6.燃え上がる魔術師魂
翌月頭にある夜会のドレスについて、フレイアと侍女達を向こうに回しての白熱した議論の末、何とか妥協案を勝ち取ったエリーシアだったが、その勝利感を実感できる間も無く疲労感を背負ったまま夕食の席に着く事になった。そしてその疲労感は、予想に反して彼女に対してすこぶる好意的な、二人の義弟達によって増幅される事になった。
「姉上が一人増えただけで、随分場が華やかになりますね。それにやはり父上が仰っていた様に、市井暮らしでも王宮勤めに支障が無い位、品位に溢れていらっしゃいます」
「そ、そうかしら?」
リスターが穏やかに、混じり気無しの称賛の言葉を口にすれば、ロイドが満面の笑みで興奮気味に応じる。
「やっぱり姉上は凄いです! 魔力が強いだけじゃなくて、男の人に負けずに立派に王宮専属魔術師として働いていらっしゃるのに、お食事の作法もとても上品で。やっぱり他の人間とは、格が違いますね!!」
「そんな事は……」
当初、フレイアから礼儀作法や一般教養を教えて貰う事込みでの養子縁組とミレーヌから聞かされていただけに、食事の間中ビシバシと指導が入る事を覚悟していたエリーシアだったが、案に相違してそんな事は無く、しかし別な意味で冷や汗を流しまくっていた。
(リスターもロイドも、それ誤解だから!! こんな凝ったお料理の食べ方なんて分からないから、フレイア様の食べ方をこっそり真似してるだけだし! でもそんなに瞳をキラキラさせてる子達を幻滅させたくはないし……。無意識と無邪気って、時としてとっても罪作りよね!?)
笑顔で次々と話しかけてくる義弟達に強張った笑みを向けつつ、エリーシアは何とかその幻想を打ち砕く事が無いように、必死にその場を取り繕っていた。すると大きな長方形のテーブルの、向かい側に座っている公爵夫妻が、明らかに笑いを堪える風情なのに気が付く。
(絶対お二人とも、笑いたいのを堪えてますよね? 口元が緩んでますよ!? 一体この子達に、私の事をどんな風に吹き込んでたんですか? 何かもう強制的に、食事マナーを叩き込まれている気分なんですが!?)
見て覚えるを実践しながら、エリーシアが緊張気味に食事を続けていると、アルテスが思い出した様に、隣に座る妻に問いかけた。
「ところで今度の夜会では、どんな感じのドレスを作る事になったんだ? 新たに注文するには時期が遅れてしまったし、来月の夜会に向けてどこの工房も既にかなり注文を受けているだろうから、ぐずぐずしていて引き受けて貰わなかったら困るぞ?」
それにフレイアが落ち着いて説明する。
「私が若い頃に着ていた、袖や裾にライティア石の粒を無数に縫い付けてある、翠色のドレスのイメージで作る事にしました。あれならデザインも伝統的な夜会仕様の物だし、変に目立たなくて良いかと」
「ああ、あれか。なるほど。確かにあれなら派手さは無いが、地味という事もないな」
「ですが……、エリーシアが『宝石を縫い付けるのは無駄ですから』と言うので、どうしようかと思いまして。代わりに銀糸での刺繍なども考えてみたのですが、今から刺繍の工房に複雑な意匠を発注しても、間に合わないかもしれません」
多少困った様に妻が訴えた内容を聞いて、アルテスは怪訝な顔をエリーシアに向けた。
「……基本的に、若い娘は光る物が好きかと思っていたのだが、違うのか?」
「いえ、勿論傍から見ている分には綺麗だと思いますし、好きですよ? ですが、ドレスに縫い付けてある宝石の代金が、何日分の食費に相当するかを考え出したら、落ち着かないもので」
控え目に、しかし心からの訴えを口にしたエリーシアに、その本気度を感じたアルテスは戸惑いつつも顎に手を当てて考え込んだ。
「それは少し困ったな……。君の気持ちは分かるが、我が家の娘としてのお披露目でもあるのだから、周りの娘達より派手な位でも良いかと思っていたんだが……」
そのやり取りを聞いた兄弟が、揃って思慮深げに頷く。
「やはり姉上は堅実で、謙虚な方なんですね」
「そんなに遠慮しなくても良いんですよ?」
(いやいや、二人とも。その良く分からないフィルターは、いい加減外して欲しいんだけど。私は単に、貧乏性なだけだから! そんな尊敬する様な目で見ないで?)
そこで話題がちょっと停滞したのを解消するように、食事が始まってからも黙って食べ続けていたギルターが、唐突に声を発した。
「エリーシア。要は金をかけずに、見栄えのするドレスを作る事ができれば良いのだろう?」
「は、はい。お祖父様。確かにそうですが……」
慌てて顔を向けながらエリーシアが応じると、ギルターが事も無げに話を続けた。
「それなら、魔術を使ったらどうだ? 取り敢えず一着、何の飾りもないドレスを仕立てて、それに魔術で光沢を付けたり飾り立てれば良かろう」
「はい?」
「父上?」
「お義父様?」
その提案を聞いた他の面々は皆呆気に取られて押し黙ったが、少しの沈黙ののち、恐る恐るフレイアが問いを発した。
「あの、お義父様? これまで魔術でドレスを飾り立てる事なんて、見た事も聞いた事もありませんが?」
「だが、魔術でドレスを飾り立ててはならないという、取り決めなどあるまい?」
平然とそんな切り返しをされて、アルテスが思わず唸る。
「……確かに、国法例文にも魔術条例にもありませんね。これは盲点でした」
「だってそんな事に魔術を使うなんて発想、これまで全くありませんでしたもの」
(私だってそんな風に利用する事、考えた事もありません)
思わず嘆息したフレイアに、エリーシアも心の中で同意する。するとアルテスが何かを思いついた様に、満足そうな面持ちで顔を上げた。
「なるほど。それなら確かに一石二鳥だ。見た事もない術式等を間近で見せつけられれば、『女を王宮専属魔術師に据えるなんて』などと陰口を叩いている連中の鼻を明かせるぞ」
その言葉に、フレイアも明るい顔付きで頷く。
「そうね。じゃあどういう装飾にするかを考えて、自分でそれを保つ術式を考えてね? エリーシア」
「腕の見せ所だな。頑張りなさい」
ギルターの重々しい声に続き、義弟達の興奮気味の声が食堂内に響く。
「姉上、是非とも他に類を見ない、素敵なドレスを仕上げて下さい!」
「凄く楽しみです! 僕達も応援してます!」
「え、ええ。頑張るわね」
(何て面倒な事に……。大人しくキラキラしいドレスを作って貰った方が、良かったかも……)
気合を入れてエリーシアは微笑んでいたが、予想外の話の流れに、少し前の自分の判断を心底後悔する事となった。
その翌日も休みではあったのだが、丸一日ファルス公爵家に滞在していたエリーシアは、フレイアとドレスのデザインを何パターンか考え、それをどのような魔術を使って構成するのかで、散々頭を悩ませる事になったのだった。
「お前と言う奴は……、『ちょっと公爵家に泊りに行って、失礼が無い程度にご挨拶してくるわ』と言っていたのに、どうしてこんな厄介事を持って帰って来るんだ?」
「私だって、したくてしたわけじゃないわよ! だけど豪華なドレスを全力で回避してたら、いつの間にかそんな話の流れになっちゃったのよ!」
「同情はするがな……」
出勤早々、自分の机に何枚もの紙を広げ、ああでもないこうでもないとブツブツ言っていたエリーシアを不審に思って問い詰めたサイラスだったが、前日のファルス公爵家での一連のやり取りを聞いて、深い溜め息を吐いた。しかし目の前でがっくりと項垂れている彼女と、書き込み作業の進捗状況を横目で確認して、自分の椅子を引き寄せて彼女の横に座って手を伸ばす。
「それで? 休憩時間にお前一人でせこせこやっても、下手すりゃ次の夜会までに間に合わないんじゃないのか? 術式構築書式案、昨日一日でどこまで作ってるんだ。見せてみろ」
「手伝ってくれるの?」
ガバッと顔を上げて期待に満ち溢れた顔を向けてきたエリーシアに、サイラスが思わず苦笑する。
「貸し1だぞ? と言いたいところだが、ドレスにどんな術式が応用ができるかちょっと興味があるから、それなしで手伝ってやる」
「空から槍が降ってきそう……。まあ、この際何でも良いわ。昨日寝ながら、ここまでは考えたんだけど」
そう言ってエリーシアもいそいそと椅子を寄せ、サイラスの手元に持っていた紙を差し出しつつ、説明を始めた。そして一通りそれを聞いたサイラスが、難しい顔付きになって考え込む。
「……成程な。う~ん、まあ確かに、連結と形状保持の術式は基本だな。だが光り物関係はどうする気だ? 公式な夜会なんだから、華やかさが無いと駄目だろう」
「う~ん、いっその事、幻視系の術式を用いようかとも思ったんだけど……」
「あの大広間に入る人間全員に対してか? ちょっと髪や瞳の色を変えてみせるのとはわけが違うぞ? 範囲を狭めて、自分の周りだけ確実に効果を出す様にしないと駄目だろう」
「そうなのよね~」
二人でそんな議論をしていたが、いつの間にか周囲を囲んでいた同僚達が、嬉々として口を挟んできた。
「要はキラキラさせれば良いんだろう? 凍結術式の応用はどうだ?」
「え?」
「ああ、確かに凍らせれば綺麗だな……、ってお前、エリーまで凍っちまうだろうが!?」
「あの……」
「それは対でエリーの体の周りに、温化や冷気遮断の術式を構築しとけば良いだろう?」
「ええと、皆さん?」
「そんな重ね技、ただ併用すればそれで済むって訳じゃないがな。お前、出来るか?」
「その、そろそろ勤務時間」
「あとドレスの材質も、透ける感じの物を上に重ねるか、敢えて魔術でそう見せるのかによっても違って来るぞ?」
「……皆、何を業務に関係ない事を話し込んでる。さっさと仕事に取り掛からないか」
何やら盛り上がっている周囲に戸惑いつつも、始業時間に近い事に気付いたエリーシアが話し合いを止めさせようとしたが、時既に遅く、歩み寄って来たガルストが咎める口調で声をかけてきた。それに他の者が「申し訳ありません」と謝罪しつつ、慌てて四方に散って行ったが、もともとそこに席のあったエリーシアとサイラスが取り残される。
「……エリー、サイラス」
「はい! 副魔術師長、朝からお騒がせして、申し訳ありませんでした!」
「今後は休憩時間のみ、私事に費やす事に致しますので」
恐縮して頭を下げた二人だったが、ガルストはそれ以上叱責する事は無かった。
「綺麗に物を輝かせるなら、偏光変色の魔術と誘空処理の魔術との合わせ技が一番効果的だと思う。施工術式の例を纏めた魔術書があるから、後から副魔術師長室に取りに来なさい」
「は?」
淡々とそんな事を言われてしまったエリーシアは、思わず顔を上げた。すると真面目くさった顔のガルストが、確認してくる。
「返事は?」
「は、はい! 後からお借りしに伺います!」
「宜しい。それでは本日の仕事に取り掛かる様に」
「はい、ありがとうございます」
再度頭を下げたエリーシアの横で、サイラスが呆気に取られた表情で踵を返して立ち去るガルストを見送った。
それ以後、非公式ながら、王宮専属魔術師一同は副魔術師長のガルストを筆頭に、一丸となってエリーシアのドレスを魔術で華麗に仕上げる計画に邁進する事になるのだった。