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三番目のダンジョン4

 通路の先は一面銀世界であった。
 明るい室内をはらはらと上空から白いものが舞い落ちるも、頭上に広がるのは空ではなく光りを発している天井。
 クリスタロスさんの時の様に見た目だけで寒さを感じないという事はないようで、通路を抜けると身を切るような寒さが襲ってきた。
 僕が頭上から落ちてくるその白いものを掌の上に乗せると、一瞬で液体に変わる。
 僕達は身を震わせながら周囲に目をやると、どこまでも広がりそうな広大な雪原の中にも、僅かな起伏があるのが見て取れる。
 その雪原の盛り上がっている場所に囲まれている為に、窪みみたいに少し低くなっている様に見えるその位置で、マリルさんが二人対峙していた。
 その姿を確認した僕達は駆け寄ろうとするも、寒さで身体の動きが重くなっている事に気が付く。
 それで、外気温遮断魔法・体温上昇・冷気耐性というこういう時の為の魔法があった事を思い出す。
 うっかりしていたと思いながらも、その中で最も簡単で、移動や戦闘を行う際に便利な体温上昇を二人とも自身に使用する。
 寒さに強くなったところでマリルさんの下まで急いで移動する。飛行魔法と移動魔法の併用技で移動した為に、雪の纏わりつく感触を楽しむ事はなかった。
 僕がマリルさんの近くに移動すると、それに気づいたマリルさんが二人して「オーガストさん!」 と驚きの声を上げる。
 見事に重なったその声に目を丸くしながらも、二人の様子を観察する事を忘れない。
 二人とも童顔矮躯と同じ体貌(たいぼう)をしていた。オクトとノヴェルでさえここまで同じじゃない。
 更に声と魔力の質まで似通っているとくれば、見分けるのは至難の業だ。見極める技術を磨けば可能なのかもしれないけど。
 僕がどちらが本物のマリルさんで、どちらが創られたマリルさんなのか困惑していると、左側のマリルさんが感激したように口を開く。

「来てくださったのですね! やはり私が心を寄せる御方です!」
「なッ?! ちょ!! 一体何を!?」

 頬を染めて幸せそうに微笑む左側のマリルさんの発言に、目を剥いて動揺する右側のマリルさん。
 あたふたとするその様はとても見ものではあったが、僕はどういう反応を返せばいいのかと微妙な表情になる。
 そんな僕に、右のマリルさんが勢いよく言葉を投げる。

「ち、違いますからね! い、いえ、オーガストさんが嫌いという訳ではありませんが、今のは私の偽物の言葉でして! 決して本心では!!」

 わたわたと手を振り立てながら、もう自分で何を言っているのか分からないのではないか? と思うほどに早口でまくし立てる右のマリルさんの必死の勢いに、僕は「あ、は、はい!」 とコクコクと何度も頷く。
 はぁはぁと荒い息を吐きながら呼吸を整えると、右のマリルさんは落ち着きを取り戻していく。しかし、今度は何故だか少し不機嫌そうになったように思えた。
 左のマリルさんに視線を向けると、こちらは分かりやすく頬を膨らましていた。

「え? え!?」

 それを見て訳が分からないと僕が戸惑っていると、背後から「まぁまぁ」 と興味深げな声が届く。

「やっと追い着いたと思いましたら、何やら楽しげな事をされているのですね」

 振り向くと、そこにはどことなく呆れたように微笑むぺリド姫の姿があった。しかし、何となく本当に何となくではあるが、その微笑みがほんの少しだけ恐かった。
 僕は少し頬を引き攣らせながら恐る恐るぺリド姫の名前を呼ぶ。

「何でしょうか?」

 そう返してきたぺリド姫の微笑みは、いつものぺリド姫の微笑みだった。
 僕はそれを見て、先程感じた恐怖は勘違いだったのかと内心で安堵しつつも、現状を説明する。といっても、どちらが本物のマリルさんかというだけなのだけれども。
 僕の説明に、ぺリド姫は頬に手を添えると「う~~ん」 と首を捻る。

「ペリドット様! 私が本物のマリルです!」
「いえいえ。私が本物です!」

 そんなぺリド姫に、二人のマリルさんはそれぞれが自分が本物だと主張する。
 ぺリド姫は少しの間その二人を観察するように眺めると、パンッとひとつ手を叩いて声を出した。

「そちらのマリルが本物のマリルですね」

 そう言ってぺリド姫が手のひらで示したのは、右側のマリルさんだった。
 それに本物と言われた右側のマリルさんは心底ホッとしたような表情になり、偽物と言われた左側のマリルさんは抗議の声を上げる。
 僕はというと、ぺリド姫のその答えに何故分かったんだろうかと不思議に感じていた。それが顔に出ていたのか、ぺリド姫がくすりと小さく笑う。

「簡単な事ですよ」
「簡単な事ですか? それは?」
「ふふふ、それは秘密です」

 人差し指を口元に当てると、意味深に笑うぺリド姫。僕はそれに小さく笑みを零して肩を竦めると、さて、と呟き左側のマリルさんに目を向ける。
 僕が視線を向けると、左側のマリルさんは抗議の声を抑え、照れたような嬉しそうな笑みを浮かべる。
 相変わらず僕には明確な違いが分からなかったが、こうも見知った人物と同じ顔で好意を前面に出されると、偽物だとしてもやりにくい。

「ここは私がやります! オーガストさんは離れていてください。ペリドット様、援護をお願い致します」

 その僕の迷いが伝わったのか、右側のマリルさんは剣を抜いて僕の前に出る。
 右側のマリルさんが手にする、その質実剛健を体現したかのように真っすぐで素朴な美しさのある剣は、紛ごう方なきマリルさんの愛用している剣であった。
 その剣を確認した事で、やっと目の前のマリルさんが本物だと確信が持てる。外見だけでぺリド姫はよく分かったものだ。
 僕がそう内心で納得していると、ヒューという風切り音と共に、マリルさんの持つ剣が風を纏いだす。確か風はマリルさんの得意とする系統だったか。
 それを眺めていたマリルさんを(かたど)ったマリルさんが「はぁ」 とため息を吐いた。

「そう逸らなくても良いでしょうに」

 呆れたようにそう零すと、模造のマリルさんは距離を離すべく大きく跳び退き、渋々腰に差していた剣を引き抜く。その剣もマリルさんの剣に似て美しかったが、どことなく趣が違う気がした。
 模造のマリルさんも剣に風を纏わせると、それを緩く下段に構える。それはほとんどだらりと垂らした腕にもう片方の手を軽く添えただけという、嫌々という感じが伝わってくるような緩い構え方であった。

「ハァァッ!!」

 模造のマリルさんが構えたのを見て、マリルさんがタンっという音と共に地面を蹴る。
 その軽い足音とは裏腹に、十メートル以上はあったろう二人の距離を一瞬で詰めると、マリルさんは模造の自分に上段から勢いそのままに剣を振り下ろす。
 しかしその振り下ろされた剣は、模造のマリルさんが剣を振り上げた腕の力だけで軽々と弾いてしまう。どうやら今回も力の差まで同じという訳ではないようだ。
 剣を上に弾かれ無防備に晒されたマリルさんの腹部目掛けて、模造のマリルさんは弾いた体勢のままで素早く横蹴りを放つが。

「はぁ」

 模造のマリルさんは、蹴りで少し飛ばしたマリルさんの方ではなく、その後方の居るぺリド姫の方に顔を向けると、疲れた様にため息を吐いた。
 先程の横蹴りはぺリド姫が咄嗟に張った防御障壁に防がれてしまい、ほとんど有効打に至っていない。それにしても、身体能力向上の魔法も使っていたとはいえ、防御障壁ごと吹き飛ばす脚力とは如何ほどのものなのか。
 それと、先程ぺリド姫がマリルさんを守るために使った防御障壁だけど、一瞬の事で分からなかったが、あれはただの防御障壁だったのかな? 少し違ったような気がする。
 僕が危うく思考の海に漕ぎ出しかけた時、体勢を立て直したマリルさんは腰を落とすと、剣を片手に持って中段に構え、その切っ先を模造の自分に向けると、もう片方の手を峰に添えて突撃する。
 模造のマリルさんはその突撃をいなそうと身構えるも、接触する直前、マリルさんは踏み込んだ脚に無理矢理力を入れて進行方向を横に変えた。
 それに虚を突かれた相手は、一瞬行動を止めて身を固くする。そこに、横に避けたマリルさんに変わって追撃の一撃が飛んでくる。
 瞬間、目を焼く光が部屋中に走り、僕は反射的に目をつぶり顔を背けた。
 直ぐに光が収まり、僕が目を開いて状況を確認すると、左腕の肩から先が無くなり、脚と胴の一部が炭化した模造のマリルさんの立ち姿がそこにはあった。
 顔だけは無傷なのは、咄嗟に優先して守ったからだろうか。それにしても、そんな状態でも立ったままなのは凄いとしか言えなかった。そんな状態でも流血が見られないのは、あの一瞬のうちに魔法で止血だけでもしたのか、はたまた元から流れていないのか。それは分からなかったが、まだ生きている事だけは確かであった。
 片腕を失いながらも、相手のマリルさんは片手で剣を握ったまま、攻撃の隙を窺っているマリルさんを牽制するように僅かに身体を落として迎撃の体勢に入る。視線はぺリド姫にも向いていた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 暫しマリルさん同士の睨み合いが続き、本物のマリルさんが先に動く。
 マリルさんが地面を舐める様に身を低くくしながら一気に距離を詰めると、迎撃の体勢を取っていた模造のマリルさんが剣を切り上げて対応する。
 しかし、片手なうえに重傷を負っている為にその一撃はあまり力が乗っていないようで、マリルさんが剣を身体の横に構えてその迎撃の一撃を斜めに受けると、そのまま剣先を持ち上げて軽々と弾くように受け流した。
 それでマリルさんの突撃速度は鈍ったものの、迎撃の一撃を流されて一瞬無防備になった相手の胴体目掛けて、マリルさんは剣を横薙ぎに払った。
 左腕を失っていた模造のマリルさんにはそれを防ぐ手立てが無いようで、張った防御障壁も弱っているせいかあまりに脆く、それごとマリルさんに難なく斬り伏せられてしまった。
 斬られて霞の様に消え去る模造のマリルさん。それを確認してぺリド姫とマリルさんは安堵の息と共に身体の力を抜く。
 それにしても、対象を模った存在を創ったり、記憶を元に世界を構築したりに留まらず、この広大で多様な世界。明らかに内包している魔力の容量が今までとはあまりに桁が違い過ぎだ。
 これを造った人物は本当に人間なのだろうか? 独りで造った訳ではないかもしれないから一概には言えないが、人の手によるものではない気がする。

「さぁ、次に行きましょう!」

 ぺリド姫の声に、僕とマリルさんは揃って頷く。雪原の出口はずっと先に在った。
 ザクザクと新雪を踏み分ける感触を楽しむ、ような時間もなく。マリルさんと合流した時同様に、出口まで飛んで滑る。
 距離はあったが、移動速度が早かった為に出口には直ぐに辿り着く。その出口の先は、水の上であった。

「湖でしょうか?」

 ぺリド姫の困惑の声に、僕もマリルさんも首を捻る。
 青空の下の様に明るい空間に広がる一面何も遮るものが無い静かな水面。それは湖の上なのかもしれないが、何となく水の質が違うような気がする。別にわざわざ調べようとは思わないが。
 ここからどうしようかと考えて視線を足元に向けると、足場が水上に少し張り出していて、その横に木を()()いたような簡素な小舟が一(そう)、足場に留められること無く浮かんでいた。
 バランスを取るのが難しそうな船ではあるが、大きさ的に三人乗りの様なので、広さは特に問題は無かったのだが、船が一艘あるだけで、肝心の(かい)がどこにも見当たらなかった。
 しかし、これ見よがしに一艘だけ用意されている小舟なので、これを使うのだとは思うのだが・・・。
 とりあえず、少し水上に張り出している足場の横に浮いているその船に、僕、マリルさん、ぺリド姫の順番で乗り込む。
 三人が乗り込むと、独りでに小舟が動き出す。
 突然の事に転びそうになるも、速度は出ていなかったので誰も転ばずに済んだ。
 そのまま僕が船首、マリルさんが船尾に座り、ぺリド姫は船の中央に張られた板の上に、進行方向に顔を向けて腰を落ち着ける。
 小舟は徐々に速度を上げて水上を駆けるも、向こう岸はまだまだ先であった。
 期せずして手隙の時間が出来た僕達は、手持無沙汰になり、到着するまでの暫しの間会話に興じる。

「それにしましても、広い場所ですね」

 話題は勿論ダンジョンの事なのだが、あのよく分からない芸術品の様な狭い塔に入った時には、まさかここまで色々体験させられる事になるとは夢にも思わなかった。
 なので、ぺリド姫の言葉に同意の頷きを返す。マリルさんも同意見の様だ。
 しかし、この位置は失敗だったかもしれない。何も悪い事はしていないのに、ぺリド姫とマリルさん二人の視線が真正面から突き刺さり、居た堪れない気持ちになってくる。

「御二方は御無事でしょうか?」
「大丈夫だと信じるしかありませんわ」

 時たま二人の会話となり、視線と意識が逸れるのが救いではあるが、未だに誰かと雑談の為に会話するというのは緊張してしまう。その相手がぺリド姫ともなれば尚の事だ。伊達に僕は庶民ではないのだ!
 などと訳の分からないことを誰にでもなく内心で呟いていると、「そうですわよね? オーガストさん」 と、突然ぺリド姫に話を振られる。

「へ? えっと・・・」

 話を聞いてませんでした。とは流石に言えず、何の話だったのかを必死に頭の中を探し回る。確か、残りのパーティーメンバーのお二方が心配だという話だったかな? そこから変わってなければいいけど。

「そう、ですね。お二方ともお強いですから大丈夫だと思いますよ」

 冷や汗を薄っすら額に浮かばせながらも、僕はぎこちない笑みを浮かべる。

「そうですね。大丈夫ですよね」

 少し安堵したような笑みを浮かべたマリルさんを見て、僕も記憶と合っていた事に安堵の笑みを浮かべる。
 そこで、向こう岸まであとどの位かと振り返って小舟の行き先を確認すると、向こう岸が視認可能な距離まで近づいていた。その向こう岸に視える出口には、この世界の終点となる歪んだ壁が張られている。
 暫くして向こう岸に到着するも、そこには桟橋の様なものもなく、ただ壁に通路へと続く穴が開いているだけであった。
 その通路も先は見えるのに、入り口に次の世界へと続く歪みがあるので、先へは進めそうにはなかったが。
 僕達は、その入り口に横付けするように止まった小舟から次の世界へと入る。小舟から通路の入り口の穴までは少し高さがあったものの、水流も無ければ風も吹いてない為に水上は凪いでいるので、それは些細な問題であった。
 歪みの壁を通った事で視界が揺らぐ。移動した新たな世界は、部屋の中であった。
 家具も何もないものの、見慣れたその室内の構造は、住んでいる寮の室内そのものに思える。
 今までの不思議な空間からいきなりの身近な空間に飛ばされ、僕達は少し戸惑いを覚えた。
 室内に誰かが居る気配はなかったものの、窓の外に目を向ければ、そこに広がるのは学園の敷地。それも今朝見た風景に酷似したものの様な気がする。
 しかしそれは見た目だけの様で、塔の出入り口同様に窓の外は存在していない事を確認する。僕達はとりあえず玄関の扉から外に出る事にした。
 扉を開いた玄関の先は廊下へと繋がっているのではなく、何故か食堂だった。
 入ってきた校庭側の出入り口から誰も居ないがらんとした食堂を見渡す。整然と並ぶ机と椅子に、調理の音も匂いもしない食堂というのはとても不思議な感じがした。
 誰も居ない空間に違和感はあるものの、見慣れた世界に、ここが塔の内部だということを忘れそうになる。
 僕達は罠に気を付けながら反対側の出入り口まで進むと、慎重に扉を開き、更に先へと歩みを進める。
 次は教室だった。基本の造りは同じなのでどこの教室かは分からないが、どうやらこの世界の舞台は僕達の日常らしい。
 しかしそこには明確な戦闘跡があり、教室の中央付近にあるその戦闘跡の中心には、剣を片手に佇む一人の女生徒の後姿があった。
 まず目に入るのは、均整の取れた長身痩躯の身体に、胸元辺りまで伸ばした濡れ羽の様に(つや)やかな光を反射させる美しい濃い藍色の髪か。それとも、その手に持つ周囲の光を吸い込みそうなほどに刀身も柄も全てを黒く染め上げた黒剣か。
 その人物が教室に入った僕達に気づいて振り返る。
 涼やかな目元が印象的な、鼻筋の通った美人だった。肌は太陽を知らないかのように透き通り、同年代とは思えないその大人びた表情は、妖艶とまでいかないまでも(あで)やかな雰囲気を纏っている。
 戦闘によるものだろうか、所々汚れ破れた制服に、腕や脚を中心に幾つも真新しい傷が見受けられる。見覚えのあるその人物の名は確か。

「スクレ姉さん!」

 マリルさんの叫び声にスクレさんが微笑む。

「御無事でしたか、ペリドット様、オーガストさん。それにマリルも無事でよかったわ」

 黒剣を漆黒の鞘に納めると、僕達に軽く頭を下げて安堵するスクレさん。その一連の所作はとても美しかった。
 確かぺリド姫の従者の三人は貴族の令嬢という話だったが、所作が美しいのは貴族としての教養なのだろうか、従者としての嗜みなのだろうか。
 ぺリド姫とマリルさんは、スクレさんの傷を心配しながらも、互いの無事と塔に入ってからの近況を報告し合う。
 僕には目の前のスクレさんが本物かどうかは判断しかねるので、それは二人に任せる事にする。ただ、あの黒剣は前に見た黒剣と同じだとは感じたけど。
 任せるとはいえ、輪の外に居るのも気を遣わせてしまうので、三人の会話に少しだけ参加する。無論、積極的に参加しようとは思わないが。
 スクレさんの話では、もう一人の自分は自力で倒したらしい。僕達が教室に入ってきたのはその直後だという話だった。
 それ以外にも暫し言葉を交わして、ぺリド姫とマリルさんの二人は、目の前のスクレさんを本物だと判断したようで、治癒魔法を用いてスクレさんの傷の手当をしていた。
 スクレさんと合流して四人になった僕達は、最後の一人と合流する為に次の世界を目指す。
 入ってきた前方の出入り口とは別の、教室の後方の出入り口から外に出る為に扉を開く。扉の先は訓練施設であった。
 訓練施設にも誰も居なかったが、魔法訓練の為の区画に張られた障壁が次の世界への歪みになっていた。
 僕達はそこを通って、次の世界に入る。
 歪んだ先の世界は、雲の上だった。

「え?」

 その声は誰の声だったか。自分のだったかもしれないし、違ったかもしれない。
 予想外の場所に誰もが唖然としていたのだ。
 白昼夢の様な現実感の希薄なその世界を僕は見渡す。周囲を明るく照らすのは、頭上に燦々と輝く太陽だった。・・・流石に偽物だろうが、思わず目を細めてしまう程に眩しい。
 その太陽の明かりに照らされている周囲は、泡の様にモコモコとしている白い雲。その奥に広がる空は、夜空を混ぜたように濃く深い漆黒の様な青空だった。
 そんな暗い青空と白光の輝きを放つ太陽のコントラストが美しく、いつまでも見ていたい思いに駆られるも、今は立ち止まっている場合ではない。
 ぺリド姫達もそれに思い至ったのか、我に返り周囲を警戒し出す。
 周囲には一面に雲がある以外には何もなく、匂いも特にはしない。本当にまるで夢の中に迷い込んだような世界だった。
 それでもここはダンジョンの中。罠を警戒しながら慎重に歩みを開始する。
 雲の上はあまりにも柔らかく、重さで沈む足元というのは途轍もなく歩き難いもので、厄介極まりなかった。
 僕達は転ばないように気を付けながら先へと進む。すると、足元の雲に大きな円形状の穴が開いている場所に辿り着く。下を覗いてみると、下界に伸びる透明な筒の様なものがくっ付いていた。
 その大穴の前で僕達がどうしようかと悩んでいると、グギャアグギャアと首を絞められているような奇怪な鳴き声が聞こえてきたので、そちらに目を向ければ、遠くに三羽の大きな鳥がこちらに飛んできていた。
 その鳥が近づくにつれて、その姿がはっきりと見えてくる。
 波打つ様にジグザグとした羽に、歪んだ顔。黒一色の眼は左右非対称に付いていて、半開きの口からは舌がだらりと姿を覗かせている。黄・青・赤などの色とりどりの派手な体毛に覆われた怪鳥。
 その間抜けな顔とは裏腹に体躯はあまりにも大きく、一羽が作る影で僕ら全員を軽く覆いつくせるほどだった。
 やはりその鳥は魔物ではないようで、魔力は感じるもののよく分からない生き物だった。それと、どう見てもこちらに向けて敵意丸出しで突撃してきていた。

「下に降りましょう!」

 怪鳥を回避するためにぺリド姫がそう提案する。
 大穴は確かに大きいが、それ以上に怪鳥の方が大きいので避ける事は可能だろう。回避出来る戦闘は回避するべきだ。それに、下から嫌な感じもしてこない。
 その提案に「そうですね」 と僕が頷くと、マリルさんとスクレさんも覚悟を決めて頷く。

「では、まずは私から行かせて頂きます!」

 そう言って大穴に飛び降りるスクレさん。それに僕も続く。その後にぺリド姫、マリルさんの順で透明な管を滑り降りる。
 全員が大穴に入った後、頭上からグギャアという鳴き声と風切り音だけが後を追って管の先へと駆け抜けていった。
 怪鳥の突撃を掻い潜り、天上より降下した僕達が降り立ったのは、凍てつく世界だった。
 どこを向いても氷しかない世界。
 雪が積み重なって出来たであろうその氷の色は白だけではなく、透明なものや青白く光る物、土気の様な物が若干混ざっているような色など、氷と一言で言っても、まるで森の木々を見ているかのように様々な色があった。
 しかし、その景色を楽しむ間もなく極寒の冷気が襲ってきて、急いで身体温度上昇の魔法をかけるが、それでもまだ寒さを感じ、冷気耐性も併用する。それだけやってやっと肌寒い程度だった。外気温遮断は効果は高いが消耗も激しいので出来るだけ控えたい所だが。
 みんなも同じように身体温度上昇と冷気耐性を併用していたが、やはり寒そうにしていた。早く次に進んだ方がいいかもしれない。
 僕達は辺りを見渡しながら先へと進む。両脇は氷山に囲まれているので、幸い道は一本道だった。後方は少し離れた場所に巨大な裂け目があり、徒歩ではどうやっても通れそうにない。
 導かれる様に僕達が道を進んでいると、その先にも大きな裂け目があった。
 その裂け目の淵、崖の様に張り出した氷の上に、青白くその身を晒す幽玄な城が建っていた。
 夢幻の如く朧気な佇まいのその城は、本当にそこに在るのか疑いたくなるほどに神秘的で、暫し心を奪われて見惚れてしまう。
 それから正気に戻ると、裂け目の上に建つ城を目指して移動を開始する。城までは道が続いていたので徒歩で移動出来た。
 よくこんな場所に城が建てられるものだと感心する程に狭い道幅の氷の道を進み、城門前に辿り着く。

「立派なお城だけど、こんな場所に住もうとは思えないわね」

 城を見上げたスクレさんの感想に、同意の頷きを返す。
 こんな極寒で底の見えない氷の裂け目の上に住むなんて、余程の酔狂人だけだろう。
 城門は頑丈そうな両開きで、左側の扉には右側を睨み威嚇するドラゴンの姿が彫られ、右側には頑丈そうな鎧を身に纏った目鼻立ちがはっきりとした美しい女性が、華美な剣を構えた正面の絵が彫られていた。
 まずは城門前で呼びかけてみるも、全く何も反応が返ってこない為、城門を開けてみようと僕達は扉に触れる。扉はやはり氷の様に冷たかった。
 僕達は筋力増強と身体能力向上の魔法を使い、力を合わせて城門を押すもビクともしない。もしかして引くのかとも思ったが、そもそも城門を人の力だけで押し開けようという方が無謀なのかもしれない。
 そんな事を考えていると、右側の扉がほんの僅かだけ動いたので、僕達は右の扉に集中して力を込める。すると、ゆっくりとではあるものの、右側の城門が開いていく。
 僕達は、自分達が通れるぐらいに城門を少しだけ開いて中へと入る。扉が開かれたことで、扉に彫られていた二枚の絵は、女性戦士がドラゴンと相対している様な構図に変わっていた。

しおり