11.交差する線
頭を潰された死体の傍らで、裸の男と女が重なりあう光景は何とも異様だった。
それを目の当たりにしたレオノーラも、まず何から言えば良いのか、と
「ま、まぁ、今回の事は仕方ないが……とりあえず、ふ、服をだな……」
「へ……服? あ、あぁっ、そそ、そうだっ!?」
ベルクも今頃気づいたのかと、どこか呆れたような息を吐いた。
彼女本人からすれば、地味なグレーのビスチェとガードル姿であるため、“真っ裸”と言う実感がなかった。
シェイラはようやくそれを思い出し、近くにあった自分の衣類に手をやる。
“下着”と同様、 着ていた服にも飛び散った血痕が付着しており、冷静になった今では、あまり気持ちの良い物ではない。
「――服に関しては、私がどうにかしておこう。それに、こんな場所で真っ裸になっている娘と会えば、親は気を揉んでしまうからな」
「親……?」
レオノーラはそう言うと、部屋の外に居るであろう人物の場所に目を向けた。
下の階の、掃除道具入れの中に隠れていた――と言うが、あまりに多くの出来事が起こり過ぎたせいか、シェイラの頭はあまり働いていないようだ。
“親”と言うキーワードが、ぼんやりとしていた記憶に輪郭を与え、鮮明に姿を浮かび上がらせてゆく。
その姿に記憶は名を与えた。それは、スポイラーが人質としてここに連れて来ていた、人物の――。
ハッとした表情でそれに気づくと、シェイラは着替えもそこそこに、大急ぎで部屋から飛び出した。
「……お父さんっ!」
「シェイラ? シェイラか……っ!」
今度は《ドッペルゲンガー》ではない――。
シェイラは、本物の父親の温もりに再び大粒の涙を流し始めた。
抱きしめた父親の身体は痩せ細り、記憶の頃のような若々しい面影がない。
捕えられていたのもあるが、親とはこうも早く老いるのかと、心の中でどこか親不孝も感じていた。
娘の身体をしっかりと抱いていた父親は、部屋の中で腕を組み、二人をじっと見守っていた“狼頭”の男に目を向けると、
「シェイラ、そこに居るのはもしかして……」
「う、んっ、スリーラインだよっ! あの、小さかったスリーラインが、こんなに大っきくなっめ、私を……私たちを助けてくれたんだよっ!」
「お、おぉ……まさか、まさか君が……」
「――お久しぶりです、フラディオおじさん。
おじさんや、村の人に我々《ワーウルフ》を助けて頂いたと言うのに、皆の危機に気づかず、長く苦しい目を合わせてしまいました……」
ベルグは、ぐっと頭を深く下げた。
それを見たシェイラとフラディオは驚き、頭を上げてくれと言う。
「いいんだよ、いいんだよ……。
君がこうしてシェイラを助けてくれなかったら、娘は今頃どうなっていたか……。
スポイラーに奪われた娘さんたちを多く見て来たが、皆酷いものだった……。我が娘だけを願うのもだったが、そこは親――せめて娘だけでも無事に、と毎日祈っていた……。
その祈りは神に届き、君を遣わせてくれたのだろう……こちらこそ、こちらこそお礼を……っ」
「お父さん……スリーライン、私からも……本当にありがとうございますっ!」
父と娘、二人が逆にベルグに頭を下げた――。
今度はベルグが、二人に頭を上げろと言う。
双方同じことを繰り返し続け、埒が明かないとレオノーラは割って入った。
「――水を差して申し訳ないが、お父上殿は長い監禁生活で衰弱が見受けられます。うちの医療部隊も連れて来ておりますので、そこで手当てを受けて下さい。
シェイラも念のため、その手の傷などを含め、詳しく診てもらうのだ」
「は、はいっ」
「シェイラ、助けて貰って何なのだが……この方もお仲間なのか?」
「私が通っている訓練場の教官、レオノーラさんだよっ! それと、スリーラインの――」
「“正妻”でございます!」
「第なんたら夫人じゃないですかっ!?」
双方とも、“断罪者”の妻となる事は認めてはいるものの、順序や立場は頑なに認めないでいる。
何を言うかと、眉尻を上げたレオノーラに、負けじと目にぐっと力を込めるシェイラが睨み合う。
それを知らないシェイラの父親、フラディオは頭の上に、“?”を浮かべていた。
「うーむ……」
「……スリーライン、どうしたの? さっきから難しい顔してるけど……」
「この機会だし――よし決めたっ!」
ベルグは悩みを断ち切るかのように、その顔を明るく変えて、シェイラの父・フラディオと向き合った。
「フラディオおじさん、シェイラと結婚させて下さい!」
「あ、ああ、構わないが――って、なにっ!?」
「ちょ、ちょっとスリーラインッ!?」
「まぁ仕方ないが、うん……」
レオノーラは“審理者”の事と、ベルグが“裁量”に必要なメダルが欠け、“断罪”の力が使えない事をベルグから聞かされていた。
そんな事を知らないシェイラは、『まだ先の話なのに、今ここで言うの!?』と驚き、全員の事情を知らないフラディオからすれば、
「そうか、なるほど……もうそんな関係だったのか。だからここまで……」
「お、お父さんっ、その……事情は後で話すからっ!?」
「いや、いいんだ。命がけで娘を助けてもらい、しかも相手が、勝手知ったるスリーライン君だ……親としてノーとは言えん。
シェイラ、幸せにしてもらうんだぞ――」
「その前に私の話を聞いてぇっ!?」
医者に診てもらいに行くぞ、と嬉々として立ち去る父と、その父親を追いかける娘――。
その二人の背中を見送ったレオノーラは、不安げな表情でベルグを見上げた。
「……よろしいのですか?」
「うむ……後は、シェイラ自身の“選択”が必要になるが……。
今の俺は、“罰”を恐れる子供と同じ――シェイラを護ると言う理由のためだけに、“不自由”を強要し、かつ“今まで”を崩してしまう事になる。
正直に言えば、俺の“選択”が正しかったのかと不安のままだ……」
「――詳しい事情は私の方からお話しします。
あの子も大人ですし、ちゃんと考えた上で判断するでしょう。
もし、ベルグ殿の憂慮されている箇所が、少しでも窺えましたら、私の方からお知らせしたいと思います」
「分かった。何から何まで頼ってしまうが、よろしく頼みたい」
「ですが、その……」
「心配するな――」
ベルグは半ば強引にレオノーラを引き寄せ、その唇を奪った。
いつも突然なのでレオノーラは、毎回困惑の表情を見せるが、その口から伝わった“愛”に、つい顔を惚けさせてしまう。
「俺はどちらを愛し、どちらを蔑ろにするつもりはない。
確かに、“天秤”にかけられるようで、いい気はしないだろうが……」
「分かっております――少し、嫉妬しただけです」
レオノーラはそう言うと、そっと瞳を閉じ、顎を少しあげた。
初めて受け身ではなく、自ら口づけを求める“我儘”を見せたのである。
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その日の深夜、レオノーラからの話を聞いたシェイラは、神妙な面持ちでベルグの部屋をノックしていた。
レオノーラが調達してくれた服に着替え、髪や身体から、花の良い香りを漂わせている。
それに顔を綻ばせるシェイラをよそに、トビラを開き、それを一瞥したベルグは――
「チェンジ」
「だ、だからそれ何なのよっ!?」
その恰好は肩から胸元を大胆に露わにし、横には大きくスリットの入った黒いドレス姿――。
この街の娼婦が着るドレスであり、レオノーラは『ろくな服がなかった』とそれを持ってきたのである。
その事情を聞いたベルグは、
「何だ。町の雰囲気に飲まれて、また“商売女”の真似事病でも発症したのかと思った」
「あれはもうしないのっ!」
ふぅ、と安堵の息を吐いてシェイラを部屋に招いた。
外から見れば、娼婦が男の部屋に入った光景そのものだろう。
ビュート湖での痴態は、シェイラにとって思い出しなくない出来事であるものの、その日のために《サキュバス》と“訓練”した仕草などは、まるで無駄ではなかった。
スポイラーの眼前に立った時も、彼女は“女”を演じ、油断を誘えたのだ。
じっと部屋を見渡すと、レオノーラから聞いていた通り、小さいテーブルの上には毛生え薬のような瓶と、胃薬が目に映った。
「……その、本当にゴメンね。レオノーラさんから聞いたけど、本気でハゲそうだって……」
「シェイラが危ない事するたびに、抜け毛が増える――。
周りから過保護だ、心配し過ぎだと言われるが……シェイラは、他の女と違って“特別”なのだ」
「え、う、うん……」
“特別”との言葉の意味は分かっていても、その胸がドキリと高鳴ってしまう。
例え“姉”の事であろうと、“裁断者”の事であろうと、自分をそこまで特別視してくれていると思うと、身体にどこか熱を帯びて来るのが分かった。
橙に灯るカンテラの明かりで分からないが、その白い肌に朱色が差し始めている。
レオノーラが部屋に来る少し前、シェイラは親子水入らずで過ごしていた。
だが、その積もる親子の会話も、自然と“娘の結婚話”に行ってしまう。
父親は深くまでは知らないが、ベルグ親子が“断罪者”である事は知っている。
シェイラは、それと同じ“裁きを下す者”の一員となり、大きな使命を負っている事も全て正直に打ち明けた。
父親はその話の大きさに、信じがたい様子であったが、
『なおのこと、スリーライン君の傍に居てやるべきだ――』
と、シェイラとの結婚を許し、後押したのである。
そこにレオノーラがやって来て、もう一人の“裁きを下す者”が敵であることを聞き、シェイラも決心を固めた。
が、それがいざ目の前にやって来たと思うと、顔からつま先まで、全身に熱を帯びてしまう。
期待しているわけではないが、“女”の自分がそこに居るのが分かった。
「ふぁ、あぁぁ……ま、シェイラも無事で良かった――」
「え、ね、寝るの……?」
「む? 昨日今日とあまり眠れていないのでな、安心したら眠くなって来た」
「そっ、そう……じゃあ私は……」
「添い寝」
「へ?」
「いつもみたいに添い寝して――」
それだけ言うと、ベルグはベッドの中に入った。
そんな“弟”の姿を見たシェイラは、
(甘えん坊なところは残っているんだ――)
と、どこか懐かしい姿と、“姉”と頼ってくれた事が嬉しくなった。
ベルグも、シェイラの前では“弟”に戻ってしまう。
これまでの様に一つ同じベッドの中に入ると、ギシリ……と大きく軋む音が、部屋に響いた。
(小さい頃は、こんな大きな音は鳴らなかったのにな……)
大人になっても、何度か同じベッドの中で眠り、似たような音を立ててきた。
しかし、今日だけは一段とそれを意識させられてしまう。
二人はもう大人なのだ……と。
「……で、攫われた後、どうやってスポイラーと《ドッペルゲンガー》をやっつけたんだ?」
「え、あー……どこから話すべきかな……宿にお父さんに化けた《ドッペルゲンガー》が部屋を訪ねて来てね――」
シェイラは、これまでの経緯をベルグに話した。
偽の“父親”は、シェイラの事を『“裁断者”』と呼んだ事で、偽物だと見抜いたと言う。
ベルグは状況が状況だっただけに、見切り発車した事を咎められない。
なので『褒められたものではないが……』と、微妙なな表情を見せただけで、特に怒る事もせずに結果オーライで済ませる事にしたようだ。
「しかし、《ドッペルゲンガー》討伐は褒めても良いぞ、よしよし」
「も、もうっ! 子ども扱いしないでっ!」
ベルグはワフワフと笑いながら、シェイラの頭を撫でた。
シェイラは子ども扱いされた上に、“姉”の威厳など皆無なそれに頬を膨らませている。
だが、いくら“弟”だと思っても、ベルグは“男”である――。
結婚を意識した時、“姉”ではない “女”の自分を知った。
「でもさ、本当に結婚……す、するの?」
「レオノーラとか?」
「え、あ、そ、そうっ、うん……」
「はっはっは、冗談だ。
もちろん、レオノーラともするが……シェイラともする」
「え、あ……も、もうっ……」
「だが、未だに迷っているのも事実だ――」
ベルグは、思っている事を全て打ち明けた。
“役目”によって、シェイラの“自由”が大きく奪われてしまう事――それは“冒険者”としての自由だけでなく、“女”としての自由まで奪ってしまう、と。
いつかは惚れた男が現れ、その者と結ばれたいと願う夢……。
これまで辛い境遇を耐えて来たのに――と。目の前の“姉”には、何でも隠さず話せた。
「俺や“役目”の都合だけで――」
「もういいの」
ベルグの口を閉ざすように、シェイラはそっと唇を合わせた。
真っ暗な中でも、シェイラの顔が真っ赤になっているのが分かる。
「わ、私だって“選択”したんだもん……。
それに、スリーラインはこれまで自由気ままだったんでしょ?
なら、その横について行く私も“自由気まま”じゃない」
「む、むぅ……」
「それに……約束したじゃない……」
「約束?」
「――『おっきくなったら、スリーラインのおよめさんになってあげる』って……」
「……したっけ?」
「したのっ!」
もうっ、と言いながらベルグの身体に身を預けた。
真っ暗な闇の中に溶けるような、黒色のドレスをそっと剥ぎ取り、身につけていた真新しい下着も脱がした――。
獣の目には、娼婦の真似事ではない、大人になった“姉”の姿が目に映っている。
「紛い物ではない――な」
「え?」
「いや、あのエルフの下着姿も、今のその姿もあまり変わっていないと思ってな……」
「も、もう……ばかっ……」
それは、シェイラの身体が、ベルグにとっての理想の身体をしていると言う事――。
あまりの恥ずかしい言葉に目をぎゅっと瞑り、まるで呪われたように身体をガチガチに硬くしている。
ゆっくりと解きほぐすように、口内から首筋、丘陵からその頂――ゆっくりと獣の舌と吐息が、女を解呪してゆく。
どっ……どっ……と、早い鼓動はどちらの物か分からない。
呪いが解かれた女の身は、生命と熱を帯び、艶めかしい吐息と仕草を呼び起こす。
それは、“訓練”だけでは絶対に得ることの出来ない、“ナマの女”であった。
特に丘陵の頂からの刺激は、もう一人の“シェイラ”をまでも呼び起こし、目の前の“オス”を求め始めている。
少したるみのある腹を撫でた獣の手が、柔らかな茂みに触れた。
汗と熱気でじっとりと蒸れたそこを、風を送り込むようにゆっくりと掻き分けてゆく――。
もはや、“姉と弟”の領域を超えた行為であるが、彼女は静かにシェードをかけた。
“姉と弟”は“女と男”であり、いつかそれは“妻と夫”となる――もう、それだけで良い。
“役目”がどうこうではない。今のシェイラは、“男”である“弟”をただ求めていた。