周辺調査
当然の様に居るプラタとシトリーの視線に晒されながらも、列車の個室で前に買った本を読んで過ごすと、日暮れ前には西門に到着した。
荷物も少なかったので、そのままバンガローズ教諭に帰着の挨拶を済ませる。その際、何故だかホッとしたような顔を浮かべられたが、何だったのだろうか。
報告を済ませると、僕は自室へと戻る。セフィラ達とは入れ替わりになったようで、部屋には誰も居なかった。
荷物を置いてお風呂に入ると、僕は早早と就寝する。
翌朝はまだ薄暗い内に準備を済ませて食堂で朝食を摂り、水と食料を受け取ると、それらを入れた背嚢を背負って宿舎を後にする。
外に出る頃には空は白んでいた。
寒さを堪えながらもそのままバンガローズ教諭に会いに行くと、バンガローズ教諭は既に仕事をしていた。ちゃんと寝ているのだろうか?
周辺調査について話を聞いて、僕の調査予定地を西の森から北の森までの平原と森の境周辺の調査と決まると、早速西門へと移動する。
大結界の外に出ると、僕はまず西側の森へと向けて移動する。大結界から十分に離れたところでプラタとシトリーと合流を済ませつつも、そのまま森を目指す。
森の浅いところまでを含んだ約一月掛けての大々的な長期調査。これが終われば後は警固任務だけだ。とはいえ、である。もう魔族軍は居ない為に大した脅威はいないはずなのだが。
急ぐ旅ではないが、かといってのんびりもしていられないので、通常の速度で草原を歩む。少しフェンの背に乗って草原を駆けたかったが、今は我慢しておこう。
「この辺りはのんびりしていていいものだ」
たまに遭遇する魔物を狩りながらも、そこまで厳重に警戒する必要がない草原は、森の中に比べれば気楽なものだ。監視の目も無いし。
周辺に眼を向けてもやはり魔族や異形種の姿は見当たらない。それは西の森に到着する七日間変わりはなかった。
念の為に森の少し前から気配を消してから森の中に入ると、湿度の為か平原より少しひんやりとする。
更に森の奥に入って、そのまま北東まで森の中を進み、北の森へと向かう。
気配を消しているおかげか、エルフの監視はまだ感じられない。このまま奥に進む前に一度休憩を取る。
「こんなに早くこの森に戻ってくるとはなー」
いつか森の外に出る事があるとしても、この方面の森を抜けるかは分からない。しかし、それにしては予想よりも早くこの森に戻ってきてしまった。出来ればエルフに遭遇したくはない。両隣の反応が恐いから。
背嚢から取り出した乾パンを齧りながら、プラタとシトリーに頼んで魔族が使う言語を教えてもらう。これは平原を移動中も休憩の度に行っているが、驚くことにエルフ語よりも簡単だった。というのも、ほぼ基本となる発音が異なるだけで、文章構成などの言葉自体の意味はほぼ同じだったからだ。
少し文字の方も教えてもらったが、全体的に該当する人間の言語を崩したような感じの文字ばかりであったので、読む分には発想力さえあれば学ばなくても解読出来るかもしれない。そのおかげで既にそれなりには理解できていた。まぁまだ使う相手が居ないのが残念ではあるが。
そうして暫く休憩すると、森の奥まで移動する。気配を消しつつの移動だからか、まだエルフには気づかれていないようだ。
「動物たちが戻ってきているな」
魔族軍が去ったからだろう。見渡した視界に何頭かの動物が見えた。動物には詳しくないが、確認出来た動物には角があったから、あれは鹿だろうか?
そういえば、魔物は同種の動物は襲わないと聞く。例えば犬の魔物は動物の犬は襲わないというように。まぁ、本当かどうかは分からないんだけれど。
そんな風に、前回来た時には居なかった動物をちょくちょく確認しながら先へと進む。気配を消しているから直ぐには逃げないので、少し離れたところから観察が楽に出来る。
途中から北東へと進路を変えて北上していく。
そこで僕は思い出して精霊の眼で周囲を視てみる。そこには子どもぐらいの大きさの精霊が二体と、人間界に居る様な小さな球体がそこかしこに浮いていた。
「これが精霊か」
前と違って近くで視れたその精霊は、緑色の光が子どもの様な形を模っている様なモノだった。きっと話し掛ければ会話が出来るのかもしれないが、そうしたらエルフにばれてしまう可能性が高いので、ここは我慢しなければならない。
そのまま森と平原の境に並行するように進み、北の森の端を目指す。しかし夕暮れになったので、一度休憩を挿む事にした。
魔族語の修得も大分進んだが、探索期間はまだまだあるので、程々のところで切り上げる。
切り上げたところで就寝までの僅かな時間、木々の合間から見える切り取られた夜空を見つめる。
それは綺麗な星空だった。月は見えなかったけれど、キラキラと瞬く星は、宝石を散りばめた様とはよく言ったものだと納得出来る輝きがあった。
視線を下げれば薄暗く静かな森が広がる。
僅かに寒さに震えるも、白い息も今は楽しさを演出してくれる一つのように思えてきた。
少し気分が良くなり、右隣で相変わらず僕を見上げてくるプラタに笑いかけると、反対側で僕の腕を抱いて頬を寄せながら目を瞑っているシトリーへと目を向ける。
シトリーはたまに僕の膝の上に座ってくるも、大体はこうやって抱き枕の様に掴まれている。そんなシトリーを目にして、ふと魔力吸収という彼女が得意なモノを思い出す。それと同時に、学園からの帰りに列車の中で読んだ本の内容が頭に浮かんできた。
それは発現した魔法を取り消すには幾つかの方法についてで、主に行われているのが同量の魔力で発現させた魔法をぶつける相殺か、何かにぶつけて強引に完了させてしまうという二種類らしい。
とはいえ、何かにぶつけるのは危険が伴う可能性が有る為に、やむなく魔法を放つ際は大抵は空に向けて放つのだとか。視界外にいった魔法に関しては、その先どうなっているかは不明らしいが。書かれていた推測では、魔力が尽きるまで突き進んで消滅するか、何かにぶつかるまで移動しつ続けているというモノであった。
そしてもう一つ。先程の二つとは別に分解という、魔法に干渉して魔力に還す方法も存在するが、どうやらこれはかなり難しいらしく、ほとんど出来る者が居ないらしい。
僕は合成魔法の実験をする際に当たり前の様にやっていたが、そういう理由から分解はあまり人前で使わない方がいいみたいだ。それどころか、他人の魔法にも干渉して分解出来るなどは知られない様にしないといけないのかもしれない。
そこまで考えた時に、僕は一つの考えに行きついた。それは魔力吸収。
シトリーの得意なモノだが、これは魔法というには少々直接的なモノがある。勿論、魔力吸収にもいくつかの方法があるのだろうが、シトリーの場合は相手の魔力循環に穴を空けて、そこから漏れだした魔力を捕らえて吸っているようである。破裂させない様にするのには、それ相応の技術が必要になってくる方法だった。
その魔力吸収と分解、更には合成魔法を完成させる過程で培った技術を組み合わせれば、相手の放った魔法を無力化した上で吸収出来るのではないかという結論に至る。吸収せずとも魔法を消し去る事だけは出来そうだ。
原理自体はとても簡単で、分解と合成魔法の過程一つを転用して組み合わせ、相手の魔法に干渉してからそれを自分向けに調整する。後はそれを自分の魔力とくっつけて引っ張り込めば吸収できるという方法だ。これを調整ではなく分解のみに舵を取れば魔法を魔力に還元するという無力化が行える。
その考えに思い至った為に、早速実験してみたくなってきた。まだ理論の段階なので、実戦に使用するにはまずは検証が必要であろう。
そう思いつつ、視線を星空へと戻して数度深呼吸を繰り返して心を落ち着ける。今が寒い季節でよかった。
深呼吸をして落ち着いたところで、木に背を預けて少し睡眠を取る事にする。まだ森の中なので長々とは寝れないものの、前回森に入った時よりはゆっくりと睡眠が取れそうだ。
早く戻って実験がしたいなと思いつつ、僕は眠りについた。
◆
「・・・あ!」
その翌朝。
まだ空が薄っすら白みがかったばかりの頃、朝食を済ませた僕はその事に気がついた。
実験をする際はクリスタロスさんに訓練所を借りているのだが、その際、当然ながらクリスタロスさんの部屋にまで行かなければならない。それには転移装置が必要なのだが、その転移装置の有効範囲はどれぐらいだっただろうか。詳細な距離までは不明ではあったが、確か僕が有効距離を訊いた時にクリスタロスさんは人間界の外でも問題なく起動すると言っていなかっただろうか? つまり、わざわざ学園に戻らなくとも、人間界の外からクリスタロスさんの部屋まで転移可能だという事になる。少なくとも人間界からそんなに離れていないこの森の中からならば問題なく起動出来る事だろう。
「・・・・・・」
すっかり失念していたその事実に、僕は小さく苦笑を漏らした。
「ご主人様?」
そんな僕に、隣から不思議そうな声が掛けられる。
「いや、なんでもないよ」
それに笑って首を振る。流石に自分に呆れていたなんて言えないよな。
「左様で御座いますか?」
不思議そうなまま首を傾げるプラタの頭を撫でて落ち着くと、僕は座ったまま一度伸びをする。
「さて、先に進もうか」
「はい」
「はーい」
二人の返事を聞いて立ち上がると、僕達は周囲を警戒しつつも、一路北の森を目指して歩みを再開する。
人間界の外からクリスタロスさんの部屋への転移は、雰囲気に合わないという事にしておこう・・・今度転移するかもしれないけれども。
周囲には平原以上に魔物の姿が見当たらない。おそらくこの辺りの魔物もエルフが狩っているのだろう。
それにしても、魔族軍との戦いの際に共闘して判ったが、どうやらこの辺りのエルフの数は少ないようだ。居住範囲の広さを考えれば、今の数倍は居ても問題ないだろう。勿論他の里にもっと居る可能性はあるが、支配権を得た戦いの傷は想像以上に深かったようだ。それでいて今回の戦いだ、厳しい事になるだろう。よく未だに森の警戒が行えているものだと感心する。まぁ、僕には関係のない話だけれどもさ。
周囲を調べながら進んでいるが、あまりに何もないのでそんな事を考えてしまう。同じエルフでも南の森を住処にしているエルフはそれなりに数は多いらしいけれど、こちらのエルフよりも排他的らしい。
百年程前にナン大公国は南側のエルフの森へと進軍した事があるらしいが、森にろくに入れず手ひどくやられたとか。
ナン大公国は他のどの国よりも野心家で、今でもたまに平原に軍を動かしているらしく、その暴走のせいで国家連合は微妙な均衡になってきているとかなんとか・・・。
とはいえ、最近は自重しているらしいが。そんな背景がある為に、純粋な軍事力では国家連合の中では突出している。それはつまり、魔法使いの質が高いという事になるが、そういえばあの貴族は性格こそ難があったが、同世代の他の生徒よりは優秀だったものな。しかし、他のナン大公国の魔法使いもあんな尊大な性格なのだろうか?
ただ、現在のナン大公国の最強位は一部で序列二位と言われているらしく、王国の最強位、つまり僕の姉と同格らしい。年齢順で王国は第三位らしいが。そして、第一位が帝国の最強位で、我が故国のハンバーグ公国は第五位らしい。残るマンナーカ連合国は第四位だと、少し前にペリド姫達から教えてもらった。
まぁハンバーグ公国の場合、若いので伸びしろがまだまだ在ると言われているらしいけれども。確か妹達と同年代だったか。
それはさておき、帝国の最強位に興味が湧いた僕は、その後にプラタに人類最強の強さはどんなものか訊いてみたのだが、『ご主人様が気にする程強くは御座いません』 という即答が返ってきただけだった。
それでもまだ多少興味があったものの、相手は国のお偉いさんだ、そう簡単に出会えるものではないだろう。
そのまま何事も無く森の中を進み、日暮れとなったので、その日はもう休む事にした。
◆
翌日。探索を再開させるも、魔族軍はしっかりと撤退したようで、本当に何もない。魔物もエルフが狩っている為に少なく、北の森に近づくにつれて魔物の姿もそれなりに散見しだすも、やはりこの辺りには弱い魔物しか存在しない。
そんな森の探索を十四日程かけて行い、『北の森』 と人間に区分けされている森の端に到着する。
そこには二本の巨大なハサミの様な手を持ち、人間の胴よりも太く周囲の木々にも負けない長さの尻尾には、その先端に大きな針が付いていた。その立派なハサミと尻尾の持ち主は、人間よりも遥かに大きい甲殻虫であった。
「あれはえっと、森サソリだったっけ?」
正式にはジャイアントスコーピオンとか呼ばれているらしく、北の森の先に在る砂漠地帯にも同じ種族が生息していて、森に居る場合を森サソリ、砂漠に居る場合を砂漠サソリと、便宜上呼び分けられているとか。所謂俗称だ。因みにサソリは人間界にも生息していて、ジャイアントスコーピオンに見た目は似ているが、大きさは手のひらサイズの生き物で、進化の先が違うという事で名前が違っていた。
そんなジャイアントスコーピオンだが、魔物ではなく虫の一種らしい。尻尾の先端に毒を持った蟲。北の森に生息する特殊な生物の一匹だ。数種類の毒を保有しているらしく、状況に応じて即効性の毒や遅効性の毒を使い分け、致死毒・麻痺毒・壊死毒などがあるとか。
毒以外にも、その見るからに強力そうな巨大なハサミも警戒する必要があり、甲殻虫だけに外殻は非常に硬い。まぁ関節部分は弱いらしいが、それでも北の森では数少ない特殊な攻撃以外でも手ごわい相手だ。
それでもシトリーがあっさり溶かしてしまうのだから、シトリーの溶解液の強力さが理解できる。
その後に北の森調査中に見つけた別固体のジャイアントスコーピオンは、プラタにあっさりと解体されてしまったが。
北の森は少し調べただけで南に進路を取る。これより北は調査対象外の地域だ。それに、北側にはまだゾフィーが率いていたのとは別の魔族軍が駐屯しているらしい。目的が何なのかは判らないが、北側の平原にはあまり姿を見せないのだとか。
そのまま南に森を抜けると、日も暮れていたので森から少し距離を取って休息する。
乾パンを一つ齧ると、魔族語をプラタとシトリーに学び、就寝前に思考に耽る。考える事は様々あるが、とりあえず今後使う機会が増えるかもしれない武術のイメージトレーニングをして、懐の自作の剣を取り出す。鞘の大きさは、以前使っていたナイフの時と同様に、柄を入れても二十センチ程だが、納まっている剣の長さはその七倍以上だ。これは初手に限り奇襲が出来るだろう。
そんな事をあれやこれやと考えていると、久しぶりに一瞬の頭痛に襲われる。しかし今回は今までの様に鋭い痛みではなく、内に響くような鈍い痛みだった。
「・・・・・・」
原因の分からない頭痛に、僕は困ったように頭をかく。前まではこんなことはなかったのにな。
それから少しの間様子を窺ってみてみたものの、また頭痛に襲われるような事はなかった。結局頭痛の原因がよく分からないままに、僕は就寝した。
◆
翌朝からは一度大結界付近まで南下した後、西門目掛けて大結界に沿うようにしながら離れた場所を移動する。
それに十日ほどかける予定だ。とはいえ、森とは違って障害物の少ない平地だ、警戒はそこまで高めなくていい。ただ、視界だけは広く持っていた方がいいだろう。大結界からは離れてはいるが、念の為にプラタとシトリーには気配と姿を消してもらっていた。
そのまま西門を目指しつつも、日暮れから夜明け頃まで休息をとりながら移動する。予定通り北の森を出てから十日目には西門の姿が目に入ってきたが、結局これといった異常は見当たらなかった。勿論、平原や森の中で魔族や異形種の姿は確認出来なかった。
プラタとシトリーに別れを告げた後、もう慣れた西門へと、行きと同じように独りで帰還を果たす。一々大結界を開くのを待つのは、今でも面倒だけれども。
昼過ぎに西門をくぐった後、調査報告を行う為にバンガローズ教諭を探す。本部には姿がなかった。
西門の建ち並ぶ兵舎や宿舎中を探し歩き、陽が完全に沈む前にバンガローズ教諭を見つけたのは、兵舎でも宿舎でもなく、防壁の上であった。
「い、色々探させてしまったようで、す、すいません」
僕の姿を認めたバンガローズ教諭は、いきなりそう言って勢いよく頭を下げてくる。
「えっと・・・?」
突然のそれに驚く僕に、顔を上げたバンガローズ教諭が申し訳なさそうに説明を始めた。
「さ、先程兵士の方からオーガスト君が探していたとほ、報告がありまして・・・そ、それと一緒に、帰ってきた時刻も聞いたもので」
「ああ、そういう事でしたか」
納得した僕が気にしていない旨を伝えると、バンガローズ教諭は会釈するようにもう一度頭を下げた。
その後、僕はバンガローズ教諭に調査報告を行う。問題無しという報告に、バンガローズ教諭はホッと胸を撫で下ろす。
「そ、それでは学園から帰ってきた後は、け、警固任務をお願いしますね」
「はい。承りました」
バンガローズ教諭への報告が終わると、僕は自室へと戻る。
部屋にはセフィラ達四人が居たので挨拶を済ませると、僕は荷物を置いて着替えを手に風呂場へと向かう。湯に浸かって身を落ち着けると、汚れと一緒に疲れも落ちたようで、スッキリした気分で自室へと戻り、その日は大人しく就寝した。