14.“獣人”か“自由人”か
その頃、ベルグ達はコッパーの町へと戻って来ていた。
シェイラが“商売女”の真似事をしていた事は、関係者以外誰も知らず、表向きにはラスケットの町からの依頼で、畑の収穫手伝いをしていた事になっている。
彼女は町に戻ったその足で訓練場に赴き、教官への任務の完了報告と同時に、深く頭を下げた。
「心配をおかけし、申し訳ありませんでした……。勝手な行いを反省しております……」
「あまり褒められた行為ではない……が、結果無事であり、成功を収めたのだ。
まぁ今回だけは特別、目を瞑るとしよう」
レオノーラは、顔を渋くしながら一つ頷いた。
彼女にとって、シェイラは大事な生徒であり、義理の“妹”ようなものだ。
事情が事情であるため、任務の受注を許可しているが、それでもリスクの低い物のみ――。
いくら《サキュバス》との共同作戦、盤石の体制であったとは言え、成功率100パーセントの作戦などはない。今回はそれは、本人の顔を確認するまで決して安心できない内容だった。
シェイラ本人も、我儘を突き通したことは重々承知している。
これはベルグの反応からも窺え、始終申し訳なさそうな表情を崩さなかった。
「――お姉ちゃんに謝んのはいいけど、アンタの“弟”君にもちゃんと謝ったの?」
「え、あ……はい……」
「そっ。ならいいけど。
お姉ちゃん以上に気を揉んで、出発まで寝てない、ご飯もろくに食べてないからね――」
そんな素振りを微塵も見せなかった、とシェイラは驚いた表情をローズに向けた。
イラついた様子は見せていたものの、空腹・睡眠不足も相まっているとは知らなかったのだ。
「この話ではないけど、あの人……アンタのためなら命を落としても厭わない覚悟でいんのよ?
それが、“役目”かアンタ自身のためか知らないけど……“弟”にあれこれ気を回すんなら、己の行動にもっと責任を持ちなさい。下手すりゃ、処女のまま未亡人になる人まで居るんだから」
「なっ!? そそそ、そんな事を言うなっ!」
“弟”はそこまで自分の事を心配し、考えていてくれた――。
そんな事も知らなかったシェイラは酷くショックを受け、自分が恥ずかしくなっていた。
口にしなかっただけで……と、顔を伏せ、涙が零れ落ちそうになった時、
「まぁでも、“裁断者”と“守護者”の関係で考えれば、それも正しいか――」
「え……?」
「あ、あああ、べ、別に何でもないわっ、ええっ」
思わず口を滑らせてしまったローズは、慌てて取り繕った。
本来の関係については、ベルグに言われた通り、姉にすら話していない。
そのため、
『
と、シェイラとレオノーラの二人は、共にローズの言葉に首をかしげていた。
「ま、まぁそれは置いといて……あの変装薬はどだった?」
「あ、えぇ……効果は絶大でしたけど、私はもう飲みたくないです……。
あと、スリーラインは怒ってました」
「どうして?」
「《ウェアウルフ》の皮が暑いって――」
ローズは『“
先日のそれから剥いだ皮から、一つの着ぐるみのようなそれを作ったのである。
ベルグ曰く、特に
◆ ◆ ◆
一方そのベルグは、ようやく人心地がついたせいか、食堂でバクバクと飯を食い、酒をあおり続けていた。
決定から作戦終了まで、ほぼ一食分程度しか食べていなかったのもある。しかし、作戦決行中の合間の、シェイラの行動、《ウェアウルフ》への風当りの悪さ、忌々しいそれの
何もかもが気に食わず、ストレスが溜まりっぱなしだったのだ。
(特にあの、最後の“商売女”は最悪だった――。
あんな女に誰が浴するのだ、しかもあんなので小金貨二枚もするとは……)
ベルグにとって、それはまさに拷問のような時間であっただろう。
見た目もそうだが、臭いが特に気に食わず、発情した女のそれに耐え続けていたのだ。
“本物のシェイラ”にも腹が立つので、満月にかこつけ、“商売女”に溜まりに溜まった
口をつけるのも嫌なので、ずっと鼻近辺で誤魔化していた。しかし、それすらも面倒くさくなり、近くにあったロープで縛り上げて放置したのだった。
(レオノーラやシェイラと大違いだ。
心なしか、まだ腐ったチーズのような臭いがする……)
解除と権利書を奪うのは、空間移動ができる《サキュバス》が担当する。
そのため、ベルグはそのパスワードを伝えるだけで済んだ。
(だが、シェイラの借金は完済。これで一山終える事が出来た。
後は“ワルツ”とやらが、シェイラを狙う“理由”の排除のみ、か――)
毒をもって毒を制す――ああいった交渉事は、カートに全て任せている。
“金獅子”と交換でビュートの町も頂く、と聞かされた時はベルグも驚かされたが、そのおかげでスポイラーを交渉の場に引っぱり出せた。
シェイラをつけ狙う理由は不明であるが、そのための“理由”となるハシゴが外された。
綺麗な身となったシェイラは、もう何にも恐れることないのだが――。
(“裁きを下す者”の役目……。神は何ゆえ、こんな厄介事をシェイラに押し付けたのだ。
候補が狩られている可能性があるとは言え、もっと他にいるはずであろう。
一体何を焦れば、シェイラを選ぶことになるのだ)
ベルグは我が神でもある、獣神を呪った。
謁見するチャンスがあれば、一時間ぐらい苦言を聞かせてやる、と本気で考えてもいる。
シェイラをつけ狙う理由、そして“裁きを下す者”に託された使命……シェイラにもいつか“守る”ための理由を明かさねばならない。
そのためにはまず――
(レオノーラの件、か……)
彼女はベルグの婚約者である。
このまま宙ぶらりんにしておくのも酷であるし、何よりベルグにも抑えが効かない。
まずそこから話を通すのが筋だ、と会いに行く決心をし、瓶に残ったワインをそれごと一気に飲み干した。
・
・
・
闇夜を仰げば、まだ煌々とした丸い月が浮かんでいる。
訓練場にある教官用の宿舎にやって来たベルグは、レオノーラの部屋の扉をノックしていた。
「――あ、べ、ベルグ殿……こんな時間に何かあったのですか」
「ひじょーに面白くない気分なので、遊びに来た」
空きっ腹に酒をカブ飲みしたせいか、酒が回ったベルグはご機嫌だった――。
若い獣人族は、満月の前後は非常にテンションが高くなり、ハメを外したがるのだ。
「は、はぁ……え、えぇ!?」
ナイトガウン姿のレオノーラは、突然のベルグの訪問と、その理由に驚きを隠せないでいた。
満月の夜はベルグも例外ではない。その獣人族にとって楽しくてしかたない期間を、シェイラに台無しにされたため、非常に面白くなかったのだ。
理由が理由であるため、多少の不自由は仕方ない。ベルグもそれを自覚している。
だが、今日ぐらいは誰かにこのやるせない、悶々とした気持ちを聞いて欲しかった。
満月の夜は、獣人のテンションが最高潮を迎えるのだが、その反面――非常にイラつきやすく、デリケートな時期でもある。
(酔っている、からだろうか――?)
それを知らないレオノーラは、珍しいベルグの姿に首を傾げていた。
しかし、意識はハッキリしているようで、その話も真剣に耳を傾ける。
主な話の内容は、今回のシェイラの事――文句と口のオンパレードだったが。
「ベルグ殿が、シェイラを想う気持ちは分かります。
でずが……その、もう少しシェイラを頼ってみてはどうでしょうか?」
「頼る……? 必要なことは頼っているつもりだが」
「いえ、“役目”とか抜きの、何でもいいことです。
私が思うに、ベルグ殿は何でも一人で出来すぎ、やりすぎるのです。
それがシェイラには面白くなく、ついあんな行動に出たのだと思いますよ」
その結果、今回の“任務”は上手く行った事も事実だ――と、レオノーラは言う。
もし、“弟”に対しての悔しさなくば、必ずどこかでヘタれていただろう、と。
「う、うぅむ……」
「それに……私とローズも似たような境遇でしたし、親近感があります」
「ふむ? 確かに、ローズは何でもやれそうだ」
「いえ、そちらの方ではありません。
実は、私とローズは腹違いの――正妻と妾の子の関係なのです。
父の出来心と言うのもあり、あの子の立場が弱く……私が守ってやらねば、って思ったのですが……」
「が……?」
「私が何でもやりすぎました……。
あの子がやりたい事、やれる事まで取り上げてしまって、苦しめてしまっていたんです」
そのせいで、ローズは陰で色々やるようになり、よりふさぎ込むようになったと言う。
ある日、彼女は“魔法薬の調合”をこっそりと行い、部屋を爆発させた事があったらしい。
飛んで駆けつけたレオノーラは、オロオロと狼狽えながら“失敗”を隠そうとするローズを見、
黙って部屋の掃除を手伝おうとすると――
「『アタシのしたい事を取り上げないでよ』と、あの子まで爆発してしまって……。
その時、涙しながら全てぶちまけてくれて、初めて自分の行いに気づいたのです」
「なるほど……うちとは大違いだ」
口の前に手が出るため、二次被害、三次被害は当たり前だったと、ワフワフと笑っている。
「ど、どんな家庭環境なのですか……」
「獣の話を聞かない、
その点、話をちゃんと聞いて、行動してくれる姉を持つローズが羨ましい」
「わ、分かりますか……?」
「今のお前たち二人を見ればな」
「私も怒ったんですよ? でも、ぐっと飲み込んでローズにホウキを投げ渡し、私は雑巾を持って来て……『互いにやりたい事とやるべき事をやる』にしたんです。
すぐに、父と互いの母も飛んできましたが、“二人でやった”事にしました」
「いい姉だ」
そう言って、ベルグは『うむ』と一つ頷いた。
家の者にも『よくやっている』と言われるが、それとは意味がまるで違う。
義務としての“姉”ではなく、姉妹としての“姉”を、ちゃんと評価してくれたのが嬉しくなった。
「ですがその、私も色々鬱憤がたまる事もあります……」
「己の“役目”が嫌になる時だろう」
「はい……えっ?」
ベルグはぐいっとレオノーラを引き寄せ、胸に抱いた。
酔っているのか、機嫌がいいのか、いつものイタズラ心か分からないが、ベルグは何となくそうしたくなった。
「え、ああ、ああっ、あの……」
「俺もたまには、こうして誰かにすがりたい時がある――」
レオノーラは、あまりの恥ずかしさからベルグの胸から離れようとしたが、その腕が許すまいと力が込められている。
他の男にはないその荒々しさに、レオノーラの胸の高鳴りは抑えきれないでいる。
どっ、どっ……と胸を叩く心臓は、いつか破裂しかねない勢いだった。
「そ、その時はどうしているのですか……」
「耐える。“断罪者”は孤独なのだ」
「でで、ですが今は――ん!?」
ベルグの狼の口が、強引にレオノーラの口を塞いだ。
目を見開いた彼女をよそに、狼の口は貪るように、きゅっと閉じられた唇を割り開いてくる。
――その唇が離れた時には、レオノーラの顔は上気しきっており、普段とは違う“女”の目に変わっていた。
「今は、傍にはレオノーラがいる――」
「は、はい……」
「だが、それで少し問題が起こったのだ……」
「問題、ですか……?」
とろんとした表情から、不安げな表情に変えた。
それを見たベルグは一瞬、言うべきか躊躇いを見せたが、思い切って告げることにした。
本来、“断罪者”はおらず、“守護者”であったこと――その関係に戻す必要があることを全てレオノーラに打ち明けたのである。
「そう……でしたか」
「だが、これまでの“断罪者”と“守護者”は変わらない――。
シェイラとのそれは、時間のかかる難しい選択かもしれんが、ゆくゆくはそうなる可能性が高い。
理解に苦しむ、虫のいい話だが……受け入れてくれるか……?」
「受け入れるも何も、ベルグ殿のお傍にと決めた、私の意思は揺らぐことはありません。
それに、シェイラも“選択”をしたのです。私だけ、しないわけにはまいりません」
「そうか……そう言って貰えると救われる」
「それに、獣の掟があるのなら、妻が“十人”居ても問題ないのですが……その……」
「ん?」
「そ、そのっ、私をその……充分に、愛してくれますか?」
「愛せば、俺は“獣人”になるぞ――」
「ならば、私から“愛”も与え、あなたを“自由人”に戻しましょう」
獣に身を預けていたレオノーラは、自らベルグと唇を合わせた。
今までの、初心な彼女では到底考えられない行為に、ベルグも少し驚いた表情を見せる。
荒々しい獣同士のような口づけに、女も恥じらいが薄れ始め、次第に本能が掻き立てられてゆく。
妹より『獣人と関わった女は、次第に“獣”と化してゆく』と聞いていたレオノーラは、まさにこのことかと理解していた。
これまで彼女は、“女”である実感がなく、どこか木の股から生まれるような感覚だった。
しかし、ガウンの隙間に“男”の手が滑り込んだ瞬間――レオノーラは初めて、己の“女”に気づいたのである。