バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

3.敷かれたレール

 テアの来訪から数日、コッパーの町は慌ただしかった。
 彼女が持ってきた“断罪者”の日記――そこに書かれていた文字は、各々の吠え方によって表現が異なる、ワーウルフ語と言っても過言ではない。
 それはつまり……解読に携わったローズがブチギレるほどの、ただ意味のない文字の羅列しただけとなっていた。

「同じ“BOW-WOW”でも、その時代・その者の発音によって意味が違うんだ……」

 ベルグは、宿屋外にある雑草が揺れるのをじっと見ながら、そう呟いた。
 それを見たローズは、呆れを通り越したような表情で、ワナワナと震え始め、

「ただの犬の吠え声集じゃないのッ!
 逃避してないで、さっさと解読しなさいよッ! 学科で落第させるわよッ!」
「ろ、ローズッ、ベルグ殿に向かって何て事を――!」

 頼みの綱となっていたそれが、思った以上に役に立たなかったのだから当然だろう。
 大半の《ワーウルフ》は、識字こそ出来るものの、書く方は全くダメなのである。

「とりあえず、目的の文章があるとすれば――人間に代替わりした前後のはずだな」
「あら、読めるのですか?」
「ある程度……は、な。大まかな場所さえ分かれば、後はエルフの頭でっかちな脳みそで、照合できるんだろう?」
「ええ、まぁ、それだけが取り柄ですしね」
「後はカートの情報を頼りにしよう――」

 ふぅ……と息を吐きながら、テアは用意された紅茶を啜っている。
 テア側でもある程度の()()()はついているものの、今度ばかりは確証がないようだ。
 しらみつぶしに回るとしても時間が足りないため、ここは同じ《ワーウルフ》による解読と、別方向から調べている、カートの情報が頼りでしかなった。


 ◆ ◆ ◆


 その“タブレット”を持ったカートは、朝から訓練場の図書館に足を運んでいた。
 差し込む光の中でホコリがチラチラと舞い、カビ臭ささに満ちた部屋は嫌いではない。
 しかし、普段から本を読む習慣がないため、本がズラりと並んでいるのを見るだけで、眩暈(めまい)と眠気が襲うほどであったが、それをぐっと堪えながら、ここコッパ―の訓練場の年史を探していた。
 前・“裁断者”である〔エルマ・フィール〕は、蘇芳(すおう)色のローブを着ていた――。
 カートはこの訓練場にやって来た頃、その格好をした女を見たのを思い出したのでる。

「確かその時……お、これか?」

 百年単位でまとめた年史三冊――。
 蘇芳のローブを着た女と見かけた時、この中で特別古い一冊が落ちていた。
 落とした際に、開かれていた五十年目のページをカートは開く。
 その年のコッパ―の訓練場は、今の閑古鳥が鳴く建物からは全く想像できないほど賑わっていたようだ。キャンセル待ちが出るほど、冒険者が集う訓練場であったようだが、過去より現在であるカートにとって、そのような歴史なぞには全く興味がない。

「お、あったあった。
 なになに……エルマ、ジャス、ランバーの三人組は、その中でも最も優秀な成績を残し、訓練場でも人気のパーティーであった?
 模範生としても取り上げられたほどであるが、彼女らはたった一度ルールを破った事がある。
 夏季休暇にこっそりと遺跡の探索を行い、得体の知れない三つの道具を持ちだしたことがあり――場所は……な、何だと!?」

 その場所の記述に、カートは我が目を疑ってしまった。
 ここより目と鼻の先の場所、東に半日もかからないような【ドラーズ森】の洞窟が遺跡に繋がっていた、と記されていたためである。


 ◆ ◆ ◆


 カートが持ち帰った情報は、ベルグがピックアップした場所と、テアが用意していた場所――その全てが一致していた。

「ドラーズ森……何であんな所に?」
「恐らく“資格がある者”だけが通れる、転移陣(テレポーター)があり、そこが始点となっているのでしょう」

 首を傾げっぱなしのベルグに、テアは紅茶を啜りながらそう答えた。

「歴史にゃ興味ねェが……ま、たまには過去を振り返るのもいいもんだな」
「あら、歴史に興味をもったなら色々教えてあげるわよ? 温故知新も大事だからね」

 ローズの言葉に、カートはゲンナリした表情を浮かべた。
 “タブレット”を見るのは問題ないのだが、年史を開くだけで頭痛を覚えたほどなのである。

「それで、出発はいつ頃に?」
「他の様子からして、あまり悠長にしている時間は無いでしょう。
 準備が出来次第すぐに……明日にでも発つべきです」

 我々にも時間がなく、事態は急を要する――テアの深刻な表情に静かに頷き、全員は明日の出発を心に決めた。
 実はまだ数か月の猶予があるものの、エルフにも都合がある上、彼女らの敏感な肌にはこの暑さは酷で、早急にどうにかして欲しかっただけである。

「それにしても――《ワーウルフ》が、ここまでアホだとは思いもよりませんでした」
「……俺は、ちゃんと正そうとしているのだぞ?」

 記録として機能していない記録方法に、中々表情を崩さないテアですら、呆れと落胆の表情を浮かべるほどだった。

「それもこれも、親父がパワー系の方針を取り、学問をおざなりにしたのが原因なのだ。
 もっと早くにやっていれば、今頃は学問所の設立を行い、子の初等教育が充実させられたと言うのに。俺の代では、それが出来ぬではないか……。はぁ……」

 親子喧嘩になる原因は、主にここにある。
 獣人とてそれなりの“学”が無ければ、人間に利用される未来しかないとベルグは考え、父親の方針を改めようとしていた所に、『力が全て、学門なぞ不要』と、父親が横から口を出して来たのだ。
 そんな父親を躊躇いなくブチのめすため、今は父親に“長”の座を任せている。
 だがそれは形だけであり、群れの九割九分九厘……父親以外は、ベルグの方針に従っているようだ。

 ・
 ・
 ・

 部屋に戻ってから、シェイラは無性に焦燥感に駆られてしまっていた。
 ベッドの上にゴロン……と転がって、見慣れた板張りの天井を見上げる。

(スリーラインもちゃんと……将来の事を考えてるんだ……)

 本人の目標ではないが、将来を考えている――。
 自由気ままに動いているだけかと思っていたため、その衝撃はより大きなものであった。
 この最後の“役目”を終えれば、後は卒業を待つだけ……シェイラにも漠然とした“将来の考え”はあるものの、ベルグほど明確なものではない。

(――でも、ゆくゆくは一緒に行動する事に、なるんだよね?)

 シェイラは“裁断者”でもあり、“妻”でもある。
 そう遠くない未来、子供も――と思うと、火が吹き出そうなぐらい顔を赤らめてしまう。
 それだけでも選択肢が大幅に減るため、シェイラはあまり深く考える必要がないのだが、

「ずっと腰巾着のまま、と言うのも……」

 面白くない、と呟いた。
 ベルグも“役目”のせいで、シェイラの“自由”が制限されてしまう事を(うれ)いでいる。
 ならば、少しだけでも、やりたかった事をさせてもらっても良いのではないか? と彼女は考えると、
 
「よ、よしっ!」

 思い立ったら吉日――と言わんばかりに、ガバッとベッドから跳ね起き、メモ帳に『やりたい事』を書き連ね始めた。

しおり