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14.エリーシアの試練

「それでね、エリーシア。この間敢えてドレスの術式構築に集中して貰っていたのは、夜会対策は私が準備万端整えていたからなの」
「はい?」
 寝耳に水の話にエリーシアが戸惑った顔を見せたが、フレイアは平然と言葉を継いだ。

「顔を覚えておく必要のある方の肩書きや、魔導像一覧。あなたに絡んできそうな令嬢や夫人のリストアップと、それへの対処法。最近の様々な流行や、話題に出るであろう内容など、我が家の情報網を駆使して徹底的に調べ上げてあるわ」
「夜会まであと十日ある。エリーシアは覚えが良いから、それだけあれば大丈夫だろう。術式が確立した所で、気持ち良くそちらに集中して貰おうと考えていたものでね」
 アルテスもあっさりと付け加えてきたが、ここで果てしなく嫌な予感がしてきたエリーシアが、恐る恐る尋ねてみる。

「あの……、それは因みにどれほどの物でしょうか?」
「ああ、カーラム、例の物を持って来てくれ」
「承知いたしました」
「でも楽しみだわ。あの術式で飾ったドレスが形になるなんて。年甲斐も無くワクワクしてしまいます」
「それは私も同様だ。取り澄ました頭の固い連中の、度肝を抜いてやろう」
「はぁ……」
 主に声をかけられた執事が一旦席を外している間、アルテスとフレイアはにこやかに顔を見合わせて会話していたが、その他の者は微妙に視線を逸らしつつ無言でお茶を飲んでいた。そうこうしているうちに先程廊下に出て行った人物が、結構厚みのある書類の束を手にして戻って来る。

「旦那様、お待たせしました」
「ああ、エリーシアに渡してくれ」
 その指示に頷いた執事は軽く身体を屈め、手にしている物をエリーシアに手渡した。
「お嬢様、どうぞ」
「……ありがとう」
 動揺しつつもなんとかお礼の言葉を口にしたエリーシアだったが、その手に伝わる重みに盛大に顔を引き攣らせる。

(これを、あと十日で完璧に覚えろって? 冗談でしょ?)
(私がお披露目の夜会の前に渡された貴族名鑑と、さほど違わない量かも……。エリー、頑張って)
 愕然としているエリーシアと、その心情を思って心からシェリルが同情したところで、当主夫妻から二人に朗らかな声がかけられた。

「さあ、それでは昼食の支度も整いましたし、食堂に移動しましょうか」
「食後は庭園で完成した術式を、全部合わせて見せてくれるのだろう? シェリル姫も一足先にご覧になりたいだろうし、頑張ってくれ、エリーシア」
「はい、頑張ります……」
 当主夫妻以外の者達は心の中でエリーシアに同情したものの、必要な事だとは分かっていた為、敢えてそれに関しては無言を貫いた。
 それからは意図的に皆が夜会の話題をスルーした事で、シェリルを交えたファルス公爵家の面々は、和やかな一時を過ごす事が出来たのだった。


 翌朝、いつも通りアルテスと王宮に馬車で出勤したエリーシアは、魔術師棟の自分の机に辿り着くなり、持参した書類を捲りつつ呟き始めた。
「……今年はミシェルの店のフレール型のドレスが流行だけど、社交界のファッションリーダーのクレスタン侯爵夫人はラーレの店の作品が好みで、本人の目の前でそれを誉めた場合」
「なあ、エリー。お前朝早くから来てると思ったら、何怖い顔をしてワケが分からない事をブツブツ言ってるんだ?」
 どう考えても業務以外の事にしか思えない内容を口にしている彼女に、隣のサイラスが変な顔をしつつ尋ねると、彼女が忌々しげに答える。

「ファルス公爵家総力編集、夜会対策集よ」
「はぁ? 何だそれは」
 暗に「もう少し詳しく説明しろ」という表情になったサイラスだったが、エリーシアが無視してまたブツブツ言いだした為、肩を竦めて自分の仕事に取り掛かる準備を始める。しかしその直後、彼女がいきなり両手で机を叩きながら、心からの叫び声を上げた。

「……くぁあぁぁぁっ!! ドレスや宝石や香水や音楽や劇がどうしたってのよ!? 食べられるの? 眠れるの? 冷暖房の足しになるわけ!?」
「ちょっと待て! 落ち着けエリー! 一体何があった?」
 中空を見上げながらの錯乱じみたその叫びに、室内にいた者達の視線が全て彼女に集まり、思わずサイラスがその肩を掴みながら宥めようとした。すると彼の方に向き直ったエリーシアが、その胸倉を掴み上げながら真顔で訴えてくる。

「大体、ぐっちゃぐちゃの家系図なんか覚えて、何の意味があるのよ!? それに取り澄ましている癖に、普段は火遊び摘み食い常習者の馬鹿女や間抜け野郎の情報なんて、真っ先に消去するべきじゃないの!?」
「それ、一体どんな中身なんだよ……」
「『うっかり無くしちゃいました』とか言って、破り捨てたいっ……! でもそんな事をしても、あのお母様なら『こんな事もあろうかと、ちゃんと控えを作っておいたのよ』ってにっこり微笑まれつつ、再度手渡されそうで。精神的ダメージが、益々大かも……」
「最近益々、プライベートで苦労してるな、お前」
 叫ぶだけ叫んだら今度は落ち込んだらしく、エリーシアはサイラスの服を両手で掴んだまま項垂れた。それを眺めたサイラスが、しみじみと同情する声を出す。するとここで、二人に向かって静かに声がかけられた。

「……エリーシア、サイラス」
「何ですか? 副魔術師長」
「気持ちは分かるが、個人的な事は休憩時間にな。そろそろ、今日の仕事に取りかかってくれ」
「……了解しました」
「直ちに取りかかります」
 困った顔で言い聞かせてきたガルストに反論できず、二人は大人しく仕事に取り掛かった。そんなエリーシアにとって不安要素満載の夜会は、あと九日後に迫っていた。

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