2.荒廃都市・エンジェルロスト
フォルニア国の南端、沿岸沿いに位置する【エンジェル・ロスト】――。
本来は、“天使を見失う”ほど冒険者でごった返す街……と言われていたそこには、複数の迷宮が存在しており、
『迷宮に迷えば、とりあえずエンジェル・ロスト』
『冒険者はエンジェル・ロストで始まり、エンジェル・ロストで終わる』
と語られるほど、新米冒険者からベテラン冒険者まで、幅広く人が集う場所だった。
だが、今ではもう見る影もなく、かつての栄華を失った荒廃都市……その名の通り、“天使が去った”街となっていた。
その理由は諸説あるが、大きな要因としては、自然災害と人間同士の戦争の二つである。
これらの他にも様々な要因が重なり、今では犯罪者どころか、モンスターすらも寄りつかぬような地となっていた。
迷宮の多くは封じられているものの、小さな迷宮などは死体安置所代わりに使われていたため、今でも封じられないまま放置されている。
その中の一つが、今回の目的地【地下処刑場】であった。
テアから“審理者”の情報を聞いたベルグ達は、すぐにこの地へと向かっていた。
……とは言っても、それは容易い道のりではなかった。
酷暑により乾いた土が、急に飲みきれぬ程の水を与えられた――緩んだ地盤は、数を減らし弱った木の根の鎖を断ち切り、各地で大規模な地滑りを起こしたのである。
これはエンジェル・ロストに向かう陸路でも起こっており、道の殆どを寸断させてしまった。
崩れた“均衡”が、歪みを生じている、と当事者は漠然した不安と、身体のどこかに冷たい物を感じていた。
エンジェル・ロストは南端の沿岸沿いに位置する。
そのため、通れる陸路を探すより、海を渡った方が早い……と、バルティア家が手配してくれた船に乗って一直線に南下する事にしたのだが――
「ううっ……ちょっと、だけ、休憩させ……うぷっ……」
「あ、アタシもこれは危ない……シェイラ、これ嗅ぎなさい。落ち着くわ」
「は、はい……ん――」
シェイラは船から降りるなり、へたり……と、各所が腐り落ちたボロボロの桟橋の上で座り込んでしまった。
初めての船旅に、喜びと興奮を抑えきれないシェイラであったが、それもつかの間――うねる海に、船が上下左右に揉まれ、想像を絶する船酔いがシェイラを襲っていたのである。
ミントのような爽やかな香が、シェイラは多少の落ち着きはみせたものの、まだかなり顔色が悪い。
それを見たベルグは、赤みを帯びた海と空の境目を見やりながら、どこか疲れた様子で口を開いた。
「日暮れも近い――今日はここでキャンプし、地下処刑場に潜るのは明日にしよう」
「……そうですね。いくら新米冒険者向けの迷宮とは言え、奥に潜んでいるのはそれ向けではありませんし。
ここは時間がかかってでも、体調を万全に整えた方が良いでしょう。
そうだシェイラ、この機会なので野外でのキャンプの張り方を教えてやろう。まずは――」
「う、うぷっ……は、はい……」
乾いた流木から、燃えそうな物を集めるように指示をする教官――。
ローズは『体調を万全に、って言った矢先にコキ使ってどうすんの……』と、呆れたため息を吐いていた。
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キャンプと言えど、まあモンスター避けの結界石を使用するほどでもない。シェイラが集めて来た焚き木に火をつけ、それを囲うだけの簡単な物だった。
集め終えた頃にはどっぷりと陽が落ち、真っ暗闇の中で、赤い炎がパチパチと音を立てるのを眺めながら、各々が思い思いの作業を行っている。
シェイラは完全にバテてしまい、ベルグの股ぐらに身体を収め、まるで座椅子のように身を預けていた。
そのベルグは、シェイラの頭の上に顎を乗せ、それに彼女は手を伸ばしてその鼻先を掻く――。
幼い頃にも交互にやっていた事であり、ベルグやシェイラにとっては慣れた、最も落ち着く体勢だった。
「う、むう……羨まし……いや……」
「今回は、お姉ちゃんのせいだからね?」
「むう……」
確かにそうだが……と、ベルグの横に座るレオノーラは不満げに呟いた。
薪集めの後、シェイラは完全にヘバってしまった。その責任は自分にあるため、その阿吽の呼吸を見せつける“夫婦”の姿を見ながら、下あごを出しながらモソモソと携行食糧を齧るしかない。
そんな二人の“嫁”の姿に、カートもどこか楽しげに眺めていた。
立場ゆえ、彼には腹心の友なる者が居なかったのである。
「――しっかし、お前ら本当にそれで“天秤”の力出せんのか? やってることは普段とそう変わらねェじゃねェか」
「うむ、分からん」
「分からんって……ぶっつけ本番かよ」
「あ、あはは……多分、今後は私の“メダル”でいけるとは思うんだけど……」
シェイラは、 “裁断者のメダル”を取り出し、ゆらゆら揺らめく炎にそれを照らした。
羽の模様が刻まれたそれから、シェイラの全てが始まった。
この“メダル”を渡した者の名は、〔エルマ・フィール〕――かつて《サキュバス》が言っていた、姿を消した“裁断者”である。
そして彼女は、ベルグを助けるために最後の“裁断”の力を使ったと言う。
「けど……何でその人は、スリーラインの“メダル”も何も使わないで力出せたんだろ?」
「恐らくは、己の魂を代わりに使ったのではないか。
もしくは、元から“メダル”が不要なのか、そこに何者かの助力があったか……」
どちらにせよ、“裁断者”の魂だからこそ出来た力技だろう、とベルグは言う。
だがそれによって、“均衡”を保つための力が、大きく失われてしまったのは確か――その兆候が今、“災害”として各地で姿を現し始めている。
ベルグは、シェイラの華奢な身体ををぐっと抱き寄せ、改めて己に言い聞かせた。
(時間があまり残されていない)
――と。シェイラにはそんな事は知る由も無く……突然のそれに、炎で火照った頬に赤みが増すだけであった。