厄日な休日
調査報告を済ませた頃にはもう夕方になっていた。
僕は遅い昼食というより少し早い夕食を摂ると、風呂で軽く身体を流して自室に籠る。
そこで今回の調査の事を振り返る。それが終わると、復活魔法の考察を脳内で繰り返す。生と死というものは中々に興味深く、その深淵は罪深い。そもそも、復活魔法が禁忌指定されている最大の理由は――いや、今は横道か。とにかく今は魔法の構築・創造のための道筋を考えなければ。倫理なんてものはその後だ。修得する分には何の問題もありはしない。
というか、禁忌指定されている魔法何て結構な数を修得してるからな、覚えるだけで罪なら僕は大罪人だろうさ。
それもこれもあの本が悪い。魔法の深淵の一端が書かれていたり、人間界の外の世界の事が書かれていたりと興味深くてしょうがなかった。だからこそあれの入手場所が気になるのだが、どうも昔の記憶が無さ過ぎるんだよな。しかしこれだけは断言できた、あの本は人間界の、人の書いた物ではないという事。でなければ詳しすぎる。あれは人が開拓している世界の先の情報も多かった。
「はぁ。また脱線してしまった」
どうも考えがあちらこちらに飛んでしまう。悪い癖だ。集中力が無いのは魔法使いとしては致命的なんだけれどな。
僕は再度思索に耽る。それは夜が明けるまで続いた。何か掴めそうではあったが、結局一夜では何も形には出来なかった。
ただ、途中で思考を休ませるためにプラタに軽く教えて貰った精霊を視るための精霊の眼の話は、いい息抜きになった。
◆
翌日は二年生から九年生まで導入されている、たまの休日。
僕は着替えなどの朝の支度を済ませると、財布を忘れずに持って外に出る。今日は西門街に行く予定なので朝食はそこで摂るつもりだ。
明日は朝から列車に乗って学園に帰る日ではあるが、今日は一日ゆっくりできる。
警固任務で多少の給金が出ているとはいえまだ一月、しかも学生の身であるが故に財布は最初から軽いのだが。まぁご飯は少量でお土産は不要なので、やることは街の散策程度なので、何の問題もないのだが。
私服で宿舎を出るというのには少し違和感を覚えるが、そもそも一年生の内は寝間着以外制服だったから私服自体に何か違和感を感じてしまう。人の適応力とは恐ろしいものだな。
おかしくないよな? と今更ながらに思い至り、自分の身体に目を落とす。袖が青の白いシャツに、藍色のジーンズ。腰には財布を入れた薄い茶色のポーチ。ファッションセンス何て高尚なモノの持ち合わせの無い僕には、持ってきた少ない着替えの中から適当に着ただけだ。
正確には一番上の服を着ただけだ。だから、改めて見てみてもこれがどうなのかよく分からない。少なくとも、鏡に映った自分を見た時にはおかしいとは思わなかったけれど。
誰かに聞いてみるべきかとも考えたが、別に衆目を集めるような立場でもないし別にいいかと思い直した僕は、一路西門街を目指して歩みを進める。
宿舎から徒歩で約一時間で西門街には到着した。西門に詰める兵士の中にはここに家族が住んでいる者も居るらしく、休日には帰っているのだとか。
そこは大きな街だった。
西門に近い為に堅牢そうな壁に囲まれてはいるものの、右も左も果て無く壁が続く。確か西門街は円形の街ではなかったのか? どうみても続く壁は直線なんだが。
正面の門の先もまた霞んで見える。反対側にあるはずの門さえ見えない。
「おぉ・・・」
その偉容に、小さな町の出身の僕は圧倒される。
そんな僕に門番が不審げな目を向けてくるものの、慣れているのか直ぐに視線を外す。
僕は急に恥ずかしくなりつつも、西門街へと足を踏み入れる。入り口で身分証の提示を求められたので生徒手帳を見せたらすんなりと入れてもらえた。
西門街は舗装された地面に、街道の両脇には花と木が植えられている。残念ながら寒くなってきたからか花は少なかったが、それでも甘い香りを放っていた。
家々はどれも頑丈な造りで、ここも西門同様に壁の近くは家で壁が造られている。ただ西門と違うのは、通路の部分には家が無いというところか。
人の数も多く、見た限り行き交う人々が着ている服は色鮮やかで光沢のようなものがあり、それでいて軽そうだ。
街のにおいや雰囲気は人々の服装同様に華やかではあるのだが、どこか埃っぽい感じがした。なんというか、どこかきな臭いとでも言えばいいのだろうか? 僅かにだが不純物が沈殿しているような、そんな淀んだモノが混じっている空気に、僕は微かに顔を歪める。結局どこも似たようなものか。厄介事には気を付けよう。
僕は臆病者だ。だからだろうか、割と悪意には敏感で、人の集まるところは好まない。特に視線が恐い。少しは慣れたが、引きこもった当初は家族の視線でも狂ってしまいそうだった程だ。
それでも、人が集まる場所でなければ手に入らないものがある。それは様々ではあるが、僕の場合は書物をはじめとした知識・情報関連。
勉強は大事だ。特に今は密かに高みを目指してもいるのだから尚更だ。
「・・・よし!」
ともすれば今すぐにでも折れそうな心に活を入れて奮い立たせると、僕は歩き出す。いつまでも突っ立ていたら後頭部に突き刺さる、身分証を提示した外の門番ではなく、街の内側を警戒している門番の視線に殺されかねない。
さぁ、休日の始まりだ! まずは書店を探そう!
僕は一歩一歩確かめるように足を踏み出す。とはいえ、書店がどこにあるのか全く分からないので、まずは目の前の大通りを進んでみよう。
そう決めると、周囲に目を向けながら舗装された石畳の大通りをゆっくりと歩く。
どうやら大通りの両側には商店が並んでいるようで、特にパンに野菜、牛乳や果物を搾ったものなどの飲食物を販売する店が目立つが、他にはロープや包丁などの日用品を扱う雑貨に、兵士向けなのか武器や防具を売る店、よく分からない工芸品を売る店など様々な店が軒を連ねているのだが、何故だか肝心の書店だけが見当たらない。
そのまま書店を探しながら進んでいると、西門街の中央広場に辿り着く。
とても大きなその広場の中央には噴水が在り、その噴水の中には精悍な青年や聖母のような女性などの幾体かの石像が置かれている。
西門に来て直ぐの頃にダーニエルさんに教えてもらったが、月に一度ここで市場が催され、近隣の村や町からも沢山の人が来ては店を開いたりして賑わうらしい。だから途轍もなく広いのだろう。
僕は一度広場を見渡すと、近くに設置されている長椅子に腰掛けて一息吐く。
僕が住んでいた町は田舎だったうえに、昔の魔物襲撃の影響で人はそこまで多くはない。町自体もそこまで広くはないし、子供の足でも日中で町を一回り出来る程度だ。
そんな町から学園までは列車だったので特に街などには立ち寄らなかった。だからジーニアス魔法学園の広さには驚きはしたが、敷地の広さの割に人の数はそこまで居なかったし、緊張もしていてそんな余裕も無かった為にまだ圧倒されるという程でもなかった気がする。しかし、初めて来た都会とでもいうべきこの街は、規模が違った。
広すぎてそこは個人的にはジーニアス魔法学園と然程に変わりはしないが、問題は酔いそうなほどの人の数。実家のある町では祭りの時でもここまでは集まらなかったと思う。
そんな大勢の人々が行き交い集うこの街は、正直僕には地獄だった。入り口から広場まで一時間ちょいぐらいしか経っていないだろう。時計を見てもまだ昼前。野を駆け回る程度なら休まずに何日でも駆けられるが、今日は街を約一時間歩いただけでふらふらだった。精神的にきつすぎる。
「はぁ」
ため息を吐きつつ広場内を観察する。
子ども同士や親子連れ、老夫婦に若いカップル。中には僕と同じ一人の青年や少年少女も居る。まさに老若男女問わずの憩いの場といった場所だった。
噴水の水を汲んでいる女性はこれから昼御飯でも作るのだろうか? 下水道は早々に敷設されても、街の上水道の設備は帝都ぐらい中央に近くないとまだ行き渡っていないのかもしれない。ジーニアス魔法学園や西門の兵舎は一部ながらも通っていたところから考えるに、どの国も上は外に勢力圏を広げることで頭がいっぱいらしい。まぁ世界勢力の一角を成すのが人類の悲願でもあるからな。
広場内にも露店がちらほら見受けられる。帝都は食料生産に力を入れているだけに食べ物には困らないようで、こちらも飲食物関連だらけのようだ。おかげで未だにこの街でも西門周辺でも痩せ猫の類いは一匹も見ていない。
よく見れば記念品などのお土産を売っている店もあるにはあった。
広場を囲む建物は大聖堂や市庁舎などの主要施設が揃っている。
そういえば、帝国の国教って何だったっけ? 確か昔居たという聖母を崇めてるんだっけ? 皇帝の血族だったとかで、信徒もかなり多いと聞く。おかげで宗教院の存在感が大きいとか。
えっと・・・その聖母は人々の傷や病気を癒したらしい。今で考えればその人は魔法が使えたんだろう。治癒魔法が・・・ん?
そこでふと思い出す。前に読んだ事のある本に、聖母の逸話が載っていたものがあった。そこに記載されていた逸話の中にこんな一文が載っていた『聖母が息を引き取ったその男に触れると、男は不思議な淡い光に包まれ目を覚ました』 と。人々はそれを奇跡だと崇めたらしいが、それがつまり蘇生魔法だったのだろう。
帝国に於いて蘇生が禁忌とされる最大の理由は神の御業故に・・・ああ、何だ。答えは存外近くにあるのかもしれないじゃないか。
そこに至り、我知らず口元が緩む。僕はそれに気づいて慌てて手でそれを覆い隠した。
こんな場所で独りで笑ってるとか危ない人じゃないか。
僕は長椅子から立ち上がると、噴水に近寄る。噴水の彫刻をよく見ると、それは帝国の英雄や現皇帝陛下の若かりし頃だった。皇帝陛下の御尊顔を直接拝したことは一度もないのだが、肖像画でなら目にした事がある。それに、どことなくぺリド姫に似ていた。逆だけど。
それにしても見事な彫像だ。まるで生きた人間をそのまま固めたようで、二つ目のダンジョンの石化の森を思い出すな。
偉人達を模った彫像を堪能したところで、噴水を回って反対側の通路に進む。反対側も綺麗に舗装された石畳の道が続いていた。
広場を後にして先へと進む。
こちら側も商店が立ち並んでいたが、飲食店以外は修理屋に靴屋、時計店と少し毛色が違う。しかし、何故だか書店は見当たらない。
「・・・むぅ」
印刷技術は普及してるから本は貴重品や高級品ではないはずなんだが・・・。帝国が技術後進国だという話は聞かないし、書物販売が法に抵触するなんて話も聞かない。それなのに何故だ! 裏か、裏通りにあるのか? 書物はそんなに人気がないのか?
僕は軽くショックを受けながらも、手近な横道に入り裏通りに出る。どこも舗装されてるのは国力の表れか。
大通り程ではないが、裏通りもそれなりに道幅がある。脇に並ぶ家には民家が混じりだすも、まだ商店の方が多い。しかし、目当ての書店は何故だか見当たらない。
もう少し奥へと入ると、人通りは一気に減る。とはいえ、まだまだ結構な数が居る。正直僕にはまだ多いぐらいだ。
ここまで来ると大半が民家だ。見栄えより実用性を取ったような無骨ながらもしっかりした造りの家々が建ち並ぶ。そこに住む人たちが家先で何かの作業をしていたり、子どもが横を駆け抜ける。少し故郷の町を思い出す長閑な時間がそこには流れている。
その中にあって、いやその中だからこそ溶け込んでいる一軒の店を見つける。それはずっと探していた待望の書店であった。ただし、古書店。まぁそれはいいんだけれど。
「・・・これだけ探して一軒だけ」
思わず溜め息を吐きそうになるのを何とか堪える。それでも待望の書店だ、文句言う前に中へと入ろう。
そう思い直し、僕はどことなく哀愁を帯びているように見えるその古書店の中に足を踏み入れる。
鄙びた書店に入った僕は、まずはどこにから手を付けようかと店内を見渡す。
店内には沢山の本棚が在りはしたが、そこに収まりきらない本の山があちらこちらに出来ていた。少ないながらも、お客がちらほらと確認できる。
僕は手近な山の一番上の本を手に取ると、その本を観察する。角が擦り切れ表紙が色あせた古い本。
『誰でも今すぐ出来る! 簡単一品料理』 そう書かれた表題は擦れて薄くなっているも、何とか判読出来た。その本から目の前にある山の上へと目を移すと、どれも年代を感じさせる本ばかり。
料理に木工大工、インテリアやファッション等々と種類の違う本が無造作に乗っている。本棚に目を向けても似たようなもので、狩猟の仕方・捌き方や整理整頓の心、帝国の英雄という絵本まで混在している。そんな有り様に、僕は取り合えず大量の本を並べてるだけという印象を抱いた。
「・・・・・・」
その無秩序な本の並びに、探すのが面倒だなーという思いが浮かぶも、新しい発見があるかもという期待の方が強く浮かび、自然と目が本棚に収まる本の背表紙や平積みされた本の表紙を撫でていく。
特に気を引く本は見当たらないものの、多彩な種類がある為に軽く中身を流し読むだけでも楽しめた。
それにしても、こんな所でも人は来るものなのだな。入ってくるお客の中には、街の人と似たような見た目ながらも、見るからに質がいい服を着ているお金持ちのような人も混ざっている。
「・・・・・・」
しかし、これはその人のお金のにおいなのか? 何かとても嫌なにおいがするものだ。他に書店は見当たらなかったし、今少しの我慢だ。
早く確認を終えようと、本の表面をなぞる速度を上げて流し見ていく。
「ん?」
書店の一角に幾つかの魔法関連の書物が纏まって収納されている本棚があった。その横には聖書も並んでいる。
本棚に並ぶ魔法書には基礎魔法集などの学園で教わったようなものが多いものの、その中に魔法大全なる厚めの書物を見つける。
それを手に取り中身を確認してみると、三次応用魔法までの魔法が各系統別に載っていた。しかし、大分古い出版物らしく、載っている魔法の種類は昔に見つかったものばかりで、数も少ない。当たり前だが最近創られた系統や魔法は載っていない。それでも一つ一つの系統や魔法の丁寧な考察が書かれた学術書のようで、十分に勉強にはなる。古書なので値段が手頃なのも魅力的だ。
そのまま隣の分厚い聖書も覗いてみる。教えなんかには全く興味はないが、聖母をはじめとした聖者と讃えられている人物の逸話は非常に興味深い。今は特に蘇生や復活関連の逸話を幾つか軽く確認する。
こちらも古書であるが故に厚さの割に値段は安い。それも魔法大全より。もしかしたら広く普及しているために在庫が多くあるからかもしれない。目の前の本棚だけで同じものが十六冊も並んでいる。先程の魔法大全は三冊だから多いこと多いこと。まぁ綺麗そうなのを選ぶことでその数を活用することにしよう。
とりあえず早々にこの書店を出たい僕は、この二冊を買って部屋で読むことにする。他に目ぼしいものは特に無かったし。
魔法大全と聖書の二冊を手に、店の奥にある会計場へと移動する。そこには一人の中年の男性が座っていた。
男性は僕が机の上に置いた本に目を落とすと、値段が貼ってあった裏表紙を上にしたままにしていた魔法大全を手に取り確認する。次にその下の、本棚から取り出してそのまま持ってきた為に店員側に向いていた聖書を見て、男性はこちらに顔を向ける。
「若いのに渋いねー」
「まぁ好きですから」
男性の言葉に肩をすくめると、きっかりの値段で本の代金を支払う。僕が本を二冊受け取ると、男性は言葉を続ける。
「うちは宝石とかの換金もしてるよ?」
旅の途中などで大量の通貨を持ち運ぶのが大変な場合はそういう事もあるのだろうが、生憎と僕はそんなに大金を持ってなければ使う用もない。というか、宝石とかそんな高価なもの持っていないし、換金できるものといえば、武器兼ちょっとした工作用に持っているナイフぐらいだ。しかし、こんな場所で換金する人なんて居るのかね?
「そんな高価なものは持ってませんよ。あってもナイフが一本ぐらいです」
その僕の返答に男性はにやりと笑うと、一枚の紙を差し出した。
「掘り出し物が見つかるといいね」
僕はよく分からないままに、反射的に差し出された紙を受け取る。
「またどうぞ」
男性の意味深な笑みに見送られて、僕は書店を後にした。
外に出たところで紙を確認してみると、どこかの地図が簡易的に書かれていた。おそらく西門街のどこかの。
「・・・さて、どうしたものか」
何かが符丁に合致したのか、その渡された地図からは嫌な予感しかしないものの、記憶だけしてその地図をポーチに仕舞う。
寸刻の思案ののち、一応その場所を探して近くまで移動することにする。出来れば違う書店の場所だったらいいな、などという現実逃避をしながら。
はてさて、一体全体この地図の場所では何が待ち受けているのやら。わざわざ面倒事に首を突っ込む意味はあるのかね? 自分で自分の行動の意味が分からなくなってきた。
◆
僕は何故こんな場所に居るのだろうか?
どこかの倉庫のような地下、魔法光や白熱灯に照らされたそれなりに明るいその室内には、周囲に大きな檻の籠が幾つも積み上がり、中には数人単位で枷を嵌められた人が入れられている光景が広がっていた。よく見ると魔物が入れられている檻もある。
さて、もう一度自分の記憶に問おう。何故、僕は、ここに、居るのだろうか?
確かあれは地図に書かれていた場所を見つけたところだったか。
◆
地図に書かれていた道を見つける目印となる建物が目立っていた為に、目的の場所は思いのほか簡単に見つけられた。その場所は、人の往来がほとんどない通りに面した普通の家だった。
どう見ても民家にしか見えないその場所に、僕は僅かに眉根を寄せる。ここが渡された地図に書かかれていた目的の場所のはずなのだが・・・。
「地図をお持ちですか?」
悩んでいた僕は、背後から掛けられた声に振り返ると、そこには白い半袖のシャツに橙色の半ズボンを履いた身軽な格好の男性が立っていた。
「はい? 地図ですか?」
「はい。ここの地図です」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
微かな笑みを浮かべる男性。その所作や口調は上品なものだ。着ている服との差に違和感を覚えるほどに。
僅かに間を置くと、僕はポーチから折りたたんだ地図を取り出す。
僕が中を開いて差し出したそれを男性は覗き込むようにして確認すると、満足げに頷く。
「確認いたしました。どうぞこちらへ」
男性は横にずれると、手のひらで地図に示された場所とは反対側の家を示す。僕は戸惑いつつも、その家の中へと入っていった。
◆
うん。思い出しても分からない。どうしてこうなった。
どう見てもここは前にスクレさんとアンジュさんが言っていた奴隷の売買が行われている場所だ。勘違いや見間違いでなければ、だけど。
「・・・・・・」
怯える檻の中の人々と、それを檻の外から物を見るような目で値踏みする人々。中には下卑た目の者も居るが、共通するのは檻の外の人間からはお金のにおいが強くしてくることだろうか。それもあまり気分のいいにおいではない方の。
恰好こそ皆庶民的ではあるものの、明らかに僕だけが異分子だ。どうしよう。
そして、やっぱり見間違いではなくここは奴隷市場なのだろう。
それにしても、ほとんどが犬とはいえ魔物までいるとは。まぁ大半は人が創ったもののようだけれど、中には外の世界から持ってきたと思しきものも居る。しかも、蜘蛛と呼ばれる魔物が一匹混ざっている。二つ目のダンジョンで遭遇した巨大蜘蛛とは違い、人間の子どもぐらいの大きさではあるものの、あれは外の世界産だろう。魔力量から判断できる強さは下級の上といったところか。よく捕獲したものだが、しかしまた面倒なものを大結界の内側に運び込んだものだな。
「はぁ」
檻には結界が張ってあるとはいえ、何故あの蜘蛛は外に出ないのだろうか。あの蜘蛛を抑えるにはあの結界では強度不足のはずだが、何を考えているのだろうか。
「お疲れのようですね」
部屋の隅に立っていた僕の隣に、スラリとした長身の若い男性がにこやかな笑みを浮かべて並ぶ。
「こういった場所は不慣れなものでして」
ぎこちなくなりそうな笑みを意識して抑えながらそう返す。不慣れも何も初めてで不慮の結果ですがね、という答えは心の内だけに留める。
それにしても、端正な顔立ちの洗練された男性だった。さぞモテることだろう。それに、その人懐っこい笑みは相手の懐に入るにはもってこいだ。もし商人ならやり手だろう。
「そうでしたか、実は私もなんですよ」
事実はどうあれ、相手に共感するのは大事だよね。最初に仲間意識を植え付けるのはとてもいい手だ。
そんな冷めた思考ながらも、僕は努めて笑みを絶やさない。口角を自然な角度で上げて微笑を心がける。勿論目元を細めるのも忘れない。ここで観察した目を覗かせてしまうと、それはただの分かりやすい作り笑顔だ。・・・などと意識してないと思わず挙動不審になりそうだ。
「今日は何をお求めで?」
「決めてはいないですね。どうしようかと迷ってるものでして」
「そうでしたか」
「はい。貴方はお決まりですか?」
「いえ。エルフが出品されてないかと見に来たんですが、どうやら今回も居ないようですね」
「そうでしたか。ではお帰りになられるのですか?」
「いえいえ。折角ここまで来たので、競り売りまでは見ていこうかと」
「なるほど。それは楽しみですね」
「ええ、本当に。・・・そういえば、本日の目玉はなんでしょうかね?」
「目玉、ですか?」
「ああ、そういえばあまりこちらに参加されたことがなかったんでしたね。毎回競り売りの最後に目玉商品の出品があるのですよ。もしかしたらそこでエルフが出品されるかもしれませんね」
「なるほど。丁寧にありがとうございます」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ」
うん。自分で言うのもなんだが、表面的とはいえ上手く会話できたと思う。だから、もうどっか行ってくれないかな?
しかし、会話は終わったはずなのに、隣の男性は離れようとはしない。なんで? 怪しまれた? この人からはそこまで悪臭はしないんだけれどな・・・。
そのまま周囲に目を向けながら静かに時間を過ごす。その間も隣の男性は身動ぎもせずに綺麗な姿勢で立ち続ける。
そして、部屋に入ってきた男達が競り売りが始まるという報せを持ってくると、皆は競り売りがはじまる会場へと場所を移した。
◆
競り売りの会場も地下にあった。
パーティー会場のように広い室内の隅には豪勢な調度品が置かれ、正面には数段高い舞台が在る。その舞台を観覧する客達用に、舞台の向かいには座り心地の良さそうなソファーと、数種類の飲み物が用意された大きいテーブルが十組設置されていた。
部屋に入った人達は、慣れた様子で思い思いの席に着く。そんななか、僕は入り口近くで立ち見を決め込む。先程の商人風の男性も僕とは反対側の入り口近くで立ち見している。
全員が部屋に入リ終わり、各々席に着くか立ち見するかが決まった頃、部屋の照明が消されて暗闇が世界を支配する。
しかしそれも一瞬のことで、舞台に照明が当てられ、暗闇の中にその人物の姿を浮かび上がらせる。
その明かりの中に居たのは、一人の身なりの良い清潔感のある男性であった。
「紳士淑女の皆様、本日はよくぞおいで下さいました。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私は当催しの司会進行を任されております、ファイと申します。お見知りおきのほどどうぞよろしくお願い申し上げます。さて、この喜びを皆様と存分に分かち合いたいところではありますが、長話をしてしまいますと、これからの催しを今か今かと楽しみにされている皆様に大変申し訳ないですので、早速最初の商品を紹介させていただきましょう」
そう言うと、男は何かを迎えるように舞台の袖を手で示す。
それを合図に、次々と袖から台車に載せられた檻が運ばれてくる。その数全部で五つ。
「それでは最初の商品の紹介です。こちらの檻に入っている男達は少し年は取っていますが、身体は健康で、働き手としては申し分ありません。鉱山採掘などの単純な肉体労働だけではなく、農奴としてでも申し分ないでしょう。中には戦奴としての才覚の持ち主も居ますので、そちらをお求めの方にもお楽しみいただけます。それでは皆様お待ちかねでしょうから、事前の説明はこれぐらいといたしまして。では早速、まずはこの肉体労働向きの奴隷の檻に入っている五人から競りを始めていきましょう」
そのまま男が提示した最初の金額でさえ、真っ当に働いて稼ぐには頭が痛くなりそうな金額であった。
それでもポツリポツリと手が上がり、最初の額より少し上がって次の商品へと移った。・・・少しとはいえ、上がった額だけでどれだけ暮らせることか。
金銭感覚が狂いそうなこの場に内心で辟易しながらも、僕は表情を変えずに舞台を眺めつつ、密かに周囲の様子を窺う。
商人っぽい人物が多いなか、どこぞの貴族のような人物も結構見られる。中には隠しきれない鋭い雰囲気を纏う軍人のような人間や、魔法使いらしき者も確認できた。
他には、暗闇に紛れてはいるが、部屋の隅には護衛や警護役のような人物が大勢控えている。
こっそり反対側の入り口近くに立つ例の商人風の男を盗み見れば、変わらずにこやかな笑みを顔に張り付けて舞台を注視していた。しかし、僅かに確認できたその目はあまりにも鋭い。
それにしても、帝国は奴隷売買を全面的に禁止しているが、王国や大公国は完全には禁止していないはずだ。大公国に至っては農奴を推奨している節がある。奴隷売買をしたいならそちらで行えばいいものを。
そう考えると、小さな火種を抱えているような・・・まぁそもそも人も一枚岩ではないしな。特に一部の人間が魔法が使えるようになり、大結界が張られて生活が安定してきてからは、所々身勝手な振る舞いが目立ち始めている。我欲が浮かぶ程には余裕が生まれたと言えばいいのか。
まだ敵が少し離れたに過ぎないのだが、なんともはや。
そんな余念を浮かべながら観察しているうちに競りも大分進み、人間の部は先程の愛玩用の女性で終わりだったようだ。
次に舞台に運ばれたのは、魔物だった。
「さぁ皆様お待ちかねの商品である、魔物です! 今回も多数揃えさせていただきましたが、何と! 皆様も先程確認されたかもしれませんが、今日の競りには少々強い魔物が出品されています。最初はこの犬から入札を開始いたします。それでは、こちらも最後までお楽しみくださいませ!」
男は丁寧に頭を下げると、最初の値段を提示する。
舞台に上がる魔物はどれも誰かが創造した人間製の魔物ばかり。それも、同じ種類でもジーニアス魔法学園のダンジョンに住む魔物と比べると数段劣る存在ばかりだ。魔法の使えない人間にはそれでも十分脅威だが、ちょっと魔法が扱える魔法使いでも何とか倒せそうな程度の強さしかない。
魔物創造。
それに個人的には興味はあるのだが、僕はまだ一度も行ったことがない。理論としては知っているので使えるはずなのだが、魔物が必要な場面というのに中々出くわさないのである。
それに、創造した魔物はどうしろと? せっかく創造したのに倒すのは勿体ないし、かといって飼うのも人間界では難しい。・・・隠れるのが巧いプラタに任せるとか? 一考に値する・・・のだろうか?
まぁそれは今度プラタにあって妖精魔法? に挑戦するときにでも話をしてみようかな。ちょっと楽しみが増えた。
少し気分が晴れたところで、舞台上に蜘蛛の魔物が姿を現す。
「さぁ、皆さまお待ちかねの上物の魔物の登場です!」
そう言った男が提示した最初の金額は、目が飛び出るどころか絶句する額だった。それでも値段が上がるんだから、お金は在るところにはあるんだなーと、しみじみ実感させられるよ。本当に。
その白熱の競りが終わると、舞台の照明が消され、司会進行役の男だけに光が当てられる。
「さて皆さま、これで今回の競りは終わりでございます。・・・と、言うのはこれが終わってからでしょうね」
そこで舞台の照明が点けられる。
舞台上には大小二つの檻が用意され、中が見えないように大きな布で覆われていた。魔力視を常駐している為に、こういう時に中身が見えてしまうのはいい事なのかどうか。
「本日の目玉商品は二つあります。まずは一つ目!」
その掛け声とともに大きい方の檻の布が取り払われる。その中に入っていたのは。
「こちらは先程の蜘蛛の親であります!」
二つ目のダンジョンに居た巨大な蜘蛛よりも一回り小さい大蜘蛛が檻の中に入った状態で姿を現す。
それは見るからに先程の小さな蜘蛛よりも強く、その内包する魔力量から判断するに、おそらくは中級の下辺りか。とても嫌な予感がするな。
中級の下とはいえ、中級の魔物を捕らえたというのは彼らの組織に魔物を提供している魔法使いは優秀だということなのだろう。
それにしても、危険性や捕獲費用を考えても、それだけ利益が出るという事なのだろう。まぁ熱狂的に競り上がる値段を聞けばそれも理解できるが、魔法使いは貴重な人材のはずなんだがな、こんなことに身を危険に晒すというのは、同じ魔法使いとして少々微妙な気持ちになってくる。
そんな大蜘蛛も失神しそうな額で競り落とされる。あんなの競り落として何に使うのだろうか? そっちの方に興味が湧く。
その大蜘蛛が裾へと下げられると、司会進行役の男が大きな声で最後の商品を紹介する。
「さぁさぁ、本日も最後の商品となってしまいました。これからご紹介できる商品はとても貴重な品です。本日お越しの皆様方は本当に運がいい。なんと! 本日最後の商品はこちら」
男のその言葉と共に檻を覆っていた布が取り払われる。その中には――。
「女エルフです!!」
腰まで伸びたくすんだ金髪をした長身のエルフの女性が姿を見せる。
そのエルフの女性は見目麗しくスラリと伸びた白く美しい手足をしていて、それは神が手ずから彫った彫刻のような神々しさがあるようで、その容姿を惜しげもなく観客に見せるように袖が無く丈の短いシャツと、腿の付け根よりやや長さのあるズボンを着せられていた。
そのエルフの女性は繋がった首枷と手枷を嵌められ、それに重りまで付けられた痛々しい姿をしていたが、美麗なエルフの登場に、会場は瞬時に熱狂する。席を立つ者まで現れ、もはや狂喜乱舞の様相だった。
それを一通り眺めた司会進行役の男は、それに乗じるように大音声で競りを開始する。
眼前で繰り広げられている様子を一言で言い表すならば狂気だろうか? 小国の国家予算ぐらいはありそうな額になってもまだ上がり続ける金額。目を血走らせながら席を立ち、怒鳴り散らすように値段を叫ぶ人々。この会場は人の欲に満ちていた。
正直、気持ちが悪かった。こんな狂乱の宴は眺めているだけで吐き気を催すほどに不快だった。
そんなエルフの存在に、そういえばと反対側の商人風の男を窃視すると、常に張り付いていたにこやかな仮面は無く、ほとんど無表情でその騒動を目にしている。
しかし、そんな狂った世界もそう長くは続かなかった。程なく落札者が現れ、熱気はそのままに、無言の嫉妬が落札者に注がれている。そんな人を殺せそうな嫉妬を注がれている男は、それを優越感を持って悠然と受け止めている。
エルフの女性の入った檻が袖へと下げられ、司会進行役の男は満足そうな笑みを浮かべながら舞台の中央に立つと、この催しを締めようと口を開いた。
「本日の出品は以上でございます。皆様――」
しかし、男が全てを言葉にする事は叶わなかった。何故なら、そこに危急を知らせる悲鳴が舞台裏から響いてきたから。