三番目のダンジョン3
走り走って行きついたのは不思議な空間であった。
蜃気楼のように歪むその世界で、僕は逃れたはずの目に囲まれる。
最初は正面に一対だけあったその目が、増殖するようにその空間いっぱいに広がる。
発狂しそうなその世界で、一人の子どもが姿を見せた。
それは子どもの頃の僕であった。
その姿が目に移った瞬間、僕の恐怖は怒りに変わる。
あれが居なければこんな事にはならなかったのだから。何処かが僅かでも違っていたらこんな事にはならなかっただろうから。
詮無い事、理不尽な事なのは百も承知でそう思う。切に切にそう思う。変えたいと願わなかった日はないし、自分の無様さを嘲る日々を送ってきた。
だからこれは八つ当たりだ。そう頭で理解していても、これだけは抑えられなかった。
「無様なものだ。どうだ? この世か―――」
少年が口を開いたが、そんな事は関係なかった。僕は全力でその少年との距離を縮めると、その勢いのままに問答無用で殴り飛ばしていた。それで少しだけ、ほんの少しだが、スッキリしたような気がした。
殴り飛ばされた少年は、そのまま硝子細工だったかの様に砕け散ると、歪んだ世界も溶ける様に崩壊した。そして、気づけば僕は塔の中で独り立ち尽くしていた。
おかしいとは思っていた。記憶にある物の配置や人物も所々が違っていたり、本筋は同じでも、出来事もまた微妙に違っていた。
例えば、スノーを消し去った時のシンク達の立ち位置。
記憶が確かならば、あの時彼らは僕の背後ではなく、離れた場所の建物の間に居たはずだし、僕の魔法による被害もあんなに広範囲ではなかった。
そういう大部分から、部屋に置いてある物等に今と昔の物が混じっていたりの些細なものまでと、様々な点で記憶と異なっていた。そもそも、勝手に身体が動いていたのも、好き勝手に動かれない為といのもあるのだろうが、そういう曖昧な部分を隠す必要があったからなのかもしれない。
ただ、そうは言っても物語の本筋は変わらないのだ。そう、結果は変わらない。あの恐怖に怯える目は今でも忘れる事が出来ない。
僕は
そこは石で出来た部屋だった。円形の塔の中だからか、壁は曲線を描き、その壁に沿うように螺旋を描く階段が設置されていた。出入り口には、相変わらず扉のような物は取りつけられていない。しかし、外から見た時よりも部屋が大分広くなっている気がした。
そのまま視線を上へと転ずれば他の階は無く、天辺まで吹き抜けになっていた。天井まで伸びる階段を昇れば、その先に何かあるのだろうか?
それに、ぺリド姫達はどこに居るのだろう? まだ何処かに飛ばされたまま戻ってきていないのかもしれない。
そう思っていると、壁に掛けられている胸から上辺りを映すものだろう楕円形の小さな鏡が、怪しい魔力の輝きを放っている事に気が付く。
その鏡を見て、そういえばあの幻覚? の中では鏡を一度も目にしなかったなと思い出す。
だからという訳ではないが、怪しい輝きを放つその鏡が何かしらの意味を持っているのは想像に難くない。かといって、直ぐにその鏡の正体が分かるほどの知識も経験も、残念ながら今の僕は持ち合わせてはいなかったのだが。
だから、分からないなら調べればいい。
という訳で、まずは鏡に触れずに隈なく調べる。上から視たり、下から視たり、横から視たり、離れて視たりとしたものの、いまいちよく解らなかった。ただ、危ない感じはしなかったので、正面から鏡を覗き込む。
当たり前だが、鏡面には僕の姿が映っていた。僕以外に映っているものは、塔の壁と真後ろにある出入り口、その出入り口から見える森ぐらいか。
振り返って確認してみるも、そこには同じように塔の壁と出入り口、その先に広がる森。今しがた見た鏡の中の景色と同じ景色がそこにあるだけだった。
どうしたものかと頭を悩ませながら鏡に顔を戻した時、僕は違和感を覚える。その違和感の正体を探るべくじっと鏡の中を見詰めるも、答えは出ない。
困り果てた僕は、首を右に傾ける。それと一緒に鏡の中の僕も首を右に傾ける。
「・・・・・・ん?」
それを見て、あれ? と思い左手を上げると、鏡の僕も左手を上げる。それは僕から見て右手で、鏡ってこんなものだったっけ? と暫し考える。
「いや、おかしいよね」
鏡ならば、僕が左手を上げた場合、その鏡面に映る僕は、自分から見て左手を上げるものだったはずだ。ならば、この鏡は果たして本当に鏡なのか? という新しい疑問が浮かび、慎重に鏡面に触れてみる。鏡の中の自分も同じように鏡面に触れるが、そこには物理的な隔たりがあるだけであった。
「・・・・・・」
果たして彼は僕なのか? 彼が僕で、僕が彼なのか・・・。ふとそんな疑問が脳裏に浮かびつつも、他に打開策も思い浮びそうになかったので、思い切って鏡面を割ってみることにする。
割るのに手ごろなものが何かないかと辺りを見回すと、足元に手のひらサイズの石が落ちている事に気づき、それを拾い上げる。
「離れた方がいいよな」
石を片手に数歩後ろに下がると、鏡に狙いを定めて僕は思いっきり石を投げつける。
その石は狙い
固唾を飲んでその崩れ落ちた鏡面が嵌っていた枠内を眺めていると、枠からにじみ出る様にして魔力が溢れてきて、そのまま鏡面を復元するように膜を張る。しかしそれは先程の鏡面とは異なり、何かを映すのではなく、何かを吸い込むように表面に渦を巻いていた。
その様子に暫く身構えてそれを見詰めていると、突然、その渦の中からにゅっと人の手の様な物が飛び出してくる。
飛び出してきた手に続いて頭と身体が、最後に足という順で鏡の中から出てきたのは、僕だった。
訳が分からず、驚愕に一瞬心が揺らぐ。しかし、どうやら魔物という訳ではないようであった。おそらく鏡の中に居た僕なのだとは思うのだが。
困惑している僕に、鏡の中から現れた僕が疲れた声音で口を開いた。
「はぁ、やっと辿り着けたよ。何て面倒くさい仕掛けだ・・・それに、趣味も悪い」
何を言っているのだろうかと眉根を寄せると、それを見て取ったのか、鏡の中に居た僕は「ふむ」 と小さく漏らす。
「自我もあると・・・いや、これは僕の記憶か?」
彼が言っている意味は分からなかったが、どうやら何かを知っているらしいという事は理解できた。
「どういう事?」
「ん?」
僕の問いに、彼は首を傾げる。
「自我とか、記憶とかって話。君は僕に似ているが、一体何者だい?」
「ああ、まぁ自我があるならそんな疑問も抱くか。君は僕の記憶というか、力の一部というか・・・ん~説明が難しいけど、君はこのダンジョンの仕掛けで僕から離れた何かだよ」
相変わらず彼の言っている言葉の意味は理解出来なかったが、おそらく僕は彼という事らしい。自分で結論付けといてなんだが、どういう事だろう? 我か人かという事か?
難解な謎を解いているような気分になってきた所で、彼は難しい顔で呟く。
「どうすれば戻るのやら。倒す? 触る? 取り込む? 他に目を向けるべき? パーティーメンバーも心配だし、早く終わらせたいところだけど」
彼はそのまま視線をあちらこちらに向けていたが、暫くして彷徨わせていた視線を僕に止めた。
「ああ、すまない。先程の説明はどうやら間違っていたようだ、訂正させてくれ」
「?」
「君は僕の一部から離れたというのは微妙に違うらしい」
「・・・・・・」
僕は静かに彼の言葉の続きを待つが、何か嫌な予感がする。
「君は僕から離れたのではなく、参考にされたようだ」
「・・・参考?」
「そう、参考。どうやらここの仕掛けは、対象者の記憶を参考に世界を構築すると同時に、対象者そっくりの存在を創造するみたいだね。最後の試練は辛い記憶と自分自身・・・なのは分かるとして、人の記憶も曖昧なモノである以上再現にも限界があるみたいで、その辺りは対象者の感情を微妙に弄って騙しているみたいだけど、落ち着いたら違和感だらけで困ったものだよ。それに対象者の創造も、仕掛けを創った者を超える存在は創れないみたいだね」
そこまで言うと、彼はゆっくり僕に右手を向ける。ただそれだけの動作なのに、呼吸が出来なくなる程の絶望を感じる。
「まぁ、君に恨みはないよ」
憐れむような口調の彼の言葉が僕の耳に届き、その響きが全身に染み渡る頃には、膨大な熱量と共に視界の全てを紅蓮が埋め尽くしていた。
◆
消え去ったもう一人の僕が居た場所を見詰め、何とも言えない微妙な気持ちになる。
「本当に、ここを創った人物は趣味が悪い」
先ほどのもう一人の僕の反応を思い浮かべて、おそらく僕と同じ体験をしたのだろうと予測を立てる。もしくは直近の記憶を引き継いでいたのか。
それにしても、この三つ目のダンジョンは、前の二つダンジョンとは毛色があまりにも違い過ぎる気がする。
まず、未だに記憶の中以外で魔物に出会っていない。居るのは操り人形や、よく分からない生き物だけだ。
次に、仕掛けがえげつない。先へと進む道が困難な場所にあったり、罠が致死級だったり、人の心を抉るような仕掛けがあったりと、三つ目のダンジョンに挑む者を嘲笑うような雰囲気がありありと伝わってきて、正直、ダンジョンの製作者にイラっとしてくる。
ただし、仕掛けが完全ではないとはいえ、対象者の記憶から風景を構築したり、対象者自身を複製するという発想は面白いと思うし、技術には素直に感心出来る。だけどやっぱり趣味は悪いと思うけど。
前の二つのダンジョンとは難易度が違い過ぎるのは、流石は最難関と呼ばれるだけあると言えばいいのか、意地が悪いと評するべきか悩みどころではあるが。
このダンジョンの製作者とは一度技術面で話をしてみたいとは思うのだが・・・人を見下した感があるから話になるのかどうか。それに趣味が合わないと思うし。
ジーニアス魔法学園が創設されて百数十年は経つと聞くので、生きてはいないだろうが。そう考えると、創設期辺りから居るクリスタロスさんは、かなりの時を過ごしているんだな。
僕は先へと進む為に、とめどなく浮かぶ考えをそこで区切ると、出入り口の方を視る。
このままそこから出れば外に出られそうではあるが、近づいてみると見えない壁が目の前にある事が分かる。これを壊してもその先に外はない。むしろ下手に壊してこの世界で迷子になりたくないので、触れないことにする。
出入り口を素通りして、その横から続いている階段を上る。用があるのは塔の頂。そこにこの空間からの出口がある。
早くパーティーメンバーと合流しないとと逸る気持ちを抑える様に、一段一段しっかりと踏みしめて頂を目指す。
ぐるぐると塔の壁を回るようにして上り、やっと終わりがみえてくる。そこは森から塔へと入った時のような、光が歪み
僕はその壁の前で一度大きく息を吸って吐くと、そのまま一気に階段を上りきり、この空間の終点となっている歪みを通過したのだった。
◆
「はぁ、はぁ、はぁ」
乱れる呼吸を無理矢理整えようと、一度大きく息を吸って、ゆっくり吐き出す。
正面の私も、同じように呼吸を整えていた。しかし、その挙措はどこか芝居がかっていてわざとらしい。
これも仕掛けの一部なのだと理解してはいるのだけれど、相手が自分と同じ容姿というのはやりづらいものがある。
「こんなものですの? この程度の実力で外の世界がみたいなど、まだ幼子の方が現実味のある事を言いますわよ?」
蔑む様な冷たい視線で私を見る彼女は、容姿は同じでも性格までは違うらしく、先程からこちらを煽る様な物言いを繰り返していた。それも、こちらが気にしているような事を的確に狙ってくる。
ムッとはするのだが、反論する余力はない。違うのは性格だけではなく実力の方も上で、現在圧され気味になっていた。
呼吸を整えながら、これからどうしようかと頭を回転させる。このままでは負けてしまう。
「どうかいたしまして? まさか、もう手が無いと? 私はまだまだ余力がありましてよ?」
ふわりと彼女は優しげな笑みを浮かべるも、その瞳の光は冷たく、それが嘲笑であることは容易に理解できた。
悔しいとは思うのに、情けなくも既に私の全力で挑んでいるので、これからの好転は望めそうもない。
師は私の実力を褒めてくださったのに。いつか自分を越えるとも仰ってくれたのに。騎士長だって私の実力を認めてくれた。おかげでこの学園に通うという願いが叶い、素敵な出会いもあった。
こんな場所で
己の強さには自負があった。だから少しは驕っていた事を否定はできない。
もしこれが、ジーニアス魔法学園に入学する前の自分であったのなら、
師、以上の遥かなる高み。あまりの高さにその頂は計り知れず、だからこそ憧れる、私の想う強さの象徴たる人物。彼に比べれば、目の前の敵など赤子同然。なればこそ、ここで思考を停止させる訳にはいかない。私が目指す遥か彼方の高みは、望洋たる荒野を征くより尚険しき道。
覚悟を決めた私は、深く息を吸う。
おそらく覚悟を決めたぐらいでは勝てないだろう。それだけの実力差が彼女との間には存在する。最悪、命を落とすことになるかもしれない。だけど、それがどうしたというのだ。ここで折れる事と何が違うというのか。
「命あってこそ花も咲くでしょうに」
私の覚悟を感じ取ってか、彼女がその嘲笑に憐れみを含める。
「私は低く咲くより、高く咲きたいのですよ」
「気概は良いですが、実力が伴っていない。やはり幼子の夢の方が、まだ幾分か現実的でしょうね」
「何とでも言いなさい。嗤われようと、蔑まれようと、これが私の譲れぬ意地です!」
彼女と語る間に練りに練った魔力で、私が使える最大の魔法を構築する。それは聖系統の一つ。『神の裁き』 などという大仰な呼称がされている強力な一撃。
それを彼女目掛けて放つと、私はもう立っている余力も無くなり、その場に膝を着く。
神の裁きの直撃により、世界を浄化するような真っ白な閃光が広がる。
その強烈な光は、目を瞑り背けていても一瞬目を焼かれてしまう程で、光が消えて視界が戻ってきた私が目にした光景は、ボロボロになりながらもしっかりと二本の脚で地に立つ彼女の姿だった。
ああ、これで私も終わりか。そうは思ったものの、意地を貫き通せた事を誇らしく思いながら、目を逸らさずに堂々と彼女から放たれた魔法を見詰め続ける。
しかし、その終焉の使者が私の下に訪れる前に、それを否定するかの如く彼女と私の間に割って入る影があった。
◆
歪んだ空間を抜けると、そこはやはり塔の中だった。
しかし、先程までの塔とは違っていて壁が曲線を描かず平で、上層も存在した。
窓も無ければ出入り口も無い為に外の様子は窺えないが、下へと続く階段もあったので、ここは二階以上という事だろう。
周囲の状況を確認していると、階下から真昼の様な閃光が迸り、視界を白く染め上げる。
階下からの光だった為に、そこまで視界が奪われることはなかったが、この下に誰かが居るのは間違いないようだ。
僕は慎重に階段を下りると、そこにはぺリド姫が二人居た。どうやらここはぺリド姫の世界らしい。
片方のぺリド姫は疲労から床に膝を着いていて、もう一人はボロボロながら地に足を着けてしっかりと立っていた。
という事は、床に膝を着いている方が先程の閃光を伴う魔法を放ち、立っている方が受けたのだろう。あとはどちらが本物か、という事だが。
僕は素早く二人を観察する。容姿は似ているが、膝を着いている方の魔力には見覚えがあった。というか、よくよく観察してみると、立っている方のぺリド姫は、どことなく意地が悪そうな感じがしている。
間違っていたら大変な事になるが、立っているぺリド姫が止めの魔法を放ったために、そうも言ってはいられなかった。
大丈夫だとは思いつつも、間違っていたらすいませんと心の中で謝罪しながら間に割って入り、放たれた魔法を防ぐ。
「オ、オーガストさん? なんでここに?」
背後から戸惑いの声が掛けられる。しかし、その声は疲弊している為に弱弱しい。
「自分の分の仕掛けを解いて移動したら、この世界に繋がっていたもので。ぺリド姫様は御無事ですか?」
「・・・・・・ええ、大丈夫ですけど・・・」
背中越しに問うた声に、何故だか少しムスッとしたような声で返答があった。
僕は何かあったのかと顔だけで振り向く。そこには、不機嫌そうなぺリド姫が居た。
「ど、どうかされましたか?」
「様は不要と言いましたわ。姫も必要ありませんのに」
「え、ええっと」
こんな問答をしている場合ではないと思いつつも、何のことかと首を傾げる。様も姫も要らない・・・ああ、そう言えば、そんな話もしていたような?
それは二つ目のダンジョンに挑む前、パーティーを組むことが決まった時の話し合いの際に最初にそう言われた記憶が微かに呼び起こされる。
『気安くぺリドとお呼びください』
そう言った彼女に最初、姫殿下と敬称を付けたらやんわりと否定され、次に姫様と付けたらまたやんわりと訂正された。どうしようもなかった為に姫付けで緊張しながら呼ぶと、何故だか拗ねられた。
しかし、いくら何でも呼び捨ては畏れ多いと
「睦み合いは終わりまして?」
正面のぺリド姫を模した相手が口を開く。それには多分に皮肉が含まれていて、こちらは性格まで同じという訳ではないんだなと理解する。
「ええ。お持たせしてすいません」
僕が軽く頭を下げると、彼女はふっと皮肉げに片方の口の端を持ち上げる。
「用が済んだならどいてくださいませんか?」
ふてぶてしいまでに慇懃な所作で提案する彼女の声は、しかしほんの微かに震えていた。空威張りというやつなのだろう。
「お断りします」
そう言って彼女に向けて片手を上げる。それに僅かに身を固くした彼女ではあったが、あの皮肉げな笑みは浮かべたままこちらを不敵に見詰め続ける。
中身は全然違うとはいえ、見た目がぺリド姫そっくりな為に躊躇いはあったものの、その最後まで崩さない不遜な態度を目の当たりにして、敵ながら敬意にも似た感情を覚えた僕は、せめて苦しむ事がないように、と気を付けながら魔法を発動させた。
◆
「終わった・・・のですか?」
ぺリド姫のどこか呆然とした呟きに、僕は頷いて補足する。
「一応は、ですが」
「一応ですか?」
「はい。自分の過去みたいなものは体験しましたか?」
「え、ええ。それは終わりましたわ」
「では、ここの出口を見つけて他の方と合流しましょう」
「・・・分かりましたわ」
ぺリド姫は何か言いたげな表情を見せるも、頷いただけでそれ以上口は開かなかった。
どうやらこの階層は一階だったようで、少し離れた場所にあった塔の出入り口は、例によって外には繋がっていないようだった。なので、僕達は階段を登って二階へと上がる。
とはいえ、僕がこの世界に来た時に二階に何もない事は確認済みだった為に、さっと周囲を見渡しただけで上階への階段を上った。
三階は荘厳な雰囲気のある場所になっていた。例えるならどこかの教会だろうか。
一階や二階に比べて急に広くなったその空間には幾本もの柱が整然と並び、奥には頭部の両側、耳の上辺りから角を二本生やし、両手を軽く広げた女性の像が置かれていた。
そのまま目線を左右の壁に転じれば、色の付いた硝子が嵌め込まれていて、その後ろから淡い光が漏れている。
清廉さを感じさせるその空間を二人で探索しながら進む。何かが居るという事はなかったが、奥の像を横にずらすと隠し階段が現れた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
その隠し階段の前でぺリド姫と目を合わせると、こちらの意が伝わったようで無言で頷いてくれる。
一度闇の中へと降りていく階段の先を確認してから、罠がないか注意しながら慎重に下りていく。
階段の先は、まるで階段下収納のような狭い空間に繋がっており、その奥が歪んだ空間の壁になっていた。
僕はその壁を通ろうとして、最初に塔に入った時の事が頭に浮かび、バラバラになったら困ると思ってぺリド姫に手を差し出す。
「何でしょうか?」
ぺリド姫は、その手を見詰めながら不思議そうに小首を傾げる。説明するのが抜けていた。
僕は、ぺリド姫にこの空間の終点がある事と先程浮かんだ懸念を伝えてから、離れ離れになったら困るので手を繋ぎませんか? という提案をする。
それにぺリド姫は納得したように頷くと、はにかむ様な笑みを浮かべて手を握ってくる。
その表情に今頃になって緊張してきたものの、ここでまごまごしている訳にもいかないと自分に言い聞かせ、出来るだけ面に出さないように努めながら、僕はぺリド姫と共に次の世界へと移動した。
◆
次の世界も塔の中だと思うのだが、何故だか周囲には花畑が広がっていた。
頭上から眩い光が降り注いでいるが、天井があるのでやはり塔の中だと思う。
光の正体は、天井一面が発している魔法の光であった。これだけの為にどれだけの労力を費やしているのだろうか。
光に照らし出された花々は、赤 青 黄 紫に白と黒と実に色彩豊かな色合いで、その美しさは、花に詳しくないのが少し残念に思うほどであった。
甘く華やかな香りが鼻孔をくすぐる中、周囲の様子を確認する。花畑と明かり以外では、階段も扉や窓さえない閉鎖空間であった。
僕達は他の場所へと続く仕掛けがあるはずだと、より慎重に精査する。すると、花畑の中央が僅かに盛り上がっている事に気が付く。
「んー・・・はぁ」
綺麗に咲く花を踏み分けなければ近づけない場所に、僕は戸惑いを覚える。ここが創られた空間だと分かっていても、無垢に咲き誇る花を踏みにじるというのは流石に躊躇われた。
しかしそれも一瞬の事。ぺリド姫の時の事を思うと、早く他のメンバーとも合流しなければならない事態になっているかもしれないのだから。
それでも出来るだけ踏まぬように気を付けながら、花畑中央の盛り上がっている場所に移動する。
その場所にも花は咲いていて、胸中で花に謝りながらも、それを土ごと丁寧に横にどかす。その下には鉄板で蓋をされた隠し通路があった。
「芸の無い事で」
前の世界と同じ定番の仕掛けに、僕は小さく苦笑する。だけど、今は分かりやすくて助かるのでそれ以上は何も言わないが。
僕は階段の先を確かめ、ぺリド姫と共に慎重に階下へと下りていく。焦りは禁物だ。確実に、確実に。
階段を下りきると、そこは中央に太い柱がある以外には遮る物の何もない、薄暗い部屋であった。
下りてきた階段のすぐ横には更に階下へと伸びる階段があり、見渡した室内には壁一面に大きな絵が二枚飾られていた。そして、その二枚の絵を強調する様に明かりが当たっていた。それ以外には本当に何もなかった。
その明かりが当たっている二枚の絵の内一枚は、雲間に姿を見せた太陽を背に、山の頂から下界を見下ろす一頭のドラゴンの姿が描かれており、もう一枚はどことなく見た事のある男性が、気取った姿勢で立っている姿が描かれていた。
「その方はパナシェ氏ですわね」
男性の正体を思い出そうとその絵を眺めていると、横に並んだぺリド姫がそう教えてくれる。
その名前は、クリスタロスさんとの会話の中に出てきた、ジーニアス魔法学園の創設者の名前だったか。そういえば、学園で肖像画だったか銅像だったかを見た覚えがあるような、ないような。
ともかく、ここはジーニアス魔法学園のダンジョンなので創設者の絵が飾られている事は理解出来るのだが、ではもう一枚のドラゴンの絵は何なのだろうか? そう疑問に思うものの、他に気になる点も無かったので、諦めて更に下を目指す事にする。
そうして壁画の部屋から階段を下りると、その先には巨大な門が鎮座していた。
壁一面を覆いつくす程の巨大なその門は、両扉にそれぞれ人が描かれていた。
片側には、鍔が広く頭の先が高く尖った帽子を被り、ひらひらとした物で縁取った羽織を露出の少ない服の上から羽織った女性の上半身が大きく描かれ、反対側の扉には、それを反転した色違いの絵が描かれていた。
その絵の女性は片手を上げていて、扉が合わさる部分で手を合わせている。その合わさった手を中心に、両扉を跨ぐ形で魔法陣が女性達の上から描かれている。
「封印か何かの儀式でしょうか?」
ぺリド姫が不安そうに問い掛けてくるも、その扉からは特に何も感じなかった。
「おそらく、これはただの絵かと」
無駄に凝ったその絵に、僕は呆れを覚えてしまう。
僕のその返答に安心したのか、ぺリド姫はホッとしたような息を吐くと、意を決して扉に手を掛ける。
すると、ぺリド姫の手が扉に触れただけで、力を入れるまでもなくひとりでに扉が開いていく。その事に、手を触れた形のままでぺリド姫は驚き固まっている。
扉の先は、白光に包まれた通路であった。
その光が反射するほどに磨かれた床に立つは、金で装飾の施された細く美しい白亜の柱。それが等間隔で二列に並ぶ様は、煌びやかな物語にでも出てきそうなぐらいに荘厳で美しかった。
僕達は二列に並ぶ柱の間を通って先へと進む。少し通路の端に寄ってしまっているのは、通路の美しさに気圧されているからかもしれない。
通路は思ったよりも長く、ここが本当に塔の中なのか疑わしく思えてきた。もしかしたらどこかの宮殿にでも飛ばされたのだろうか?
通路の終点も巨大な門であった。こちらの門は金や銀で縁取りされた白亜の門。
その門に僕が触れると、こちらも勝手に開いていく。そして開いた門の先に続いていたのは、歯車の回る機械仕掛けの部屋であった。
ゴウンゴウンとけたたましく鳴り響く部屋は、底が見えない程に深く、天井が確認できない程に高かった。
底から漏れる光に映し出される通路は、門から部屋の中央を通る人一人が通れるぐらいの細い道のみ。何の部屋かは分からないが、早く抜けるべきだろう。
後ろに続くぺリド姫の事を気にしながら先へと進む。その途中、もうすぐ半ばという所で上空から降ってくるものがあった。
「・・・ふむ。セフィラ辺りが見たら喜ぶのだろうか?」
それは、一体の機械仕掛けの兵であった。
見上げる程の背丈は二メートル程だろうか。その長躯を全身鎧で包んではいたが、動く度にキュルキュルと何かが忙しなく回っている音が小さく聞こえる。
腰にはそれぞれ形も長さも違う抜き身の剣を両側に差していて、向かって右に長さ七十センチ程の鍔の無い真っすぐな剣。左には百センチを越えてるだろう刀身が波打っている剣。
背中には長弓の様なものを背負い、こちらに向かって歩きながら腰の剣を両方抜く。
狭い通路な為、横を通り過ぎる事も出来ない状況ではあるが、正直これなら全く怖くはなかった。強さならティファレトさんの方が数段上だろう。
僕は機械兵に向けて雷の矢を放つ。それを機械兵は器用に斬ってみせた。
「おー!」
本物の雷ほどではないが、常人では目で追えない程度には速度のある雷の矢を見事に切り捨てた事に、僕は思わず感嘆の声が出る。これが戦闘中でなければ手を叩いて喜んでいた事だろう。
僕は掌に空気を圧縮しながら一瞬で距離を詰めると、その空気を機械の兵士に当てながら一気に解き放った。
指向を操作して解き放った圧縮したその空気は、機械仕掛けの兵士を面白いまでに派手に後方に吹っ飛ばした。
勢いよく吹き飛んだ機械仕掛けの兵士がそのまま歯車の上から壁にぶつかると、バキリと乾いた音を響かせて衝突した歯車が砕け散る。
バラバラと落ちていく歯車の破片に数拍遅れて、機械仕掛けの兵士が壁から剥がれ落ちていく。
それを見えなくなるまで目で追い顔を上げると、ギリギリと苦しそうに動く歯車の姿が目に入った。その光景は、正直嫌な予感しかしなかった。
「走りましょう!」
ぺリド姫へと顔だけで振り返りそう告げると、ぺリド姫も僕と同じ考えに至っていたのか、焦ったように頷いた。
僕達が通路を駆けだして一呼吸分程して、壁の歯車が一つ、また一つと壁から離れて奈落の底へと消えていく。
刻一刻と落ちていく歯車の数も速度も増していく中、僕とぺリド姫は細い通路をひた走る。
そして、何とか二人して通路の先へと到着した時、耳を覆いたくなるような轟音が背後から先へと突き抜けていった。
その音に僕達は顔を
「か、間一髪でしたわね」
驚きに目を丸くしたぺリド姫がこちらを見てくる。その表情は辛うじて言葉を紡いだといった様子であった。
「そうですね。渡りきった後で本当に良かったです」
そんな珍しい様子のぺリド姫が見れた事に妙な感動を覚えながらも、僕は心底ホッとしてそう感想を返す。もしあんな風になる惨事に巻き込まれていたら、慌てすぎて飛行魔法も防御魔法もままならなかっただろうという確信があったからだ。
最後にそんな騒動があった為に、落ち着くためにその場で一度小休止を挟むことにする。
「皆は無事かしら?」
休んでいると、ぺリド姫がぽつりとそう零す。
ここがどこかは判らないが、この世界に到着してからそれなりに移動したはずなのに未だに合流出来ていないどころか姿も見ていない為に、心配なのも理解出来た。流石に違う世界に飛ばされたという事はないと思いたいが。
今休憩しても心配が増すばかりなので、驚きからは回復出来た以上、さっさと先へと進むことにする。
そう思い、現在いる通路の先を視る。石で出来た通路の先は、雪原のように視えた。そして、そこに見覚えのある人影が二つある事も確認できた。
僕がその事をぺリド姫に伝えると、驚き喜び焦りに安堵と、様々な感情が混ざった複雑な表情を見せて「先に進みましょう!」 と有無を言わさぬ雰囲気で告げられる。
それに頷きを返して、僕達は通路の先を目指して歩みを再開した。