楽園追放
人という種族は兎角弱い。いや、それとも他の種族が強すぎるのだろうか?
例えば最強と謳われるドラゴンが居れば、強力な魔法を操る魔族が居る。
更には神聖視されている天使や魔力の塊と噂される妖精に、醜悪なれど頑丈な身体に強大な膂力を誇るオークやオーガ等々。
どれも到底貧弱な人が敵うような相手ではなかった。
人はそれら種族としての上位者から逃げ隠れるように暮らしてきたが、それでは思うように数が増やせず、また戦うための武器も中々造ることが出来なかった。
そこで人は思いきった行動に出る。それは平原へと出ること。
平原は警戒は容易なれど守るのが難しく実りの少ない地。しかしだからこそ、強者の誰もがわざわざそこに縄張りを持とうとは考えなかった。
この賭けは結果として上手くいくことになる。人は数を増やし発展出来たのだ。
しかしどれだけ数が増え、文明が発展したとしても、依然人が狩られる側であることに変わりはなかった。・・・それもまぁ、今は昔の話ではあるのだが。
◆
冬というのは生物に厳しい季節だ。その寒さは実りを無くし、命あるモノの灯を簡単に吹き消してしまうのだから。
「だから僕は暖をとって閉じこもるのは生物として賢いやり方だと思うんだよ」
僕は入り口で仁王立ちしている母さんにそう訴えてみるが、母さんはこれ見よがしに飽きれたようにため息を吐くだけだった。
「屁理屈はいいからさっさと部屋から出てきなさい! 例えそれが賢いやり方でも、ご飯は家族で食卓を囲んで摂るのがこの家の規則よ!」
くだらない規則だ。そうは思うが、家に居る以上家を管理している母親という存在は、最強と謳われるドラゴンよりも恐ろしいのだ。つまりは母親こそ生物の頂点ということ、か弱い僕は強者に素直に従っていた方が賢明だろう。
「・・・分かったよ」
僕が不承不承頷くと、母さんはそれに満足げに頷いて居間へと戻っていった。
「・・・・・」
一瞬、このまま扉を閉めて閉じこもってしまおうかとも考えたが、それは後が怖いので直ぐに却下する。そして、僕は行きたくない気持ちを体現するように、ゆっくりとした動きで立ち上がった。
「・・・はぁ、行くか」
僕はそんな些細な抵抗を試みても変わらない現実にため息を吐くと、重い足取りで部屋を出る。人は何故食事をしないと生きられないのだろうか・・・。
◆
「ごちそうさまでした」
僕は手を合わせると、使った食器を片付けるために席を立つ。
「ああ、オーガストちょっと待ちなさい。大事な話があるの」
そんな僕に母さんが話しかけてくるが、その表情も声音もとてつもなく真剣で、僕は今すぐにでも部屋に戻りたくなった。
「・・・・話ってなに?」
しかし、そんなことが絶対者の前で許されるはずもなく、僕は大人しく立ち上がったばかりの席に着くことで聞きの姿勢に入る。
「あなたももうすぐ15になるでしょう? だからそろそろ働いてほしいのだけれど」
ついにきてしまったその言葉に、僕は力いっぱい目を見開く。
直ぐに「いやだ! 外に出たくない! 動かなくても全てに手が届くあの狭い空間こそが僕の世界だ! 外に出る必要はない!」 と主張したかったが、母さんの発する有無を言わせない重圧に、僕はついつい閉口してしまった。
「・・・・・はぁ、なら学校に通う気はない?」
「学校?」
突然の母さんの意味不明な提案に、僕は首を傾げる。
「ええ、学校。お兄ちゃん達が通ってるでしょう?」
その母さんの言葉で、僕もピンとくる。
ジーニアス魔法学園。
魔法学園とは、人類の守り手足りえる者の育成をはじめ、開拓者や討伐者などと呼ばれる者を育成することを目的に設立された学園を指す。
そんな数多ある魔法学園の中にあって、ジーニアス魔法学園は強者が集うと言われている学園のひとつにして、僕の兄が二人通っている学校だ。
「でも、あそこは優秀な人達が通う学校でしょ?」
「そうだけど?」
僕の断るための疑問の言葉に、母さんは不思議そうな顔を返す。
「お兄ちゃん達でも通い続けられているのだし、オーガストなら余裕でしょう?」
「むむむ」
さも当たり前のように発せられた母さんの言葉に、僕は言葉を返せなかった。
実際、そんな学校に通ってるだけあって兄達はとても優秀なのだが、そんな兄達でも僕に勝ったことは未だに一度としてなかった。というより、勝負にすらならなかった。それは喧嘩でも、学問でも、あらゆる分野においてだ。
兄さん達が僕に勝っているのは年齢とやる気ぐらいだろうか? しかし、そんな兄でも僕は尊敬していた。なにせ外に出ているのだから、それだけで僕の完敗だと心底思う。
「という訳で決定ね。手続きなんかはもう済ませてあるから、あとは春から通うだけね!」
母さんはにこやかに僕にそんな死刑宣告を下す。
ジーニアス魔法学園は優秀な人材が集う学園だ。しかしそれは二年生以上を指す。
何故なら、入学自体は魔力さえ扱えれば学園側が簡単に身辺調査を行うだけなので、非常に門戸の広い学園なのだ。
それは誰にでもチャンスがあるという建前の為なのだろうが、学園を辞めずに進級するまで通い続けられている生徒は非常に少ないのだ。大半は授業についていけずに途中で脱落する。
「・・・・・行かないと駄目?」
僕は精一杯可愛らしく最後の抵抗を試みるが。
「もちろん駄目に決まってるじゃない。それとも働く? 確かお父さんが人手が足りないとぼやいてたわよね? 他にも仕事先は山ほどあるわよ? 全て過酷な肉体労働だけど」
一度近くに居た父さんに顔を向けた後に、怖いぐらいに優しげな笑みを浮かべた絶対者は、そう僕を脅迫してくる。
「・・・・・学園で・・・お願いします」
そんな無慈悲な女神を前に、僕は力なく
◆
ジーニアス魔法学園に入学が決まったとはいえ、入学は春からだ。今は冬だからまだ時間はある。ならばやることは決まっている。
「ああー、落ち着く! 流石は我が聖域!」
僕は部屋に引きこもった。ええ、それはもう全力で引きこもりましたよ。
母さんが何か言っていたし、今でもたまに扉越しに何かを言ってくるが、そんなこと知ったことじゃない。母さんの言う通りに学園には行くんだ、それまでの間好きにしても文句はないだろう。まぁ抗議を受け付ける気は無いけど。
「すまないな我が城よ、冬が終わればこことも暫しの別れだ・・・」
ジーニアス魔法学園には様々な地から学生が集うために、学園敷地内に学生寮が完備されている。そして我が家からジーニアス魔法学園までは、非常に残念ながら気楽に通えないほどの距離があった。何せ、人類生活圏の端から端までの距離があるのだから。
二人の兄達も学園で寮住まいだが、忙しいのか全然帰ってこない。
「寮ってどんなところだろう? ここみたいに落ち着くところだったらいいのになー」
僕は寮というものに思いを馳せる。この部屋のように狭くて暗い場所ならいいなーと願いながら。
「それにしても・・・」
今まで全く気にしていなかったが、全然帰ってこない兄達は学園で何をしているのだろうか? 節目とは言わないまでも、一回ぐらい帰ってきてもいいだろうに。
まぁ、何故か母さんも父さんも全然寂しく無いようではあるが・・・たまに手紙が来ているからだろうか?
「まぁいいか」
そんなこと学園に通うようになったら分かることだろうから。
「外、か・・・」
僕はその事実を改めて思い出してため息を零す。残念ながら現実逃避というものは何の役にも立たないらしい。
僕は重い気持ちで真っ暗な室内を見回す。
特別何かあった訳ではない、些細な失敗を引きずるなんてあまりにありふれた話だ。それでもやはり嫌なものは嫌なのだ。
「今から気が重いな・・・」
僕は学園に通うことを考えると、心休まるはずの聖域にいてもなお気持ちが沈み続けるのを感じていた。
◆
冬というものは長いようでいて存外短いものらしい。
つまりはこの至福の空間との別れも近いということだ。
「・・・・・あぁ」
春が近くなり、僕はどんどん元気が無くなっていく。自然とため息のような嘆きも増えていった。
「お兄様」
そんな僕の耳に、凛としながらも幼さの残る少女の声が届く。その声の主は多分・・・。
「ノヴェルか?」
「はい、ノヴェルですお兄様。入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ」
僕が入室を許可すると、静かに扉が開く。
廊下から差し込む光が妙に眩しくて、まるでノヴェルに後光が射しているようであった。
「おはようございます、お兄様」
入ってくるなり優雅にお辞儀をするノヴェル。一体誰に似たんだろうか・・・というか、こういう仕草ってどっから学んでるの?
僕は家族や知り合いの顔を次々と頭に思い浮かべては、首を傾げた。
みんな庶民的というかなんというか、馴れ馴れしい連中ばかりだった。悪い人達ではないのだけれど。
「おはようノヴェル。って、もう昼か!」
「はい。そうですね、お兄様」
光に慣れてきた目で廊下を見れば、差し込む陽の光は朝のそれというには少々強かった。
僕の言葉に頷いてころころと嬉しそうに笑うノヴェルは、先ほどと違って年相応に見えた。
「オクトは?」
僕はノヴェルの双子の姉について問いかける。
この二人はよく一緒にいるからか、それともよく似ているからか、ついついセットのように考えてしまう。
「居間ですわ、お兄様。昼食の準備が出来ていますの」
「ああ、呼びに来てくれたのか」
僕はそれを理解すると、のっそりと立ち上がる。
ホント、何で食事しなきゃいけないんだろうね? いつか食事不要の魔法でも開発してやろうか。
僕はノヴェルとともに居間へ移動すると、そこには母さんとオクトが定位置に座り、食卓を囲んで僕達を待っていた。
「遅かったわね」
背中を向けて座っていたオクトは、僕達が近づく音に気付いてわざわざ身体を捻ると、こちらを振り返ってまでそんな嫌味を言ってくる。
見た目はノヴェルとほとんど同じだし、声音や喋り方、仕草まで似ているので、親でさえ間違えるオクトとノヴェルだが、実際に素で仕草などが優雅なのはノヴェルだけだ。オクトは普段猫を被っている・・・いや、この場合は相手がどっちがどっちか困惑する姿を楽しんでいるのか。要は悪戯だ。
「おはようオクト」
そんなオクトに欠伸交じりに挨拶をする。正直眠かった。呼びに来たのがノヴェルじゃなきゃ気にせずに寝てたね、断言出来るよ。
そんな僕の反応がつまらなかったのか、オクトは興味が失せたかのように前を向く。
今はオクトとノヴェルが別行動しているが、僕は二人の見分けがついていたので、オクトの悪戯は普段から僕には効果がなかった。
「母さんおはよう」
僕の挨拶に、母さんは苦笑めいた表情をする。もしかしたら呆れていたのかもしれない。
「もう昼よ。さっさと食べましょう」
母さんに促されて僕とノヴェルは自分の席に着く。
(あれ?)
そこで僕ははたと気づく。母さんの機嫌が妙にいいことを。
パッと見だと何も変わらないが、確かに母さんは機嫌がよかった。
僕はそれが気になって、昼食の味なんて全く分からなかった。
「ごちそうさま」
元々小食な僕だったが、今回は更に食べられなかった。
昼食は拳より一回りは小さいパンを三つに、濃い目のスープが少しだけだったので、食べかけを残すという事態にはならなかったのが幸いか。
「あら、もういいの?」
母さんが僕に問いかけてくる。
それに僕は頷くと、残ったパン二つをパンの入っていた籠に戻してから、自分が使った食器を流しに持っていく。
「そういえば来週ね」
僕が部屋に戻ろうとした時、母さんが何気ない感じでそう言葉を発する。それに僕の動きが止まる。
「・・・なにが?」
問いかけた僕の言葉に、母さんは嬉しそうに答える。
「学校よ、学校」
「・・・・・」
僕は忘れたい現実を伝えられ、更に気が重くなる。
「部屋に戻るよ」
それだけ言うと、僕はまだ何か言いたそうにしている支配者の元から離れ、早々に聖域に撤退したのだった。
◆
「・・・・・はぁ」
忘れようと努力していた現実を改めて突きつけられて、僕は部屋の闇に同化しそうなほどに意気消沈する。
そんな僕の元に凛としながらも幼さの残る少女の声が届く。
「お兄様、大丈夫ですか?」
ああ、ノヴェルが心配して様子を見に来てくれたのかと思い、その名を呼ぼうと口を開いたところで、ふと違和感を覚えて首を傾げる。
「・・・・・・オクトか?」
その僕の問いに、扉の向こうの来訪者は暫し沈黙すると、
「チッ」
静かだったからか、扉越しでも僅かに舌打ちが聞こえてくる。
「まぁ、とりあえず入ってくれば? オクト」
数拍の間を置いて、扉が開かれる。
そこにはやはりオクトの姿があった。ついでに、隣には本物のノヴェルが可笑しそうに微笑みながら立っていた。
「何で分かったの?」
それは少女が出したとは思えないほどに低い声だったが、僕やノヴェルが驚くことはなかった。もう慣れたものだ。
「何でって・・・なんとなく?」
僕の漠然とした答えに、オクトは再び舌打ちを返す。
「何で兄貴には通用しないかねー」
そう言うと、オクトは僕の目の前にドカリと腰を下ろして頭をかく。その後ろでノヴェルが部屋の灯りをともすと、静かに扉を閉めた。
「それよりも、お兄様。お母様のお話を最後までお聞きにならなくてよろしかったのですか?」
「ん? いいよ別に」
ノヴェルの問いに、つい僕はぶっきらぼうにそう返してしまう。
「そうですか・・・」
その僕の返答に、ノヴェルは何か考えるように黙り込むが、それ以上は何も口にはしなかった。
「まぁ兄貴が良いてんならいいじゃん。それより、兄貴ホントに家を出るんだねー」
オクトのその言葉に僕が嫌そうな顔をすると、オクトは逆に楽しそうな顔に変わる。
「本当に寂しくなります」
そんな中、ノヴェルがとても悲しそうな表情をする。オクトがこんな性格な分、余計に可愛い妹だと思う。
「まぁいつまでかは分からないけどね」
脱落者多いみたいだし。とは流石に言葉にしないでおく。
考えすぎかもしれないけど、途中で帰ってきたらなんかわざと帰ってきたと思われそうだし。特にオクトに。
「ま、兄貴なら大丈夫だろうけどね。残念ながら」
オクトがいやらしい笑みを浮かべながら、最後にそう一言付け加える。うん、なんで同じ環境で育った双子なのにこんなに違うんだろうね。
「しかしまぁ、来週か・・・はぁ」
来週、正確には後五日でこの家を出ることになる。移動に三日使うので、入学自体は八日後だ。
入学することに期待なんてまるでないし、やる気だってこれっぽっちもないが、せっかく行くのだから、せめて卒業ぐらいはしたいものだと若干思わなくもないと思う。
(でも、卒業したら卒業したで大変そうなんだよなぁ・・・)
何せジーニアス魔法学園を卒業したという事は、優秀な人材だという証明にもなるのだから、引きこもるのが更に遠ざかるように僕には思えた。その時は旅にでも出て、どこか秘境にでも引きこもろうかな。
そんな事を考えていた僕は、何か言いたげにこちらを見つめる視線に気が付く。その視線の主はオクトだった。
オクトは僕の意識が自分に向いたのに気が付くと、僅かに視線を逸らしながら少し言いづらそうに呟いた。
「ま、そう思いつめなくても気楽に行けばいいんじゃない? 兄貴ならなんとかなるさ」
若干早口気味にそれだけ言ったオクトは、部屋の扉を勢い良く開け放つと、僕の返事も待たずに部屋の外へと駆けていく。
そんなオクトの背中を、しょうがないなと言わんばかりの優しい笑みで見送ったノヴェルは、僕に頭を下げてから部屋を出て、静かに扉を閉めた。
「・・・・・はぁ。気は乗らないけど、出来るところまではやってみるかね」
妹達が出て行った扉を見つめながら、僕は消極的ではあるが、一応そう決意したのだった。
◆
時間というものは本当にあっという間に過ぎていく。
妹達に励まされてから四日が経ち、明日にはジーニアス魔法学園に向けて旅立たなくてはならなかった。
「・・・・・・」
明日には家を出ると意識すると、一応固めた決意も今すぐ崩して無かったことにしたくなってくる。
僕は部屋で最後の夜を満喫したかったのだが、残念ながらそれは出来そうになかった。
「準備ねー、準備かー」
保存食に飲み物に着替えにお金に日用品に・・・・明日からの学園までの移動だけで三日は掛かるので、その間の飲食物やお金などに加えて、学園で必要な着替え諸々を用意すれば、必要最低限でも結構な量になる。
「・・・なにこの旅行」
その大量の荷物を見ながら僕は唖然として呟く。
人は弱かった為に強者と渡り合う為に知恵を振り絞った。
その過程で様々な技術が進歩した。
機械・電気・銃火器に始まり、とうとう人は魔法まで手に入れた。
時折、科学と魔法は同じと言う者がいるが、それはどちらにも精通していない者の言なのだろう。幸い僕には魔法の才があった為にその二つが違うことがよく分かった。
一言で言い表すなら魔法は反則技だろうか。その威力と手軽さは絶大で、それにより人は強者が強者足りうる一端をうかがい知ることが出来た。
現在人が力を入れているのは主に魔法の発展だが、もちろん科学を重視する者も居れば、両者の融合を目指す者も居る。
そんな日々の発展のおかげで、移動手段も随分豊富になった。
僕は明日から列車の旅だ。
学園専用車らしいが、それで三日掛かるって・・・確か列車ってものすごく速いと聞いているんだけど・・・。
まぁそんな列車の旅を明日からする訳だが、僕には監獄行きだよね。
「お母さんも列車に乗りたいわ~」
後ろで荷物の最終確認を手伝っている監視者のうらやましげな感想に、「なら代わって」 と声を大にして言いたかった。
ああ、明日にはこの楽園を離れることになるのか。