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第八話

「まぁ、農奴だろうね」

 俺がその少女を家に連れて帰って、フィルニーアに相談した後。フィルニーアは開口一番そう言った。
 そっと薄い生地の、端がズタズタになった服をつまみあげる。
 露わになったのは少女らしい薄桃色の肌――ただしガリガリだ――の腹部に、生々しい刻印。いや、違う。これは焼き印だ。
 俺は吐き気がしそうになる。
 焼き印とは、それこそ鉄製の印を赤くなるまで熱し、肌に焼き付けることで行う刻印だ。

「おや、奴隷の証だね」
「胸糞悪いな」

 俺はただ一言そう断ずると、フィルニーアが大きな鷲鼻からどこか呆れるように息を吐いた。

「あんたは優しすぎるね」

 そう言ってから、服を元に戻す。

「まぁ、そこも嫌いじゃないけど。農奴はこの世界の食糧事情を支えるために必須なのさ。うちの田舎村で農奴がいないのは、単純に村の経済事情が良いとは言えなくて、自分たちで自給自足するのが精いっぱいなんだからね?」
「それは座学で習った。習ったけど、割り切れるもんじゃねぇよ」

 俺は苦虫を潰したような顔で吐き捨てる。

「まぁ確かに、刻印まで入れる地主は珍しいさね。農奴はいわば専属の従業員だ。大事にしてやらないと、大事な作物を立派に作り上げてくれないからね? それなのに、よっぽど所有欲が強いのかねぇ? この子は可愛らしいから、将来どんな目に遭わせるつもりだったのか、まぁ悟って余りあるさね」

 確かに、寝息を立てる少女はかなり可愛い。
 白銀にも似たセミロングの髪は綺麗に洗えば光沢が出てきめ細かいだろうし、顔も目が大きくて可愛い。

「ともあれ、あんたが遭遇したゴブリンは地主が雇い入れて放った使者さね。そんなものを用意してるってことは、農奴が何度か逃げたことがあるんじゃないかねぇ?」
「それだけ辛い思いしてたってことか」
「おそらくね」

 フィルニーアは同意しながら指先を躍らせる。キラキラした光が部屋を駆け抜けて、風呂の方へと向かう。お湯を沸かすのだろう。それを見てから、更に指を躍らせて光を放ち、今度は台所へ向かわせる。

「とりあえず、目覚めた時、せめてマシな格好にしてやらないといけないさね」
「フィルニーア……」
「どうせあんたのことだから、匿いたいとか言うんだろ? 一人や二人、食い扶持が増えても困らないさね。ほら、分かったならあんたも食事の手伝いしな」

 どこか照れ隠しのように手で払われた。

「わかった」

 俺は黙って頷く。この子を守れるなら、それで構うものか。

「なるべく温かくて、消化に良いものを作るんだよ。焼きたてのパンもね。食材は何使っても構わんさね」
「わかった!」

 恰幅の良い言葉に、俺は笑顔を向けた。
 この丸太小屋の台所は広い。現代世界ならシステムキッチンとも言えるだろう。というか、まんまそれだ。何せフィルニーアの魔力によって動くので、オーブンもあれば電子レンジも冷蔵庫もある。

 俺は早速冷蔵庫を物色し、スープに使えそうなものを取り出していく。後は仕入れたばかりのチキンだ。
 パンの方は、フィルニーアの魔法で勝手に道具たちが作り始めていた。こいつらの邪魔をしないように料理を作るのが俺のミッションだ。
 俺はトリガラとコンブで出汁を取りつつ、滋養たっぷりの野菜を刻んでいく。芋は溶けやすいように細かく切るものと、食感を残すために大きく切るのと二種類に分けて置く。他の野菜も同じだ。
 出汁がしっかり取れたところで、砂糖と塩で味付けを整え、野菜と肉を入れて煮込む。
 やがてパンが出来上がる頃――これもフィルニーアの魔法で《加速》している――にそのスープは出来た。

「できたぞー」

 スープとパンを部屋へ持っていくと、ベッドの上で少女は目を覚ましていた。お風呂にも入ったのだろう、随分と綺麗だ。
 思わず見惚れていると、少女は顔を真っ赤にして視線を逸らした。

「ほれ、お礼を言わんか。お前さんの命の恩人ぞ」

 急かしたのはフィルニーアだ。どこか顔が柔らかい。慈しんでいるのだろう。

「あ、はい……あ、あの」
「うん」
「助けて、いただいて、ありがとう、ございます。その、えっと」

 少女はベッドの上で上半身を折り畳むように頭を下げて、それからもじもじとしだした。
 なんだ? 何を恥ずかしがっているんだ?
 疑問に思っていると、少女は恥ずかしそうに上目遣いで俺を見てくる。

「や、優しくしてくださいね……? 私、その、はじめて、なので……」

 俺は迷わずスープをフィルニーアにぶちまけた。

「どわっちゃああああああああっ!? あんたいきなり何するんだね!」
「何するんだってのはこっちのセリフだこのクソババァ! なんてこと言わせてんだ!」

 思いっきり抗議すると、軽く火傷したのか、魔法でスープを丁寧に弾いてから回復魔法を発動させつつフィルニーアはふんぞり返る。

「この愚か者! 言うだけに終わると思ってたのかい! ちゃんとあれやこれや教え込んだに決まっておろう! この恥ずかしがり方を見て分からんとはとんだクソガキさね!」
「余計悪いわぁぁぁぁ────っ! 貞操観念とかそういうの無いのかっ! それとも長生きし過ぎて忘れたか腐ったか無くしたかっ!?」
「たかが一〇歳のガキが貞操観念とか口にするんじゃないよ! まだおっ勃つことさえしないくせに!」
「うるせぇまだ若いからだボゲェ! それと必ずしも肉体的成長と精神的成長が伴うとは限らねぇんだよ!」

 俺は見た目こそ一〇歳だが、中身はもう二十七歳の大人だ。コ〇ンみたいだけど。
 とはいえ、そこそこの貞操観念なんてものはあるし、肉体的に反応はなくとも、やっぱりそういうものには反応してしまう。
 それだというのに、このクソババァは!

「とにかく、そんなものは要らないっつうの!」
「なんだと……!?」

 キッパリ否定すると、フィルニーアはこの世の終わりでも見るかのような表情を浮かべた。

「つまりアレかい、マッチョマンにベンチに腰かけながらツナギ服のチャックを下ろしつつ『ヤラナイカ』って言われたいのかい……!?」
「いやその気はないです。っていうかなんでそのネタ知ってんの!?」
「何言ってんだ、有名な話じゃないか」
「異世界でも元気だな阿〇さんはっ!?」

 当然のように言うフィルニーアに俺はツッコミを入れた。
 アレだ。絶対にアレだ。俺以外の転生者が広めたに違いない。俺は異世界ガチャで転生させられた。つまり、同じような境遇の連中がいたってなんの不思議もない。

 っていうか、異世界の文化広めるならもっと有益なものを広めろよ。あ、でもアレか? 一部の方々にとっては有益なものなのか? ダメだ。深く考えるのはやめよう。

「ふ、ふふふっ」

 そこまで考えたタイミングで、少女は堪えきれなくったように笑った。どういう──と考え込んで、ある可能性に気付く。

「フィルニーアさまの言うとおり……良いひとなんですね」

 やっぱり。

「フィルニーア! 貴様図ったな!?」
「はっはっはっはっは! やっとわかったさね? どこの誰がそんなアホなこと教えこむんだね!」

 つまりあれか、この子を落ち着かせるための罠か!
 や、やられた…………っ!

「フィルニーア……」
「なにさね?」

 くっそ勝ち誇った顔がムカつく! けどまぁ、この子が落ち着いたから良いか。後で報復してやるけどな!

「いや、なんでもない……」

 俺が冷静になったタイミングで、ぐぎゅるるるるる。っと音が鳴った。
 俺とフィルニーアは同時にきょとんとして、音が鳴った方を見やる。

「あ、あの、ごめんなさい……」

 お腹を両手で押さえながら、泣きそうな少女がそこにいた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 コト、と、お盆に空になった器が置かれる。

「はぁー……美味しかった」

 少し膨れたお腹をさすりながら、銀髪の少女――メイヤーは満足そうに顔をほっこりさせた。
 食事中に大体のことを聞いたが、メイヤーはやはり農奴だった。それも地主はかなりの悪辣っぷりで、馬小屋の方がまだマシな家で、それこそ野草を食べて生きながらえるような生活だったとか。

 脱走するきっかけは、唯一の家族だった七つ年上の姉が地主に呼ばれて、何日も帰ってこなかったからだという。かなり心細い思いをしたという。メイヤーがかなり可愛いのだから、姉も相応な美貌なのは予想できるし、きっと、そういうことなんだろう。
 そして、姉からはこう言われていたそうだ。

『――もし私が呼ばれたら、きっと帰ってこれない。地主はそういう人なの。だから、逃げなさい――』

 姉はきっと、自分が助からないことを知っていて、その上でメイを逃がしたかったんだろう。
 メイはそれでも渋ったらしいが、姉の言葉に従い、姉が帰ってこなくなって二日目の夜、地主の監視が弱くなったところを突いて逃げ出してきた。

 それから一週間以上、必死で逃げて森の中をさ迷っていたが(森に入ってからは果実で飢えを凌いでいたようだ)、とうとう追手のゴブリンに捕まったところを俺に助けられた、というわけだ。

 俺は思わずメイの姉を探そうとしたが、フィルニーアに止められた。いくら子供でも三日以上、必死で逃げ回っていたのだ。そしてメイに土地勘はなく、どこにいけばいいか分からない。
 それに、姉の言葉の通りなら、まず間違いなく姉はもう、この世にはいない。

「こんな美味しいごはん、はじめて」

 そう笑うメイヤーを、俺は痛ましい表情でしか見れなかった。
 僅か七歳。現実世界なら小学生低学年だ。それなのにもう凄絶な人生を経験している。
 この子にはもう身寄りがない。
 たった一人で、生きていく拠り所もないのに、それでもと思って逃げて来たのだ。

「あの、グラナダさん、フィルニーアさん、本当に、ありがとう」

 七歳とは思えない礼儀正しさで、七歳らしい舌足らずさでメイヤーはまた頭を下げた。

「いいさね、気にする必要はないさね、こうして出会ったのも何かの縁ってやつと思えばいいんじゃ」

 鷹揚に手を振りながらメイヤーは言う。俺も同調して頷いた。

「まぁとはいえ、あんたをこれからどうするのは、ワシじゃなくてコイツさね」

 言いながらフィルニーアは俺の頭を撫でまわした。少し乱暴だ。
 ぐぇ、と呻いていると、メイヤーがふと、どこか不安、というか怯えた表情を向けてくる。

 そりゃそうだ。

 今まで劣悪な環境で過ごしてて、しかも捕まったところを助けられたのだ。文字通り命の恩人であり、何を命令されても逆らえない立場ではある。もしこれで俺が悪代官だったら迷いなく身体を要求する場面なのだろうが、できるはずがない。
 なんてったって、こんな凄絶な過去をきかされた上に、スープとパンをぽろぽろ涙を流しながら食べたのだ。これで欲情しろって言う方が無理。

「どうするか、か……まぁ俺はそんな偉そうな人間じゃないしな」
「転生者のくせに世界救おうとせず、せこせことこの村で生きようとしてるしね」
「うっせぇ。まぁともあれ、だ。メイヤー。お前はどうしたいんだ?」

 俺は問いかけると、メイヤーはきょとん、と首を傾げる。そして。

「言っても、いいの?」

 本当に不思議そうに訊いてくるので、俺は頷いた。

「グラナダさん……いえ、グラナダ様は転生者様、なんですよね」
「まぁ一応な。R(レア)だけど」
「それなら、下僕にしてください」

 ………………………………はい?

 俺はゆっくりと、意味が分からず首を傾げた。

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