おお、夢にまでみた温泉だっ!
「おーっ! おおっきーい!」
両手いっぱい広げてメイは感動しながら声を上げた。
ちなみにメイも俺も、他の客も全員水着である。それは混浴だからだ。
「ほら、メイまずは身体を洗ってからなー?」
「うん!」
俺はメイの手を引いて洗い場へ向かう。
ここの温泉はちょっと高級なスパ銭みたいなものらしく、バスタオルもタオルも貸出されるし、洗い場の一つ一つに石鹸が準備されている。しかもシャンプー、リンスまである。液体石鹸はこの世界ではまだ最新の技術であり、滅多に手に入るものじゃあない。
「ほら、まずはシャワーだ」
俺は蛇口をひねり、お湯をメイにかけた。
「ひゃあっ」
メイが悲鳴に近い声を上げ、地団駄を踏むように足をばたばたさせた。
農奴だったメイに入浴の習慣はほとんどなかった。ウチに来てから入浴するようになったので、まだ慣れていない。いつもならフィルニーアが一緒に入っているのだが、今日は特別だ。
俺は十分にメイの髪を濡らしてから、シャンプーをしてやる。わしゃわしゃと泡立ててやると、メイはとても喜んだ。
「わー、あわあわっ! すごいね、ご主人さま!」
「そうだな。あわあわだなー。これでキレーにするんだぞ」
「うん!」
頷いたタイミングで、俺はシャワーしてシャンプーを流す。次いでリンスをしてまた流し、今度は身体を洗う。水着の上から洗うってのは不思議な感覚だが、気にするだけ無駄だろう。
「なんか、このせっけん、いつもと違う感じ」
「そうだな、汚れが落ちやすいのかも。良い石鹸っぽいし」
ウチの石鹸は俺の御手製である。やはり品質はプロが作ったものに比べれば悪いのだろう。
そうこう言いながら身体も洗って、いよいよと浴槽だ。
少し熱めだったが、メイも何とか入れる温度だ。
あー、しかし温泉いいな、ホント、温泉最高。
俺は肩までつかって、思わず声を漏らす。これは日本人の性と言ってもいい現象だ。
こんな心地よいため息なら、いくらでもつきたいもんだ。
俺はお湯の感触を楽しみつつしばらく目の前に広がる火山の絶景に目を奪われる。
「あら、あなたは」
声はすぐ近くでかけられた。横を見ると、ゆけむりの向こう、清楚な水色の水着に身を包んだスタイルの良い女性がいた。あれ、どっかで見たことあるような……。
「さっきはお世話になりました」
そう会釈されて、俺は思い出した。
そうだ。たしかひったくられてた人だ。
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
何とか失礼に当たらないタイミングで俺は会釈を返した。
すると、女性の隣に誰かが腰かけた。少しパーマがかった短い紫髪の、いかにもイケメンだ。
「ああ。君か、僕の妻のカバンを取り返してくれたのは」
しかもイケボだった。
イケメンでイケボなその男の人は、とても人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて俺を見た。あれ、この人もどこかで見たことあるような気がしなくもないぞ。
「僕もお礼を言わせてくれ、ありがとう。僕はハインリッヒ・ツヴェルター。良かったら恩人さんのお名前を教えてもらってもいいかい?」
「あ、グラナダです。グラナダ・アベンジャー」
と自分で名乗ってから気付いた。
ハインリッヒ・ツヴェルター?
それって、あのハインリッヒ・ツヴェルター?
現存する転生者の中で最強と謳われる、あの人?
そういえば、肖像画にめっちゃ似てる。
やべ、本物だ。
俺は悟った瞬間、とんでもない緊張感に包まれた。