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一つ目のダンジョン

 いつもより早く眠りについたからだろうか、目が覚めた時には世界はまだ暗かった。

「もうお目覚めですか?」

 目を覚まして辺りを見回した僕の耳に、既に馴染んだ気さえする優しげな声が掛けられる。

「おはようございます」
「おはようございます。今日もお早いお目覚めで」
「今回のは早く寝たからなだけだと思いますよ」

 僕は肩を竦めると、ゆっくりと立ち上がり窓の外に目をやる。

「まだ暗いですね」

 半分程欠けた月が沈みかけている世界は光もないというほど暗黒世界ではないのだが、夜目の利かぬ者ならば手元ならばともかく、おそらくろくに辺りを確認する事は出来ないだろうぐらいには暗かった。

「お出かけですか?」

 玄関に向かう僕の背中に、ティファレトさんが問い掛ける。

「ちょっと散歩に。寮の周りを歩いたらすぐに帰ってきます」
「・・・そうですか、暗いですので足元にお気を付けていってらっしゃいませ」
「はい、いってきます」

 ティファレトさんにそう返して僕は外に出た。
 寮周辺に外灯の類はあまりないようで、部屋から出ても世界は暗いままだった。

「やっぱり暗いと落ち着くなー」

 元々、日がな一日暗い部屋の中で過ごしていた僕にとっては、この暗さは落ち着けるものだった。

「何か久しぶりに視るなー」

 魔法で暗闇を見通す。元々夜目は利く方ではあったが、魔法を用いての暗視は良い魔法の訓練になる為に、常時使用している魔力視とは別にたまに使っていた。
 寮の外に出ると、そこは昼間とはまた違う景色のように感じた。

「人は・・・流石に居ないね。しかし寒いなー」

 白く染まった息が僅かな風に乗って横へと流れていく。その景色は余計に寒々しさを演出しているようで、思わずぶるりと身体が震える。
 僕は両手で己を抱くように身体を擦りながら夜道を歩く。

「寮の裏もあんまり変わらないな」

 ただ出入り口が無いというだけで、正面とたいして代わり映えのしない景色の寮の裏手を歩いていると、ふと視線を感じて周囲に目をやる。

「・・・?」

 しかし特に人影は確認出来ずに僕は首を捻る。その間もこちらを窺うような視線は感じ続けていた。

「うーーーん?」

 もう一度周囲を確認するも、やはり何も見当たらなかった。

「上?」

 そこで周囲には寮が建ち並んでいる事に思い至った僕は、視線を上げて辺りを見渡した。

「・・・・・・ッ!?」

 現在地から数十歩ぐらい離れている場所に建つ寮に目を向けた時、それを見つけた。
 先程から感じていた視線の正体は、その寮の七階の窓からジッとこちらを窺っている一人の少女のものであった。そしてその少女と目が合うと、背中に氷を入れられたのかと思うほどに強烈な寒気に襲われる。遠目の魔法を用いて確認したその少女の目は、死人のように生気を感じさせない艶の無い黒一色で、暗さに寒さや適度な静けさなどが相まって、薄気味悪さが増していた。
 僕は直ぐに前に視線を戻すと、その薄気味悪さに背を追われるかのように、足早にその場を離れた。

「あの子は一体・・・」

 一年生の寮に居たということは同学年だと思うのだが・・・それにしては。

「あの子、生きていたのかな?」

 目だけではなく、存在そのものに生気を感じられなかったのだ。だからまるで。

「・・・幻覚?」

 その可能性もあるし、他の可能性もあった。

『ジーニアス魔法学園には幽霊が出る』

 不意にペルダのその言葉が脳裏に浮かぶ。

「まさか、ね・・・」

 幽霊は魔力の集合体で、それこそ幻覚の類に近しい存在だったはずである。しかし、あの子からは生気は感じられなかったが、存在感はあったような・・・。

「・・・部屋に戻ろう」

 僕は気持ちを切り替えるように頭を振ると、ティファレトさんに告げたように、寮の周りを回っただけで部屋へと戻った。


 部屋に戻った僕は眠くなかったので、自分の敷地から座って窓の外を眺めながら朝を迎えた。
 そして朝になり、セフィラ達三人が目を覚ますと揃って寮を出た。
 向かうは教室・・・ではなく、まずは学生食堂。つまりは学食だ。

「お腹空いた~」

 アルパルカルが情けない声を上げながらお腹を押さえる。

「あと少しで学食に着くからがんばれー」

 そのアルパルカルの背中をヴルフルが軽く叩いた。
 最初から仲が良かった二人だが、この二人は同じクラスになったらしく、一日で更に仲良くなっていた。
 そのヴルフルの言葉の通り、学食にはそれから直ぐに到着した・・・のだが。

「人、多いなー」

 僕の呟きに、アルパルカルとヴルフルが頷く。
 丁度みんなが起きてくる時間だったのだろう、結構広い食堂は人で埋め尽くされていた。

「空いてる席あるかな~」

 アルパルカルが食堂内を見渡す。空きが無かったら空くまで待つか、他の場所にある食堂へ移動するしかないだろう。

「あ、あった~けど~」

 僕はそこで言葉を切ったアルパルカルの視線の先を確かめる。そこには確かに空席があったのだが、五つ横並びか、向かい合わせで五つという並びの空きでは無かった。あったのは二つ横並びの空きが離れたところに三か所あるだけだった。







「ありがとうございます。ふぅ~」

 食事を持ってくる間の席を取っていたティファレトさんに礼を言うと、僕はその席に腰を落ち着けて一息吐く。
 結局、席に座る組み合わせはアルパルカルとヴルフルの仲良しコンビ、ティファレトさんとセフィラの夫婦(セフィラ自称)ということになり、僕は一人あぶれることになった。まぁそれは致し方の無いことだが。
 先に僕とアルパルカルが食事を受け取り、その間、一人の僕の代わりに席を確保しておいてくれたのがティファレトさんだった。

「いただきます」

 僕は一人静かに手を合わせる。
 ヴルフルとセフィラが食事を取りに行っていたが、それは一人の僕には関係ない。相手を待つ必要がないというのは一人の特権だろう。
 そういえば、ティファレトさんは食事は出来るが必要性は無いらしい。何とも羨ましい話だ。
 僕は食事を始めると、黙々と手と口を動かす。そうすると、そこまで食べない僕の食事である手のひらサイズの小さなパン一つと、両手で包み込むと隠れる大きさの器に半分ほど入った野菜のスープ一杯だけの献立は直ぐに食べ終わってしまう。
 僕は小食ではあるが、別段食べるのが遅い訳ではない。

「御馳走様」

 手を合わせて食事を終えると、食器を片す為に席を立つ・・・立とうとした。

「あら、そんなに少なくて足りるんですの?」

 そんな声が横から掛けられ、僕は隣に目をやる。そこにはティファレトさんに席を確保してもらっている間に座っていた少女が、こちらを驚きと好奇の眼差しで見ていた。

「え? え、ええ」

 突然問い掛けられた事に僕は動揺する。
 その少女は薄い緑色の髪を腰の辺りまで伸ばし、白磁を思わせる白く肌理の細やかな肌、スラリとした身躯(しんく)は座っていても分かるほどに均整がとれていて、涼やかな目とスッと伸びた鼻、ぷっくりとしながらも小ぶりな唇、それらが卵型の輪郭にバランスよく配された少女は息を呑むほどに美しかったのだが、それ以上に圧倒的なまでの気品が感じられた。

「体調が優れないのでしょうか?」

 そんな少女が直ぐ近くで心配そうにのぞき込むものだから、僕は気圧されて更に困惑する。

(な、なんで!?)

 兎に角何か言葉を返さないと! とは思うのだが、突然の事に上手く頭が回らず、直ぐに言葉が思い浮かばなかった。

「だ、大丈夫です!」

 何とかそれだけは言葉にすることが出来た僕は慌てて立ち上がり、まるで逃げるようにその場を後にした。
 ただでさえ未だに人との接触に抵抗を感じているのに、あんな少女に不意を突かれては、周囲や少女を気にする余裕など残っているはずがなかった。
 僕は食堂から逃げるようにして一人で外に出る。

「な、なんだったんだ」

 僕は突然の状況にバクバクと脈打つ心臓を抑えようと、胸の上に右手を置いて深呼吸をする。

「あの人は一体・・・」

 先ほどの出来事を思い浮かべると自分がとても情けなく思えたが、ああいう住む世界が違う人間は遠くから眺めるぐらいが丁度いいのだ、まして喋り掛けられるなど畏れ多過ぎる。

「しかし疲れた・・・もう寮に帰りたい」

 まだ日が昇り始めてそう経ってはいない。これから授業があるというのに、もう動く気力さえほとんど残ってはいなかった。
 それでもまだ時間に余裕があるためにゆっくりと教室へと移動していると、途中でセフィラとティファレトさんが合流する。アルパルカルとヴルフルの教室は道が違うらしく、その分岐点はとうに過ぎていたために合流は出来なかった。まぁそれは別にいいのだが。

「先程は突然出て行かれましたが、どうかされたのですか?」

 ティファレトさんの質問に、僕は力なく「何でもありません」 とだけ返す。流石にあれは情けなさ過ぎて説明したくはなかった。
 そんな僕の様子に何かを察したのか、はたまた気遣われたのかは分からないが、ティファレトさんは「そうですか」と呟いたきりそれ以上は何も訊いてはこなかった。
 それからは三人とも無言のまま教室に移動すると、前日と同じ席が空いていたので並んで席に着く。昨日の席が半ば固定化しているのかもしれない。
 席について暫くすると、前方の扉がガラッと音を立てて開くと、グラッパ教諭が入ってくる。

「さ、授業を始めるぞー」

 そう言いながら教卓の前に立つと、丁度始業の鐘が学園に鳴り響いた。

「今日は魔法の基礎についての授業をする」

 グラッパ教諭は前日に続き持ってきていた本状の物を教卓に置いてから開くと、授業を開始する。

「まずは魔法とは何か、だ。魔法とは簡単に言えば妄想を魔力で具現化させることだ。例えば俺が指の先から火を(おこ)したいと考えたとする。その為には指先に火を灯すイメージをする必要があり、そのイメージに沿って魔力を集め、調整して火を形づくる。その結果、指先に火が灯る訳だが・・・ここに入学しようと考えたぐらいだ、これぐらいは理解しているよな?」

 グラッパ教諭は一度生徒の顔を見渡す。

「ふむ、ここまでは大丈夫なようだな。じゃあ次に魔力とは何かだが、魔力とは・・・まだよく解っていない。人々の想いの力だと言う者が居れば、空気のように自然界に元々存在している物質だと言う者も居る。他にも魔力を生成して放出する存在がいるとか、中にはこことは異なる世界から流れてきている。何て説さえあるほどだ」

 そこで一度言葉を切ると、グラッパ教諭は再度生徒たちの顔を見る。

「ふむ。今回の生徒は優秀らしいな。では次に行くが、そうだな・・・では少し進んで魔法生物についても触れておこうか―――」

 その後もグラッパ教諭の授業は続き、授業の内容は基礎というだけあって、魔法について学ぼうとするものがまず学習するであろう内容の授業であった。
 生徒の習熟状況に合わせてか、グラッパ教諭の授業は大分駆け足気味の進行速度ではあったが、流石に基礎を一日で全てをこなすまでには至らなかった。





 魔法の基礎の授業が始まり三日が過ぎた。その間も授業は続いていたが、寮と学食と教室を往復するだけの毎日で、特にこれといって変わったことはなかった。
 そして今日、初めてダンジョンに潜ることになった。

「さて、今日はお前達にとっては初めてのダンジョン探索になるから、最初のこのダンジョンは幾つかの班に分かれて攻略してもらう。単独行動がしたい奴は次のダンジョンからだからなー。このダンジョンは、ダンジョンや魔物に慣れてもらうためにあるんだから、安全性を優先させる」

 そう言うと、グラッパ教諭は次々と名前を呼んで生徒を五つの班に分けてから、各班に一班~五班と数字を割り振った。僕の班は四班で、セフィラとティファレトさんは二班だった。

「それじゃあ一班から入れ。時間を置いて二班、三班と入れていくから、無理そうなら出てくるなり、中でクラスが団結するなりしても構わないからなー」

 それだけ言うと、ダンジョンの入り口の扉が重々しく開かれた。





「それじゃ次、四班入れー」

 グラッパ教諭の声に促されて、僕達四班の八人はダンジョンに入る為に足を踏み出す。
 ダンジョンの入り口を堅く閉ざしていた鉄扉が、両脇からこちらを見下ろすような存在感を示して僕達を迎え入れた。
 鉄扉を抜けたダンジョンの入り口は人一人がやっと通れるぐらいの横幅で、床は階段になっており、その先は暗い地下へと消えていた。

「・・・・・」

 その暗闇を見た七人は緊張した面持ちになるけれど、僕は正直班行動なんて早く終わらせたかった。
 先に七人がダンジョンに降り、僕は班の最後尾ではぐれないように歩く。
 階段は石で出来ているようで、コツコツという硬質な小さな音がダンジョン内に響く。ジメジメしていないので快適と言えば快適だ。
 ダンジョン内に明かりはとても少なく、これは魔法による暗視を使わせる為と、いつ何時(なんどき)どこから襲ってくるか分からない魔物に備えさせる為にわざとであった。
 入り口の階段は一階分ほど下ると終わり、その先は教室よりは広いかなぐらいの広間になっていた。
 僕はのんびりと周囲を暗視で見渡す。まだ近くには魔物の気配は無かったが、広間から伸びる複数の道の先にある部屋からは、弱弱しいながらも魔物の存在を複数捉えていた。
 どうやらこのダンジョンは大小様々な複数の部屋と、それを繋ぐ通路で構成されたダンジョンのようだった。

「ど、どうする?」
「どうするって・・・」
「とりあえず、どこかの道を進むしかないけど?」
「どれにするの?」
「う~~んどうしようか」

 階段を降りきった場所で、どの道を進むかを四班で話し合う。僕は輪に加わっているだけだったけど。

「じゃ、あの道にしようよ!」

 暫く話し合っても中々決まらない中、一人の少女が一つの道を指さす。

「ん~そうだな、ここでグダグダしててもしょうがないもんな! 間違ってたら引き返せばいいんだし!」

 それに少女の隣の少年が直ぐに同意すると、他のみんなもそれに従う。
 僕は引き返せばいいと気軽に言った彼の言葉が少し気になった。
 間違いは誰にでもある。それはしょうがないことだ。しかし、だからといって全てがやり直せる訳ではないし、何より次があるという発想は人間の住む世界の外では通用しないと聞く。ましてやここはまだ弱いとはいえ、魔物達が跳梁跋扈している人外魔境である。進んだ先で魔物に襲われるということもあるだろう。まずは探知魔法などで周囲を調べるところから始めるべきのように思えた。まぁそのやり方や自覚等は追々身に付くのだろうが・・・。
 僕達四班は少女が示した先、二人が肩を並べて進めるぐらいの道幅の通路を進む。

「魔物が出るのかなー」

 慎重に通路を進んでいると、一行の中央付近を歩く少年が不安そうにそう呟いた。
 どうやらこの先に居る魔物の気配をまだ察知できていないらしい。弱弱しいからしょうがないのか?

「大丈夫だって! ここのダンジョンの魔物ぐらいなら俺たちで何とかなるって!」

 この通路を進むことを決めた際に真っ先に賛同した少年が元気よくそう断言する。・・・そういえば、確かこの少年の名前はウエイダ、という名前だったけ? そんな名前だった記憶が僅かにある。今思い出した。
 そのウエイダ君の言葉に、不安そうにしていた少年は少しだけ元気になったようだった。そういえばこの少年は・・・ウェル、という名前だったかな?
 七人が自分たちを鼓舞しあって少しずつ不安を払拭している間、僕は初日の授業の時の記憶を思い出そうと頑張っていた。全員の名前は聞いたはずなんだけどな。
 僕は四班全員の名前を思い出しながらみんなの後についていく。
 そして近くなった魔物の気配に、そろそろ接敵に備える。とはいえ、まぁまずは様子見からではあるが。
 これも狭い世界に閉じこもっていた為に不足している情報、外の世界の実力というものを測るいい機会なのだから。
 そして、道を抜けた先、少し開けたその場所で魔物と遭遇した。

「ま、魔物だ!」

 ウェル君の怯えた叫びに皆が構える。その反応の遅さに、内心で苦笑する。
 目の前に居る魔物は、ただ『犬』 とだけ呼ばれる四足歩行の獣型の魔物。
 魔物の強さは目安として一番弱い最下級から下級・中級・上級・最上級と五つに大別されている。そこから更に上・中・下の三段階に分けられるのだが、眼前で唸り声を上げてこちらを威嚇している犬の強さの分類は最下級の下だ。つまりは最弱種。僕なら道端の小石を蹴るより簡単に倒せるレベル。

「気を付けろ、一匹じゃない!」

 ウエイダ君が辺りを見渡しつつ警告する。

「グルルルルル!!」

 五匹の犬が唸りながらこちらを半包囲するように動く。
 それに七人はあちらこちらに身体を向けていて、どう対応するべきか困惑している様が窺えた。
 即席のパーティーだからしょうがない部分があるものの、グラッパ教諭はこの班行動を安全の為と言っていたが、むしろ実戦で協調性を無理矢理身に着けさせようとしているように僕には思えた。

「みんな落ち着いて! ウエイダ君は正面の魔物を! ニーダさんは左斜め前! ブラン君は左を! オード君は右斜め前! アミちゃんは右! ウェル君は前方の援護を! 私は左でオーガスト君は右の援護お願い!」

 この道を進むことを提案した少女のヘレンさんは直ぐに気を持ち直すと、困惑する一同に指示を飛ばす。その咄嗟の指示に皆は従い動き出す。
 その指示に従いながら、僕はそういえばそんな名前だったなとみんなの名前を思い出せてスッキリする。それにしても、ヘレンさんは動けるみたいだけれども、僕はみんなの得手不得手なんて知らないけど、ヘレンさんは知っているのだろうか? そんな事を思いながら、僕は眼前の犬に目を向ける。
 犬はこちらを窺いながら右に左に動き、隙あらば襲い掛かろうとしていた。

「行くよ!」

 その犬目掛けて、僕の目の前に居るアミさんが気合の籠った声を上げながら、細剣片手に突撃する。
 それを犬は横に跳んで避けるが、後ろ足にアミさんの剣先が掠り小さな悲鳴を上げる。

「グウウウウ」

 それに怒ったのか、斬られた犬は歯をむき出しにしてアミさんを睨み付け威嚇する。

「ッ!!」

 それに(おのの)いたアミさんは、一瞬身体を硬直させる。
 その瞬間を見逃さなかった犬は、すぐさま四肢に力を込めて勢い良く地を蹴った。
 流石に支援を任されている身としてはそれは見逃せないので、アミさんと犬の間に障壁を張り、犬の突撃を防ぐ。

「ギャウン」

 その障壁に頭からもの凄い勢いで突っ込んだ犬は、間の抜けた悲鳴とともに撥ね飛ばされる。

「あ、ありがとう!」

 それを見て、こちらにわざわざ顔を向けて礼を言うアミさん。よそ見する余裕が出てきたのか、それとも逆に余裕がないのか・・・。

「グルル」

 犬は頭を振ると、短く唸りアミさんと僕を注視する。

「はぁぁぁ!」

 僕にまで警戒を向けたその僅かな隙を今度はアミさんが逃さず、手に持つ細剣で犬に突きを放つ。

「キャゥゥゥゥンッ!」

 アミさんの剣先は、犬の前足の付け根辺りを貫く。

「このまま内から燃えろぉぉぉぉ!」

 アミさんの絶叫とともに、手にした細剣が炎を纏い、犬を内から一気に焼き上げる。
 犬は声にならない悲鳴を上げながら暴れるも、直ぐに力尽きて魔力に還った。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 アミさんは犬を倒した事で少し気が緩んだのか、膝に手を吐き荒い息を上げる。
 その間に僕は他の四匹との戦闘に目を向けると、ウエイダ君は既に自分に割り振られた犬を倒しており、オード君の方に加勢していた。そしてそちらもそろそろ終わりそうであった。
 僕は残りのニーダさんとブラン君の方へと目を移す。ニーダさんはいたぶるように犬を弄んでいた。

「・・・・・」

 流石にその光景に引いた僕は、そっとニーダさんを視界の端に追いやり、ブラン君へ意識を向ける。
 ブラン君はウェル君とヘレンさんのサポートを受けて何とか優位に立っていた。
 他は手を出さなくても無事に終わりそうだと判断した僕は、更に先の暗闇からこちらを窺う犬の一団に眼を向ける。
 犬達は倒されていく仲間に助力するでもなくこちらを窺っていたが、三匹目が難なく倒された事で静かに奥へと退いて行った。
 それから初めてのダンジョンで初戦闘を終えた僕達は、体制を立て直すついでにその場で休憩をとることに決めた。
 その様子に無警戒だと半ば呆れる。
 まだ余力がある内に一度来た道を戻るでもなく、それでいて犬と遭遇した時の事を鑑みるに索敵能力が怪しいのに新手を警戒している様子はない。そんな状況で戦闘後直ぐに全員で休憩というのはいかがなものかと少し思う。遭難してる訳じゃないんだからさ。

「ふぅ~~~。怖かったよ~」

 そんな僕の考えを他所に、一行は休憩に入る。そして戦闘を終えてのアミさんの感想に、ブラン君とオード君が頷く。

「そう? いいストレス解消になってアタイは楽しかったけどなー」

 そう(うそぶ)くニーダさんに、一行は微妙に顔を引き(ひきつ)らせる。よかった、あれを見て引いてたのが僕だけじゃなくって。僕だけだったらこのパーティーでこれからやっていける自信がなかったし。

「でもまぁ、あれぐらいの魔物に苦戦もしてられないのも事実なんだよねー」

 ウエイダ君の言葉に、一部の者が卑屈げな笑みを僅かに浮かべる。

「それはまぁそうかもしれないけどさ、それは追々慣れていけば何とかなるんじゃない?」

 そんな中、ヘレンさんのおどけるような声音に、沈みかけていた空気が幾分和らいだような気がした。

「あ、そういえば。オーガスト君、あの時は助けてくれてありがとう!」

 突然こちらを向いたアミさんがそんな言葉とともに僕に頭を下げる。僕はそれに手ぶりで気にしないでと応える。
 アミさんの礼を受けて、あまり目立ちたくない僕は内心で思案する。今回は内々の小さな出来事だったから良かったが、これから先こういう時に名誉や栄光といったモノを押し付けられる相手が必要になるんじゃないかと。

「オ、オイラ達もありがとうだ!」

 アミさんの謝辞につられるようにしてブラン君とオード君は立ち上がると、ウエイダ君・ウェル君・ヘレンさんに頭を下げた。それにより、僕への注目がかなり薄らいだのは有難かった。

「さて、そろそろ先に行くか!」

 立ち上がったウエイダ君が皆にそう告げると、各々が立ち上がるなり、武器の位置を確認するなりして移動の体制に入る。
 僕達が犬と戦った小部屋から次の部屋へは一本道のようで、再び通路を通る。しかし一本道ということは、先程逃げた犬の一団もそちらに行ったということで・・・。
 通路は石で補強された頑丈なもので、道幅は前の通路と同じぐらいであった。
 その通路の先はどこからか水が流れているようで、さらさらという小さな音が聞こえてくる。

「・・・・・・」

 そこにパチャリと水面を叩いた音が重なり、七人は息を呑む。

「みんな、気を付けて行こう!」

 ヘレンさんの潜めたような声に、六人が頷く。音の意味が理解できていない者は幸いにもこの場には居なかった。
 通路の切れ目に近づくと、部屋との境を示すかのように水が流れていた。
 その先、八人が入ると狭さを感じそうな部屋の奥に、六対の赤く光る妖しい目がこちらを見ていた。

「「「「「「「ッ!!!!」」」」」」」

 それを確認した七人の身体が恐怖に一瞬ビクンと震える。
 人間でも同じ話だが、魔物も同じ種類で個体差というものがある。その指標の一つが目の色だった。

「光る赤い目!」

 赤い目は最も弱い個体の色だが、それが明るく暗闇で仄かに光る個体は同色の個体の中でも身体能力が高いことを示す。それが六匹、先ほど普通の赤い目の犬五匹でも少し苦戦したというのに、更に強い魔物が数が一匹増えて待ち構えていたのだ、皆が恐怖しても不思議ではなかった。
 そんなみんなを横目に、僕は徐徐に敵が強くなっていく事にこのダンジョンは良く出来ているものだと感心する。
 それにしても、こうも魔物を見ると昔を思い出してしまう。それは僕が引きこもる前、僕の住んでいた町にはよく魔物が姿を現していた。


 人間が魔法を習得してまず行ったことは、人間の生活圏全てを覆う巨大な防御結界を張ることであった。
 その防御結界が張られたことで、人間以外の種族が人間の世界を襲撃することはかなり減った。
 それは魔物も例外ではなく、人間は史上初めてとなる安全な時代を迎えていた。
 しかし、何事も完璧に事を成すというのは難しいようで、その防御結界には穴が空いていた。
 その穴を見つけて魔物が入ってきだしたのは、今から十年近く前だったか。
 僕の住む町は不運にもその穴の一つの近くにあった。結果、魔物の襲撃に晒されることになってしまった。
 今はその穴は閉じられ、更に近くに軍が駐屯するようになり、その件は解決しているのだが、魔物が襲撃していた当時、僕も魔物の姿を幾度となく確認していた。

 そこで僕は小さく首を振る。これ以上は思い出したくないことも思い出しそうだ。それに、今は目の前の魔物へと意識を向ける。
 どうやら目の前の魔物は先程逃げていった魔物の群れと同じ群れだったようだが、その数は八匹だったはずと、僕は内心で数が合わないことに首を傾げると、周囲に気を配りながら更に探知範囲を広げる。
 それで眼前で六匹の魔物が塞ぐ次の部屋へと続く一本道をずっと進んだ先に、最奥と(おぼ)しき一際広い部屋が確認できた。そして、その部屋に少し強い魔物の反応があった。
 どれだけ範囲を広げて他の魔物の存在を探ってみても、逃げて行った犬の残りの二匹の行方は見つからない。それで僕はある可能性を考え目の前の犬達に目を向けた。
 それは、眼前の六匹は僕らから逃げ、そして奥の魔物からも逃げてきたという事。その通りであったならば、少々厄介であった。
 何故なら、現在の目の前の犬達の現状が予想通りだとすれば、犬達は追い詰められている事になり、凶暴性が増している可能性があったから。
 僕は勝てるだろうかと思うながら、戦闘態勢に入って睨み合っている七人へと目を向ける。
 先程の戦闘から予測するに、一対一ならウエイダ君とニーダさんは支援なしでもあの犬とも戦えるだろう。
 他のオード君、ブラン君、アミさんは支援有りでも一匹と渡り合えるか微妙なところであった。
 ウェル君とヘレンさんは分からないが、オード君達三人よりは戦力になりそうな気がした。特にヘレンさんは。
 総評としてはこちらの方が幾分か分が悪いが、しかし今回は個人ではなく団体戦、犬六匹と人間八人での戦いなのだ、連携如何によっては差を覆して圧倒出来る可能性も存在した。
 とはいえ、僕一人で余裕ではあるのだが、しかしそれは最終手段だった。僕が果たすべきは裏方。相変わらずずっと監視している学園側の目も気にしなければならない。僕は目立ちたくないのだ。

「ウエイダ君とニーダさん、先頭頼める?」

 犬の動向を注視しながらヘレンさんが二人に問い掛ける。

「分かった」
「ええ、任せなさい」

 それに二人は揃って頷いてみせる。

「ウェル君は二人の支援をお願い。オード君、ブラン君、アミちゃんは三人で連携して犬と戦って!」

 ウェル君はヘレンさんに静かに頷く。

「やってみるだ!」
「わ、分かった!」
「う、うん!」

 オード君達三人はそれぞれ自分に言い聞かせるように気合を入れた。

「それでオーガスト君だけど、私も前に出るから私の支援をお願い! あと余裕があったらオード君達三人の方もお願い!」

 ヘレンさんの言葉に僕は頷く。どうやら見立て通り彼女も戦えるようだ。
 さて、与えられた役割ぐらい目立たない範囲で真面目にやりますか。それにしても、あの犬達はもしかして?
 違和感を覚えた僕は改めて正面の六匹の犬を観察して、ある事に気づく。これはもしかしたら勝てるかもしれない。
 そう半ば確信したところで、犬は前回と同様にこちらを窺いながらも半包囲するような動きをみせる。
 それに対して僕達はまずウエイダ君とニーダさんの二人が前に出て、その後方でウェル君が支援の為に備える。
 その三人から見て左斜め後方にオード君、ブラン君、アミさんの三人が、ブラン君が一歩前に出る形で横一列に並ぶ。
 右後方にはヘレンさんを前にして、僕達は前後に並んで犬を迎え撃つ。

「さぁ()ろうかね!」

 ニーダさんの嬉々とした声を開戦の合図に、僕達と犬は激突した。





 結果から先に言えば、実に呆気なかった。
 やはり犬達は最初から弱っていたようで、ウエイダ君とニーダさん、ウェル君の三人が三匹を倒し、僕とヘレンさんが二匹、オード君・ブラン君・アミさんの三人が一匹倒して終わる。

「拍子抜けだな」

 ニーダさんが口をへの字にして肩を竦める。

「まぁまぁ、楽に倒せるに越したことはないんだから」

 そんなニーダさんを(たしな)める様に、ヘレンさんは明るい声を出す。

「でも、何でこんなに弱かったんだろう?」

 犬が消えた辺りに目をやりながら、ウエイダ君は首を傾げた。
 皆が不思議そうにする中、僕はその原因と思われるこの先の魔物に目を向ける。
 その魔物は二本の太い足で地に立つ巨大な獣だった。
 つまりはあれと戦い、二匹を失い残りは負傷したという事。巨大な魔物の中に僅かに感じる犬のもののような魔力はこの際無視する。
 二戦しか見てないが、僕はこの七人であれと戦えるか不安を覚える。あれの戦力評価は最下級の上から下級の下辺りだろうから、正直この七人では心許なかった。
 そこでふとグラッパ教諭の無理そうならクラスで団結してもいい、という言葉を思い出し、僕は小さく肩を竦める。
 これは一度戻って他の班を探した方がいいのかもしれない。もしくはこの班だけで対処出来るような道があることを願って探すか。

「ね、ねぇ――――」

 その事を伝えようと僕は恐る恐る口を開くが。

「よし、気を取り直して先に進もうか!」

 それはウエイダ君の掛け声によってかき消されてしまう。

「あ、あの――――」
「そら、さっさと行くよ!」
「・・・・・」

 再度伝えようとした声に今度はニーダさんの声が被せられ、僕はそういう定めなのだろうと無理矢理自分に言い聞かせて納得させると、伝えることを諦める。そして、大人しく先に進みだしたみんなの後についていくことに決めた。
 相変らず通路は似たような造りになっていた。
 コツコツという硬質な音を小さく立てながら僕達は先に進む。

「ここは・・・?」

 通路を進み終えると、僕達全員が一気に入りきらない程の小さな部屋に続いていた。
 そこは特に何もない部屋であった。

「魔物は・・・居ない、かな?」

 辺りを見渡したヘレンさんが呟く。見た感じ、罠の類も見当たらなかった。
 ただ、僕の探知も完璧ではないので見落としがあるかもしれない。だから、慎重に進むに越したことはないけど。

「この先も一本道なんだね!」

 僕の前、一行の後方から顔を覗かせて先を窺っていたアミさんが、若干の驚きが混じった声を出す。

「そうだね、迷わなくていいや」

 それにブラン君が頷き、一行の間にどこか和やかな空気が漂う。それは集中力が切れたのか、はたまた何もなくて緊張の糸が切れたからか。
 気を張りすぎないのはいいことだが、現状の緩みはあまりいい前兆とは言い難いように僕には思えた。
 そのままその小部屋を抜けた僕達は、更に奥へと進む為に次の通路に入る。その通路は今までと少し違っているものがあった。

「うわぁ、なんだここは・・・」

 通路の半ばほどまで来たところで、先頭を進んでいたニーダさんが嫌そうな声を出す。

「どうしたの?」

 その声にどうしたのかと前を覗き込んだアミさんは、それを見て固まった。
 僕達の進む道の先、そこにはぬめぬめとした粘性の高い液体が天井の裂け目から壁を伝って床に広がっていた。一部は天井から直接垂れ落ちていて、大きめの粘液の水たまりを形成していた。

「この先に進むのかー・・・っていうか、何でここにこんなものが?」

 首を傾げるウエイダ君だったが、離れたところから反響して僅かに聞こえてきた、にちゃりにちゃりという粘り気の強い水音に寒気を感じてか、ぶるっと身体を震わせた。

「な、なんの音?」

 ウエイダ君は視線を彷徨わせながらも奥を凝視する。
 みんなも不安そうに奥を見るなか、その先に居る魔物を感知した僕は、内心で苦笑する。そこには奥の魔物より面倒そうな相手が居た。
 体長は十メートルは優に超えているその体躯は縦に細長く、それでいてダンジョン内の壁の中を悠然と進むそれは、まるで巨大なミミズのようであった。
 その魔物を観察する限り、場所の相性も加味すれば推定戦力は下級の中以上辺りか。出来ればやり過ごしたい相手だな。
 それでも僕にとっては取るに足らない相手ではあるが、このメンツで戦えば確実に目立つことになるだろう。そうならないように出来れば遭遇するのは避けたかった。
 幸い相手は近くを通っただけのようであったので、少し大人しくしていれば大丈夫だろう。

「どこだ!?」

 壁越しに通路に鳴り響く魔物の移動音に、七人はキョロキョロと辺りを窺う。
 七人が身構えて辺りを警戒して暫くすると、音が鳴りやむ。

「一体何だったんだ?」

 未だ周囲を鋭く見渡しながら、ウエイダ君が呟く。それに他の六人もそれに同意する。
 僕はそんな七人を見ながら何事も起きなかったことに胸を撫で下ろすとともに、初っ端のダンジョンから何てモノを配置してるのかと驚愕するのであった。

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