エルフの森6
怒れるエルフ達による魔族軍への総攻撃が始まる。
それは中々に苛烈を極めた。全方位から精霊魔法が撃ち込まれ、森に面している方向からは弓矢も雨のように降り注ぐ。
閃光が迸り、爆炎が各所に発生し、鋭利な疾風が吹き荒れる。視界を確保するのも、息をするのさえ困難そうなその光景ではあったが、離れた場所から確認する限り、残念ながら魔族軍側の被害は軽微であった。
「フェン越しに見た本陣で、ゾフィの近くに居た魔族達か」
そのエルフ側の全力の攻撃を防ぎきるだけの防御結界を広域に張っているのは、見覚えのある魔族達。第二陣や第三陣に居たような雑魚ではない、精鋭の魔族だった。
「エルフも強いはずなんだがね。魔族が格上過ぎるな」
人間にとってエルフは平地に居ても驚異となる存在。それの集団全力攻撃を防いで見せる魔族にはまだ余裕があるように視える。
「魔族は長い間天使と戦っているほどの実力者で、現在ではドラゴンさえ狩る事があるほどの強者ですから、こんな辺境にまで追いやられているエルフ如きでは相手になりませんよ」
「そうなんだ。やっぱり天使って強いんだ・・・っていうか、ドラゴン狩られてるの!?」
「はい。一匹のドラゴンを多数でですが、狩る事に成功しています」
僕が知るドラゴンは一匹だけだが、それでも数を集めても目の前にいる魔族の強さでは狩れる相手ではないだろう。ゾフィぐらい強い魔族なら結構な数を揃えればなんとかいけるのかも・・・? つまりはそれだけの実力者の魔族が多数居るという事か。
「そして天使ですが、天使の使う魔法は強力なうえに魔族が使う魔法とは理が異なりますから、この世界の一角を成す強さです」
「理が違うってどういう事?」
プラタの言葉に首を傾げる。魔法の理が違うというのはどういう意味だろうか。
「魔族も人間もエルフも魔物もこの世界の大半の種族が使う魔法は我ら妖精が伝えた同じモノです。しかし、天使は違う。あの種族が使う魔法は我らとは根本が異なるのです」
「根本?」
「詳しくは我ら妖精でも分かりません。天使はあまり外にそういった情報を流さないので」
「ねぇ。プラタ」
「なんですか? シトリー」
「その天使って何? 話の流れから読むにもう一つの者?」
「はい、そうです。天使とは人間が異なる者を呼ぶときの名です」
「ふーん。天の使いね、まぁあながち間違ってないか」
「ええ。的外れではないでしょう」
「もう一つの者? 異なる者?」
天使って外ではそう呼ばれてるのか。でももう一つとか異なるって何と比べてだろう?
「それらは外の世界における天使の呼び名です。ご主人様」
「うん、それは解るんだけれど・・・」
「・・・少々長い話になってしまいますが、よろしいですか?」
そう言うと、プラタはエルフと魔族軍が戦っている方に顔を向ける。
僕もつられてそちらに眼を向けば、そこにはエルフの攻撃を耐えきった魔族軍の反撃が始まっていた。
「あちらはもうすぐ決着がつきそうですが」
それはあまりに一方的で悲惨なモノであった。
精霊魔法の使い過ぎで疲弊したエルフへ強化された異形種が襲い掛かる。エルフは抵抗するも、威力の落ちた精霊魔法では強化された異形種の数には勝てない。襲い掛かる異形種は多少の数を減らしつつも、今までの恨みを晴らすかの如く、エルフを潰し引き裂き生きたまま喰らいつく。
それを眺めながら、僕は何故だか特に何も思わなかった。
気分が悪くなる事もなく、怒りを覚えるでも昂るでもなく、気が晴れるでも哀しむでも憐れむでもなく、ただ興味のない映像を見せられているような虚無感しか湧かない。
そんな自分の感情に疑問を覚えるも、同時に心のどこかで納得をしていた。何に対してかは解らなかったけれど。
「・・・・・・?」
そこで小さな何かが合わさったような、そんな感覚を覚える。
何かを形作る枠組みの一端がかみ合ったようなそんな感じ。それと共に深淵を覗いてしまったような悪寒が一瞬身体を駆け巡る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
何かを見極める様な目でそんな僕を見ていたプラタとシトリーの視線が刹那交差する。
「なんだったんだ」
それを気にする余裕も無く、僕は自分の身体へ眼を向ける。しかし、そこに変化は何もない。
少しの間そうして自分の身体の様子を確認しながら固まっていると、プラタが声を出した。
「終わったようです」
その声に視線を上げると、そこには一度異形種を戻して隊列を整えている魔族軍の様子と、少し前までエルフだったものが森のそこかしこに散乱していた。
「全滅かな?」
「生き残りは数百程度ですね。総攻撃時の二割も生き残ってはおりません。更にまだ戦う意志があるものというと、その半数ぐらいでしょうか」
「返り打ちで存亡の機かー。愚かなエルフらしい、いい笑い話じゃないか。教訓になるねー」
「まだリャナンシーの部隊が居るさ」
「だけど、あれだけ全力出してかすり傷負わせるのが精一杯なんだよ? それでもオーガスト様はエルフに勝ち目があると考えられるの?」
「・・・森に入った魔族の相手は僕らの役目だろ?」
「ああ! そうだった! なら、今まで通り森に引き籠って戦えば、オーガスト様のお力で勝てるかもね」
「さぁ、それは分からないけれどね。プラタ、リャナンシーの部隊は?」
「今到着したようです」
「そう、間に合わなかったね。いや、間に合ったかな?」
攻撃前に着いていたら文字通りエルフは全滅していた事だろう。だけど、援軍が間に合ったことでまだ抵抗できる。この付近の主導権を明け渡さないで済むことだろう。
「さて、この状況で彼女はどうでるのかな?」
◆
「全滅!?」
周辺の里中からかき集めた約三千の戦士を率いて前線に到着したリャナンシーは、その報告に愕然とする。
「どういう・・・詳細を!!」
目の前で傷だらけで報告する壮年の男性エルフは、リャナンシーの剣幕にビクリと身体を震わせた。
しかし、そのまま沈黙することはなく、僅かに声を震わせながらも詳細を口にする。
「異形の者どもが全軍で突撃を開始したのはまだ陽も昇らぬ頃でした。我らは森の境目でそれを迎え討ちましたが、魔族の守りに阻まれ効果は薄く、そのまま今まで通りに森に突入するかと思いましたが、奴らは突入する前に故意的に神聖な森の一角を吹き飛ばしまして」
「なっ!!」
それは赦されざる行為であった。それを聞いたリャナンシーは憤怒で一瞬我を忘れかけ、報告している壮年の男性エルフも怒りが再燃してわなわなと震えている。それほどまでにエルフにとって森は神聖なモノであった。
壮年の男性エルフは声に怒りを乗せながらも、なんとか報告を続ける。
「奴らはそのまま突撃し、更に森の木々をなぎ倒しました」
そこまで聞けばその先がどうなったのかは想像に難くないが、リャナンシーは怒りを全力でねじ伏せ、黙って報告の続きを待つ。
「我らはその暴挙に怒りに震え、奴らへの総攻撃を開始いたしました」
思い出し怒りに震えていた壮年の男性エルフだったが、そこで意気消沈したかのように声に張りが無くなる。
「しかし、まるで効果がありませんでした。我らが持てる全力で攻撃を仕掛け、ほとんど痛打となるようなものは何も無く・・・」
そこで言葉を切ると、壮年の男性エルフは何かに耐えるように手に力を込めて、唇を噛んだ。
「それで? その後はどうなったのです!?」
リャナンシーが続きを促すと、数度深く呼吸をしてから壮年の男性エルフは口を開く。
「悪夢でした」
ポツリとそう一言口にすると、再度自らを落ち着かせようと数度の深呼吸を繰り返す。
「魔力を使い過ぎて弱った我らの同胞に、魔族の魔法で強化された異形の者どもが襲い掛かり・・・抵抗空しく我らはほとんどの同胞を失いました」
「・・・報告ご苦労様」
リャナンシーはその報告に端整な顔を歪めて歯を食い縛り、血が滲むほどに拳を握る。そうやって耐えねば怒りに我を忘れて暴走してしまいそうな内容であった。
しかしそこで思い出す。確かここには自分達を救ってくれる人間が来ている事に。
「彼は何処に居らっしゃいますか?」
もし近くに居るのであれば、呼んできてもらえればもっと詳しく判るかもしれないという思いで、リャナンシーは周囲を見渡しながら壮年の男性エルフに問い掛ける。その上で今後の対策も立てなければならない。
「彼、とは?」
しかし、返ってきた目の前の壮年の男性エルフの反応に、リャナンシーは嫌な予感を覚える。
「オーガスト様です。人間がここに助力に来てくださっているはずでしょう? 二人の底知れぬ少女を連れた男性です」
「人間? そんな下等で下劣な種族がこの森に居る訳ないではないですか。まして助力など・・・」
「報告は来ているでしょう?」
「報告? 何のでしょうか?」
「彼らが我らに力を貸して下さるという」
「リャナンシー様は御冗談があまり上手くないようですな。最も、こんな状況でなければ笑う事も出来たのでしょうが」
呆れの中に僅かに苛立ちを混ぜたその声に、リャナンシーは目の前の男性エルフが嘘をついていないことを理解する。
(伝わっていない? そんなはずは)
オーガストとの話の後、直ぐにリャナンシーはオーガスト達が助力してくれることを伝える使いの者を数名出していた。しかし、その報告は冗談または不名誉な事だという事で、途中で使者自身や報告を受けた者に握りつぶされていたり、内容が改ざんされていた。
そんな事になっているとはまだ知らないリャナンシーは、内から焦りに身を焦がされながら、問いを重ねる。
「では、今まで魔族はどうしていたのですか? 攻めてきた部隊には居なかったのですか?」
「いえ、居りました」
「では、どうやって?」
魔族に散々苦戦させられていたのだ。勝てないとまでは言わないが、相手が攻撃を開始してからの短期間で総攻撃を行うまで追いつめられるとは到底思えなかった。
「それは・・・」
そこでエルフの男性は言い淀む。
「・・・それは?」
閉口する男性エルフだったが、目を細めたリャナンシーから発せられる無言の圧力に渋々口を開いた。
「気づいたら死んでおりました」
「はぁ? それはどういう事です?」
「分かりません。ただ、気づけば攻めてきた全ての魔族が死んでおりまして・・・」
理解できずに困惑するエルフの男性を見ながら、リャナンシーは誰がやってくれたか直ぐに理解する。ならば彼らはこの周辺に来てくれているのだろう。
そこに、目の前の壮年の男性エルフ同様にボロボロの三人の青年エルフが恐る恐る声を出した。
「あ、あの! 発言してもよろしいでしょうか?」
後ろに控えていた青年エルフのその言葉に壮年の男性エルフが鋭い目を向けるも、リャナンシーが青年エルフの発言を許可する。
「ありがとうございます。それでですが、多分その魔族を倒していた者と我ら三人は遭遇いたしました」
「何!? 何故それを逸早く私に報告しない!!」
青年エルフの発言に、壮年エルフが目を吊り上げ怒声を上げる。それを向けられた青年エルフは恐怖に萎縮する。
「黙りなさい。今彼らは貴方ではなく私と話をしているのですよ?」
いつもと同じ声音ながらも、その迫力ある雰囲気に壮年エルフは息を呑んで口を噤むと、謝罪の意味を込めて深く頭を下げた。
「その遭遇した者とは?」
「はい。人間の男と二人の少女でした。しかし、その少女は人間ではなかったと思います」
「それで? どう戦ったのですか?」
「我らが魔族と遭遇し、力及ばず殺されかけた時です。突然魔族と周囲に居た異形の者どもが溶かされたのです」
「溶かされた?」
「はい。一瞬の事でした。数秒と必要せずに跡形もなく」
「ふん、そんな話信じられんな」
青年エルフの話を聞いた壮年エルフは鼻を鳴らし、そう小さく呟いた。
「その後は?」
その呟きに僅かに視線を向けただけで、リャナンシーは青年エルフに続きを促す。
「彼らは我らの前に降り立つと、我らの言語を用いて問うてきました」
「何と?」
「確か『僕が手を貸しているのは聞いているか?』 だったはずです」
「それに貴方達は何と答えたのです?」
「そんな話は聞いていなかった為に、何も答えられませんでした」
「それに対する彼らの反応は?」
「興味が失せたような表情を見せた後、ついでのような素振りながらも、あっという間に瀕死の我ら三人を治して去っていきました」
「そう。ありがとう、参考になりました」
青年エルフ達に礼を言うと、リャナンシーは考える。彼らは我らをどう思っただろうかと。
(私なら我らに落胆するだろうな)
彼らは約束を守って魔族を狩ってくれていた。更にはリャナンシーの同胞の治療まで行ってくれたのだ。それに対するリャナンシー達エルフが彼らに行った仕打ちは、リャナンシーが見聞きした限りでも監視し、襲撃を行い、敵視どころか殺意まで向け、排斥しようと武器を構え、あまつさえ報告しておくと言っておいてそれさえ満足に出来なかった。
(何が人間は下等で下劣だ、でしょうか。我らだってよっぽど卑劣ではないですか)
リャナンシーも他のエルフ同様に人間が嫌いである。最近攫われ売られようとしたのだ、嫌悪どころか殺意しか抱いていないし、滅べばいいと心底願っている。それどころか滅ぼしてやりたいとさえ思っている。しかし、そんなリャナンシーではあるが、僅かな接点を持った彼の事は少し理解していた。
(あの御方を他の害虫どもと同じ人間という枠組みで見てはいけないというのに)
精霊を視ることが出来、妖精に認められ、あの強大な蜘蛛の魔物さえ容易く屠る存在。更にはエルフでさえ苦戦する魔族さえ敵にならないという。
(ナイアード様が敬意をもって接する程の相手を我らは・・・)
それでも見捨てず魔族を狩ってくれていたのだ。なんと慈悲深い事か。
(では、何故今回は助けて下さらなかったのでしょう)
やはり呆れられたのか、リャナンシーはそう考える。もしそれが怒りだった場合、リャナンシー達は魔族や異形の者どもの前に彼らに既に滅ぼされている事だろう。
(いや・・・)
そこでリャナンシーは約束の内容を思い出し、壮年エルフに問い掛ける。
「今回の戦闘はどこで行われましたか?」
「は? はっ! 戦闘ですか。それでしたら奴らが切り開いた森の一帯が主戦場で、その後の虐殺は森の中で行われました」
「敵は? 異形の者どもだけでしたか?」
「いえ、主戦場では魔族も居りました」
「虐殺では?」
「そちらは異形の者どもだけしか確認できておりません」
「そう。分かった、報告感謝します」
約束は森の中の魔族を狩る事。切り開いた場所は森の中と言えなくもないが、切り開かれたのならば森の外でもあろう。その後、森に入ったのは異形の者どものみ。その相手はエルフがすると約束したのは、他でもないリャナンシー自身であった。
(彼らは約束を守っただけ、か)
情けを掛けて欲しかったとは思うが、それは身勝手な理論だろう。あれだけの事をしてもなお約束を守ってくれている相手に感謝こそすれ文句を付けるなど、恥ずべきどころか唾棄すべき行いであろう。
それに、約束がまだ生きているというのであれば、勝機が存在するという事でもあった。
「我らはこれより森に籠り奴らを迎撃します。何があっても決して森を出ないように。それで我らが勝てる可能性が上がります」
「どういう?」
「先程言ったでしょう? 人間に助力を乞うたと。彼らは森の中に侵入した魔族の相手をしてくださいます。ですから、我らは森の中で異形の者どもを相手にします」
「しょ、正気ですか!?」
「ええ、私はいたって正常ですよ」
「しかし!! 人間なぞ頼りには――」
「これ以上問答をしている暇は在りません。私は奴らをこの森から追い出し、我らが生き残る為ならなんだって致します」
「・・・判りました。リャナンシー様の指示に従います」
リャナンシーの覚悟を解した壮年エルフは、深々と頭を下げた。彼も元より同じ覚悟ではあったのだ。ただ、どうしてもやはり人間だけは信用できないというだけの事で。
◆
「リャナンシーが動いたかな」
離れた場所で行動を開始したエルフの一団を感知して、そう予想を口にする。
「そのようです」
その予想をプラタが肯定してくれる。ならばそうなのだろう。
魔族軍はまだ再編中で動きはない。動かした数は全軍に比べてそう多くはないが、全体の数が多い為に再編にはまだ時間が掛かりそうだ。
「さて、彼女はどう動くと思う?」
両隣のプラタとシトリーに問い掛ける。
「動きから見て、変わらず森の中での遊撃かと」
「怒りに任せて突撃ーって喜劇は演じてくれないみたいだね」
「やっぱりそうか」
エルフ達は小部隊を組んで散りながらも、魔族軍を半円に囲むような緩やかな動きをみせる。それを視ながら、プラタとシトリーの予想通りだろうと頷く。
それにしても、こう近くで見ると数の差が凄いな。数千で十万以上の軍隊に挑むのだから当然ではあるのだが。
そのまま暫く両軍の動きを観察していると、先に配置についたエルフ側が動いた。
森の中の様々な角度から遠距離攻撃を魔族軍に行っては場所を移動する。攻撃自体は防がれてあまり効果は無いのだが、反撃は受けていない。
それに、密度も威力も大したことは無いのだが、チクチクと攻撃されることで魔族軍の再編に多少の影響が出ている。更には苛立ちも募り、このままいけば釣られた魔族軍は森へと入っていくことだろう。
「今度こそ僕達の出番かな?」
「そのようです」
「ねぇオーガスト様」
「ん?」
「また私がやってもいい?」
「うん。シトリーに任せるよ」
「やった!」
喜ぶシトリー。まぁシトリーに任せれば問題ないだろう。
そうこうしているうちに魔族軍の一部が動き出す。それに対してエルフ側も動き出す。
それを眺めながら、僕はプラタに問うた。
「魔族は?」
「十名ほど確認しております」
「エルフの攻撃を防いだ精鋭?」
「いえ、第三陣までに居たのと質はあまり変わりません」
「そうか」
その報告に少々落胆する。折角魔族の精鋭と遊べると思ったのに。
「まぁいいや。案内頼める?」
「勿論でございます」
「ありがとう、プラタ」
魔族に向けて移動を開始したプラタの後を追って僕とシトリーも動き出す。
そのまま出来るだけエルフ達に出くわさないように移動して魔族狩りを始める。
「へぇ」
魔族狩りがプラタとシトリーのおかげでサクサクと進む中、僕はエルフの動きを確認して感心する。
侵攻してきた魔族軍に対してしっかりと対応しながらも、魔族軍の本体に対しての牽制攻撃は怠らない。その統率の執れた指揮はリャナンシーのよるものだろう。どうやら彼女は有能な指揮官だったようだ。
「僕らの動きも理解しているみたいだね」
決して森の中から出ず、異形種だけを相手にする動きはどうみても森の中でなら魔族は僕達が対処する事を理解している動きだった。
「ご主人様との約束の一部はまだ記憶にあったようですね」
プラタの言葉にシトリーが可笑しそうに小さく笑う。まぁ覚えているならそれでいい。
その後も魔族と周囲の部隊だけを狩ってから最初の場所に戻り観察を続ける。
異形種については連携を取ったエルフが確実に狩っていく。強化されていても異形種では万全のエルフの相手ではないようであった。
それからしばらくして、数を減らした異形種は一度本陣まで退く。それで更に魔族軍の混乱が増した。
「面白い事になってきたね!」
「まるで泥仕合の様ですね」
「まぁ強硬手段にでた時点で魔族軍は精神的な余裕がないから」
もはやエルフを傘下に収めるなんて話はどこへ行ったのやら。いくら予想外の出来事が続いて上手くいかなかったとはいえ、あんなに短気でよく大将なんて勤まるものだ。魔族軍は個人の戦闘能力で地位が決まるのだろうか?
「次は精鋭の魔族が出てくるかな?」
先程は雑魚ばかりで痛手を負ったのだ、そろそろ精鋭を前に出す頃合いだろう。
「どうやら次はミミックが出陣するようです」
「ほぉ」
「ねぇオーガスト様」
「ん? ミミックを食べたいの?」
「ううん、違うよ。あんな不味いのは要らない」
「じゃあ?」
「私が溶かしてもいい?」
「いいよ。今回もシトリーに任せるよ」
「やった! オーガスト様大好き!」
若干いつもと違うシトリーに、ミミックを任せる。何かあったのだろうか? まぁあの程度なら任せるか。
「ねぇオーガスト様」
「ん?」
「私頑張ったから、ご褒美に魔力頂戴?」
「はい」
上目遣いに見上げてくるシトリーに、僕は手を服で拭いて指を差し出す。シトリーの希望とはいえ、少々任せすぎかもしれないし。まぁミミックも任せるんだけれど。
「やった!!」
シトリーは心の底から嬉しそうな声を出すと、僕の指を嬉々として咥える。シトリーが魔力を吸い取っている間、魔族とエルフの動向を確認する。
エルフは魔族に攻撃を仕掛けつつ陣形を整える。数が少ない為にこちらは直ぐに終わりそうであった。
魔族軍は依然再編中。陣形の変更も時間が掛かっている。慣れない地系とはいえ、数の多さが裏目に出ているようだ。あの様子だと早くとも一日は掛かるだろう。
そんな中でも、元々隊列が整っていた幾つかの部隊が機動的に合流を果たす。全体的に今までの侵攻部隊より強そうである。
「ん?」
両軍の動向を観察していると、プラタが一歩僕に近づき身体が接触する。
「どうかした? プラタ」
「いえ、なんでも御座いません」
「そう?」
単に身体の位置を動かしただけか。それにしても、ゾフィらしき反応を視ていると、何かを思い出せそうな気がする。
昔、幼い頃に何かあった気がするのだが・・・。うーん、何だったか。封じた記憶に関わるのだろうか。
そうやって僕が何かを思い出そうとしていると、魔族軍が動き出した。
◆
「リャナンシー様、隊列の再編及び配置が完了致しました」
傍で頭を下げてそう報告した年若いエルフにリャナンシーは頷く。
敵軍の最初の攻撃を凌いだリャナンシーは、魔族が次々狩られた事に確信する。
(やはりあの方は森の中であれば手を貸して下さる)
ならばこのまま続ければ勝機はある。その為にも、物量で押し切られないようにしなければならない。
リャナンシーは現在も里に増援を要請してはいるが、残っている部隊の大半は森の警備隊ぐらいであった。それを戦場に出すというのは、森の警備が手薄になるという事を意味していた。
「・・・・・・」
リャナンシーは人間に攫われた時の事を思い出し、歯を食い縛る。
それはあの一緒に連れていかれた蜘蛛の魔物との戦闘中の出来事だった。
◆
森にほど近い場所で集結中の異形の者どもにエルフ側が襲撃を仕掛け、魔族の反撃に遭い手痛い損害を受けた翌日の出来事。その日は森の様子がどこかおかしかった。
リャナンシーにはその違和感に覚えがあった。それは近くに招かざる警戒すべき異物が紛れた時の精霊達のざわめき。
「警戒を厳にしろ! 侵入者だ!」
次期里長候補の一人として部隊を率いて森の中を警邏していたリャナンシーは、そう自分の部隊に告げる。
平原に近い比較的浅い森には精霊がざわめく程に警戒するべき相手は普段は現れない。こちらの方面で警戒すべきは平原に巣くう人間ぐらいであったが、人間は弱い為に精霊がここまでざわつく事はないはずであった。
(何がこの森に?)
気配を探るも、その原因は見つからない。精霊に問うても答えは得られない。そもそもどこからそんなモノが現れたのか。
それからいつも以上に油断なく警戒していると、闇を見つけた。
それはあまりに自然にそこに在る為に、最初気にも留めなかった。しかし、僅かにそれから気味の悪い視線を感じたリャナンシーは、振り向き様にその闇に向けて一矢放った。
そうしたらどうだろう、その闇は蠢き、姿を現す。
「蜘蛛?」
大小二つの球体と、小さい球体から伸びる四対の脚。その姿は全身真っ黒な蜘蛛そのもので、少々特殊な魔力のみで構成されている所から、それが魔物である事が判る。
リャナンシーより数回りは大きいその蜘蛛の魔物は、存在を気づかれたからか上顎を動かし威嚇してくる。
「リャナンシー様!!」
それを確認したリャナンシーの配下のエルフが戦闘態勢に移る。
「一斉に攻撃する!」
リャナンシー達は蜘蛛の魔物に狙いを定める。幸い蜘蛛の魔物にまだ動く気配はみられないものの、その溢れる魔力はリャナンシー達に格の違いを理解させる。それでも多対一ならばまだ戦えない相手ではない。
攻撃準備を素早く整えると、リャナンシーの合図で一斉に攻撃する。
雷の矢を主体に炎の矢も混ぜてのその攻撃は、蜘蛛の目の前で受け止められる。
「いつの間に!!」
魔法の矢が消えた蜘蛛の眼前で、闇の糸で編まれた盾が消えて無くなる。
それが消えた瞬間跳び上がった蜘蛛の魔物は、
「散開!」
それを咄嗟のリャナンシーの合図で散る事で部隊員も辛うじて回避する。リャナンシーが立っていた太い木の枝が蜘蛛の上顎に噛まれていとも容易く切断された。
「クッ!」
それにリャナンシー達は苛立ち気色立つも、蜘蛛は止まることなく木を蹴り進行方向を変えて追撃してくる。
「各員迎撃! 攻撃は喰らうなよ!」
それでも森を駆る速度はリャナンシー達の方が速い為に、回避は出来ている。しかし、リャナンシー達の攻撃を蜘蛛は悉く黒い糸で編んだ盾で防ぐ。
「一体何処から!!」
痛打を与えられない事に焦ちが募りだしたリャナンシーの耳に、配下の悲鳴が届く。
リャナンシーが驚きそちらに顔を向けると、そこには今まで戦っていた蜘蛛より二回りほど小さな蜘蛛が同胞を頭上より襲い、頭から齧り付いていたところであった。
「このッ!!」
瞬間、リャナンシーがその小さな蜘蛛に番えていた普通の矢を放つも、小蜘蛛は脚の一本で器用に飛んできた矢を弾いた。
その間にも大蜘蛛の攻撃は続く。二匹に増えた事で一気に不利になり、それに同胞が喰われたことが加わり、配下のエルフにも動揺が広がる。
「撤退!! 撤退しろ!!」
リャナンシーは勝機を完全に逸した事を素早く悟ると、そう叫ぶ。
「殿は私が引き受ける! 早くしろ!!!」
リャナンシーが怒鳴るようにそう叫ぶと、配下のエルフは我を取り戻したように撤退を開始する。
そのエルフに背後から蜘蛛の魔物が襲い掛かろうとするが、それをリャナンシーの魔法が阻む。
「お前らの相手は私だよ!」
時々攻撃して二体の魔物の気を引きながらも、回避に専念する。しかし。
「・・・私もここまでかな」
二体の魔物相手に少しづつ回避に余裕がなくなるなか、部下の撤退を確認したリャナンシーは小さく呟く。
「まぁ簡単には殺されるつもりはないがな!」
リャナンシーは力を借りている美麗な精霊と共にありったけの魔力を込めて一本の火の矢を創り上げると、その渾身の一撃を大蜘蛛に叩き込む。
「ギギギ!」
その矢が闇の糸の盾を突き破り直撃した大蜘蛛は、軋むような音を立てる。
「これでも倒せないのか」
力が入らなくなり木から落ちたリャナンシーは何とか着地だけはしたものの、転ぶように近くの木に寄りかかると、そのままずるずるとへたり込む。
そのリャナンシーを食そうと二匹の蜘蛛が上顎を動かし近づく。
それを恐怖しながらも毅然と睨み付けるリャナンシーだったが、蜘蛛達は何故か途中で止まり、リャナンシーの背後の少し離れた場所に意識を向ける。
「?」
それを訝るリャナンシーの前で、何故か蜘蛛二匹は負傷して動けないように縮こまった。
「どういう」
困惑しつつも、魔力の枯渇で上手く力の入らない身体をどうにか動かそうとするリャナンシーの耳に、背後から誰かの声が聞こえてきた。
◆
それから蜘蛛と共に捕まったリャナンシーは、人間の世界に連れていかれた。そこは身の毛もよだつ害虫どもが跳梁跋扈する世界であった。
しかし、縁というモノは不思議なもので、そこでリャナンシーはオーガストと出会う事になった。
(何とも不思議なお方だった)
リャナンシーは敵軍の動きを待つ間、初めてオーガストと出会った時の事を思い出す。
◆
最初、檻を開け入って来たときは恐怖した。動きと魔力を抑制する枷を外された時も警戒したが、逃げますよとあの方が手を差し伸べた時に見たその瞳には不思議な光があった。言葉にするのは難しいが、温かな光とでも言えばいいのだろうか。それを見出し、少し信じて見ようかと思った。
その後、精霊が視える事を知り、心底驚く。それは人間には絶対に視れないはずだったから。しかし、理由を聞いて更なる驚きと共に納得する。妖精に認められたのならば精霊は視れるだろうと。
それで彼を信じられた。世界を構成する一角である妖精が間違っても害虫を認めるはずがないのだから。
そして今、あの方は我らエルフを救ってくださっている。
そういえば、ナイアード様の湖で出会った時も幾度も驚かされた。特に、両脇に控えていたあの格どころか次元が狂った少女達。あれほどの者が従う存在を言い表す言葉を私は一つしか知らない。それは――。
「神、か」
「リャナンシー様?」
「何でもありません。敵に動きは?」
「報告は未だ――今来たようです」
リャナンシーがその報告者が向けた視線の先に目を向けると、偵察を任せていた若いエルフが慌ててリャナンシーに向かって駆けてきていた。
その慌て様を目にしたリャナンシーは察する。どうやら敵が動いたらしいと。
◆
異形の者達が動き出した報告を受けたリャナンシーは迎撃すべく森の中を移動する。
報告によれば数自体はそこまで多くないという話であった。
(焦ってくれているのならば有難いんだが・・・)
そうは思うも、リャナンシーは嫌な予感に怖気を覚える。
(杞憂であってほしいものだ)
現状はリャナンシーの狙い通りに事が進んでいる。しかし、現実というモノは往々にして思い通りにいかない以上、油断は禁物であった。
リャナンシーの部隊はリャナンシー以外に五人居た。その六人部隊で異形の者を狩るために行動していると、早速異形の者八体と遭遇する。
全身を堅そうな防具で固め、片手には大きな斧や剣を持ち、もう片方の手で上半身が隠れるぐらいの盾を持っていた。
更に強力な強化の魔法が施されている為に、接近戦で戦うには些か面倒くさい相手ではあった。しかし、異形の者は大半が魔法を使えない以上、どれほど強化されていようとも強力な精霊魔法を操り、森を縦横無尽に駆けるエルフの敵ではなかった。
リャナンシーは配下の戦士に指示を出しながら、予想進路上で敵部隊を囲めるように動く。
そのままリャナンシー達に気づかない異形の者は予想通りの進路を進み、リャナンシーの部隊はそれを襲撃した。
降り注ぐ魔法の矢は異形の者達の堅牢な鎧も強化も容易く打ち破り、その肥大した筋肉さえも貫き通す。
「グガァッ!!」
八体の異形の者はあっさりと倒され、己らが築いた血だまりの上に沈んだ。
「よし、次だ!」
リャナンシーは異形の者達が確実に絶命したのを確認してからそう命令を下す。
「・・・・・・」
部隊が移動の陣形を組むまでの僅かな間、リャナンシーは異形の者達へと目を向ける。
(防御結界を張られていたら面倒な事になったが、そんな余裕はないのか?)
防御結界は自分自身か視界内の空間に張る分には難しくはないのだが、他人に張るとなれば難易度が上がる。それも術者から離れる相手だと持続時間が心許なくなる。これらを克服出来る程の技量と実力を持つ者は魔族の中でもそう多くは存在しない。
それでも、リャナンシーはこの戦場にそれが出来そうな者の気配を幾つか感じていた。もしかしたらその気配の相手はそれほど多くは防御結界を友軍に張れないのかもしれない。
(あまり楽観視も出来ないか)
そう気を引き締めると、リャナンシーは陣形を組み直した配下を連れて移動する。
それからリャナンシーの部隊は数度異形の者の部隊を殲滅すると、一度小休止を挟む。
(あの方達の気配は感じられないけれど、魔族の数は確実に減っている)
リャナンシーはその事に安堵する。このまま同じように異形の者達の部隊を探して殲滅していけば勝てるだろう。
幸いリャナンシーの部隊に怪我人は出ていないし、少し休むだけで万全に動けるぐらいに疲れも溜まっていない。
休憩を終えたリャナンシーの部隊は、移動を開始する為に陣形を組み直そうとしてゾクリとした気配を感じ、慌ててそちらの方へと顔を向ける。
そこには人を背負ったまま同化してしまったような異形の存在が居た。
「ま、魔物?」
その存在は特殊な魔力によって身体を構成していた。それは即ち魔物という事になるのだが。
「いいえ。我は魔物ではなく、貴方方が言うところの魔族ですよ」
リャナンシーのその推測を当の本人が流暢なエルフ語で否定し、正体を明かす。
「魔族? そんなはずは・・・」
「まぁ、信じられないのなら構いませんよ。それでも、我が魔族な事には変わりがありませんから」
リャナンシーの言葉に呆れつつも、その存在は優しげな笑みで困惑するリャナンシー達を目にする。
「必要ないですが、貴女はそれなりの地位に就いていそうなので、一応礼儀として名乗っておきましょう。我はミミック。君たちを殺す者です」
そう言って慇懃に頭を下げるミミックを見たリャナンシーは、慌てて自分の配下に怒鳴るように命令を下す。
「攻撃しろ! 何でもいい、確実に当てろ! その後は全力で撤退だ!」
本音ではリャナンシーは自分の配下達を今すぐ撤退させたかった。しかし、それが確実に不可能なまでに実力差が離れていると判断して、少しでも隙を作るべく攻撃を行わせる。その攻撃は通らないだろう事も確信しながら。
攻撃した後は即撤退を始めるリャナンシーの配下達。しかし、それは直ぐに不可能となった。
「まぁ、狙いとしては悪くなかったですよ」
リャナンシーの配下全員が一歩動いただけで息絶えていた。
「何を!?」
「理解出来ないならその程度という事です」
ミミックは肩を竦める様な動作を見せる。
「狙いはよかったので、貴女も苦しまずに後を追わせてあげましょう」
ミミックがそう言い終わると、リャナンシーの意識は暗闇に落ちていった。
◆
リャナンシーは光に包まれた世界で、浮上する感覚を覚える。
背を押され、手を掴まれ引き上げられるような感覚。それはどこか不思議ではあったが、嫌悪は無かった。むしろそこには包まれるような温かさがあった。
「はぁっ」
リャナンシーは自分が勢いよく息を吸った音を自覚すると、目を開けて周囲の様子を確認する。そこは見覚えのある森の中。
(生きている?)
上体を起こして自分の身体を見下ろし、リャナンシーは自分が生きている事を確信する。
(でも・・・)
あの時確実に死んでいた。少し記憶が混濁しているものの、意識が闇に落ちる間際の出来事を思い出して、リャナンシーは何故だかそう断言できた。
「目を覚ましましたか」
その声にリャナンシーが顔を向ければ、そこにはリャナンシーの配下に何かをしているオーガストの後姿があった。
「オーガスト様? これは一体――」
その先を言葉にしようとして、リャナンシーは続きの言葉ごと息を呑む。
オーガストが何かを施していた自分の配下のエルフが目を覚ましたのだ。
「まさか、そんな・・・」
リャナンシーの配下はリャナンシーより先に息絶えていた。それを確認していただけに、リャナンシーの驚きはあまりにも大きかった。
「貴方は一体・・・」
まさしく神の御業ではあるが、かつてエルフ族には癒し手という蘇生を行える者が居たという話をリャナンシーは聞いていた。
確認された最後の癒し手のエルフは人間の手によって犯され殺され、今なお辱められていると聞く。しかし、今はそれどころではなかった。
伝え聞くその癒し手ですら、目の前のオーガストのように簡単に蘇生は出来なかった。
癒し手はエルフにとって神聖な三つのモノの一つである。他はナイアードをはじめとする精霊達と森だ。
その一つにして、失われた唯一の神聖。それが意味する所は大きかった。
だが、リャナンシーはそれさえ一瞬頭の中から吹き飛ぶほどの衝撃を受ける。
それはリャナンシーの配下全ての蘇生を終えたオーガストが向けた目を見た時だった。リャナンシーは、己らの罪を知った。
かつて心安らぐ温かさのあったその瞳は、あまりにも冷めた鈍い輝きに変わっていた。見ているようで見ていないその瞳の輝きを敢えて言葉にするならば、無関心。
オーガストは手助けこそしているものの、その瞳からはもうエルフに欠片も興味を抱いていないのが判った。そして、その瞳にしてしまった理由も、リャナンシーは理解していた。
(我らはなんてことを・・・)
だからこそ、リャナンシーは己が惹かれた温かさの消失を心の底から嘆いた。そして、どうにかしてあの温かさを取り戻せないのかと考えてしまうのだった。