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8.後悔と槍持ちは先に立たず

 シェイラは肩を大きく上下させ、“金の槌”に頭を砕かれたスポイラーの骸を見下ろしている。
 数多もの女を食い物にして来た男は、“金”と“女の憎悪”によって命を落とす結果となった。

「ハァッ……ハァッ……ッ……ハァ……」

 “裸体”のあちこちに血痕が付着し、床には黒い血溜まりがじわじわと広がってゆく。
 血で染まった “金獅子”は、“女の憎悪”を十分に堪能したようにも見受けられた。
 スポイラーもまた、巨万の富と栄華を受け入れられる“器”ではなかったが、憎しみの“受け皿”は持っていたようだ。
 皿いっぱいにそれが満たされた時――哀れな金貸しは、“獣”に全てを喰らわれる事となった。

「うっ……ペッ……」

 獣から人へ――冷静になってくると、己の罪が味と感触となって表れてくる。
 生臭い鉄のような味が口内に広がり、表現しがたい臭いが鼻に抜けてゆく。
 憎き者の死体はグロテスクであるが、かつて地下迷宮で見た冒険者の死体に比べれば、ただ“新鮮”と言うだけである。
 どこか空腹感も覚える。シェイラは初めて人を殺め、何度も何度も人間の頭に“金の鎚”を叩きつけたと言うのに、こうも冷静でいられる自分が恐ろしくなった。
 これは“金獅子”の呪いのせいで――と、 “スケープ・ゴート”にすれば、どこか気も楽になる。

(――それに……ここからが本番、だもの)

 彼女にはまだ、すべき“役目”が残っている――。
 スポイラーへの“復讐”は、ただの過程の一つにすぎなかった。
 普通の女の復讐殺人ではなく、“無罪”を言い渡した“裁断者”が人を殺めたのである。
 空間が裂け、そこから無言の“執行人”、“間の守護者”が姿を現したのを見たシェイラは、ふぅ……と一つ息を吐いた。

「情状酌量の余地ぐらい与えてほしい――スリーラインが文句言うのも分かるね……」

 空間を裂いて出てきた石像は、ただ無慈悲――“シェイラ・トラル”を連行し、罰する、と言う使命しか帯びていない。シェイラも罪は認めているため、抵抗もせず素直にそれに従っている。
 両脇に刑の執行人である石像を携え、誰に言うわけでもなく『ごめんね……』と告げると、彼女は空間の裂け目に消えた。

 ・
 ・
 ・

 それから、しばらくして――。
 石像に連れて来られたシェイラは、“裁きの間”の地下牢に放り込まれていた。
 平済みにされた石の壁は、ぼんやりと光を放っているらしく、灯りが無くとも真っ暗闇ではなかった。空気は冷たく、石畳の床は薄汚い。まるで地下迷宮の一部のようもであるそこは、まさにダンジョンと呼ぶにふさわしいだろう。
 正面の金属製の格子には【シェイラ・トラル】と書かれた、小さなネームプレートがハメこまれている。
 そのシェイラは、石像から手渡されたメニュー表を眺めながら、呆れた表情を浮かべていた。

「『ドリンク飲み放題サービスも始めました』? どこまで暇なのよ……」

 “弟”から聞いていた通り、“刑の執行”までしばらくの猶予が与えられるらしい。未練はその間に断てと言う事だろう、時間まで監視の目はないようだ。
 だが、彼女は食材でも何一つ無駄にする事を許さない。『使える物は何だって、全部使ってやる――』と、読書とドリンク飲み放題サービスを余すことなく受ける事にし、“一冊の本”とワインを注文した。

 シェイラは、残された僅かな時間も無駄にするつもりはない。
 届けられたワインの栓を抜き、一本丸々使う勢いで口の中を濯ぐ。不快な血を洗い流し終えると、今度は“腰”から指輪を取り出し、“協力者(しんゆう)”に呼びかけた。
 すると、すぐに空間を歪ませ、そこから這い出るように裸の女が現れ――

「あ、アンタ、無事だったのッ!?」
「し、しー……ッ!」

 女・《サキュバス》も半ば諦めていたため、シェイラの呼び出しが信じられなかった。
 もしかして《ドッペルゲンガー》か、と逆に警戒までしてしまうほどである。
 シェイラはここまでの経緯と、これから起こす事を全て《サキュバス》に申し伝えた。

「もしかして、そのためッ――」
「し、しーッ……だから、声が大きい……」

 シェイラのとんでもない“計画”に、《サキュバス》は思わず声をあげてしまう。
 口元で人差し指を立てたシェイラに、《サキュバス》はハッ――と口元を押さえ、視線を左右にキョロキョロと動かす。
 誰も居ないのを確認すると、彼女は続けてボソボソと声を小さくして話を続けた。

「……そ、そのために、こんな大がかりな事やったの?」
「う、うん。相談する前に《ドッペルゲンガー》が来ちゃったけど……。
 最初は、ちゃんと作戦通りにしようと思ったんだけど、その時のお父さんを見たら、悔しくて……悔しくて堪らなかったの。だから、ぶっつけ本番でも、私の手で決着つけたかった……」
「――分かったわ。こうなったら渡りに船、最後まで一緒に居てあげるわ」
「うん、ありがとう……本当に……」
「でも、これ話さなくて正解だったわよ?
 もし話してたら、あのワンちゃんは、一晩でツルッパゲになってるわね。
 アンタが失踪したってだけで、あの錬金術師(アルケミスト)に、胃薬と毛生え薬を特注してたぐらいだし」
「そ、そうなのっ?」
「……もう一度逢えたら、ちゃんと謝りなさいよ?」
「うん……」

 自分の事を、そこまで心配してくれている……。
 それなのに、とシェイラは申し訳なさで胸が一杯になっていた。
 もし、もう一度逢えたら……いや、逢うためには、と覚悟を決める。

「――じゃ、そろそろ準備始めるわよ。本はある?」
「う、うん……これ、だよね?」
「ん……よし、オッケー。
 タイトルはそうね……“最後の晩餐”ならぬ“最後のムッツリ”てことかしら」
「そ、そんな目的はないからっ!」

 シェイラは、無料読み放題サービスを利用し、“封印書”の貸出しを受けていた。
 そこに《サキュバス》を呼び、かつて本の中で逃げ惑った“封淫書”を作る――。
 ある“目的”のため、残された時間を目一杯使うため、彼女は本の中に飛び込んだ。


 ◆ ◆ ◆


 数十分後――。
 檻の中の女は石像がやって来るまで、開かれた本の(かたわ)らでぼうっとしていた。
 裸体にこびりついた血は拭い取られ、身体から膨らむ箇所を揺らしながら、一歩一歩その“間”へと連行されてゆく。
 平静を装っていたが、“死”が近づくにつれ、恐怖に満ちた目に涙が浮かんだ。全身がカタカタと震え始めえ、不意に足を止めた時、ついに彼女の堰が切られてしまった。
 もはや、後戻りが許されない。……にも関わらず、命乞いをしながら石像に引きずられる姿は、まるで駄々をこねた子供のようである。

「い、いや゛ぁっ……いや゛だっ、し、死にだくないっ……まだ死にだくないっ……」

 断頭台だけがポツン……と浮かぶそこに、往生際の悪さを見せた女が泣き叫び、暴れている。
 しかし、石像はただ無慈悲に彼女を抑えつけ、首を固定するくぼみに固定させた。
 ガチャガチャといくら暴れても、その拘束は解けない。大剣を構えた石像も微動だにしない。

{罪人、“シェイラ・トラル”――}
{汝は、正しき力を誤り罪なき者を殺めた。その罪は酷く重い}

 石像から流れた声も、そのシェイラには届いておらず、ひたすら同じ言葉『死にたくない、許して』を叫ぶだけであった。
 聞く耳を持たない石像の、罪の読みあげは淡々と続く――。

{罪なき者に死を与えた者は、同じ死が与えられる}
{よって、“シェイラ・トラル”よ――汝が欲すまま、極刑に処そう}
{久々の“粛清”、私も腕が鳴る}

 石像がその剣を大きく振りかぶったのを知り、その抵抗はより一層大きくなった。
 しかし、拘束はビクともせず、逃げる場所も防ぐ場所もない。
 “粛清の刃”が最頂点に達した時――

「い、いやっ、いやァァァァァァ――ッ」

 ブンッ――と言う音と共に、首を斬り落とした鈍い音だけが、“裁きの間”に響いた。
 女の悲鳴はもう起らない。その身体は力を失い、どろりと溶けるように崩れた――。
 刑を終えた石像は、元のあるべき位置に戻ってゆく。


 ◆ ◆ ◆


 残された、無人の地下牢は静かなままであった。
 先ほどまで()()()()()()本がそのままに、牢の中は重苦しい静けさだけに包まれている。
 しかし、その本が突然カタリッ……と動き出した。

「――はっ、はぁ……や、やっと出られた……」

 何とそこから、先ほど刑の執行を受けたばかりの、“シェイラ”が飛び出て来たのである。
 その後を追うように、裸の女・《サキュバス》までもが飛び出して来た。

「あらん? あれだけノリノリ、モテモテだったのに、結局誰ともヤらずじまいなのぉ?」
「あ、当り前じゃない!? 何よあれっ……て……」

 彼女は牢屋の中をゆっくりと見渡したが、そこには誰もいない。
 もちろん、シェイラはいるが、《シェイラ》はそこにいなかった。

「……成功、したようね」
「こ、これで死んだ、と思う?」
「絶対に“死”を与える奴なら、死ぬんじゃない?
 と言うか、アンタ自身で分かる事でしょ、契約切れてるはずだから」
「う、うん……《ドッペルゲンガー》の気配がしない」
「じゃ、《ドッペルゲンガー(シェイラ)()死んだのよ」

 先ほどまで牢屋に居たのは、シェイラに化けた《ドッペルゲンガー》だった。
 スポイラーから契約を切り、“契りの短刀”によって契約を結んだそれを呼び出し、罪を着せる “スケープ・ゴート”に使ったのだ。
 これは、《ドッペルゲンガー》の退治方法を考えていた時、“弟”が『“スケープ・ゴート”用に欲しい……』と言っていたのを思い出し、“裁きの間”で身代わりになって貰えば、と思いついた。
 だが、これ実行し、“死”を与えるならば、彼女自身が“相応の行い”をしなければならない。

「――アンタの復讐心があって、初めて出来たワザね」
「《ドッペルゲンガー》はその人のモノでもあるし、絶対に一度連れて行かれ、いやらしい事を要求されると思ってたから……」

 もし違ったら、その時こそ助けを呼ぶつもりであった、とシェイラは言う。
 女を金と快楽のための道具として見ていなかったスポイラー、そしてその従兄弟のタイニー――彼らの醜い欲が、シェイラを“悪魔”や“獣”に姿を変えさせ、牙を剥かれる結果を招いた。

「それで、ここから脱出する手だては?」
「確か“間”に扉があったから、そこから出られるはず……多分」
「よし、じゃあさっさと向かうわよ。
 ワンちゃんたちも、ヨメと一緒にアンタの救出に向かってるはずだから」
「ヨメって……も、もしかして、レオノーラさんも来てるの!?」
「……敵の占領地・ペインズをぶっ潰して、ワンちゃんと合流したわ。
 白銀のプレートメイルを、余すところなく真っ赤にしするような女をヨメに出来るのは、確かにワンちゃんしかいないわよ……。ホント……ドン引きするぐらい」
「そ、それほど……?」

 確かにやれそうではある……と、シェイラは顔を引きつらせた。
 “ワルツ”は、言わば掃き溜めの集まりでもある。ペインズの町を取って慢心していた所に、天と地ほど差のある、武闘派のバルティアの一団に攻め込まれては、ひとたまりもないだろう。
 因果応報――抵抗できない弱者をいたぶって来た者たちもまた、“守護者”の手によって同じ“裁き”を受ける結果となったようだ。

「牢の扉が、開いたままね……」
「プリズンブレイク、か……」

 これこそ重罪であろう、と思いながら格子扉をくぐり抜けた。
 地下牢のフロアは、迷宮のように入り組んではいるものの、死と闇が混じり合ったような臭いはなかった。
 ヒタヒタと音を立てて、じめっとして薄汚い石畳の通路を歩いて行く。
 横から見れば、真っ裸で徘徊する痴女二人……と、言った所だろう。身体を隠せるような物が全くなく、血が染み込んだ“下着”姿のままで歩いていた。あると言えば、壁にかけられた剣や槍、盾と言った類の装備品だけである。
 思っていたより長い道を抜けると、清らかな水が流れる水路に出た。

「橋までかかってるんだ……」
「……ここの管理人は誰だか知らないけど、アホなの?」

 《サキュバス》の言葉に、シェイラも苦笑を浮かべた。
 目線の先には小さな橋がかかり、欄干には『ため息を吐いても構わんぞ?』と書かれている。
 呆れた息を漏らしながらそこを抜ければ、その先はついに《シェイラ》が処刑された“間”であるはずだが――

「――最後の難関ってワケね」

 《サキュバス》の視線の先には、抜き身の大剣の切っ先を地に突き立てた、灰色の石像が静かに佇んでいた。
 何者かに命じらられた作業をするだけと言うだけあり、一定範囲に足を踏み入れれば、剣を構え通路を渡ろうとする者を排除せんと、剣を構えるようだ。
 その範囲外であれば、視界の先に“人間”や“悪魔”が立っていても何の反応も示さない。

「うーん……道は一本道しかないし、邪魔だからぶっ壊しちゃおうか?」
「獣人と関わった女は獣になる、って聞くけど、本当にワンちゃんと同じ思考になって来たわねアンタ……」
「そ、そう?」

 今までのシェイラでは、到底考えられなかった発想と言葉だった。
 流石に丸腰では戦えないため、少し戻って槍を調達してくる事にしたが、“裁きの間”の武器の軽さにシェイラは驚いていた。

「槍って、こんなに軽かったっけ? それともエルフの鎧みたいに、何か特別な――」
「アンタが成長して、“おもいやり”が正しくなった、ってことよ」
「へ……?」
「これまで、アンタの“思いやり”は、単に独りよがりの“重い槍”になってたってワケ。
 一方的な感情の押し付けじゃなくて、ちゃんと相手を汲み取った上で、本当の“自分”を出して接する事が、“思いやり”なの。
 “親切”の押し付けは、必ずしも相手にとって“親切”じゃないのよ」
「あ……う、うぅ……」
「……あー、やだやだ。悪魔が説法なんて説くもんじゃないわね。蕁麻疹がでちゃいそ」

 《サキュバス》は真面目な自分を誤魔化すように、パタパタと手で顔を仰いでいる。
 しかし、その言葉はシェイラの心に突き刺さる言葉ばかりであった。
 彼女はこれまでベルグを“自分の弟”として、自分の理想に当てはめようとしていただけにすぎない。それに従わないから、余計に自分が意固地になって“姉”であろうとしてしまっていた、と――。
 己の幼稚さが恥ずかしくなり、きゅっと下唇を噛んだ。

「ま、後悔先立たずとは言うけど……悔やむだけなら“後悔”、それを糧にするなら“経験”よ。
 振り返るのも程々に、大事なのは先を見据えること」
「う、うんっ……!」
「じゃ、その先に向かいましょうか――」

 シェイラはぐっと“槍”を握りしめ、足を前に踏み込んだ。
 腋に構えた槍に迷いはない。会いたい者たちが待つ場所に向かって、一歩ずつ歩を進めてゆく。

しおり