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3.蜜に群がる蟻

 姉妹が城館の探索を始めたちょうどその頃――。
 その城館から数キロ離れた先にある廃坑の中で、大きな声が響き渡っていた。

「――お頭っ、あの女どもの行き先が分かりやしたぜっ!」

 蟻の巣のように、複雑に入り組んだ通路の最奥には、玄室のような開けた間が広がっている。
 薄汚れた身なりのそこ男が駆け込むや、玉座のような椅子にどっかりと構える大男の前でしゃがみこんだ。

「やぁっと、あの女狐の尻尾を掴んだか」

 配下と思われるその男からの報告に、『お頭』と呼ばれた男はしゃがれ声と共に口角を上げた。
 浅黒い肌と、清潔感が感じられない赤茶色の髪をボリボリと掻きながら、その男は大仰に立ち上がった。
 その大きな体躯のままにがっちりとした筋肉が全身を覆っている。

「へっ、このランバー様から、金を抜き取るたぁいい度胸だ。
 逃げようたって、この俺からは逃げられはしねぇ……金の分、キッチリと愉しませてもらうからな――なぁ、セラフィーナ」

 この大男は少し前、セラフィーナに金を盗まれた。
 それは、シスターズの町の外れに足を向けた時――その腰つきや彼好みの大き目の丸い尻……そして何より、その色気が堪らないイイ女を見つけたのが始まりである。
 声をかけて何の反応も示さない。ふと、流し目を送られたかと思えば、すぐに素っ気ない態度を取る――男を手玉に取る術を身につけている、危険な女だと分かってはいたものの、その女の“魔法(かけひき)”に彼は成す術もなく、色香に惑乱されてしまったのだった。

 胸だけは少し残念だったものの、他の有り余るほどの要素が男の情欲を誘う。
 あの手この手で口説き、何とか連れ込み宿に誘い込めた時は、まさに天にも昇るような気分であった。
 しかし、夢はすぐに覚めた。水浴びをしてくるように指示され、そこから出て来た時にはもう、彼女は忽然と姿を消してしまっていたのだ。

「……で、奴の居場所は?」
「へいっ、どうやらこの旧街道のはずれにある、レゴン城の城館にいるようで――」
「旧街道はずれの城館んんっ?」

 ランバーは怪訝な顔を向けた。彼らは、この旧街道近辺を根城にしている盗賊団であるが、その様な城館なぞ見た事も聞いた事も無かったからだ。

「あっしも、あんな所に砦があるとは思いやせんでした。
 町の者の話では、奴らは空き家に住んでいたようで、魔女だったかもしれやせん。
 ……もしかすると、<愚王の遺産>を探していて、ついにそれを見つけたのでは」
「<愚王の遺産>……? ああ、あのおとぎ話みたいなあれか。
 確かに魔女なら、“財宝”の在り処の一つや二つ、知っていてもおかしくねぇか。
 ……ん? それよりもお前、さっき『奴ら』って言わなかったか?」
「へい。どうやら、あの女は姉と一緒に暮らしていたようです。
 これがまた、とびきりの上玉――妹よりもソソる、色気むんむんの身体らしいですぜ」
「ほぉぉ……なるほど、なるほど――。
 色気むんむん……へ、へへへ、魔女なら捕えても何のお咎めもねぇしなぁ。
 ぃよぉぉしッ、テメェはそこに兵隊を連れ案内し、そいつらをひっ捕らえて来いっ!
 先に捕えた奴に、その姉の管理をする権利をくれてやる!」
「へ、へいっ!」

 配下の男は、どこか声を弾ませながら返事をすると、その部屋を後にした。
 ランバーは『先にセラフィーナへの“折檻”だな』と鼻息を荒くし、ジャラ……っとベッド下から重い手かせを取り出していた。


 ◆ ◆ ◆


 その様な事になっているとはつゆ知らず……。
 城館の玄関ホールでは、セラフィーナが魔女らしく箒を手にしていた。

「――ふう、やっと一段落ついたわ」

 面覆いの上から、額を擦り浮かび上がった汗を拭う。
 魔女の箒とは言っても飛んだりなどは出来ない。本来の使い方で、砦内・玄関ホールの石畳を掃き続けていたのである。
 床一面にびっしりと堆積している埃の絨毯は、そこに誰も足を踏み入れなかった事を証明しており、穂先が石畳を撫でるたびに灰色の筋を残してゆく。
 しかし、そのせいで舞い上がった埃により、黒いローブが灰色へと変えてしまっていた。

「……うーん、このローブもいい加減、買い換えなきゃなぁ」

 灰色に近いのは、埃の色だけではない。
 長く使い込まれたそれは、あちこちが色あせ、擦り切れている箇所も目立っている。
 これぐらいの方が魔女らしく見えるが、年頃の彼女には雰囲気よりも、おしゃれに力を入れたい所であろう。
 だが、先立つ物がない。いつかその内……と言い続けて、かれこれ二十年は同じ物を使い続ける結果になってしまっていた。
 はぁ……と、セラフィーナは大きなため息を吐いた。するとその時、見慣れた恰好をした者がホール西側の通路から、軽い足取りでやって来るのが見えた。

「――あれ、姉さんもう着替えたの?」

 ミラリアに目をやると、白いスレンダータイプのドレスの上に、赤いローブを羽織った姿であった。
 各地を渡り歩いている時に見つけたもので、とにかくそれを気に入っている。
 しかし、よく見ればローブの赤色は鮮明さを失い、ドレスも白色と言うよりは黄色っぽく汚れが目立つ。

「はい。ホコリまみれになってしまいましたし、洗濯しようと思いまして。
 フィーちゃんのも一緒に洗うので、脱いだらこの通路突き当たりの、左の部屋にあるカゴに入れておいてくださいね」
「うん、分かった。でも、水あるの?」
「雨水の貯水槽があるようですね。ですが……」
「水源の確保、か……。空き家暮らしは、ここが一番問題なのよね……」

 セラフィーナは顎に手をやり、どうしたものかと思案を始めた。
 いくら良い場所であっても、生活に必須となる水を確保できなければ意味がない。貯水槽がどれだけの雨水が貯められているか不明であるが、この城館の規模からして、多くは溜めておけないだろう。
 多少の苦労はしても構わないが、恒久的に水が得られるようにはしておきたかったのだ。

「裏を登った所に川があるようですから、そこから水を汲む方法がありますね」
「そっか。なら、多少は不便でも、しばらく住む分には問題無さそうね」
「ええ。食糧はしばらく携行食がメインになりそうですが、いざとなれば、ブラちゃんにイノシシなどを獲って来てもらったり、その川でフィーちゃんが魚を獲ってくる事もできますしね」
「何でしれっと、私の役目になってるのよ……」

 確かに自分がやる方が早いけど……と、セラフィーナはため息を吐いた。
 ミラリアは、そのおっとりとした見た目と言動のままに、動作も非常にゆっくりしている。適材適所と言うべきか、彼女には菜園などの動かず、時間をかけて育てる方が向いている。
 そんなミラリアは、頬に手をやりながら、困ったような顔で妹をじっと見つめていた。

「姉さん、私に何かついてる?」
「いえ……少し気になる事がありまして。
 それに、そのローブもそろそろ買い替え時でしょうし、この機会に新調してみてはどうかと」
「えっ、いいのっ?」

 その言葉に、セラフィーナは思わず声を弾ませてしまった。

「ええ、もうかれこれ二十年近く使っていますし、臨時収入もありましたしね」
「うっ……そ、そんなのあったかなぁ……?」
「お姉さんは、なーんでも知ってますからね。いいのがあったら見せてください♪」
「ん? 『見せて』って、姉さんはいらないの?」
「……ええ、私のはまだまだ着れますしね」
「そう……」

 ミラリアはおしゃれなどには興味がなく、とにかく同じ物を着続けたがる。
 本人は何でもいいと言うが、セラフィーナには本当は、自分のために我慢してくれていることに気づいている。
 それほどまで困窮している――それに気づいたのは何歳の時だっただろうか。それに気づいてからと言うもの、セラフィーナは我儘を言わなくなった。
 必要最低限の物を買う以外は、必ず姉に相談するようにしている。姉の返事はたいていOKなのは分かっているが、どうしても尋ねておきたかったのだ。

「水源の話の続きなのですが……フィーちゃん、掃除中に<魔女除け>の印を見かけました?」
「あー、そう言えば見てないわね。……と言う事は、姉さんの所も?」
「はい。ありそうな箇所を全て見ましたが、どこにも<魔女除け>が(しる)された痕跡がありませんでした」
「されてない、って事は……」
「地図に載っていない、<魔女除け>がない――となると、考えられる事は限られます」

 殆どの家には必ず、<魔女除け>の呪印がどこかに刻まれている。
 それは、“人の住む家”であれば効力が続き、誰も住まなくなればその力が失われるもの――つまり、空き屋に住みついた女は、まず魔女と疑われてしまうのである。
 そして、その印がされていない事は、必然的にその“関係者”にも繋がるのだ。

「元、魔女の根城……か。そうしたら、ここの部屋数の少なさにも説明がつくわ。
 でも、レゴン城の近くとか思い切ったことするわね、前の持ち主は」
「結界を施していたのもありますが、大昔のこのレゴン国、()()()付きでもありましたし……当時の王の庇護を受けていた可能性も考えられます」
「それって、<愚王の遺産>の事? って、まさかっ……!」
「ええ……裏で、あの面倒な“黒の魔女団”が糸を引いていた線が、浮かび上がりました」
「“白の魔女団”……なら、印を施すし、私たち“灰の魔女団”はそもそも関わらないし……。これ、とんでもなく厄介な事になるんじゃないの?」

 彼女たちの言う“魔女団”には、大きく分けて三つのグループに分けられる。
 まず、“白の魔女団”は規律・戒律の下に動く。占いや病気治療などを行い、その対価を受け取りながら、人間社会の中で暮らしている。
 片や、“黒の魔女団”は自由を尊重する。彼女たちにとって人間は搾取の対象であり、その呪術を用いて資財などを我が物にしようとするのだ。
 互いの方向性や考え方の違いに、白と黒は常に対立を続けてきた。それに辟易とした者によって結成されたのが、彼女たちが属する“灰の魔女団”なのである。
 どちらの派閥にも関わらない、思想も持たない自由気ままな魔女の団体であった。

「はぁ、せっかくいい場所見つけたと思ったのに……。
 ってか、それもこれも、この“黒の魔女団”の強欲ババアたちのせいよ!
 アイツらが家や城の乗っ取りとか、好き勝手やりまくったシワ寄せじゃない!
 シワ作るのは顔だけにしろってのよっ!」
「それもあるでしょうが、“白の魔女団”も大概だと思いますよ?
 正義と大義名分を掲げ、“信用・信頼”と言う名の暴利を取るどころか、時には民を扇動したりしていますし。
 あの<魔女避け>を考案したのも彼女たち――ご丁寧に、中立であるはずの我々・“灰の魔女団”まで除外対象にしましたしね」
「ああ、どっちもクズばっか……」

 <魔女除け>の呪印のせいで彼女たちは、まずこの“黒の魔女団”を疑われてしまう。
 “灰の魔女”と認められるまで、長く牢に捕えられ、拘束・尋問され続けられる事が多いのだ。
 ゆく場所ゆく場所でそのような目に逢っていては非常に面倒である。それを避けるため、彼女たちは感づかれたら即座に逃げねばならなかった。

「まぁ、ここはその“黒の魔女団”が去って久しいようですし、我々が再利用させてもらっても罰はないと思いますよ。
 彼女たちの物だったからと言って、特にビクビクする必要も、理由もありませんしね」
「うーん……確かにそうね。
 そう言えば、さっき水源の話の続きって言ってたけど、それと魔女と何か関係あるの?」
「あ、説明が忘れていましたね。実は貯水槽を見つける前に――」

 ミラリアは言葉を途中で遮り、館の外……庭の方へ鋭い視線を向けた。
 にこやかに細められた眼の隙間から覗く黒い瞳は、恐ろしく、どす黒い闇が浮かんでいる。
 セラフィーナは思わず息を呑んだ。何度見てもこれには慣れぬ……姉がこのような視線を送った時は――よからぬ者が近づいていると言う事なのだ。

しおり