7.アベンジ
獣の喉から“命”を垂れ流されている。膝の力が失われ、ガクリ……と崩れ落ちた。
二度も同じ場所、それも親子にやられた“ホワイトヘッド”の牙が、完全に折られていた。
「ガ……ハッ……い、いつから私が……と気づいていた……」
「噂に聞いて、人間ではなく獣人の類――傷痕の特徴から予想はしていた。
にわかに信じ難いものであったが、シェイラの言葉、あの子の身を守るような行動で確信したのだ。あの子やその家族を守る“理由”を持つのは我々だけだからな」
“一匹狼”でしか出来ぬ、とベルグが言うと、“ホワイトヘッド”は僅かに口元を緩めた。
“
「……戦わずに逃げた犬どもに、目に物見せてやろうとして……が、思わぬ標的を告げられた。
獣を捨てたとは、言え……我々はその“恩”は忘れ、ぬ……」
スポイラーのようなやり方では、数世代かかっても力は得られない――。
“審理者”は、それを知っていたため、“ホワイトヘッド”を野放しにしていた。
「それを利用され、アンタは捨てゴマにされた――」
「ふ、ふふっ……結局、負け犬は負け犬だったってことよ……」
「……シェイラの居場所は?」
「わ、分からん……だが、スポイラーの、ところであろ、う……。
恐らく……ね、【ネラル・ドレイク】の娼館、に……」
「……そうか」
「わ、私の心臓を……“掟”をやぶ、た……」
「あれは、ルールの下で行われた“リーダー争い”だっただろう――」
「ふ、ふふっ……あ、まい……“長”よ……やはり、わた、し……が……」
“ホワイトヘッド”は笑みを残し、静かに息絶えた。
次なる目的地は【ネラル・ドレイク】――そこに、シェイラが監禁されている。
大きく息を吐いたベルグは、かつての“同郷の仲間”の死を踏み越え、おぼつかない足取りで体重を前に向けたのだが、上手く体重が支えきれず、バランスを崩してしまった。
蓄積されたダメージがやってきたのだろう。何とか立ち上がり、足を前に向けようとしても思うように動かない。獣の脚は、歩くのを拒否しているかのようだ。
シェイラを助けに行かねばならない――今のベルグにはそれだけであり、思うように動かぬ身体にイラ立ち、拳を地面を叩きつけた。
「――そんな身体でどこに行くってんだ?」
そんな姿に、闇の中にいた傍観者は、呆れたため息を吐いた。
「シェイラを救いに、だ……」
「そんなんじゃ倍の時間、いや一生辿り着けねェぞ」
俺のパンチ一発で倒れそうだ、とカートは笑う。
潜入していた“ワルツ”の排除を終えたのか、突き出したカートの手は血で染まっていた。
何をしていたか考えたくはないが、血を見慣れた配下の者でさえ嘔吐しているのを見ると、“獣の掟”に背いた以上の“罰”を与えたのだろうと、ベルグは推測していた。
「撤退し損ねた奴から聞き出したが、アイツよりスポイラーを、金をとったようだな」
「うむ……だが、そこ行かねばシェイラが……」
「二言目にはシェイラ・シェイラって、ちったぁアイツの事も信頼してやれよ」
「し、しかし……ぐっ!?」
カートは、ガッとベルグの頭を軽く小突いた。
今のベルグにとって、軽いそれでも結構なダメージである。
カートの言葉も
「《サキュバス》が言うに、シェイラにも何か考えがあったらしいぜ?」
「考え……?」
本来の作戦は、彼女を“囮”に使い、化けた所を叩くと言った内容だあった。
しかし、シェイラが連れ去られる直前、シェイラは《サキュバス》に『必要になったら呼ぶ』と、急きょ作戦の変更を“コールリング”越しに伝えたのだと言う。
《サキュバス》はそれを信じ、シェイラの乗った馬車を断腸の思いで見守っていたようで、今か今かと、彼女の“コール”を待っているとの事だった。
誰もが一抹の不安を抱えているものの、彼女の“選択”と覚悟を信じている。
ベルグも『仕方ない……』と形だけでも信じる事にしたが、ここの所抜け毛も多いため、本気で若ハゲを心配している。
「別の“妹”に、毛生え薬か胃薬調合して貰え」
「胃潰瘍と、円形脱毛で済めば御の字か……」
“姉”には、ほとほと手を焼かされる……と、ベルグはガックリとうなだれた。
◆ ◆ ◆
一方、ディルズの町から東のペインズを抜け、更に東のネラル・ドレイクの街――。
そこはスポイラーの別宅、娼館がある町であり、“審理者”の指示を受けたスポイラーは、カチ……カチ……と、大時計が時を刻むそこで、“戦利品”と“奴隷”の到着を待っていた。
ランプの橙火が揺れ、壁に映った影がチラチラと揺れる。
“金獅子”はどこに行く時でも肌身離さず持ち、それこそトイレに行く時までも運ばせるほど執着している。正直なところ、彼はもう“審理者”の指示も聞きなくなかった。
だが、『“ウルフバスター”を捨てゴマにし、奴が担ってた役をお前に任せる』と言われ、更には『シェイラ・トラルは、必要になるまで好きにして良い』とまで言われれば、もう拒否する理由はない。
しかし、そうなれば《ドッペルゲンガー》の餌代がかかってしまうため、更なる資金援助を申し出るつもりである。
「う、ふふふっ、わ、笑いが止まらんなぁ……」
彼にとって、今は人生の絶頂期であろう。
右手には“金獅子”と“金貨”、左手には“ワルツ”の権力、下半身には“シェイラ”――優秀な奴隷の《ドッペルゲンガー》までいる。
金貸しの中では、『一度に富を得た者は、全てを得る前に死ぬ――』とも言われている。
大抵は嫉妬から、送り込まれた暗殺者に始末されてしまうだけだ、とスポイラーは思っていた。
『――シェイラ・トラルを拘束し、連れて来ました』
重い鉄扉の向こうで、配下の男がそう告げた。
スポイラーにとって、運命の時がやって来たようだ。
これほどまでイチモツが昂ったのは久しぶりだ、と下卑な笑みを浮かべ、シェイラを呼びつけた。
(“断罪者”でも“スキナー一家”でも何でも、来られるなら来てみやがれっ)
この娼館、部屋だけでも易々と突破できない。
追走を振り切るには、もっと遠くまで逃げなければならないが、この“鉄の部屋”があるのは本拠地とここだけである。
“金獅子”が心配であるため、ここの警備は三分の一に減らしているものの、ここには“血の契約”を行っている《ドッペルゲンガー》がいる。
もし総出でやって来られたとしても、シェイラを犯し、爪痕を残すだけの時間は十分にあった。
しばらくして、地味なクローク姿のシェイラがそこに投げ込まれた。
それ同時に《ドッペルゲンガー》の姿も現れ、スポイラーは配下の者に、外から鍵をかけるよう指示をする。
「んんー、久しぶりだなぁー……何年ぶりだ?」
両膝をついたままのシェイラを見下ろしながら、スポイラーは言った。
拘束は解いているが、シェイラには武器も何もない。訓練場に通っている者なら素手でどうにかしてくるであろうが、すぐ側には《ドッペルゲンガー》が控えている。
それに、たった一人の“裁断者”であり、大きな“使命”を背負っていると聞いている。
そんな奴が、後先考えず行動するわけがない――と、スポイラーは踏んでいた。
「じゃあ、早速お世話してもらおうかね。そこで着ている物をまず脱ぐんだ」
「そ、そんなっ……」
「服の下に何か隠されてたら困るからな――まぁ、嫌ならそのままで良いぞ。
スポイラーは脇にあった瓶から、黒い液体を掬い《ドッペルゲンガー》に飛ばした。
それが付着すると、影はある人物、シェイラが良く知る人物に姿を変え――
「なっ……!?」
「
万全には万全をきたさねば……まぁ、女になってから会わせてやるよ」
「こ、ここに、お父さんがいるの!?」
「ああ。一応最終手段でな。賢いお前なら、この意味が分かるだろ?
命令を果たすか、俺が良しと言うまでこの姿だ――しっかり見てもらえ」
人質、選択次第では父を殺すことだ、とシェイラはすぐに理解できた。
卑劣な手を使い、下衆い笑みを浮かべるそれは醜く、これ以上とない憎しみをシェイラは感じた。
こいつさえいなければ――と、己の中に真っ黒な“憎悪”が生まれている。
今のスポイラーには、シェイラの睨みつける目すらも甘美なものである。
いくら強がっていても、震える身体は恐怖と怯えを証明している、と。
ここは監獄同然、助けが来るまで――と、半ば諦めの姿を見せたシェイラはゆっくりとその布を脱ぎ落とした。
「なかなか良い下着を着けているじゃないか……誰か、あのバカ犬に見せるつもりだったか? ん?」
スポイラーはヒヒヒ、と薄汚い笑みが堪えられなかった。
身をよじり、震える腕や手で――左腕は胸、右手は股ぐらを隠す姿は何とも愛らしい。
だが、これからする事には不必要な布切れである。
それすらも外せと命じれば、当然ながら戸惑いを見せる。
だが、《ドッペルゲンガー》が化けた父親に目を向ければ、唇を噛みながらそれに従う。
スポイラーは、今度からこの手を使おうと考えた。
「ほ、ほぉ、ぉ……あの芋っぽい女がここまで成長するとはな……」
みにくいアヒルが白鳥になった、と評すほどの身体である。
スポイラーにとって、これ以上とない理想の体型――顔は普通なのが残念であるが、この身体の前にはそんなものはどうでもいい。
それに、どんな器量よしであっても、泣き崩れた顔になれば同じなので問題はなかった。
「ほ、ほれ、俺の上に跨げ」
そう言って、歩み寄って来たシェイラを引き寄せ、“丸裸の女”を膝の上にまたがせた。
嫌がるように身じろぎするも、どこかでもう諦めているのかもしれない。その力は弱く、非力なスポイラーの腕でも簡単に抑えつける事ができた。
その目にはどこか絶望すら漂っており、彼の加虐心を掻き立てて来る。
「一晩かけて、じっくり可愛がってやろう――」
「あ、あの、私も……狼と一緒に暮らしてたのは知ってますか?」
シェイラは声を震わせながら、弱々しく口を開いた。
「ん? ああ、あの薄汚い犬どもか。今思えばそっからだなぁ……。
今の“審理者”が資金援助しろって言われ、今は最高の“宝”に囲まれ……ワンちゃんサマサマだっ、は、はははっ」
「《ワーウルフ》と一緒に暮らしていると、普通の人間も獣に変えてしまうのでしょうか?」
「はぁ? 何を言って――」
「今の私も、“獣”でしょうから――ッ」
シェイラは男の首をぐっと掴むと、“女の牙”をそこに深く突き立てた――。
「あッがぁぁぁぁぁぁぁぁッーー!!??」
興奮し、ふーふーと鼻を鳴らす様は、まさに“獣”そのものであった。
男とは思えない柔らかい肌には、彼女の牙が深く突き刺さり、ダラダラと血が流れ出てゆく。
「ひゅるせないッ……ふぇったいにッ、ひゅるさないッ……!!」
女は化け、男を騙す――かつての《サキュバス》の言葉通りであった。
何の“訓練”も受けていないスポイラーの貧弱な身体は、シェイラすらも引きはがせずにいる。
流石に噛み千切るまでは出来ないが、それでも十分なダメージを負わせる事ができた。
シェイラは、顎を真っ赤に染めながら
「やぁッ――!!」
喉から口を離すと、すぐさまその短刀握り締め――弱々しく肩にしがみつく父親を斬りつけた。急に変身が解けた《ドッペルゲンガー》は『ギギッ!?』と、困惑した様子を見せる。
「くっ……!」
シェイラはそのまま左手で刃部分を握り締め、力強くそれを引抜いた。
手の平に熱い何かが走り、ヌル……っとした何かが広がってゆくのが分かる。
「――私の
短刀――彼女の血が付いた“契りの短刀”を、目の前の影に突き刺した。
強制的に契約を結ばれた《ドッペルゲンガー》は、ギ……ギ……と人形のように動きを止めている。
「これで貴方を守る者はもう居ません――」
「ば、ばがな゛っ……げ、げい約がっ……ァァッ……」
血が流れ出る首を抑えながら、時おり引きつけを起こしたように呼吸をする。
壁や鉄の扉を叩き必死で助けを求めるも、大量の手形を残すだけだ。
もし外の者に聞こえていたとしても、『犯されているシェイラ騒いでいる』と、日常の一コマ程度にしか思われないだろう。
図らずも、その“弟”と同じ様に“敵”を仕留めたが、彼女には知る由もない。
殺気立った目で、逃げ惑う男を見下ろしていたシェイラは、ふとキャビネットの上に置かれていた“金獅子”が目に入った。
「これって――」
「ほ、ほじげればやる゛っ! ば、ばがらっ、いのぢはっ……」
「確か、これって女の“憎悪”が足りない――って、言っていた気がします」
この“金獅子”の呪いのせいで、あの遺跡にあった女たちはドロドロの愛憎劇を繰り広げたのか? とシェイラは思った。
しかし、今の彼女にとってはどうでも良い事――むしろ、憎悪を喰らいたければ、いくらでも喰らわせてやろうと思っている。
彼女は、“女の憎悪”が山盛りになっているであろう、“器”に目を向けた。
その“器”には、己の“憎悪”も含まれている。
「ひっ……や、やべでっ……やべ……」
「……あなたさえッ……あなたさえ、居なければッ……」
恐怖で歪んだ男の顔を見て『許す心も必要だ』と、自分が語りかける。
ケヴィンの時も、彼女はその言葉に従い、相手を許したのだ。
今、彼女にその“選択”が必要な時である――と。
彼女の白い肌は今、ランプの燈火を反射し黒金色に輝いている。
「――貴方を許しましょう」
「へ……」
「私は、貴方を“無罪”とします」
「ほ、ほんどかっ!? あ、ああ、あ、ありが――」
スポイラーは、まるで天使が舞い降りたかに思えた。
しかし、男の目に映ったのは天使ではなく――振り下ろされる黄金の鉄槌であった。