4.茨の道
まだ空は薄白く、群青色の空にようやく朝日が昇ろうかとしている頃――。
均衡を示す場に繋がっているであろう、【ドラーズ森】の洞窟前では、ベルグ、シェイラ、カート、ローズ、レオノーラ、そしてテアが集っていた。
全員が緊張の面持ちで腰を落とし、最終チェックを行っている中、シェイラだけは眼をシパシパとさせ、まだ眠そうにしている。
「――シェイラ、大丈夫か?」
「え、あ、うん……大丈夫」
「ったく、こんな大事な時に寝過ごすんじゃねェよ」
「う、うぅ……」
昨晩、シェイラがベッドに入ったのは、日付が変わった頃であった。
睡眠時間は、指を四本折りまげる程度。そのせいで、大事な日にも関わらず、時間になっても起きられず……起こしに来たベルグに身体を揺すられ、やっと目を覚ましたのである。
(手帳――見られてないよね?)
深夜に書いた手紙は破り捨てろ、とよく言われている。
夜中まで、“やりたい事”を書きまとめていたシェイラは、もしそれを見られでもしたら、地下迷宮の奥底に、更にその奥まで入らなければならなくなってしまう。
開いたままか、閉じたままか記憶が定かではないが、閉じられていた赤い手帳を見て、寝起き早々安堵の息を吐いた。
(よ、よしっ! これが仕上げなんだから、がんばれ私っ!)
シェイラは、顔をパンッと叩いて気を入れ直す。
もし、失敗なんてしたら“やりたい事”が、“未練”へと変わってしまうのだ――。
シェイラ自身の“やりたい事”ではなく、フォルニア国、それ以外の全世界の人の“夢”や“希望”までも|潰(つい)えてしまいかねない。
それらの“覚悟”を目に、ぐっと力がこもるのを見たベルグは頷いた。
「――では、行くぞ」
ベルグが先陣を切り、洞窟の中へと足を踏み入れてゆく。
続けてレオノーラが入り、ローズ、シェイラ、テア、カートと続いた――。
ドラーズの森の洞窟は、昔は探索訓練などにも使われていた、ほぼ一本道の短い洞窟である。
モンスターはいない。縦横三メートルほどのそれは、二人並ぶのがやっとの広さだった。
そこに足を踏み入れた“訓練生”たちは、ザッザッ……と足音だけを響かせている。
無言の張り詰めた緊張感に、シェイラは胃や腸、心臓がぎゅっと縮まるような感覚を覚えてるのだろう。時おり、震えるような息を吐き、じっとりと水滴のついた岩肌を見つめ続けていた。
ゆっくりと歩いていると、正面突き当りの壁が見え始めたかと思うと――
「あ、あれっ? か、壁が……消えたっ!?」
「飛んだようですね。
シェイラには何が起こったのか、まるで理解できていなかった。
後ろを振り向けば、むき出しの岩肌が退路を断っている。
「こ、これが、
「ええ、空間を捻じ曲げて移動させるタイプと、空間と空間を繋げている――言わば、通路のタイプがあるのです。
今のは通路のタイプで、迷宮でも中層辺りからチラホラ出てきますね。周囲のそれを気にせずにいると、迷子になり、モンスターの餌になってしまいますよ」
あまりに自然に場所が移り、驚きを隠せないようだ。
かつてテアが唱えた魔法や、“金獅子”を得た遺跡での
今はテアの、白灯の魔法があるため、それに気づけたものの……これがもし、ランタンの燈火程度の明かりであれば、気づいていたかどうか危ういものだ。
一本道のそれを、ただひたすら歩き、背後が閉ざされてから初めて、“飛んだ”と分かった。
「――同じ道のりの繰り返し、か?」
ベルグは怪訝な顔を浮かべながら、そう呟いた。
「真っ直ぐのそれを三回だけ、のようだな」
“タブレット”で地図を確認したカートの言葉に、ベルグは『そうか』と、背を向け再び歩み出した。
その時、カートはふとその背中に目を向け、“タブレット”に映し出された地図を、交互に見比べている。
《ワーウルフ》は、身体的特徴を名にする――“スリーライン”と名の元になった、背中の三本線と、“目的地”への道は全く同じだった。
しかし、ただの三本線が並んでいるだけだ。カートは『ただの偶然だろう』と考えるも、“裁きを下す者”は神の遣い――ここに入るための“資格”が、それである可能性も、どこか否定できないでいる。
・
・
・
カートが“タブレット”で見た通り、三回
「な、何だここは――」
「綺麗……だけど、不気味……」
そこに居る全員が口を開いたまま、茫然とその場で突っ立っている。
奇妙な場所であった。まるで、迷宮の壁を全て研磨したかのような、何の汚れもない、白く真っ平らな石壁の間が広がっていたのだ。
白い大理石のような壁のせいか、テアの白灯りの魔法がなくとも、昼間のように明るかった。
「出口は……ありませんね。魔法は使えるようですが。私がここに残りましょうか?」
「うむ、そうだな……地図関係は、カートの“タブレット”があるし。
モンスターの気配は無さそうだが、万が一に備え、ポータルとなってくれるか?」
「心得ました」
そっと瞼を閉じ、微笑みながら小さく頷いた。
それを見たカートは、傍らに立っていたローズに目を向ける。
「ローズ、お前はどうする?」
「アタシはこんな場所見た事もないし、同行して調査するよ。
こんな機会は滅多に無いんだし」
シェイラには、何のことか分かっていなかった。
誰も踏み入れた事のないような迷宮を調査する場合、非常時のレスキューと、休憩所を展開するのにメンバーを置いて行く事がある。
レオノーラよりその説明を受けたシェイラは、納得したように大きく頷いた。
これを行う場合、大体は転移の魔法が唱えられる
だが、テアは並の
ベルグ達は、見方によっては宮殿のような迷宮を、慎重に、警戒を最大にして進んで行く。
ローズは、興奮気味にふんふんを鼻を鳴らし、メモを取る手がひっきりなしに動いている。
石ころ一つでもあれば……とボヤくほど、そこにはゴミどころか、塵一つのない道のりであった。
分岐も何もない一本道を、慎重に進んで行くと――。
「こんな所に彫像か……」
「胸糞悪くなる像だ」
「あ、あはは……」
苦笑いするシェイラにも見覚えがある像――胸像ではあるが、“裁きの間”にあったそれと全く同じ像が、そこに鎮座していたのだ。
十五メートル四方ほどの“間”に、ポツン……と、それだけが設置されている。
{お帰りなさいませ}
{鍵がありません――鍵を所定の位置にお戻し下さい}
ベルグが持つ、“三枚のメダル”の事だと分かった。
胸像の額には、コインの投入口のような縦穴が設けられており、そこに投入すれば良いようだ。
ベルグはホルダーからそれを取り出すと、チャリン……チャリン……と、一枚ずつそれを投入していった。
{認証中――認証中――}
{ガ……ガガッ……}
{* Error *}
{“魂のメダル”の破損を確認――奥の機械で鍵の再発行をお願いします}
{資格を確認――“試練の間”を開きます}
ペッと、口から吐き出された“メダル”は、チャリン……と音を立てて床に転げ落ちた。
「な、何だと……?」
「再発行、できるんだ……」
「じゃあこれ、持って行っていいのか? へへっ、いい記念メダルになったぜ」
「アンタの“先代”はそれで、扉を締めっぱなしにしたんでしょうが……」
ローズは呆れた表情をカートに向けた。
その“審理者”によって、“断罪者”の魂をメダルに憑依させたのが原因だろう――。
破損していた事にも驚きであったが、再発行できる事に誰もが驚きの顔を見せる。
「奥の……? おお、ベルグ殿っ! 突き当たりにも似たような像が見えます!」
「ふむ――」
レオノーラが指差した先、一本道の向こうに、同じような“間”と像が設置されているのが見えた。
ただ先ほどとは違うのは、そこから続く通路がない事だ。壁の四か所にシャッターが下りているため、そのどれかが先に進む通路に繋がっているのだろう。
{再発行するには、“魂のメダル”を入れてください}
ベルグはそれに妙な胸騒ぎを覚えたが、先に進めぬのなら再発行を行うしかない。
先ほどと同じく、額の投入口に“魂のメダル”を投入すると――
{認証中――認証中――}
{メダルの破損を確認――新たに発行します}
{媒体……OK……魂……OK……}
{試練――“使命”の証明をお願いします}
どこか遠くでガコンッ――と音が響く。
来た通路に壁が降り、代わりに先に進む通路と
そこより、《コボルド》・《オーク》・《トロール》・《ゾンビ》と言った、バリエーション豊かなモンスターの影が差すのが見えている。
それを見たカートは、思わず声を漏らした。
「マジかよ……」
「こんな所で、時間を喰っている暇はないと言うのに――」
ベルグが背に抱えた斧を取り出したのを見て、カートは“タブレット”を取り出した。
それは“抑止力”であれば、己の使命は悪の蔓延、正義の暴走を“抑える”事にあるのだろう、と。
「おい、犬っころ」
「何だ?」
「ほれっ、これ持っていけ。一本道くせェし、ナビは必要なさそうだからよ」
「な!? そ、そんな事はできんッ!」
「そ、そうですよッ! これまでみたいに皆でやれば――」
「ここは、犬っころとシェイラが必要になる。
時間がねェんなら、お前らだけでも先に……いや、レオノーラ、ローズも行け」
「何を言うか! 生徒を……生徒を置いて行けるか!」
「そうよ! アンタ一人で何が出来るのよ!」
「へッ、“兵隊”なくてもやれる事を証明してやんよ――」
各所入口より、モンスターが姿を現した。
カートは振り返らず、腰に携えたダガーとショートソードを抜きながら、一歩前に躍り出る。
悪人の意地に、ベルグは『すぐに戻る――』と応え、抗議の目を向ける者を引きつれるように通路の奥へと駆けた。
他の皆も目をぎゅっと瞑り、それを追いかけたが、最後まで躊躇しローズは『バカッ』とだけ言い残して先を急ぐ。
全員が進んだのを見届けたカートは、不敵な笑みを浮かべながら、頭を返す。
「さて、ここから先は“悪の道”――半端モンはご遠慮願いますよ」
一歩ずつ歩み寄って来るモンスターに、ギラリと光る刃を向けた。
◆ ◆ ◆
“タブレット”を小脇に抱え、ベルグは駆けていた。
大急ぎで“メダル”の再発行を終え、大急ぎで戻る――後ろ髪を引かれる思いを晴らすには、それしかない。
誰もが同じ思いだった。後を追いかけるシェイラとレオノーラ、そしてローズであったが、ふいに足を緩めた者がいた。
「お姉ちゃん……」
「構わん、行ってこい――」
レオノーラは優しい声で、肩で息をするローズにそう告げた。
「で、でもっ……」
「私は、ベルグ殿の“守護者”だから、共に行く義務がある。
しかし、お前にはこれと言った義務がない。
バルティアの家は私一人で安泰だろうし、お前はお前の“道”を歩めばいい」
「お姉ちゃん――」
「だが……これだけは約束しろ。必ず、無事で帰って来ると」
「それは大丈夫。私だって一応、お姉ちゃんと同じ、バルディアの女なのよ――」
ローズは『最後まで勝手でごめんね』と小さく呟き、来た道を引き返した。
妹の姿が見えなくなるまで、その背を見送っていた姉は、そっと目元を拭い、力強く振り返った。
「――いいのか?」
「構いません。あの子はプランターよりも、外で咲く方が鮮やかですから」
ベルグは『確かに野生の薔薇の方が恐ろしい』とワフワフと笑うと、姉は満面の笑みを浮かべていた。
◆ ◆ ◆
その頃、カートは多勢に無勢であるものの、獅子奮迅の働きを見せている。
《オーク》のこん棒をヒラリと躱すと、その身を捻って剣で左から右に切り払う。
その隙に飛びかかって来た《コボルド》の短刀を短刀でいなし、空中でよろけたそれに袈裟切りにする――。
一体倒せばまた一体……と、ひっきりなしにやって来るが、これだけ多数を相手にしていても、『レオノーラ一人相手にする方が辛い』と思えるほど余裕があった。
だが、一人の人間が一度に相手に出来るのは、三人が限界と言う。
犬や豚、ゾンビを斬り伏せたものの、四体目の《トロール》に気づいた時には、もう遅かった。
既に大きく振りかぶっており、カートが骨の一本を覚悟した時――
ゴスッ……と鈍い音が鳴り、《トロール》は、その姿のまま石畳に突っ伏した。
その倒れた巨体からは、薄紫の髪の色をしたドレスローブを着た女――
「これが試験だったら落第よ、落第」
「な、何しに来たんだよッ! 手助けなんていらねェよ!」
「そ、そんなんじゃないわよ……」
「じゃあ何だよ?」
「そ、そう……えー、っと、そうあれ!
財布落としちゃったのよ! アンタも探しなさいよ!」
「……ハァ? こんな状態で探せるかよ」
「じゃ、じゃあさっさと片付けるわよ!」
素直じゃないローズに、カートは思わず笑みを浮かべている。
敵の死体はすぐに消えるため、死にぞこないかそうでないかの判断がすぐに付き、カートは倒れた《オーク》に剣を突き入れた。
ローズもバルディアの人間であって、並みの
手にしたメイスで《ゾンビ》の左顎を吹き飛ばし、一回転しながら《コボルド》の胸骨を叩き潰す。
「ヒュー、やるねェ」
「あ、あんたもっ、もっと戦いなさいよっ!」
「最初から飛ばしてたら持たねェぞ?
モンスター配備がどこまであるか分からねェんだしよ」
「ったく、貧乏くじ引いた気分よ」
「ヘヘッ、勝手にやって来て貧乏くじたァ、言ってくれるね。
――この道は茨の道だ、引き返すなら今だぜ?」
「ふふっ、薔薇より鋭い茨が他にありまして?」
「おー、おー、おっかねェの――」
カートは、新たな“組織”立ち上げの際、シンボルマークを“ドクロとバラ”もいいな、と思いついた。