1.綺麗な身体に
翌日――。
国境沿いに位置する【イルフォード】の娼館では、“ウルフバスター”の怒声が再び響いていた。
そこはスポイラーの根城でもあるが、城主はビュート湖からまだ戻って来ていない。
失態に次ぐ失態を聞いてからと言うもの、怒りが抑えきれない“ウルフバスター”は、店の物を壊し、暴れ回り続けていた。
「あのバカ男は何を考えている――ッ!!」
そこに居た“ワルツ”の者から、情報を聞けば聞くほど激昂し、ついには遠くから様子を窺っていた娼婦にまで、椅子をぶん投げた始めた。
ガシャーンッとガラスが割れる音と共に、娼婦が恐怖に似た悲鳴をあげ、地面を這うようにしながら逃げ退ってゆく。
しかし、“断罪者”を倒すための手立てまでも潰された“ウルフバスター”の怒りは、このような事で収まることがない。
従兄弟であるタイニーは捨て石どころか、無駄死に。
“ジム一家”を中途半端に刺激した上に、訓練場とバルディア家の者を襲撃。
それだけに留まらず、東の《ウェアウルフ》までも脱走・再決起した。手を切るどころか、その手に噛みつきかねない状態だ。
そして――シェイラ・トラルの借金は、棒引きにされたであろう。
スポイラーの短絡的な行動が、逆に全てを失い・四面楚歌に陥る結果まで招いたのである。
「――“あの方”からのご命令です。スポイラーは捨て置け、と」
「ヌ、ヌゥゥゥ……これまでやった事は、全て時間の無駄となってしまったではないかッ……!」
「“ワルツ”に戻り、スポイラーの所持している“影”と共に、【ペインズ】へ向かえ――と」
「ペインズ……? そこは、お前たちが“スキナー”とやり合っている場所だろう」
「“断罪者”をおびき寄せ、“メダル”を奪え……との事です」
「奴の力を封じる――か。俺が言った通り、始めから奴の“弱点”を突けば良かったのだ」
“ウルフバスター”は面白く無さげに鼻を鳴らすした。
それからほどなくして、屋敷の奥から“ワルツ”の男たちについて、一人の中年の男が現れる。
「――やはり、シェイラ・トラルの借金は、殆どがでっち上げ、か」
どろり……と、真っ黒な影となったそれを見て、“ウルフバスター”は忌々し気に呪った。
スポイラーは借用書を偽造し、罪なき者たちから金をまきあげ、そこの女を攫って来ていた。
普通は出来るわけがないのだが、この目の前にいる“存在”なら可能なのだ。
それは、迷宮の奥底に存在する“闇”であり、スポイラーと契約させ使役している“悪魔”――。
(これが、“神の遣い”が送る存在か――?)
まるで“邪神の遣い”ではないか、と“ウルフバスター”は眉をひそめる。
ギギッ――と笑っているのか、威嚇しているのか分からぬそれを連れ、彼は指示されたペインズへ足を向け始めた。
◆ ◆ ◆
その一方で、カートが吉報を持ってコッパ―の町へと戻って来ていた。
シェイラ達が座るテーブルの上に、数枚の借用書の束をバサリと投げ渡す。
「ほれ、これがお前の家の借金だ」
「ほ、本当に……?」
「“金獅子”を渡しておいて『まだありましたよ』なんて言ったら、もう小細工抜きで首取りに行くぞ」
「うむ。おつりが出るほどの代物であるのだし、ちゃんと完済の証文まである――正真正銘、シェイラの借金が完済され、その身体が綺麗になったのだ」
シェイラは、父親の名前が書かれた借用書に目を落とした。
最初は確かに借金をした。だが、借りたのはたかだか中判金貨数枚――考えていた額より更にに下回る。
村を追われ、新たにやり直そうとしていたシェイラの一家は、たったそれだけの金で更にどん底を味わう事となった……。
もしこの借金がなければ、と“IF...”の人生を想像した事もあった。
貧しいながらも一生懸命働いて、人並みの幸せを得ていたかもしれない、と。
「う、うぅっ……うぅ……」
悔しさ、これまでの苦労・苦しみがこみ上げ、家族を苦しめた紙切れの上に落ちてゆく。
ぐしゃりと握り潰し、声を震わせ涙するシェイラの肩に、ベルグはそっと手をやった。
「これまで……よく耐え、頑張ってきた。
北の《ワーウルフ》は、シェイラの家族に返しきれぬほどの恩がある。
苦境に立たされている事に、これまで気づかなかった事を許してほしい」
「う、うぅん……す、スリーラインがっ、いな、かったらっ……」
今の自分はいなかった――と、頭を振りながら涙声で答えた。
訓練場で出会ったかつての“弟”、悪党の息子カート――。
教官としてやって来た、レオノーラとローズ――。
皆が差し伸べた手によって、シェイラは苦境から抜け出す事が出来た。
「ま、俺はタダでは仕事しねェけどな。あくまで先行投資だ。今後の“裁断者”サマの働き、期待させてもらうぜ? へへッ」
「う……」
「む。まぁ、仕方ないが……下手な事はやらせんぞ」
「何でもビュートの店では、
聞いたぜ? 『すごいイイ身体した女が、イイ仕事してた』って」
「ああ、それなら適職かもしれんな。なんせ
「わああぁぁぁぁぁっ!? それ思い出させないでっ!?」
シェイラの涙は、その言葉で引っ込んでいた。
実の所、ビュート湖でのそれはあまり記憶に残っていない……が、浮かれていた自分だけは鮮明に覚えている。
その時のどこか舞い上がっていた自分を思い出すと、顔から火が噴くほど恥ずかしくなってしまう。
(もう、二度とあんなことしない……)
今のシェイラは、訓練用のクロークにエプロン姿――。
朝帰りしたベルグであったが、シェイラのその姿を見て『これこそシェイラらしい姿だ』と安堵の息を漏らした。
シェイラはその時、ローズの言葉を思い出し、今一度ベルグに心の底からの謝罪の言葉を述べた。
「だが、スポイラーはまだ何か言ってくる可能性は無いか?」
「金関係では言ってこねェ……つーか、“棺桶”から出て来られねェかもな」
「か、“棺桶”って……もしかして、正体はヴァンパイアみたいな……の?」
「アイツは、
襲われても大丈夫なように、と金で腕の立つのを雇い、デカい金庫みたいな居室作って引きこもってんだ。
そんな奴が、誰もが羨むような“金獅子”なんて持ってみろ、疑心暗鬼で人を遠ざけ、破滅を呼ぶだけだぞ?」
“ワルツ”も雇われた人間も、スポイラー金目当てで近づいてきただけである。
おこぼれの女を与えてご機嫌を取っているだけであり、手の平を返されてはどうにもならない男なのだ。
「それに、だ。犬っころの言う通り、“獅子の呪い”がふりかかるのなら、奴も時間の問題でもあるだろ。『女が命を喰らう』ってんなら、奴に女難の相が出るぜ」
「うむ……。“呪い”であれば仕方あるまいな」
シェイラも脅威が去ったと分かり、安堵の息を漏らしていた。
当事者は野放しのままであり、直接手を下したいほど許せない。しかし、いざ目の前にスポイラーが居たとしても、彼女自ら“断罪”を、手を下せられるとは限らないだろう。
もし、“呪いを受けた女”が彼を裁いてくれるのならば、と考えている。
しかし、ベルグにとっては脅威の一つが去っただけに過ぎない。
避けては通れない問題が現実味を帯び始め、『もはや黙っているわけにもいかぬ』と、決心した顔をシェイラに向けた。
「――シェイラ、すまないが話がある。
後で、レオノーラの所まで来てもらえんか?」
「え、う……うん……いいけど」
これまで見た事のない真剣な面持ちの“弟”に、“姉”の顔が強張ってしまった。
ベルグ一人で解決できる問題であれば、話さずに済む事だろう。
しかし、シェイラはその渦中……ど真ん中にいるため、ベルグは“全ての真相”を話さないわけにはいかない。
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賑やかになった訓練場も、本日は休校となっている――。
訓練の時間が過ぎても、レオノーラが寝室から出てこなかったため、ローズが臨時休校にしたのだ。
今は自主練習に来た町の者たちが、各々持ってきた食べ物を広げ、和気藹々としている。その中には、訓練にも慣れて来た宿屋の女将もおり、ずいぶんと楽しそうにしていた。
ここの所、訓練終わりに食堂に寄る者が増え、賑やかな夜も増えて来ている。
片や、訓練場の中は、かつての静寂を思い出すほど重く、静かだった。
ベルグとシェイラは、カツ……カツ……廊下を歩く音だけを響かせ、目的地である教官の控室の扉を叩いた。
「あ、うむ……」
教官二人は、来訪者に目を向けた。
ローズは普段通りであるが、椅子に座っているレオノーラの顔は赤く、どこか熱っぽい。
シェイラは鬼のかく乱かと思ったが、特に体調が悪いようでもなさそうだ。
しかし、様子がおかしい事は確かだ。唇を真一文字に結び、俯きがちに目を伏せながら、チラチラとベルグの顔を見る――そんな様子に、彼女は小さく首を傾げた。
そんな、青菜に塩がかけられたような姉の姿に、半ば呆れた顔のローズが口を開いた。
「――まぁ、これに関しては、内服も外用薬もないからね。
で、借金完済もしたし、やっと“新たな脅威”について話す決心ができたワケ?」
「あ、新たな……脅威?」
「うぅむ……話したくはないのだが、当人が一番関わっている事なのでな……」
「まだここに居るにしても、無警戒よりはマシでしょ」
「うむ……」
「あ、あの、一体何の話なんですか?」
二人の会話は、シェイラには全く掴めない話であった。
ベルグはレオノーラをチラりと見た。それに応じるかのように、彼女は顔を引き締め、コクリと小さく頷く。
ベルグはそれに一つ頷くと、テアから渡された本をシェイラに見せ、言いにくそうにしながらも、ポツポツと“真実”について語り始めた。
始めは、何のことか分かってなかったシェイラも、次第に理解し始めてゆく。
そのコトの大きさと重要性、最大の脅威。そして……“裁断者”のもう一つの役目――
「え、えぇぇぇっ!? つ、つまり、わっ私が、スリーラインの、お、おお、およっ……」
「ま、まぁ落ち着け。まだ確定ではないのだから。……だが、現状取れる方法がそれしかない」
「え、あ……でも、確かに昔はそんな話もしたと思うけど、今はだし……。
それに、れ、レオノーラんさんはっ……!?」
シェイラは、慌ててレオノーラに顔を向けた。
「私も昨日、聞かされて驚いたのだが……うむ、私はだ、大丈夫だぞ?
幸いにも“断罪者の守護者”、教官としての“間を護る守護者”には変わらないようだ。
皆、その何だ……ベルグ殿が“裁断者の守護者”であっても、“平等”であれば――」
昨日……と聞いて、シェイラは何か引っかかるのを感じた。
ベルグは確かに夜更けにどこか出かけて、朝になって帰って来たのだ。
話がしたくて待っていたが、結局帰って来ないどころか朝帰り――どこに行っていたのか、とは気にはなっていた。
それが『昨晩、レオノーラの所に来ていた』のなら、説明がつく。
(今日はやけにしおらしいし、あの椅子のクッションって、ローズさんのじゃないの……?
で、あの様子は何と言うか、ものすごく女性っぽいと言うか……大人っぽい?)
シェイラの頭に、ある事がよぎった。
まさか……と、“弟”を見やると、耳を動かしブフッと鼻を鳴らす――。
どうして良いのか、と考えている反応を示していた。
そして、レオノーラは何かを思い出したのか、再び顔を赤くしてモジモジし始めている。
「ま、まぁ私は構わないぞ。
ベルグ殿の所は重婚も認められているし、シェイラが
「ま、まま、まさか……」
「アンタみたいに添い寝してただけ、ってパターンもあるし、ご想像にお任せするわ。
さーて、シーツ乾いたかなー? 新作の“血の染みがよく落ちる洗剤”の効果、見てこなくっちゃ」
「ろろろ、ローズッ!?」
あまりの衝撃に、シェイラは酸欠の魚のように、口をパクパクとさせるしかなかった。
確かに二人は大人、そう言う
(私がスリーラインと、なんて事も寝耳に水だけど……)
水どころか、煮えたぎった熱湯をかけられ、心臓マヒをおこしそうな話だった。
確かに昔は『スリーラインのお嫁さんになってあげる』と話した事もあった。しかし、まさか子供の頃の約束が、今ここで、本当に果たされるとは夢にも思わなかっただろう。
これまで、結婚の