15.シビアな位置関係
夜会当日。前日からファルス公爵邸に泊まり込んだエリーシアは、準備万端整えてアルテスとフレイアと共に馬車に乗り込んだ。途中ハリード男爵邸に立ち寄り、恐縮するディオンを同乗させて無事王宮に到着する。
大広間に隣接する控え室の一つに招き入れられた四人は、受け取った飲み物で喉を潤しながら雑談をしていたが、開始時間が近付いた為大広間に入り、二手に分かれて担当官の案内で所定の位置に付いた。
「憂鬱そうですね、エリーシアさん」
主催者たる国王と王妃の入場を、ディオンが直立不動で待ちながら隣のエリーシアに囁くと、彼女は二人だけに聞こえる声で愚痴を零す。
「そりゃあ、これだけ場違いな所に居れば、憂鬱にもなるわよ」
「自分で仰る程、周りから浮いてはいませんよ? 寧ろしっくり雰囲気に馴染んでいます。ドレスも装飾品もお似合いですし」
「ありがとう、ディオン」
隣の生真面目な年下の青年が、口先だけのお世辞を述べるタイプではないと知っている彼女は、苦笑しつつ礼を述べた。しかしそこで、素朴な疑問を口にする。
「だけど、この位置って間違ってないの? 私伯爵としては新参者だし、そもそもグラード伯爵なんて無茶振りされてできた家名なのよ? もっと下座の位置かと想像してたんだけど」
「担当者がきちんと案内してくれましたし、妥当だと思います」
「どうして?」
「基本的に、王宮から招待状が届く貴族の当主夫妻、後継者夫妻は、上座から爵位順に立ち位置が確定しています。そしてその場合、配偶者の実家なども考慮して、微妙に調整されているんです」
それに理解を示す様に頷きながらも、エリーシアの問いかけは続いた。
「それは分かるわ。王座に近い方から公爵、侯爵の上位貴族が並んでいるもの。この前のシェリルのお披露目の夜会の時は、公爵家の嫡男であるジェリドさんのパートナーとして出席したから、最前列に近かったのよね。でも今回、伯爵以下の下位貴族集団の中で、どうして私達がこんなに前になっているの?」
案内された時から不思議に思いつつも、如何にも忙しそうな案内役の男性に尋ねるのを躊躇っていたエリーシアが、ディオンに意見を求めた。すると彼が多少困った様に、声を潜めたまま説明を加える。
「何か変な顔をしているなとは思っていたんですが、やっぱり細かい所は分かっていなかったんですね」
「ごめんなさい……」
「いえ、本来貴族では無かったエリーシアさんが、戸惑うのは当然です。今回はエリーシアさんのパートナーが、ハリード男爵家の嫡子で、当主代行の私なので、それを加味して位置が繰り上がっているんです。他の伯爵のパートナーは全て女性で、当然当主でも当主代行でも、後継者でもありませんから」
「そういう事なのね」
そこで納得しかけたエリーシアだったが、すぐに新たな疑問を口にする。
「だけど……、妙に子爵、男爵以下の人数が多くないかしら?」
自分達の背後に並ぶ人数の多さに、エリーシアが再度首を捻ったが、この疑問にもディオンは事も無げに答えた。
「下座の若い人達が集まっている辺りは、各家が王宮に申請して出席を認められた、嫡子以外の息子や娘の集団です。例え公爵家や侯爵家の人間でも、当主や嫡子、そのパートナーで無い場合には、立ち位置は男爵夫妻の場所より下座になるんです」
そういう風に平然と言い切られてしまったエリーシアは、思わず遠い目をしてしまった。
「……位置決めってなかなか奥深い上、結構シビアなのね」
「ええ、式典を司る担当官は、夜会毎に頭を悩ませて目を血走らせているそうです」
「でも漸く納得できたわ。あの辺りからの視線が、突き刺さる様に痛いわけが。視線で人が殺せるなら、私、もう数回殺されてるわね」
要するに中途半端な立場の人間達が、ぽっと出の女伯爵が自分より上座に居るのが気に入らないのだろうと見当を付けて自嘲気味に笑ったエリーシアだったが、ディオンは真顔で首を振った。
「断っておきますが、その半分は俺に対してですから」
「え? どうして?」
「実はこの前、仕事中に廊下を歩いていた時、『ファルス公爵に媚びを売って、ちゃっかりあの女の相手役を盗りやがって。てめえは黙ってても男爵位が貰える癖に生意気なんだよ!』と因縁を付けられました」
「何よそれ?」
思わず顔をしかめたエリーシアに、ディオンが淡々と説明を続ける。
「爵位を譲渡されない、某子爵家の次男が官吏として勤務していまして。エリーシアさんの相手役を譲れと脅されたわけです」
「ちょっと! 大丈夫だったの?」
さすがに看過できずに問い質したエリーシアだったが、ディオンは苦笑いして、小さく肩を竦めただけだった。
「今更それ位で動揺する程、可愛げのある性格じゃ無いもので。『公爵から正式な依頼を受けていますので、公爵に直談判して下さい』と一蹴しました。前回の騒ぎに関わったハリード男爵家の人間である事もあって、色々無遠慮な視線を受けたり嫌がらせされたりするのには慣れているので、それが多少増えてもどうって事ありません」
そこまで話を聞いて、エリーシアはさすがに申し訳なくなり、謝罪の言葉を口にした。
「余計な面倒をかけてしまったみたいね。相手役を引き受けて貰って、申し訳無かったわ」
しかしディオンは笑顔で応じる。
「いえ、先程も言った様に、興味本位の視線を受ける事は慣れているのでお気遣いなく。寧ろこれ位で様々な事でお世話になっているファルス公爵のお役に立てるなら、望外の喜びです」
「そう言って貰えると気が楽だわ」
そこでエリーシアは安心した様に笑ったが、今度はディオンの方が何となく浮かない表情になってきた。
「ですが……、エリーシアさんの立場を考えたら、やはり他の方に相手役を引き受けて貰った方が良かったかもしれません」
「あら、どうして?」
若干驚いて問い返した彼女に、ディオンが真顔で告げる。
「まだ顔の火傷の痕が治りきっていませんし、こんな見栄えの悪い私が、綺麗なエリーシアさんのパートナーを務めるなんて、気が咎めるんです」
そんな事を真顔で言われたエリーシアは小さく噴き出し、笑顔で断言した。
「何を言ってるのよ。あの事件の後、王妃様の配慮で集中して治療を受けたでしょう? 確かに治りきっていないけど、当初から比べると段違いに回復してるわよ? 王宮侍医と組んで治癒魔術を施した私が言うんだから、間違いないわ」
「そうですね。ありがとうございます」
「まあ、確かに前の状態の時に散々嫌な思いをしたり、人目を気にする生活を何年も送ってきたんだろうから、無理強いはしないけど……」
そう言いながらエリーシアは軽く向き合う形になっているディオンの顔に、右手を伸ばした。そして以前は酷く焼けただれた痕があった、左目周囲から額にかけての部位が良く見える様に、そこをさり気なく隠すように流されている前髪をかき上げてみる。
未だに皮膚が幾らか変色して固くなってはいるものの、治療の甲斐あって引き攣れる感じや、酷いただれは無くなっており、その回復ぶりに満足した彼女は笑顔で言い聞かせた。
「もう少し目立たなくなったら、この前髪はすっぱり切るか、上げる様にしなさいね。せっかくの色男が台無しよ」
「はい、そうします」
そこでディオンも心からの笑みを浮かべながら素直に頷き、周囲からの好奇心と妬みの視線をものともせず、小声での談笑を続けたのだった。
そんな二人の様子を遠目で観察しながら、王族の整列位置に立って国王夫妻の入場を待っていたレオンは、小さく歯軋りした。
「……あいつ、エリーシアと、何をあんなに仲良さげに話し込んでるんだ?」
その呟きに、すぐ隣に立っていたミリアが、うんざりとした口調で突っ込みを入れる。
「何だって良いじゃない。それより私の十五歳記念の夜会で、しかも私の社交界デビューの日に、パートナーの兄様がそんな仏頂面しないでよね?」
「……分かってる」
「どうかしら」
如何にも面白くなさそうに応じたレオンに、ミリアが肩を竦める。そんな弟妹を横目で眺めたシェリルは、深々と溜め息を吐いた。
(本当に、無事に終わると良いんだけど……)
そこで侍従が国王夫妻夫妻の入場を高らかに告げ、大広間に居る全員からの拍手に迎えられてランセルとミレーヌがやって来た。そして国王とミリアの簡単な挨拶の後、つつがなく夜会が開催された。