2.来訪
盛大な親子喧嘩を勝利で治めたベルグであったものの、その余韻に浸る間はなかった。
父親に勝利した直後、そこに駆けつけた“裁断者”に、怒られていたのである。
「どうしてあんな事するのッ!」
「どうしてって、そこに商品棚を置いてあったのが悪い――」
「人のせいにしないのッ!」
ベルグは、ブシッ――と不満げに鼻を鳴らした。
「拗ねないのッ!」
不可抗力なのに、とシェイラの説教に納得がいかないベルグは、キュゥゥ……と寂し気な声をあげるしかなかった。
勝利したのは良かったものの、父親を殴り飛ばした先が悪かった。
商店の軒先――食料品が置かれている商品棚をひっくり返し、盛大にぶちまけ台無しにしてしまったのである。父親の真っ黒な毛は、棚にあった小麦粉に真っ白になっていた。
シェイラは食べ物を無駄にしたり、粗末にする事を嫌う――彼女の不安と心配は、怒りへと姿を変え、食べ物を粗末にした“
いくら借金生活から解放されたとは言え、その生活によって染みついた習慣は、そう容易く治らないようだ。
「結局、一番力があるのは“裁断者”って事か……」
「お姉ちゃんは、あんな風に怒れる?」
「うっ……で、でき……ないかもしれん」
これは、シェイラだからこそ出来る事だった。
普段のベルグなら、母親に叱られても耳をほじるぐらいの態度なのだが、幼い頃から“姉”であったシェイラには、全く頭が上がらないようだ。
――結局、宿屋の女将が用意してくれた、労いのご馳走に手を付けられたのは、それから一時間以上経過してからの事であった。
獣、武家、悪党のそれぞれのトップが今、辺鄙な田舎町の宿屋・食堂に集う……。
いくら『宿屋が自分の城』と豪語する女将であっても、これには始終恐縮しっぱなしであった。
それとは全く知らなかったので、料理もそれらの次世代を担う子達に合わせて作っていたのだが――
「はっはー! うめぇなぁこれっ、お嬢さんっウチの店に来ねぇかっ?」
「いっ、いえそんな勿体ない――」
「確かにこれは美味い――うむ、これも……」
と、恰幅のよいカートの父親が言うと、それに合わせてレオノーラの父親も唸りをあげる。
二方とも壮年を過ぎているものの、食の衰えを見せない様子であった。
それに対し、獣頭のベルグの父親は、しょんぼりと獣の口に運んでゆく。
「美味いはずなのだが……どうしてだ、血の味しかない」
「それは自業自得の味だ」
獣化していた方が楽と言うが、息子に負け、腫らした顔を見せたくない口実であった。
誰もが女将の料理を口々に評価しており、作りすぎて余るのではと思えるほどの料理は、全て平らげるどころか、追加で作らねばならぬほどであった。
陽がどっぷりと暮れた頃には、飯も酒も十分に堪能し、父親たちはそれぞれ用意された部屋に戻っていた。
それによって、いつものメンバーもようやく人心地つくことが出来たようだ。
「――ったく、オヤジの食が細くなっているって何だよ……バカバカ食ってたじゃねェか。ありゃしばらく、くたばらねェな」
「す、凄い食べてたね……」
恰幅の良い見た目の通り、父親の中で一番食べたのはカートの父であった。
誰よりも多く食べたのはベルグであるが、怪訝な顔をしたまま首を傾げていた。
「各々の親が尋ねて来るとはな……しかし、我々に用があったらしいが、何だったのだ?」
「お前ら親子が、早々にドツき合うからだろうがッ! 何だよお前ら!」
「あれは親父が悪い」
「スリーラインも悪いのっ!」
「む、うぅむ……」
「ブラック・ブラッド様は恐ろしい方、と存じていましたが……まさかあそこまでとは……。
それに、あのような事を毎度やっていれば、ベルグ殿もいつか大けがを負ってしまうのではと、心配になってしまいます……」
「そうか? 挨拶のような物であるし、あの程度は屁でもないと思うが」
「どう言う親子なのよ、ホント……」
ベルグが負け知らずである事を伝えると、皆が口をあんぐりと開けて、呆然とした表情を向けていた。
皆のその反応に、ベルグは『おかしな事を言ったか?』と小首を傾げ、手にしたビールを一杯あおった。
それに合わせるように、皆も注がれたビールや酒、エール酒などを傾ける。
僅かながらであるが、シェイラにも酒が入り頬を桜色に染め始めている。
その顔で、女将に話す彼女の陽気な冒険話は、もう
――スポイラーの借金と報復
――“審理者”を含めた、“ワルツ”の撲滅
――そして、村の奪還
己の力で達成できたのはごく一部であるが、喜び、悲しみを織り交ぜながら楽し気に話す。
それは、彼女を縛るものから解放された喜びが、内からあふれ出している証拠でもあった。
残るは“裁きを下す者”としての“役目”、最後の一仕事を終えるだけとなっている。
だが、ベルグにとってはそれが最大の問題でもあった。
(その場所は、一体どこにあるのだ……?)
三つの道具で “均衡”を示せと言われても、場所が分からないままなのである。
前・“裁断者”の、エルマ・フィールが己の魂を犠牲にして、これまでの“均衡”を保ってきた。
だが、“ウルフバスター”との戦いにて、エルマはその魂を使ってしまった事で事態は急を要する事だろう――。
この、フォルニア国にいる限りでは分からないのだが、エスト・ポートにて聞いた話では、国外では異常気象を通り越し、各所で大規模な災害まで起っているようだ。
彼女自身の消滅、もしくはその魂が大幅に弱まったと見て、間違いはないだろう。
残された時間がどれだけあるかも分からない中、時間だけが過ぎ、焦りだけが募って行く。
それが、喉を通る酒の量と勢いを増し、滅多に酔わぬ獣を酔わせてしまっていた。
◆ ◆ ◆
彼らが酒宴を広げている一方で――。
煌々と照っている月の明かりすら指し込まぬ、町に続く深い森の道を一人の女が歩いていた。
その森には、まだ多くの《グール》が徘徊している。シェイラやレオノーラも、時おり討伐しているものの、手が足りていないのが現状だった。
訓練場で訓練を受けた若者も、実力試しにとこっそり討伐しているものの、一体や二体倒した所で、全体の数が大きく変わる事はない。
そんな《グール》にも好みがあるのか、男の侵入者の時よりも圧倒的に多くのそれが、エメラルドのような美しい緑髪から覗く、尖り耳の女に次々と群がってゆく。
「――――」
女の口がボソボソと動くと、サラサラと草木を撫でていた風が、強烈な真空の刃を纏った嵐となり、周囲を取り囲んだ《グール》の朽ちた身体を肉片へと変えた。
何体いたのか不明であるが、女にとってはそんなのは知った事ではない。
ここに来るまでにも、石に、消し炭に、灰に……と、多くの《グール》を駆除し続けてきた。
――ああ、生きた人間もいたか
と、女は思い出した。
女の独り歩き、ましてやその美しい容貌と、
彼らの末路は、想像に容易い。死体の処理をしていないが、一人や二人、《グール》の仲間入りした所で問題はないか、と女は呑気に森の道を歩いて行く。
同時に、馬車を手配すれば良かったと少し後悔もしている。
――もしかしたら、運動不足……?
思っていた以上にペースが遠い。ようやく町のすぐ近くまでやって来た時には、想定していた時間よりもかなりの時間が経過していたようだ。
思えば、ここ三十年ほど、宿屋と母親が営む地下遊技場を行き来するだけなので、身体が鈍るのは当然か……と、どこかで少し身体を動かそうか、と女は真剣に考えていた。
◆ ◆ ◆
コッパーの宿屋に居る者たちは、そんな珍しい客が来ていることなぞつゆ知らず、それぞれ片づけに追われていた。
……とは言っても、食堂にいるのはシェイラとレオノーラだけである。
ローズとカートは、各々の父親の部屋に足を運んでおり、ベルグは珍しく酔いつぶれ、今は部屋で大いびきをかいている。
「酔ったベルグ殿を、私は初めて見た……。あのような方だとは……」
「私も初めてです……あんなにご機嫌になるとは、思いもしませんでした」
焦りが獣を酔わせ、人前にも関わらずシェイラやレオノーラに甘えにゆく。
二人は、甘えん坊な姿を知っているが、人前でするとは想像にもできなかった。
また、それを知らないカートやローズは、グラス持つ手を思わず止めてしまったほどである。
「――で、レオノーラさんは、いつもあんな事を?」
「うっ!? ま、まぁその……ほぼ毎回……」
レオノーラの部屋で、ベルグはよく一緒に酒を飲んでいる。
膝の上に座らせ抱き寄せ、口元を舐めたりしているのだが、酔ったベルグは皆の前でそれをしたのだ。
シェイラは僅かながらに眉を浮かせ、嫉妬と羨望が入り混じった表情をしていた時――宿屋の入り口に、来訪者の影が差し込んだ事に気付いた。
「――あら、期待していたことが起こってないようですね……残念です」
「てて、テアさんっ!?」
「む、テア殿。お久しぶりです。その節は――」
「ええ、聞き及んでいますよ。あの“下着”がとても役立ったと」
「えっ、あ、はっはい……。あれが無かったら、今頃はどうなっていたか……」
「その……私にはあまり効果がなく、『お前もか』と呆れられてしまったのだが……」
レオノーラは『思わぬ恥をかいた』と、がくりと頭を垂れた。
基本的に、ベルグには女の好みがなく、“惚れたらそれが理想の女”なのである。
ベルグに『着ても着なくても差がない。俺は“レオノーラ”がいいのだ』と言われ、結果オーライとなったのが、彼女にとって唯一の救いだった。
「――母も大喜びでしたよ。おかげで、私にも着ろ着ろと鬱陶しくてかないません」
「……そう言えば、どうしてテアさんは、お母さんの作った服を着ないんですか?」
「例の下着が原因なのですよ、はい」
「し、下着が?」
「その日、デートしていた女は、ローブの下に何も着ていませんでした。
――とか、やる気満々の変態か、痴女としか思われないじゃないですか」
「……」
母より何も聞かされていなかったテアは、それが原因で男にフラれた――と言う。
それに、下着の上に下着を着ることのムダさと、男の前でそれ脱ぐ時の空しさを考えれば、普通にセクシーランジェリーを身につけ、アピールした方が良い、と続けた。
シェイラとレオノーラも、これには大きく頷いた。
「それで、こんな遅くに一体……?」
「近いだろう、と思っていたらこんなク……ド田舎とは、想像も出来なくてですね。
《ワーウルフ》の“長”より、預かっていた本を、わざわざ突き返しに来た所なのですよ」
「は、話が全く分からないのですが……」
「数日前の事です。どこぞの礼儀知らずの“長”が、デカい態度でやって来たのですよ。
三つの道具が全て揃ったので、『この本に記されている場所を調べろ』と、超上から目線の依頼を出しに。ええ。
で、本を開いてすぐに《ワーウルフ》のアホさっぷりに、頭を抱えましてね……」
ベルグの父親が、シェイラの村を奪還したのには、大きく二つの理由があった。
一つは普通に村を取り戻す事、もう一つは群れを追われる前――元の住処に隠した、“断罪者の記録”を回収する事である。
それは、“断罪者”の日記のようなもので、一時的に人間の手に渡った時期を除いた、全ての記録がそこに遺されているのだ。
だが、テアの細く長い指が、本をそっと開くと――二人は口を開いたまま、言葉を失ってしまった。
「……」
「……」
「いくら賢いエルフでも、こんなの解読しろと言うのが無理なのですよ」
その文面を見たシェイラは、かつてベルグが言っていた事を、思いだしていた。
《ワーウルフ》は文字を書くとき、吠え声をそのまま書き記す――と。